鈴② ポイント・オブ・ノー・リターン

 朝、俺の方が学校に遠い駅から乗っていて、その時座席に座ることにさほど苦労はしない。

 もちろん座れない時もあるが大抵大丈夫だ。


 ただ、すずが乗ってくる駅に着くころには席は全て埋まっている。

 つまり、いつものように座ってしまえば彼女に立たせて俺は座っているという最悪の絵面が完成してしまう訳だ。


 そんな奴は彼氏としてちょっとどうかと思う。

 できれば鈴の分の席も確保しておきたいがそもそもの話、短い時間座るよりは立っているだけの方が楽らしい。

 前にも聞いたけどやっぱり遠慮とかそういうのじゃなかった。


 だからまぁ、俺にできるのは座らないで隣の空間をそれとなく確保することだけだったりする。


 鈴達が乗る駅に着き、いつもの扉から入ってきた。

 こちらを見つけてパーッと笑顔になり、傍に来てくれた。


(おはよっ!)


(おはよう)


 電車内なので小声。

 一緒にいた田代さんとは手振りだけで挨拶。

 若干辟易してる顔だ。

 俺も友人が異性にデレっとしてる姿を見ると微妙な気持ちになるだろうなぁ。


 そんな中でも鈴はしれっと俺の左隣に来たので手を繋ぐ。

 悪いけど俺、鈴の彼氏だから鈴が最優先なんだ。

 今にも溜め息をきそうな田代さんを後目に手の力の強弱で恋人にしか許されないタイプのコミュニケーションを楽しむ。



 ――にぎにぎ、ぎゅっ



 俺はこのためにわざわざ立って電車に乗ってたんだと痛感する。

 信号で電車止まったりしないかなぁ。

 少しでも長くこの時を感じていたい。


「……はぁ」


 堪えきれなくなった溜め息が漏れる音は聞こえないフリをした。






「えっと。俺達付き合うことになりました」


「知ってる。二十回聞いた」


「あと八十回は聞いてほしい」


 電車から降りて通学路。

 車内の混雑ではできなかった話をしながら学校を目指して歩いている。

 もちろんその間ずっと手を繋いだままだ。


 ボウリングが土曜日で、日曜日はメッセージのやり取りをしただけで会ってない。

 俺からは今日初めて話すので鈴は同じ話を二十回したのだろう。

 何故か三桁の大台を目指しているみたいだが俺には関係ないし別にいいかな。心の中で合掌。


「というか私への報告いる? 私、鈴の保護者でもなんでもないんだけど」


「「えっ!?」」


 俺だけじゃなくて鈴まで驚いているくらいには保護者してたと思うんだけど。


「二人とも、付き合いたてだというのに息ピッタリじゃない。どういう意味か訊いていいかしら」


 少し圧が強まる。

 今日初めて呆れ以外の感情を見た。


「いやいや、たとえ保護者じゃなかったとしても報告くらいするよ」


「そうだよ。だって蘆花は私の一番の親友だもん」


 俺も鈴も田代さんの保護者じゃないという言葉に一切取り合わず、微妙に論点をずらしながら嘘じゃない話題を展開する。

 言葉って便利だなぁ。

 なんというか、振り回してしまっているようで本当に申し訳ない。


「はぁ。別になんだって良いわよ。鈴が笑ってるなら私はそれで良い。泣かせたら理由問わず一発ぶつけどね」


 その言葉に思わず足を止める。

 同じタイミングで鈴も立ち止まった。

 二人で顔を合わせ、目だけで思いを共有、


「「やっぱり保護者じゃん」」


 するだけでなくちゃんと口に出して言ってやった。


