鈴④ 救世主でない彼女は助けたい人を助けるために奔走する

――ピシッ


「痛っ」


 ぼーっとしていたらいきなり額に衝撃が来た。

 目の前にはデコピン直後の手をした田代さん。

 ずっと俯いたままだったから久々に顔を上げた気がする。


「ごめん、理由聞いたら殴りづらくなると思って先に叩いた」


「間違ってないよ。俺はすずを泣かせた」


 正確にいうと鈴の泣き顔は見てないのだけれど、あそこまで落ち込ませてしまっては一緒だ。鈴から逃げるように去った後、自宅に帰る気にもならずに近くのハンバーガーショップで時間をつぶしていた。

 田代さんからメッセージが来たので現在地を伝え、あと20分粘りなさいとメッセージがきたので立ち去ろうかなと思っていたところだ。合わせる顔がない。

 立ち上がる気力が湧くより先に田代さんがここにたどり着き、俺にデコピンしたのだろう。


 壁の時計を見るとその連絡があってから8分も過ぎて……、あれ、早くね?

 よくよく観察したら田代さんは息をきらしている。ここまで全力で来たのだろう。


「そういうのいいからさっさと話して。言っとくけど私鈴からなんにも事情聞き出せてないから全然状況分かってないの」


「ごめん。俺にもよく分かってない。でも、きっと悪いのは俺だ」


「貴方の中でそうだとしても見方を変えると違うに決まってるじゃない馬鹿! さっさと説明しなさい。話はそれからよ」


 どんな時でも鈴の味方をするはずの彼女がここにいる。

 思えばこうなることを心のどこかで望んでいたのかもしれない。立ち去らなかったのは、もっというと田代さんに現在位置を返信したのは助けを求めていたということだろう。


 有無を言わさぬ迫力に負けて今日あった出来事を振り返る。

 最初は良かったはずだ。


 シアタールームを借りて、二人で気になった映画をスクリーンに映して鑑賞する。

 人目を気にせずスキンシップをとりながらどちらかが思ったことを口にして、もう片方の気が乗れば会話をする。

 同じ場面で同じ気持ちを抱けば嬉しいし、俺一人じゃ気づかなかった視点の話も面白いものだった。


 ただ映画を見るだけが楽しかった。



 問題はたぶん幻肢痛が起こってから。

 だけど何が悪かったのか全然分からない。


「何が悪かったのかな」


 だから正直に分からないと伝える。

 田代さんなら何か知っているかもしれない。


「なるほど、ね」


 俺の話を聞いた田代さんはさきほど購入したバニラシェイクをストローで吸い、考えを纏めるように口を動かした。

 期待したのは誰もが納得するハッピーエンドのピース。

 そんな魔法みたいなものを期待した。


「その映画キスシーンあったと思うけどカップルで見て気まずいとかなかったの?」


 なのに口から出てきたのはかなり野暮な質問だった。


「え? いやっ、その……」


 鈴の唇の感触が蘇る。

 唇だけでなく、鈴の咥内を蹂躙した感覚まで鮮明に思い出された。

 瞬時に顔が熱くなる。


 幻肢痛のインパクトで印象が悪い方に偏りかけていたけど今日俺は鈴とキスをしたんだった。


「その反応でだいたい分かったわ」


 話を振っといて呆れるのは流石に違うんじゃないかな。

 理不尽を感じて田代さんに無言の抗議を送る。無視された。


「幻肢痛が起こったのはキスの直後、よね」


「そうだけど、それがなにか関係あるの?」


 そうだとしたら最悪だ。

 これからキスする度に幻肢痛に苛まれる可能性が出てきた。

 田代さんはこの状況で全く関係のない話をする人ではないしきっとそうなんだろう。

 俺は鈴にとって異物だった。


「ちなみにタクシー代どうしたの? 結構高かったわよね。流石に突発的だし鈴に払わせても良いんじゃない?」


「……」


「……」


 あ、これ俺の質問は無視する流れかな。

 当然か。この場で俺に発言権はない。

 さっきはデコピン一発だったけど今度は張り手か、ひょっとしたらグーが来るかもしれない。チョキは勘弁してください。


「いや、俺が払おうとしたときには鈴のご両親のどっちかが既に払ってた」


「そう。じゃあそっちは問題なさそうね」


 必要な情報は全て集まったのか、結論が出たみたいだ。


「何が?」


「貴方の所為と勘違いされては困るもの」


 ……。


 思考に空白が生まれる。

 今田代さんはなんと言った?

 俺が鈴を泣かせたのは勘違い?


