第8話 ナシワリの刑に処す!

9月4日 09時20分 東京拘置所 死刑執行施設 2階


 医官の「絶命」という声が響く。

 貴賓席では力士のような巨漢が、細身の竹中拘置所長と談笑していた。東京高検から執行の立ち合いに派遣されてきた岩木検事だ。

 「今日は、いいものを見せてもらったよ。」

 こう話す岩木検事は、至って意気軒高といった様子だった。一方、貴賓室の隅ではいかにも繊細そうな若い女性が恐怖に怯えて、うずくまっていた。岩木検事にお供をさせられた哀れな検察事務官である。

「検事長(=高等検察庁のトップ)から、実際に死刑を見て、度胸をつけろと言われてね。自分から志願したんだ。」

 岩木検事は、大学生時代にラガーマンとして鳴らしたスポーツ青年だった。だが、検事となり運動の機会が減った後も、旺盛な食欲は衰えなかった。こうして体重130キロ超えの巨体が出来上がったのである。

 竹中所長はいわゆるⅠ公出身のキャリアだ。だが法務省では、法曹資格を持った検事が、法務次官などの重要ポストを独占する。Ⅰ公出身者は一般刑務官に比べれば貴族だが、あくまで傍流に過ぎない。

 「先月だけで、2つも”ナシワリ”を達成されたとか…。何かコツでもあるのでしょうか…」

 ”ナシワリ”とは、検察用語で物証がない(”物証ナシ”)中で、自白を引き出す(ワル)ことをいう。これを何回できるかが、検事としての能力を測る物差しとされる。だが…当然、これにはかなりの暴力や脅迫が伴う。

「コイツがホシ(=犯人)だと決めたら、とことん締め上げる。揺らいじゃいかん。何としても吐かせる。大事なのは、決心なんだ。絶対に、ブレちゃあいかん!」

 多くの検事なら、手荒な仕事は警察に任せる。だが、岩木検事は巨体を使って自分でも容疑者を締め上げる。丸太のような岩木検事の腕で、襟首を掴まれて壁に押し付けられると、恐ろしさと苦しさから、大抵の容疑者はやってもない罪を認めてしまう。

「実に深いお話で…勉強になります。」

所長の揉み手がキュッ、キュッとなる。

「しかし…確定から1年とは、ずいぶんと早いですな…」

 岩木検事の額に、太い青筋が出た。

「物好きなイギリス人記者が嗅ぎまわり始めた!どうも、”日本の闇”とかいう番組を作るつもりだったらしい!」

 丸い顔がどんどん赤くなる。もはや巨大なアンパンだ。

「外人の言うことには何にも考えず飛びつく連中が、日本には本当に多い!ただでさえ我々は忙しいのに、全くかなわんよ!」

 岩木検事の張り手が「バン!!」と、壁に打ち込まれる。壁や床、それに所長の細い肩と青い顔も併せて振動する。

「ああ…だからさっさと…」

「まっ、私が刑事局(=死刑執行の順番を決める法務省の部署)から離れて大分なるから、詳しいことは分からんがね!」

興奮した巨漢は、続けざまにまくし立てた。

「まったく!欧米人には分からんのだ!日本の一般大衆どもは、理性なんかありゃしない!」

「そうですなあ。日本は欧米とは違います。日本の治安がいいのは、強い警察と検察があるからです…」

 この道30年。機嫌が悪い検察官は、どういう言葉を待っているか、竹中所長には手に取るように分かる。

「岩木検事のような方がいらして、横で鞭を振っていて下さるから、大衆は平和に暮らせるのです。」

 岩木検事は、すぐさま満足そうな顔をした。

「だから、我々はどんな時でもブレてはいかん!間違いを認めちゃいかんのだ!検察の威信が、少しでも傷つこうものなら、あっという間に日本は無法地帯だ!」

「おっしゃる通りです。」

「だから、検察の威信は、絶対に守らなきゃいけない!たとえ、どんな犠牲を払っても!」

 熊の吠えるような声に、死刑場と貴賓室を隔てるガラスがビリビリと震えた。出されていたコーヒーを勢いよく太い腹に流し込んだ。

「たしかにコイツは、冤罪だったかもしれん。」

 冤罪で死刑。このあけすけな岩木検事の言葉に、竹中所長の表情も固まった。

「所詮、ヤツは浮浪者だ。ほっといても自分で首を括っていただろう。どっちにしろ死に方に変わりはなかったさ。」

 検察の威信とホームレスの命。わざわざ天秤にかけるまでもない…この言い方には、さすがの竹中所長も二呼吸した。だが、

「そ…そうでございますな…」

と、間の悪い相槌を打った。


その時!


