概要
人生万事因果応報
冤罪と怨霊。これらを語らずして、わが国の歴史は語れまい。
729年.聖武天皇は謀反の濡れ衣を着せて、弟の長屋王を自害させた。その後、長屋王は強大な怨霊となって現れる。聖武天皇は、大慌てで大仏を建立した。
785年。桓武天皇は弟の早良親王をやはり謀反の濡れ衣で誅殺する。やはり早良親王も恐ろしい怨霊となった。桓武天皇は完成間近の長岡京を放棄し、各地に御霊社を建てた。
それから約100年後。醍醐天皇も謀反の濡れ衣を着せて菅原道真の大宰府に左遷した。かつてないほど強大な怨霊となった道真を、朝廷は国を挙げて祀った。
桓武天皇が長屋王を知らなかったはずはない。醍醐天皇も、早良親王のことを知っていたはずだ。権力者にとって無辜の人々を罪に陥れるのは容易い。だが、彼らが自ら招いた結果の重大さに気が付く頃には、
729年.聖武天皇は謀反の濡れ衣を着せて、弟の長屋王を自害させた。その後、長屋王は強大な怨霊となって現れる。聖武天皇は、大慌てで大仏を建立した。
785年。桓武天皇は弟の早良親王をやはり謀反の濡れ衣で誅殺する。やはり早良親王も恐ろしい怨霊となった。桓武天皇は完成間近の長岡京を放棄し、各地に御霊社を建てた。
それから約100年後。醍醐天皇も謀反の濡れ衣を着せて菅原道真の大宰府に左遷した。かつてないほど強大な怨霊となった道真を、朝廷は国を挙げて祀った。
桓武天皇が長屋王を知らなかったはずはない。醍醐天皇も、早良親王のことを知っていたはずだ。権力者にとって無辜の人々を罪に陥れるのは容易い。だが、彼らが自ら招いた結果の重大さに気が付く頃には、
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