「知らないわよ」


 足を止めなかった田代さんはそのままスタスタと行ってしまう。

 ただし歩むペースはゆっくりとしたもの。

 鈴の足でも余裕で追いつけるペース。


 怒っている訳ではないらしい。

 俺にもようやく分かってきた。

 止めていた足を動かして田代さんについていく。


「洋くん。次のデートどこにする?」


「あー。放課後どこか行くって話? それとも週末?」


「両方!」


「鈴って結構欲張りだよね」


「えー。だっていっぱい遊びたいじゃん」


「同感」


 学校の最寄り駅から学校までの短い時間。

 帰りは時間が合わないしわざわざ合わせる理由もなかったけど、これからは一緒に帰ろうと約束する。

 クラスが違うと接点はほとんどない。

 俺が義足美少女の存在を知っていても顔や名前を知らなかったように、他クラスと交流がない人は全然ない。


 つまり意識して動かないと一緒に過ごす時間はどんどん減っていく。

 短い高校生活を目いっぱい楽しむためには時間がいくらあっても足りないはずだ。


 なんて浮かれていたら前から現実に引き戻す声が聞こえてきた。


「あなた達、そろそろ期末試験だって分かってる?」


 手を繋いでたら両耳は塞げない。

 テスト前に一つ賢くなった。




 俺の靴箱で靴を履き替え(片手だからちょっと苦労した)、何故か鈴の靴も履き替えさせ(利き手が使えないという訳が分からない理論を聞かされた)、馬鹿なんじゃないかという田代さんの視線(実際馬鹿だとは思うが恋人三日目って皆こんなものだと思う)に耐え、やっとこさ教室に辿り着く。

 俺の教室が手前、鈴達の教室が奥にあるから残念ながらここでお別れだ。

 手を離さなければならない時がきた。


「そういえば洋くんって私達の関係秘密にしたかったりする?」


「いや全然」


 駅から教室まで手を繋ぎっぱなし。当然ながらこの時間この道はうちの学校の生徒で溢れている。

 それでも俺から手を離す理由は無かったからずっと繋いだままだ。

 その状態で恋仲を隠したいなんて人は流石に周りが見えてなさすぎる。


 俺何人かに二度見されたのしっかり認識してるよ。


「じゃあ大丈夫だね」


「何が?」


 田代さんがススっと存在を消しながら俺達から離れたことについて説明願いたいんだけど絶対話しかけるなという視線に負けて怯んでしまったのが運の尽き。

 いや、これに巻き込むのは申し訳なさすぎるからこれで良かったと思う。


「A組のみんな!!」


 鈴が大きな声を出して教室にいる面々の注目を集める。

 当然のように、その鈴と手を繋いでいる俺にもどういうことだと説明を求める無言の声が届いた気がしたけど無言ならやっぱり気のせいだと思う。




「洋くん私の彼氏だから、絶対に手出さないでね!!」




 駄目だこれ気のせいじゃねえわ。

 でもこういう注目のされ方嫌いじゃないかもしれん。


「今日学校に来た二番目の目的は洋くんを狙う魔の手に対して牽制することだったからね」


「マジかよ。一番は?」


「それはもちろん洋くんに会うことだよ」


「あー。でも確かに俺も最近鈴に会うために学校に来てる」


「ホントに! だったら嬉しいなっ」


 学校に行かなきゃいけない理由は多々あれど、学校に行きたい理由はそう多くない。

 多くないというか、うん。唯一……かも。


 他の用事は全部鈴に会うついでだ。

 期末試験?

