あしたのために(その32)先生、俺、ヲタ芸がしたいです!
川地は頭を抱えてトイレの個室に座りこんでいた。教室にいることができないのだ。
「カワちん、最高にかっこよかったんだから〜。宝田を前にして啖呵切ってさあ」
俺が優勝して潰す! だって! と沢本がクラス中に誇らしげに言いふらした。
その場に居合わせた者もまた、好き勝手にコメントした。
小林「それでこそ男だ」
赤木「ま、川地にしては頑張ったんじゃん?」
高橋「なあ、俺ももしかしてメンバーになってる?」
津川「さっぱりわからんけど、キレた川地、草生えたわ」
三橋「結局メイちゃん、宝田にいくのかよ〜」
川地があの宝田に喧嘩を売った、と盛り上がっているときだ。
「文芸部の三人、あとターちゃん、ツーさん、ミッたん、アカくん、放課後西河先生が文芸部室にこいってさー」
教室に不吉な知らせが届いた。
授業の合間の休憩時間、一同は部室に詰めかけた。
「よかった、いた」
中平はいつものようにソファにだらしなく寝転んでマンガを読んでいた。
「なにこのキモいオジ」
津川が、醜い珍獣を見た、みたいな目つきをした。
「ツーさん、自分に自信ありすぎて、年上に対する敬意が皆無なのな」
赤木が笑った。
「で、これが集まったメンバーか」
中平は一同を見渡した。
「やっぱ俺もやることになってる?」
高橋は周りに答えを求めたが、誰も返事をしない。もう決定事項らしい。
「いいじゃんか、やっちまおうぜ!」
三橋が高橋の背中を叩いた。
「いやいやミったん、川地の勧誘ずっと無視してたのに、なんで誰よりもやる気出してんの」
赤木が首を傾げた。
「宝田の呪縛からメイちゃんを解放するために、俺も大会に出場して、あいつに勝って赤っ恥かかせてやるんだよ!」
息巻く三橋をその場にいる全員が冷ややかに眺めた。
「新メンバーの個性もわかったところで、なにをどうした?」
中平が面倒そうに首を回した。
「ぼくら西河に呼びだされました!」
「絶対昨日のことなんですけど!」
「またヲタ芸やめろって言われちゃう!」
「年寄りでしょ、なんかいい案ないの?」
文芸部以外はべつにヲタ芸をしたいわけでもなかったというのに、呼び出しを前にしてすっかり忘れてしまっているらしい。
それぞれが整理せずに訴えるのを、中平は聞き流した。
「しょうがない、最終奥義するか」
面倒くさそうに、中平は立ち上がり、掃除用具入れをあけた。
放課後、西河は肩をいからせ、部室に向かって廊下を歩いていた。生徒たちは「めんどくせ〜」と道をあけていく。こういうときは放っておくのが一番だ。
勢いよくドアを開けると、異様な光景が広がっていた。
「なにを見ている」
西河は生徒たちの背中に向かって言った。
生徒たちがパソコンを囲んでいる。まさかエロ動画を部室で見ているんじゃないだろうな、なんだか部室の温度が高い。妙に湿っている気がする。
「先生」
ゆっくりと全員が西河のほうに向き直った。
「なんだお前ら」
生徒たちの顔は真剣そのもので、なにかを堪えているみたいだ。
西河が身構えたとき、生徒たちが駆け寄り、いきなり抱きついてきた。というよりもみくちゃにされ、なんだ、これは教師への反抗か? と西河は一瞬、命の危険を感じた。
「先生かっこいい!」
「は? 冗談は……」
パソコンには、自分の若かりし姿が映っていた。
西河タイチ、三十一歳。国語教師。文芸部顧問。教師生活も来年で十年を迎える。
なにもやる気も起きない。女子校に赴任したかった。マッチングアプリを始めたいところだが、生徒にばれでもしたら、ことだ。大学時代の彼女、子供が小学校に入学したってよ……。
お情けで母校に雇ってもらったけど、富士登山とか寒中水泳とか滝行とかマジで引率ダルすぎる。西河が赴任して以来、新任が入ってこないものだから、いまだ若手扱いで、職員室で便利遣いされている。
完全に教師としてのやりがいを見失っていた。
趣味は菓子パンについているシールを集めて白い皿をもらうこと、くらいだった。
そんな西河が初めて、生徒たちに泣かれた。
ぎゅうぎゅうに全員に抱きつかれ、西河は窒息しそうになった。しかしふつふつと、身体の奥底から、幸福物質のようなものが湧き上がってくるのを感じた。
そして遠くのパソコンから、拍手の音が流れた。あのときの、輝いていた俺へのエールだった。
「おいおいお前ら、よせやい」
いま、俺、人生ベスト3に入るくらい、気持ちいい!
生徒たちは西河を羽交締めにしながら、さっきの中平の言葉を思い返していた。
中平はディスクをひらひらとさせながら、生徒たちにこう入れ知恵した。
「西河は根性論の持ち主だ。周りにも押しつけてきて超迷惑。で、みんなも知っている通り、そのくせ自分には甘い。あいつは性格が災いして褒められ慣れていない。なのであいつの過去を褒めちぎり、自分たちもこうなりたいと熱く語ってやりなさい。ただしどうなっても知らないよ。ちなみにあいつの『よせやい(照)』がでたら、いいねボタン連打する気持ちで追い詰めろ。残念な話だが、大人って、きみらが思っている以上に、ちょろい」
『先生、俺たち、ヲタ芸がしたいです』作戦によって、西河の怒りをうやむやにすることに、成功したものの……。
「オレはお前らがからかっているのかと思っていた。本気でやりたいっていうのなら、俺が徹底的に指導してやってもいい」
と西河が頼んでもいないのにその気になってしまい、大会に向けてコーチをする、と言いだした。
そして部室にあった使い捨てペンライトを手にして、しゃがみ、ペンライトで床を叩き光を灯すや立ち上がり、「かっこいいポーズ」を披露した。
「おい、なにを黙ってるんだ。大人のテクにびびってんのか?」
西河は唖然としている生徒たちに向かって、格好つけて笑いかけた。顔が反応を求めていてキツい。
あ、すごい、すごいです! とその場にいた者たちは興奮したふりをして拍手を送った。それからペンライトの光が消えるまで、西河は生徒たちに技を披露し、賞賛を求め続けた。
やばい、こいつの指導、絶対ウザい、と全員が思った。しかし断ることができなかった。
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