あしたのために(その33)大人たちだっていろいろあるんだよ!


 生徒たちが全員下校した午後七時過ぎ、食堂では売店だけ、明かりが灯っていた。

「もう閉店だぞ」

 精算作業をしていた店主の蔵原は、食堂に入ってきた西河を追い払おうとした。

「いつものやつ」

 まったく気にせずに西河はカウンターに肘を預けた。

 蔵原は仕方なしにガラス棚からランチパックのハムマヨネーズ味を出した。

「ていうかここ、馴染みの店みたいにしないでくんねえか、ただの食堂の購買だから」

「本当は怒るはずだったんだ」

 いきなり西河は、首を振り、自分に酔っ払って語り始めた。

 蔵原は肩を落とした。こいつはほんとに、昔っから変わっていない。二人は高校の同級生だった。

 あの頃西河は、自分のことをみんなが注目していると思いこんでいた。教師になって、そんなことはないと、ただただ冴えないオッサンだと、やっと真実に気づいたか、と安心していた。

 そうだ。他人のことなんて、誰も気になんてしやしない。その「宇宙の真理」からまだ目を背けているらしい。

「無視か。なんかまた問題かよ。キャッチボールしてガラス割ったか? 食い物屋でハナ高生と喧嘩したか。あ、部室で蕎麦打ちしたか」

 この学校の学生は、おとなしいくせにたまにそんな問題を起こす。やはりフラストレーションが溜まっているのだろう。事件は定期的に起こり、処罰を与えられる。自分たちが高校生のときから変わっていない。

「それ全部俺の話だろ。これ見てくれ」

 西河はスマホを見せた。


『チー牛きもおおおおおw』


 そのショート動画では、見覚えのある生徒が顔を真っ赤にして、怒鳴り散らしていた。再生回数は十万を超えていた。こんなものを面白がる奴らの気が知れない。

「悪意しかない編集だな、これ。お前んとこのクラスの餓鬼か。泣きながら押さえつけられてんのに、潰すとか絶叫してるけど」

「タレコミの電話があった。とったのが俺だったのが幸いだった」

「うちの学校的には停学確定だな」

 やっぱりスマホは未成年に持たせるのは危険だと、蔵原は身震いした。まもなく長男は小学校に通う。こんな危険なおもちゃ、うちの子にはまだ早い。

「さっきあいつらに俺たちのパフォーマンスを感動されたよ」

 西河が言った。人は自分に酔っているとき、だいたい説明をはしょる。この男は酒を飲まなくても、体内でにごり酒でも拵えているのか。

「え、見られたの? 死にたくなるんだけど」

 最悪だった。別にしたくもなかったのに、西河たちとつるんでいたから無理やり引きこまれたのだ。嫁や息子たちには見せたくない。というかそんな過去、絶対語りたくない。

「よく考えたら、いまどきなかなかないぜ、あんな熱さ」

 西河はうっとりしていた。どこを見ているのかわからない目をしている。多分過去を都合良く脳内再生しているんだろう。うざいったらない。

「同級生のよしみで忠告するけどな、学生だったとき以上に嫌われてっから。ここに立ってると、毎日お前の悪口聞こえてくるから、マジで癒されてるわ」

 蔵原は言った。

「いいんだ、みんなが立派に巣立ってくれたら」

 まだどうやら西河は自分に酔っ払い続けるつもりらしい。ある意味、いい人生かもしれない。

「パン食って酔うなよ」

「中平のことを思いだしたよ」

 一瞬西河の顔が締まり、蔵原は喉の奥がからんだ。

「その名前は出すな、悲しくなる、もういないんだから」

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