第6話 汝が思うものを、汝の法にて裁け!

令和X年8月4日、東京拘置所の保護房…

「お前らを絶対に許さない!たとえ俺が、死んでも!絶対に許さない!」

 この日も、片桐は朝から絶叫していた。何の返事もない。ただ天井にある監視カメラのセンサーが、涼しげに片桐の動きを追っている。


その日、夜2時を回った頃…

 見回りの単調な靴音が、保護房の前を過ぎていった。すると、いきなり天井の照明が点滅し始めた。周囲が急に暗くなる。

 房の床の下から…声がする。

「ああ!うるわしや…いと、麗しきかな!」

 保護房の防音は完璧だ。下の階の声が聞こえるなどありえない。

「幻聴…か?」

もう縛られたままでも、寝ることができる。寝れば治る。片桐はそう思った。

「麗しきかな!ああ何と麗しきかな!怨念と憎しみに満ちた、漆黒の魂!真の黒、真の闇!求めるたること幾百年…ついに得たり!」

 白い保護房の四方壁と天井が、みるみる赤黒く染まっていく。壁のあちこちから炎の舌が伸びてきて、縛られたままの片桐の腕や背中、顔をペロペロと嘗めまわす。

「火事か?」

だが、火災を知らせるサイレンも警報も鳴っていない

「熱い!どうなっている?」

 手も足も顔も肺の中も、炎で焼かれている。だが、不思議なことに感覚はなくならない。常識的に考えて、こんな火炎の中では、とっくに焼け死んでいるはずだ。

「見つけたり!」

またあの声だ。

「誰だ!」

 片桐は叫んだ。次の瞬間、巨大な炎のかたまりが壁から現れた。炎の中に何か…いる…。

「人の…顔か?」

いや、大きすぎる。目はダンプのタイヤぐらい。口はバスタブぐらい。炎に包まれた巨大な顔が、保護房の壁面いっぱいに広がる。

 片桐は目をらした。顔は…人ではない。頭に巨大な角。口元には、人の脚ほどの牙。肌の色は、血のように赤く…どす黒い。

「鬼!?」

 施設にいた頃、絵本で見た。

「我が名は、第六天魔王…マーラ。」

 名乗る鬼の声は、腹に響く。房の壁が震える。

「答えよ!なんじ(=お前)は何を望む!」

 片桐は沈黙した。壁面の鬼の顔を見た。

「答えよ!汝の願いは何ぞ!汝が麗しき魂の対価、なんなりと申せ!」

 自分は正気なのか、狂気なのか。答えるべきか、黙るべきか。どうでもいい。これ以上、状況が悪くなることはない。片桐は意を決した。

「力だ!俺をこんな目に合わせた奴らに復讐ふくしゅうするだけの力が欲しい!」

鬼は首をひねる。

「力か?ただ復讐がための力を欲するか?」

「ああ!力だ!奴らを八つ裂きにするだけの!」

「望みは、さのみなるや?(=それだけか)」

「そうだ!」

「いとも容易きこと。されど契約の下、復讐を果たして後の汝が魂は、我が胎内たいないの地獄に留め置かるることとならむ。朝、昼、夜ごとに、腕、足、内臓、首を引きちぎられむ。かような責め苦は、永遠に続かむ。それでも、なおも力を欲するか!?」

「そうだ。復讐したい!復讐したい!たとえ百万回、腕を引きちぎられても、ハラワタをぶちまけられても…!!」

「フ~ム」

 鬼は、少し考え込んだ。

「二言は無きや…」

「ない!!」

自分でも驚くぐらいの即答だった。

「汝が願い、しかと聞き届けたり…」

長い牙を見せながら、鬼はニタリと笑った。

「死後、汝を修羅羅刹シュララセツとなさん…」

「シュラ?ラセツ?」

 「修羅」が何か、「羅刹」が何か、さっぱり片桐には分からない。

「いかにも!修羅にして羅刹…至高の業魔ごうまにして…魔道の覇者…」

 鬼が話す日本語はかなり古い。中卒の片桐には、よく分からない。

「強いのか…?」

 巨大なあごが、大きく深く頷く。

「いかにも。強きこと、人事(=人の力)の及ぶところにあらず…」

 いまいち理解できない。だが、

「何でもいい!俺を虫けら以下に扱った!ヤツらに復讐ができれば!!」

「ウム…」 

巨大な顎がまた盾に動く。

 足下の壁から、巨大な指が出てきた。ドラム缶ぐらいの太さがある。ゆっくりと寝転ぶ片桐の上まで進んで止まる。

 フワッ…

人間の上半身ぐらいある爪の先から、赤黒い赤い鬼火が現れた。鬼火は縛られたまま横になっている片桐の口元まで降りてきて…そして、

スッ…

と、片桐の口の中へ消えていった。


「汝が定める法にて、汝の思う者を裁け!」


 そう言い残すと巨大な顔は壁の中に消えていった。壁を覆っていた赤黒い炎も消えた。


 もはや、片桐の眼に映る景色は、元通りの白い強化ウレタンの壁だけだ。天井では相変わらず監視カメラのセンサーが片桐の動きを追っている。現実に正体不明の存在が保護房に侵入したとあれば、何十人もの看守たちが駆けつけてくるはずだ。だが、そのような気配は全くない。

「夢だったのか…」

 片桐はそう思った。その瞬間、人生で経験したことのないほどの悲しみに打ちひしがれた。踏みにじる者と、踏みにじられる者。この間にある絶対的な力の差は、現実の世界ではどうしょうもない。彼の眼から、涙がとめどなくあふれてくる。

「やはり…俺は踏みつけられたまま…殺されるしかないのか…」

視界のすべてを熱い涙が覆い隠した、次の瞬間、

「あっ!!!」

 片桐は思わず叫んだ。涙で歪む視界の端々に、いくつもの人間の形が見える。忘れようにも忘れられない人間。いや人の皮を被った悪魔たち…彼らの今いる場所や様子が、手に取るように…見える!

「本部長は…居眠りばかりしていたハゲ裁判長は…ここから近いぞ!」

「俺の歯をへし折りやがった捜査一課長…退職金で、いい家を建ててやがる!」

「あの、アマ検事!俺の無罪の証拠を片っ端から握りつぶしやがった…くそ!立派な椅子に座りやがって!」

怒りが片桐の全身を覆っていく。手を伸ばして、今すぐにでも、八つ裂きにしてやりたい。

 だが…あいかわらず忌々いまいましい革バンドは、片桐の手足をがっちり縛ったままだ。立つことすらできない。

「しばし待て…」

どこからともなく、あの鬼の声がした。

「汝が…死すまで…」


※ 題名にある無双は次回から。

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