第4話 かつての理系女は進学準備に精を出す

 アンの進学準備は勉強も第6学年の分まで終わらせなければならないが、それだけではなかった。王立女学校の寮では食事は出されるので心配はない。しかし貴族でないアンは従者がいるわけではないので、洗濯や繕い物など、食事以外の生活上必要なことはすべて自分でやらなければならない。今まで家事の手伝いをしてこなかったわけではないが、昆虫の観察だとか読書だとか知的なことに夢中になるアンを、母さまはついつい甘やかしていた。

 どう洗濯すれば衣服にシワがつきにくいか、ついてしまったシワはどうすればいいか。そもそも洗濯はどれくらいの頻度で行えばいいのか。

 ボタンがとれたらどうすればいいのか。衣服に破れが出来たらどうなおすのか。

 王立女学校の生徒として恥ずかしくない立ち居振る舞いはどのようなものか。

 いままでのアンは、いくら頭が良くても結局は田舎の小さな女の子でしかないのだ。

 

「アン、今日からはしっかりしごくわよ」

 朝食のとき、母さまはアンに宣言した。

「とりあえず、お勉強より先に家事をやってもらうわ。いいわね」

「はい」

 アンとしては勉強をよりしたかったが、母さまにさからえる雰囲気ではなかった。

 

 朝食をとるとまずは洗濯。今は夏だから冷たくて気持ちいいが、冬場はさぞ辛かろう。

 続いて掃除。これは今までもちょくちょく手伝っていたから問題ない。

 ここまでしてやっと、午前の勉強になった。

 

 算術は問題なくすすめることができるが、問題は歴史だった。父さまは牧師だから歴史の勉強もまずは神話からだ。大昔の神様のお話を聞いても、そんなこと本当にあるのかとついつい考えてしまうと、頭に残る量も減ってしまう。覚えられていないと繰り返し父さまに教えられ、なかなかつらい。アンはなるべく地図に対照しながら頭にいれる努力をした。

 

 その点地理は楽しい。地形、地名、知らないものだらけだ。街の様子、景色など、小さな頃に呼んだ絵本を思い出しながら頭に入れていく。産物や気候も覚える。

 

 いつもの質素な昼食を食べたら、午後は裁縫だ。針に糸を通し縫い物を練習するのだが、つい力を入れすぎて布地にシワがよってしまう。練習用の布地はそれなりにあるのでいいのだが、糸が貴重だ。シワが入ってしまったら布から糸を抜いてやり直しだ。

 

 時間がかかってしまうとつい、裏の畑に立てた棒の影を記録するのを忘れてしまう。この世界を知るのに初めにやったことだから、忘れてしまうと結構落ち込む。

 

 洗濯物を取り込み、畳む。アンはこれが苦手である。

「ほら、アン、シャツはシャツで同じ大きさになるようにしないと」

 母さまにしかられながら洗濯物を畳む。母さまの手つきをみて、どうしてあんなに上手に畳めるのだろうと思う。

 アンの苦手とする家事は、この畳み物とベッドメイクである。要するに角をきちんとするのが下手なのだ。

「アン、洗濯物の片付けやベッドメイクは自分でできないと困るわよ。あなた貴族じゃないんだから」

「はい、母さま、なんとかします」

 そう、貴族なら従者や侍女がやるだろうが田舎の教会の子にすぎないアンは一人でやるしかない。日頃やさしい母さまが、ここだけは厳しかった。

 

 夕刻から夜は、またも母さまによる魔法の訓練だ。

「生活に役立つのは火の魔法ね。かまどに火を入れるわよ」

 かまどに焚付を並べる。

「アン、こうね、胸の中の心に力をいれてね、炎を思い浮かべるのよ」

 母さまは手を胸のまえで組んで、火をつけて見せてくれた。

 

 始めの何日かは、全く火がつかなかった。あの効果を思い出してしまった。

 母さまは、

「ま、始めはしかたないわよ」

と言う。

「心に力が入り切っていないみたいね」

とも言う。いいかげん失敗続きに嫌気がさしてきたアンは、母さまに聞いてみた。

「なにか力を入れるコツはあるの?」

「うん、敢えて言えば、愛ね。アンにはまだ無理かな?」

 母さまのいたずらっぽい笑顔は美しいのだが、内容が悪い。腹も立つ。だけど愛といえば修二だ。日頃は寂しくなるのであまり修二のことを考えないようにしていたのだが、敢えて修二のことを思い出しながら、胸の心に力を入れた。

 

 かまどが爆発した。

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