 いや、うん。色恋にうつつを抜かして成績が下がったと言われるのは癪だけど充分あり得てしまう未来だと思う。


「じゃあまたねっ!」


「おう。また」


 元気よく笑顔で手を振る鈴に控えめに手を振り返す。

 教室で一番の注目を浴びながら自分の席に着く。

 最初に話しかけてきたのは後ろの席の友人だった。


「おいおいおい、ちょっと前までナンパしたいとか言ってなかったか!?」


「実は知り合ってまだ半月」


「どんだけ肉食系よ。お前ソロ充じゃなかったの?」


「いや、うん。俺も自分をソロ充だと思ってた」


 一人で行動するのが好きだった。

 誰かと予定や行動を合わせることが苦手だった。

 付き合いで一緒に遊ぶこともあったけど自分中心だと楽しめてそうじゃないならさっさと終われと思うタイプ。

 毎回は呼ばれないけど孤立してる訳でもないのがクラス内の俺の立場だ。


「でもこれだけみんなの前で宣言したんだ。別れたら気まずいどころじゃないだろ」


 付き合いたてのカップルになんてこと言うんだ。

 でもちょっと同じようなことは思った。


 これで引くに引けなくなった。

 ……けど、


「それ、俺にとって好都合だからなんの問題もないんだよなぁ」


「さっそく惚気やがった」


 リア充に燃料を与えたら爆発する。

 当たり前の話だ。






 テストが迫っているからきっとこれがテスト前最後の週末デートになる。

 オレンジのシャツにジーンズ姿の鈴と一緒に映画を見にきた。

 と言っても場所は映画館じゃない。


「暗がり、密室、二人きり。これはえっちなことされちゃうパターンだなぁ」


「俺はそっちでも全然構わないよ」


 俺と鈴のコミュニケーションにおいて守りに入るという選択肢はなかなか存在しない。

 攻めの反対は防御ではなくカウンターだ。二人っきりの時は特に顕著になる。


 しばらく無言。

 エアコンが効いた室内だというのに随分あつ……暑い。


「あはは。まぁ興味はあるからそのうちってことで」


「だね。今日は本来の目的優先させよう」


 ちなみにお互い恥ずかしくなって耐えきれなくなるまで続くので勝者はいない。両方とも自爆して終わりだ。

 いや、実はボウリングの時にはすでに準備してあったんだけどあいにく度胸はコンビニやドラッグストアに売っていなかった。



 ここは一時間数百円で借りれるシアタールーム。

 プロジェクターとスクリーンがあってゆったりしたソファーとテーブルがあるだけの部屋だ。

 各種動画アプリは使えるのでアカウントを持っていれば大画面で映画を見ることができる。


 ……決してえっちなことをするための部屋じゃないしして良い部屋でもない。


「義足って付けてると付けてないとじゃやっぱり付けてない方が楽なんだ。ただ、それじゃあ日常に不便だからリハビリが必要だったの。今でも授業中ずっと義足付けたまま座っている訳だし可能不可能で言ったら映画館で映画を見ることだってできると思う」


 でもまぁ、あれだ。見るのは恋愛系の映画だしキスはできたらいいなと思っている。

 今の俺は自称肉食系。

 告白の時は鈴がムードを作ってくれてその中で告白したからどっちかというと被捕食者ムーブをしてしまった。

 であるならキスは俺の主導で成功させたい。


「個室なら人目を気にせず義足を外せるでしょ。このくらいの部屋なら片足でも移動に苦労しないし大画面で映画も見れる」


「なるほどね」


 そう言って義足を脱ぐ。


 足と義足の間には超えられない壁がある。

 水族館でも汗を拭こうとしてた訳だし不便は多いのだろう。


「あ、ちょっと準備してくるね」


「じゃあこっちも再生ボタンを押す直前までやってる」


「お願いねー」


 荷物を持ったままトイレに向かったのでプロジェクターの準備をする。

 部屋に備え付けのPCを操作するだけだ。

 対して手間じゃない。


「洋くん」


「な……に……」


 トイレから出てきた鈴の姿に絶句する。

 俺はトイレに入る前の鈴の姿を鮮明に覚えてる。


 オレンジのシャツとジーンズだったはずだ。

 少なくとも、白のフレアスカートで足を大胆に魅せているスタイルではなかった。

 しかも超ミニ丈。流石本物の肉食系は格が違う。


「えへへ。洋くんしか見てないから頑張っちゃった」


「誘ってる?」


「誘ってる誘ってないでいえば誘ってはないんだけど誘ってると捉えられちゃうかなって思ってるし洋くんが誘ってると思うなら誘ってるでも良いかなって考えちゃってる」


 めちゃくちゃ早口だった。

 たぶん俺の言葉を予測して返す言葉を決めていたんだと思う。


「つまり誘ってない?」


「……へたれ」


 俺が覚えてる範囲になるけど鈴の口から聞いた悪口はこれが初めてだ。

 仕方ないじゃんここラブホじゃねぇもん。




 ミニスカートなのに片足でぴょんぴょんしたらどうなるでしょうか?

