第5話 自分は何のために生まれてきた!
8年前、片桐圭一は28歳のホームレスだった。まだ暑い9月のある朝、彼は神社の軒下で寝ていたところを、30人以上の警官に取り囲まれた。
彼は、それまで2回ほど警察のお世話になっている。1回目は、空き家に勝手に入り込んで寝たとき。2回目は、民家の柿を盗み食いしたとき。住所がないばかりに、それぞれ懲役3か月と6か月を食らった。
今回の逮捕は、以前と全く様子が全く違っていた。偉そうな人が片桐の前に出てきて、紙を突き出す。
「●●年9月△日07時14分、片桐圭一、窃盗の容疑で逮捕状を執行する。」
以前の2回は現行犯だったから、この儀式は片桐にとって少々新鮮だった。
この件に関し、片桐は身に覚えがあった。1か月前から、空き缶集めができず、食品を買うだけの日銭を稼げていなかった。その道の“名人”が高知に流れてきて、片桐が行く先々でごっそり持って行ってしまっていた。まともな食事に、1週間もありついていない。悪いこととは分かっていたが、無人販売所の棚に手を伸ばした。ピーマンは腹の足しにならなかったが、ミカンを頬張ったときは生き返った気がした。
ホームレスの片桐にとって拘置所や刑務所での生活は悪くない。気性の荒い囚人から殴られることもあった。右足に麻痺がある片桐に勝ち目はない。だが、屋根の下で寝ることができ、食事は日に三度出される。彼はおとなしく、刑事に両手を差し出した。
何重にも警官に囲まれた片桐は、内側に金網が張ってある車に乗せられた。行先は近所の警察署だろうと思ったが、車はそのまま高速に乗り、県警の本部に着いた。
警察署の敷地に入ると、すさまじいフラッシュの雨が車に浴びせられる。何やら、リポーターが喚いている。
「今!今!片桐容疑者の乗せられた車が、県警本部に入っていきます!2年間、少女ばかりを狙った卑劣な連続暴行殺人の解明が期待されます!」
「サツジン?何のことだ?」と片桐は思った。自分が捕まったのは「セットー」ではなかったのか…?典型的な別件逮捕であった。
過去2年間の高知県下では中高生の少女ばかりを狙った連続暴行殺人が発生していた。県警は血眼で走り周り、メディアも連日のように報道していた。新聞やテレビと縁遠い生活をしていた片桐は、そんなことも知らなかった。
犯行の手口には共通点があった。農村地帯に特有の街灯がなく人通りの少ない通学路で、待ち伏せる。少女たちに背後から素早く近づき、強力なスタンガンを首筋に当てて気絶させる。山中に連れ込み…殺害する。死体を捨てる場所も、人がめったに来ない山を入念に下調べしていた。そのため遺体が発見されるまで時間がかかり、腐敗も進む。警察が犯人の痕跡を採取することは、かなり困難だった。犯行場所も県下全域とかなり広い。
こうした手口から導かれる犯人像は、高い知能と運動能力を持ち、いろいろな凶器や車を買いそろえる財力を持つ人物だ。およそ、片桐とはかけ離れている。だが、この時の警察にとって捕まえた容疑者が“真犯人”かどうかは、もはやどうでもよかった。誰かを逮捕し、誰かを裁判にかけ、誰かを死刑にできさえすれば、“事件を解決した”という警察の体裁は保てる。法律に疎く、アリバイ証明のしようもない片桐は、“便利な人柱”に選ばれたのだ。
拷問は、本部に着いたその日に始まった。やたらきつく締められた手錠が食い込んで痛い。手の先がむくんで、見たこともないほど片桐の手は大きくなった。
「緩めて下さい…」
片桐は腫れあがった手を取り調べの刑事の前に出して哀願した。刑事はニヤッとする。
「制圧しろ!」
横にいた屈強な刑事が5人がかりで、片桐に襲い掛かる。手足を縛られたまま、片桐は顔を激しく床に打ち付けられた。前歯が2本折れた。
「た…助けて下さい!い…息ができない…。」
もがく片桐の上に乗った刑事たちは、全く動かない。意識が遠のいていく…
普通に見れば単なる”集団リンチ“だ。だが、この時の取り調べ記録には、「手錠の鎖を利用し、取調官の首を絞めようとした」ことになっている。ビデオカメラが石鹸より小さくなった21世紀になっても、日本では映像記録が一切残されない。警察の好き勝手な作文だけが、唯一の“信頼に足る記録”となる。
警察は、万事この要領で引当捜査の実況見分調書や自白調書を手際よく揃えていった。さらに科捜研“捏造工房”で作ったDNAの鑑定書という“おまけ”も加わる。もう、死刑は揺らがない。裁判では国選弁護人がついたが、全くやる気がないことは、法律に無知な片桐にも分かった。
それでも片桐は、前歯を失い、はっきり発音できない口で、涙ながらに潔白を訴えた。だが、正面の高い席に陣取る裁判長は、気持ちよさそうにスヤスヤと居眠りを始める。横に控える陪席の裁判官や裁判員も、裁判長に習う。数少ない起きている者たちは、ただニヤニヤと冷笑するだけだった。
実際に片桐が犯行を行うことが可能であったか。こうしたことは全く裁判とは関係がなかった。必要書類がそろっているか…そうであれば一人の人間を殺すには、この国では十分なのだ。
逮捕から半年という記録的な速さで出された判決は、もちろん“死刑”だった。そして控訴棄却、上告棄却も記録的な速さで決定されていった。
「俺はやっていない!無実だ!」
拘置所で片桐は幾度となく、こう叫んで暴れた。そのたびに、手足を革手錠で縛られ、壁を白い強化ウレタンで覆った保護房の中に放り込まれた。
生まれて間もなく親から捨てられた彼は、天涯孤独な施設育ちだった。おまけに、中卒だった。施設が高校に行かせてくれなかった。だが、それでも彼はまじめに生きようとした。
職や家を失ったのも自分のせいではない。施設の紹介で就職した先は、究極のブラック企業だった。社員寮費と食費を差し引いて渡される給料は、月5万もない。それが月300時間を超える重労働の対価だった。務めて4年目に、先輩社員に横領の罪を擦り付けられて”懲戒免職”になった。警察には引き渡されず、爪に火をともして貯めた50万ばかりの預金を、”賠償”として召し上げられ、そのまま路頭に放り出された。
野菜を盗んだのも生きるためだった。刑務所を出ても住む場所がない。刑務所を出るとき、担当者は市役所で生活保護を申請するよう言った。だが、どこの市役所でも、役人は屁理屈を捏ねて申請用紙を渡さない。運よく申請用紙を手に入れても、小さな誤記に目ざとく見つけて、書類を突っ返した。
「どこが間違っているんですか?ちゃんと書き直しますから、教えてください!」
片桐は必死に懇願した。だが、役人たちは難解な役所言葉を並べ立てて、ニヤニヤせせら笑うだけだった。
幸せになれるとは思わなかった…だが、自分は何のために生まれてきた!?ただ、踏みつけられて、無残に殺されるためになのか!!
※1954年に発生した島田事件を参考にしました。
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