 そんなはずない。だって鈴は俺と一緒にいる時に悲しそうになって、俺が対応を間違えた所為でこうなったんだ。


「一つ謝らないといけないのでけど、今回のこと、私はいずれ起こると思ってた」


「えっ」


 いや、不思議ではないかもしれない。

 幻肢痛が起こる頻度がたとえば月に一回程度だとして、鈴と一緒にいる時間が増えれば俺がそれに遭遇する確率はどんどんと高くなっていく。

 発生する確率が1パーセントの事象でも70回も試行すれば起こらない可能性の方が低くなる。


「だから、ごめんなさい」


 田代さんが頭を下げる。

 慌てたのは俺だ。


「ちょっ」


「本当はどこかで貴方に時間を作って貰うつもりだった。こんなことならもっと早く言っておくべきだったわ」


 鈴のことで責められると思っていたのにいざふたを開けてみれば俺が謝られるという異常事態。

 戸惑いながらも確認をしていく。


「えっと、田代さんは何を知っているの?」


「幻肢痛が起こる原因は私も分からない。でも、鈴の場合に限ってどんな時に起きるかがそこそこ分かっているのよ」


 それは、俺が知りたい情報だろうか。

 それとも知りたくない情報だろうか。


 どちらでも構わない。

 知るべき情報に変わりはない。

 たとえ俺が悪くなかったのだとしても、鈴の笑顔を取り戻すのは俺の役目だ。


「一人の時、もしくは周りに信頼できる人しかいない時だけなの。赤の他人がいる前では絶対に幻肢痛は起きない。お医者さんでもそうだったわ」


 意味を理解して、少し泣きそうになってしまった。


「キ……どのタイミングかは鈴にしか分からないけど貴方は鈴にとって自分をさらけ出せる存在になった。安心できる身内になった。完全に心を開いた」


 ……いや、うん。

 まぁタイミング的に見てキスがきっかけなんだろうなぁ。

 ちょっと濁したくなる気持ちも分かる。俺も素面でスラっといえる気はしない。

 さっきまであんなに落ち込んでいたのに変な笑いが出そうになる。


「解決する方法、というか私はこうしてるって方法を教えるわ。簡単か難しいかは貴方次第だけどね」


「助かるよ。うん。本当に、助かる。ありがとう」


「知らなかったの? 私、これでも貴方達を応援しているの」


 俺と鈴を助けるために来てくれたんだ。

 少し感動する。わざわざ休日にとんできてくれた。恩がどんどん積み重なっていく。

 もう足を向けて眠れないや。


「今日幻肢痛が起こったことは忘れなさい」


「えっ」


「なんでもないように接しなさい」


「……」


 驚愕と、納得。

 鈴の反応を思い出す。鈴は幻肢痛を大したことない、まるで虫刺されか何かのようにふるまっていた。

 あれが強がりでも何でもないんだとしたら、確かにそれが一番良い気がする。

 そっか。なら、鈴が気にしていたのは俺に気を揉ませたことだ。


「再発したとしても大袈裟に対処しちゃ駄目。どれほど心配だろうと顔に出しては駄目」


 簡単だけど難しい。

 単純だけど一筋縄ではいかない。


「鈴を決して障害者として扱わず、ただの女の子として扱いなさい」


 キスするまでの俺にできていて、今の俺にはできていないこと。


「分かった。できるかどうか分からないけど、やってみる」


 田代さんのやり方をそっくりそのまま真似ても状況が好転するとは限らない。失敗すればせっかく縮まった距離がまた開いてしまう。

 だけどそれはこのまま時が過ぎても一緒だ。早めに動かないといけない。

 まだ電車に乗らずにいて正解だった。ここは鈴の家の近くだし、会おうと思えば今日の内にも会うことができる。


「私は鈴の味方よ。貴方が鈴を想っていて、鈴が貴方を受け入れている限り見捨てないわ」


「頼もしい限りだ」


 格好良い。

 鈴があんなに魅力的な女の子なのはきっと彼女がいてこそだ。


「ううん、少し違うわね。私、今の生活を気に入ってるの」


「そうだったんだ。鈴をとったようで申し訳ないなとはちょっと思ってた」


「朝、貴方たちの会話を聞きながら登校するのも、お昼に鈴の口から惚気話を聞くのも、授業が終わって鈴と一緒に貴方の教室に向かえに行くのも全部そう」


 二人が三人になった。

 もちろん嫌われてるとは思ってなかったけど、手放しで歓迎されている訳ではないんだろうなと思っていた。どうしたって俺は田代さんから鈴の時間を奪った泥棒のような存在だと思っていた。

 こんなに必死になってくれるイメージなんてなかった。

 でも、そんな考えを持つことは彼女に失礼だった訳だ。


「ねぇ知ってる? 鈴ってかなり意地っ張りなのよ」


「そうなの? ちょっと意外」


「貴方には素直だからね。ただ、これから大変よ。なにせ貴方に甘えて自分を押し通すようになるもの」


「ハハ、それは大変だ」


 そういや田代さんもスカート穿かされてたなぁ。

 鈴に逆ナンされた時の話だ。

 あれからまだ一月も経っていないというのにもう既に懐かしい。


「今余計なこと思い出さなかった?」


「いや全然?」


 余計なことに心当たりはなかったので否定する。

 大切な思い出になら心当たりがある。鈴と過ごす日々は毎日が宝物だ。


「貴方たちが付き合いだしてから、今日初めて鈴の笑顔以外の表情を見たわ。それだけ貴方は鈴の中心だった。自信を持ちなさい」


「そう……だね。俺にはそれが足りなかった」


 もっと鈴を見なきゃいけなかった。

 もっと俺自身を見なきゃいけなかった。


「私も、もう少し時間に猶予があると思ってたわ。それについては申し訳ないと思ってる」


「最善を尽くせなかったことを悔やむのはやめよう。それを言うなら俺の方が罪が重くなっちゃう。田代さんも謝らないで」


 人は完璧じゃない。なのに俺は自分に完璧を求めてしまった。

 もちろん理想を掲げることは良いことだ。下ばかり見ていると挑戦することを忘れてしまう。鈴と出会う前の俺がそうだった。できないと諦めてできる範囲での心地よさだけを追求していた。


 なんというか、最近の俺は上手くいきすぎていて調子にのっていたんだろうな。

 俺が今挑んでいるのは未知で、全てが上手くいくのは幻想。

 それでも欲しい未来のために手を伸ばす必要があった。


「それに、まだ縁は切れてない」


 結果論に意味はない。

 だって、その結果とやらは確定していない。

 ここからいくらでも変えていける。


「ちょっと仲直りしてくる!」


「いってらっしゃい。私は疲れたしここでこれゆっくり飲んでから帰るとするわ」


 人と関わる以上自分以外の人に何かを求めなくちゃいけない。

 鈴と話そう。

 お互い納得できるまで、何度でも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る