 答えはギリ見えませんでした。


「それ楽しい?」


「正直期待以上に楽しい」


 ソファーで隣に座りお互い密着した体勢だけど珍しく俺の左手と鈴の右手は離れている。

 代わりに鈴の右足を撫でさせてもらっている。

 初めて見た時から切断面がどうなっているのか気になっていたけどなるほどね。結構温かい。そりゃあ生きてるんだから体温くらいあるのは知ってるけど実感としては今日が初めて。

 当たり前か。そもそも女の子の足を触ったのが初めてだ。


 そうだよなぁ。

 普通は許されないことを今許してもらってるんだよなぁ。

 揉んでいると時折聞こえるくすぐったそうな声が妙に色っぽい。


「触られる方としてはどんな感じ?」


「ん、気持ちいいよ」


「……」


 マッサージ的なあれだよな。

 こう、リンパがどうのこうのとか。それ以外の意味なんてない。


「あっ! 待って今のなし!!」


「いやしっかり聞いたよ。気持ちいいならよかったよかった」


 カウンターの好き……隙があったから一気に攻守逆転。

 ただし攻撃側にも余裕は全くない。

 ニヤニヤしながら真っ赤になった鈴の顔を見る。

 たぶん俺も真っ赤だけど暗いし気づかないはずだ。


「鈴ってスキンシップ好きだよね」


「洋くんの手は安心するからね。でも今はまぁ若干身の危険も感じてる」


 身の危険を感じているのは鈴が誘惑した所為じゃないかな?

 というか肩を寄せて体重預けてきてるじゃん。

 危険を感じてる行動とは思えないんだけど。


 へたれと言われた腹いせに足を触って良いか訊いたら口に出した手前退けなかったのか恥ずかしそうに許可を出してくれた。

 なのにもじもじして体を強張らせていたのは最初の一分くらい。今はもう力も抜けてリラックスしている様子。

 あれだよ。俺今鈴の脚揉んでるんだよ?

 ちゃんと分かってる?


