怨霊無双 

嫁内妻無

第1話 蓑虫の怪物

 令和X年9月4日09:05、東京拘置所、死刑執行施設、2階。

 目隠しをされた死刑囚・片桐圭一が、四角い鉄の踏板の上に立たされていた。囚人服である灰色のスウェットに身を包み、後ろ手に手錠をはめられ、両足は革バンドでしばられている。踏板の上に立つ以外、全く身動きができなよう手足をぴったりと体に固定され、首にロープを巻かれた姿は、さながら巨大な蓑虫みのむしであった。

 蓑虫は…暴れるでもなく、恐怖に震えるでもない。

一瞬!

「フッ…」

 目隠しをされた片桐の口元が不気味にゆるむ。まるでもうすぐ訪れる自らの命の終わりを、待っていたかのように…


 シャッ!


 勢いよく硬い布がこすれる音とともに、指揮官の右が上がる。


 ブーーー


 無機質なブザーが響く。


 カチ、

 カチ、

 カチ


 立て続けに3つのボタンが押された。


 バアーン!!


 勢いよく鉄の床板が開いた。


 灰色の蓑虫の姿は、下に広がる暗闇の中へと、スッと消えた。


 キュル…

 キュル…


 ものすごい勢いでロープを吐き出す天井の滑車が不気味に歌う。

 歌が途切れた。次の瞬間…


 バキッ・・・・


 骨の砕ける音がコンクリートの壁に木霊する。

 ギシ…

 ギシ…

 くびに深く食い込んだロープの根元を支える滑車が軋んだ。


「うわっああああ!」 

 1階で、待機していた刑務官の一人が、恐怖のあまり尻餅をついた。

 下半身からは、血、糞尿…目、鼻、耳からは、血と脳漿ノウショウだろうか。片桐の体にある孔という孔から、液体が流れ出る。躯が激しく痙攣ケイレンし、まるで頭をちぎられた釣り餌のようにウネウネとうごめく。その蠢きが振り子運動のエネルギー源となる

 グ~ワ~ン

 グ~ワ~ン

 と、大きなコンクリートの箱の中で、蓑虫の怪物が暴れまわる。

 

「早く止めろ!頸がぶっちぎれるぞ!」

 2階にいる中年の指揮官が怒鳴った。

「ボタン係!上でロープを支えろ!」

「はいっ」「はいっ」「はいっ」

「手の空いている者は、下を手伝え!」

 パタ、パタ、パタ…

 刑務官たちが階段を駆け下りる革靴の音が、せわしなく響く。

「ワッ~!!!」

 若い刑務官の一人が、蓑虫に飛びついた。生暖かい体液を顔面に浴びて卒倒する。だが、勇気ある若者のおかげで、揺れ幅が小さくなった。

「今だ!西田は左へ回り込め!」

「はいっ!」

「北村は右だ!」

「はいっ!」

「少しずつでいい。慎重に勢いを殺せ!」

 滑車の軋む音がしだいに小さくなっていく。刑務官たちとの格闘の末、ようやく暴れまわる蓑虫は取り押さえられた。

 やがて喧騒ケンソウが去り、静寂が刑場を覆う。

 所長の横に座っていた医務官が立ち上がり、階段を降りていく。聴診器をロープに吊るされている片桐の胸にあてた。じっと、腕時計を見る。


「9時10分、心停止!」


「何とか死んでくれた…」

 医官の声に、あちこちで「フ~」という安堵のため息が上がる。

 医官が死亡確認の作業に入る。そして死亡が確認されてなお5分間、死刑囚の亡骸なきがらは吊るされたままにされる。万が一にも、蘇生することを防ぐためだ。

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