第4話 腐りきった日本を恨め!

「絞縄(死刑囚を吊るすロープ)を解く、準備に入れ!」

 合田の号令で鈍い金属音とともにドアが開く。1階の暗闇に光が舞い込む。キャスターに乗せられた安っぽい棺桶かんおけが、カタカタという乾いた音ともに入ってきた。

 他の刑務官が淡々と作業をこなす中で、ひとり渡瀬は座り込んでいた

「俺たちの仕事って…何なんですか…」

「裁判所が決めたことを、忠実にこなす。それだけだ。」

「それだけ…ですか?」

「他に何ができる。再審の申し立てでもしてやるか?そのために弁護士という仕事が世の中にはある。」

「何の罪もないのに、こんな殺され方を…」

「どんな制度にも完璧はない。コイツは運が悪かった。」

「…」

「車は便利だ。世の中に不可欠だ。だが、そのせいで毎年5000人も殺されている。それも善良な市民ばかりな。」

「…」

「同じだよ。刑事司法なしで世の中は回らない。その中で“冤罪で死刑”になるやつも出てくる。」

「…」

「俺たちはきちんと真犯人も罰している。そっちの方が圧倒的に多い。」

「そんなものですか…」

 あいかわらず渡瀬はひざを抱えたままだ。だが、とりあえず落ち着いたようだった。現実を知って、なお彼が刑務官を続けるのか。それは、彼にしか分からない。

 ロープで吊るされた蓑虫に歩み寄り、静かに合掌した。

「成仏してくれ。どうしても恨むなら、どうか腐りきった今の日本を恨んでくれ…」


 シイィ…

 横で30代半ばの男が、口の前で人差し指を立てた。看守部長の黒木だ。ずっと、ソワソワしながら話を聞いていた。

「貴賓席で、まだ検事が所長と話し込んでいます!」

「おっ!そりゃ大変だ!」

 合田は肩をすくめる。

 死刑執行には、拘置所長の他、高検から派遣されてくる検察官が立ち会う。“貴賓席”とは、そういった高級官僚たちが座るスペースのことだ。

「気を付けて下さいよ。俺たちの首ってホント軽いっすからね!」

 しかめっ面をした黒木は手のひらを自分の喉に合わせて、真横に横にひょいと引く。“首切り”の手真似だった。

 次の瞬間!


 黒木の首が…音もなく…胴体から…離れた。


 ゴン!


 頭がコンクリートの床に落ちる。そして、先に落ちた頭を追いかけるかのように


 ドッサ!!


 胴体も倒れ込む。

 間を置かずして


 ビチャッ…


 ドサっ…


 パッシ…


 暗闇で、深い水たまりに何かが落ちる音が立て続けに響いた。

 さっきまで片桐の体液を吸っていた排水溝が、


 ドク、クワッ、

 ドク、クワッ…


 音を立てながら、大量の鮮血を呑み込んでいる。


「な、何が起こっている!」

 医官は立ちすくむ。その時!左腕にこれまで経験したことのない激痛を感じた。


 あああああああああ!


 左腕の肘から先が…ない。肘の先から


 ドック、ドック


 と鼓動こどうに合わせ大量の血が噴き出している。激痛と失血で意識が、薄れていく…。

「誰…か…。」

 さっきまで、周囲に10人以上の刑務官がいた。だが、医官の声に答える者はいない。

 かかとが何か柔らかいものに引っかかる。医官は仰向けに倒れた。真っ赤な液体が顔面を覆う。視界が、どんどん暗くなっていく。

 闇に沈んでいく世界で、天井の四角い穴から二階の光が射している。それが波打つ血の色を反射して、ロープで吊るされた片桐を赤黒く照らしていた。

 次の瞬間!


 プッ、

 片桐の首に食い込んでいたロープが切れた。


 パチッ

 鉄の手錠が粉々に飛び散る。


 スルッ

 両脚に巻かれた拘束バンドが滑り落ちた。


 そして、


 フワッ………

 しかばねが…宙に浮かび上がる。


 大きな蓑虫が…天井の穴から降り注ぐ光の中へ…ゆっくりと消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る