 ちなみにここ義足に体重をかける場所だからちょっとの傷でも割と致命傷に繋がりかねないため絶対に傷付けてはいけない場所だ。

 大丈夫。こんなこともあろうかと昨日爪は念入りにヤスリで磨いておいた。


「洋くんって脚フェチ?」


「俺が仮に今脚フェチなんだとしたらそれは確実に鈴の所為だよ」


 映画の方は登場人物のキャラクター性を語り終えたところ。

 主人公ヒロインは高校生の女の子で、幼馴染の男の子に恋をしている。


 ある日、その幼馴染が推しを見つけた。

 ネットに動画を投稿している性別不明の歌い手だ。

 最初は無名だったけど投稿しているうちに徐々に人気になっていき、今では莫大な人気を築いている。


 実はその正体はヒロインの仮の姿。

 好きな男の子がネット上の自分の姿を見て興奮し、その姿を見て嫉妬している。

 登場人物が二人しかいない三角関係。

 自分にWSSされている感じでちょっとおかしくて笑ってしまいそうだ。


 ただの幼馴染として付き合いたいヒロインは歌い手であることを隠し、幼馴染を落とす策をいろいろ計画している。

 それと同時に喜んでほしいからと歌い手としても全力で活動している。


「特別な自分じゃなくて、普通の自分を好きになってほしい。分かるなぁ」


「ヒロインがこっそり投稿してた再生数全然伸びない動画を見つけるあたりこの男持ってる」


「認知してほしいって。無名の頃からのファンとか認知してるって絶対。新曲のタイトルと幼馴染の名前関連させるって結構危ない橋わたってるよ」


「まぁバレても良いと心のどこかで思ってないとしないやつだよね」


「匂わせを有名人がする方とはね」


 映画を人と見る時、黙って見たい派の人としゃべりながら見たい派の人がいると思う。

 そしてその二派は絶対に相容れない。


 俺はどっちでもない、というか両方に所属していて黙って見たい映画があったら絶対に一人で見る。

 誰かと見るならその時その時感想を言い合いたい。だってそうじゃないと一緒に見る意味がない。

 体験を共有したいものと自分が楽しみたいものは完全に別枠だ。


 お互いしゃべりたい側の人間だったことが判明し、今日実際にやってみようということになった。

 映画館では絶対にできない行為を二人で楽しみたい。


「デートに誘っても幼馴染で普段から一緒に過ごしてるとデートと捉えてもらえないのはちょっとなぁ」


「俺ナンパしたのにナンパ除け扱いされたことあるから気持ち分かるよ」


「だって、あの時は蘆花もいたからそうでも言わないと許してもらえなかったし」


「あー。納得した。うん」


 現実世界パートでは主人公ヒロインが追いかける方。

 仮想世界パートでは幼馴染が追いかける方。


 お互い相手を見ながら追いつけるように歩みを止めるんだけど、追いかける方が一線を引いてしまう。

 ただの一ファンでありたい幼馴染と、今までの関係が壊れてしまうんじゃないかと怯えるヒロイン。


 歌い手として私信に見せかけた私信(つまりただの私信)を送り、幼馴染は私信かと思っちゃったと嬉しそうにヒロインに報告する。

 幼馴染が喜んでくれたと満足しちゃう、そんな関係だ。


「そもそもとしてこの幼馴染たち距離が近すぎない?」


「検証するためにも私たちでやってみれば良いじゃん」


 遠回しにねだる鈴の頭に手のひらを当てる。

 セミロングの髪が崩れないようにそっと這わせていく。

 さらさらの髪が手に愛おしさを伝えてくる。


「これだいぶ恥ずかしい」


「こっちもだよ」


「えへへ。でもこれ良いね。癖になっちゃいそう」


 頭を撫でるだけで心臓さん仕事し過ぎでは?

 恋人でもないのにこの距離感とは訳がわからない。

 正直このままでも良いと思うヒロインの気持ちも分かってしまう。


 でもこうやって他人よその恋愛を肴にイチャイチャするのは悪くない。

 髪だって足と同様好き合ってないと普通は触れ合えないものだ。


「考えたら俺と鈴って恋人未満の時期だいぶ短かったよね」


「そりゃあ格好良くて優しくて頼りになって一緒に楽しめる男の子が目の前に現れて、しかも私に対してアプローチしてくれるんだよ。さっさとくっつきたいよ」


「俺が知ってる俺と違う」


 誰だよソイツ。

 でもよくよく考えたら出会い頭で格好良いことしたかもしれん。

 いやその後のナンパで全部帳消しでしょ。


「おっ」


「がんばれ」


 停滞した状況で動き出したのは女の子の方。

 当たり前だ。男側が動くと厄介ファンになる以上ヒロインが動くしかない。

 それはヒロインだって分かってる。


 そしてとうとう告白した。

 幼馴染は推しを理由に断ろうとするけど、そのとき今までの思い出が脳裏によぎる。

 断るには大切を共有し過ぎた。


「推し続ける宣言は単なる告白なんだよなぁ」


「あっさり了承、というか推奨するのは当たり前だよね」


 仮想の自分を好きでいてほしい気持ちは強い。

 だってそうじゃないとあっさり正体を明かすと思う。


 歌い手とファンの関係を捨てきれなかったのは絶対に現実で繋がりたいからだけじゃない。


「あっ」


「……」


「……」


 女の子が背伸びをして顔を近づける。

 まぁ、あれだ。キスシーンという奴だ。


 キスをするならここかなと隣を見る。

 鈴の方もこっちを見てじっと目で訴えかけている。


 彼女の髪を押しのけて頬に手をやった。すべすべの肌に触れてしまった。


 ネットの情報を鵜呑みにするならキスしていいかの確認はいらない、というかない方がいいらしい。

 同時に同意のないキスはセクハラにされる可能性があるとのこと。


「目、閉じて」


 雰囲気を壊さない言葉をずっと考えた。

 併せて今からキスをするというメッセージが確実に伝わる方法はこれだ。


 鈴は俺の言葉に従って目を閉じる。

 鼻がぶつからないように気を付けて、息を止めて顔を寄せる。

 一瞬でも躊躇したらヘタレてしまうことは自覚しているので唇が触れるまで一気に、ただし歯は当てないようにゆっくりと。


 思考できたのはそこまでだ。

 むしろよくここまで理性がもってくれた。

 あとは快楽を貪るためにひたすら唇を押し付けるケモノが残るだけ。




 ちなみにそのケモノは二匹いた。

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