あああああああああ!


 死刑場の方から医官の凄まじい悲鳴がして、驚いた所長が勢いよく振り向いた。その瞬間、まるで黄金のネックレスのように所長の首回りがパッと光り、胴と頭が離れた。勢いよく振り返った時に得た運動エネルギーにより、首は空中でクルクルと回転する。回転する物体は常に一定の方向を向き続ける。このジャイロ効果によって、見事に所長の生首は根元から着地した。横にいた拘置所幹部たちの首も次々に光り、ポロリ、ポロリ、と胴体から離れ落ちていく。

 ”鋼鉄の胃袋と神経”という二つ名を持つ岩木検事も、さすがに完全に度肝を抜かれた。胴体と一体化した太い首を動かして、顔を右へ左へと向けた。死刑場の踏板に視線を向けたとき、人影が見えた。半時間ほど前に、間違いなくロープに吊るされたはずの片桐の頭が、穴から

ス~~~

と、浮き上がってくる。


「おい、好きな死に方をいえ!」

目が合うなり、片桐は巨漢に言い放った。岩木検事の反応はない。いきなり胴から落っこちる首、血の海になる床、穴から浮き上げってくる浮き上がるむくろ。当然のことだが、目の前で起こっていることが理解できない。片桐は続ける。

「お前、ナシワリが好きなんだってな!」

岩木検事は、呆然としたまま、無意識にコックリとしてしまった。

 「面白い…試してみるか」

 スポーツ前の準備運動でもするかのように、片桐は左右に首を動かした。ゴキ!バキ!と、砕けた骨どうしがぶつかり合って不気味な音がする。首が左右240度ぐらいグネグネ動く。それでも彼は痛みを全く感じない。

 そして、満面の笑みの中で、片桐の赤黒い目が光った。

 次の瞬間、西洋梨のような巨体が中心線のところで


パッ


と光った。包丁で二等分されたかのように、岩木検事と頭と胴体は真っ二つになる。

 朝食に食べたトンカツが岩木検事の切断された胃から、コロリと転げ落ちた。ユラユラと揺れながら深い血だまりの底へ沈んでいく…

 

 岩木検事にお供に連れてこられた若い女性は、非常通報装置のボタンを死に物狂いで連打した。

プーーープーーー

プーーープーーー

乾いたブザー音が立て続けに鳴り、中央管理室に繋がった。

「どうされました…」

モニター越しに、係りの刑務官が対応する。東京拘置所の設備は新しい。施設内のあらゆる映像が中央管理室で見ることができる。

「死刑囚が!…死刑囚が!…」

「はい?」

 中央管理室側のモニターにも、床一面に広がる血の海が映った。少なくとも、ただ事ではないことが分かる。

「助けて!お願い!助けて!お願いだから!助けて!」

 全身血だらけの女性が甲高い声で叫ぶ。だが、中央管理室とて、何が起こっているのか、何をすればいいのか、さっぱり分からない。

 それでも女性を落ち着かせようとして、刑務官は話し続ける。

「落ち着いて下さい。何があったんですか?あなたにけがはないですか」

「どうか落ち着いて下さい。死刑囚は今どこにいますか?」

「周りの刑務官はどうしていますか?」

「岩木検事も、そちらにおられますか?」

 何を話しかけても、「助けて!」と悲鳴を上げるだけで、全く埒が明かない。そんなやり取りが、5分も続いただろうか…

 女性の悲鳴が止む。いきなり、血だらけの顔に穏やかな微笑みが浮かんだ。

「えっと、所長は、そっちにおられますか…代わってもらっていいですか…」

 刑務官からの問いかけに、

「はい」

 と、女性は長い脚で優雅に死体をまたいで歩く。そして血だまりの中から何かを、大切そうに拾い上げた。そして胸に、優しく抱きかかえ、モニターの前に立つ。

「所長様なら、こちらです…」

 女性の胸に抱えられた竹中所長の生首は…胴体から切り離された時の、”驚いた”表情のままだった。

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