第3話 かつての理系女は決断する

 目を覚ますと、いつものように父さまと母さまに挟まれていた。しかし、アンはもうかつての神崎杏としての自覚があった。薄暗い天井を見上げながら、ブラックホールの夢を思い出す。宇宙空間を修二と手をつないで飛び、ブラックホールに飛び込む夢だ。相対論はごくさわりしか学んでいなかったので詳細は不明だが、ブラックホールを通ってこの世界に自分はやって来たに違いない。そのときに神崎杏としての記憶は失われていたが、神と聖女様のお力により、その記憶を取り戻したらしい。

 

 そうなると気になることが二つある。

 

 一つ目は、手をつないでブラックホールに突入した、唐沢修二がどうなってしまったのかということ。もしこの世界にいるのだとしたら、なんとしてでも見つけ出したい。


 二つ目は、魔法の存在するこの世界でかつて学んだ物理法則が成り立つのかということ。

 

 一つ目については、アンが生きてきたこの村には修二らしき人はいない。探すためには中央にでるのが一番だろう。


 二つ目については、すこしずつ実験をして、確かめていくのがいいだろう。たとえば振り子の等時性がある。正確な時計がないが、発見したガリレオは、自分の心拍を基準に測定したと聞く。その他天体を観察したり、静電気を試したりで少しずつ実験してみたい。前世では絶望的に実験が下手ではあったが、この世界にそれが引き継がれたかはわからない。

 

 元の世界では、ミクロな意味では4つの力があった。電磁力、強い力、弱い力、重力である。強い力、弱い力は原子核内で成り立つような力だから、当分測定できない。電磁力や重力はマクロな世界でも測定可能だ。これらを含め高校で扱うようなマクロな力と魔法がどのように併存しているのか興味深い。

 

 この世界での科学がどのようになっているかは、進学すればわかるだろう。この村に教会より上の学校はないから、中央で学ぶしかないだろう。

 

 一つ目については、アンが生きてきたこの村には修二らしき人はいない。探すためには中央にでるのが一番だろう。修二を探すためにも中央の学校に進学するのがよさそうだ。修二がこの世界に来ていたら、自分と同じように学問の道を志すだろうから。

 

 起き上がり窓際へ行く。まだ薄暗い外は晴れている。初夏なので寒くはない。靴を履いて外に出てみる。

 

 東の空が明るく、明るい星が一つだけ輝いている。この世界が地球上であれば、あれは金星だろう。これから先、この世界について調べていこう。手始めにまず正確な方角が知りたい。

 教会の建物のすぐ裏には畑がある。教会学校の子どもたちも、よっぽどのことがない限り畑には踏み込まない。畑に入るのはアンと父さま母さまくらいだ。あそこに垂直に棒を立てて影の動きを記録すれば、正確に方角がわかるはずだ。真っ直ぐな棒が欲しい。物置にあるのではないかと思うが、この時間に行っても暗くて何も見えないだろう。とりあえず落ちていた木の枝を一本持って、畑へ行く。

 きれいな平地を探す。葉物の野菜と豆の間にちょっとだがいい場所があったので、枝を差した。

 おおざっぱな作業だが、おいおいと精度をあげていけばいいだろう。

 

 とりあえずの満足を得て、ベッドにもどり父さまと母さまの間で寝た。

 

 目を覚ますと、両側に父さまと母さまはいなかった。寝すぎたのかなと考えながら、ベッドから降りる。台所からいいにおいがする。

「父さま、母さま、おはようございます」

 厳しくしつけられたアンはきちんと朝の挨拶をする。

「ああ、アン、おはよう。よく寝れたかい?」

「はい、よく寝れました」

 半分嘘で、半分本当である。夢で目が覚めてしまったと言う意味では睡眠が妨げられたが、影の動きを観察するため裏の畑に棒をたててからは熟睡できた。

「じゃあ、朝ごはんにしましょう」

 母さまが朝食を持ってくる。いつもはパンだけの質素な食事だが、今朝は昨日近所の農家に卵と野菜を頂いたので、目玉焼きと野菜のスープが食卓に並んだ。

 お祈りをして、食事をいただく。

「母さま、スープ、とってもおいしいです」

「そう、よかったわ」

 聖女様のやさしい微笑みを思い出させる母さまの笑顔。アンは幸せだ。

「うん、ほんとうに美味しいよ」

 父さまも笑顔だ。

 

 幸せな朝食を終え、学校に行く身支度をしようとアンは立ち上がりかけたがそれを父さまが止めた。

「アン、今朝はちょっと話がある」

「はい」

 先程とはうってかわり厳しい顔をみせた父さまを見て、杏は椅子にきちんと座り直した。

「ああ、別にしかるわけではないよ」

「はい」

 アンはすこしほっとしたが、それでも話の続きが気になる。父さまは少し表情を和らげて言葉を続けた。

「アン、昨日、聖女様に会ったね」

「はい」

「聖女様がね、ここを離れる前におっしゃったんだ。この秋に王立女学校に入学しなさいとね」


 王立女学校は王都にあり、この国の女子教育の最高機関である。受験資格は各地の初等教育を担う教会学校の卒業程度となっている。全寮制で、最初の三年間は普通教育を行うが、次の三年間は神官、女官、医官をめざすコースに別れる。卒業後はそれぞれ、教会、王宮、病院で実務をしながら勉強し続けることになる。

 アンは中央の学校への進学を今朝考えていたばかりだが、王立女学校ならば文句はない。

 

「普通はアンの歳では受験できないのだが、聖女様が特別に推薦するとおっしゃっていてね」

「はい」

「ただ、親としては杏は幼すぎるのではないかと心配だ。母さまとも話したんだが、どうする?」


 アンの本心はもちろん、王立女学校へ行きたい。しかし父さまと母さまの気持ちを考えるとためらわれた。札幌時代、川崎の父母はいろいろと理由をつけては杏のところに泊まりに来た。どの世界でも親心は同じだろう。八才の一人娘を喜んで手放す親がどこにいるだろう。

 

「アン、わたしたちのことを心配して遠慮しているんでしょう。本当の気持ちを言っていいのよ」

 母さまはアンの心を見抜いていた。

 

 少し考え、アンは心を決めた。

「父さま、母さま、聖女様のおっしゃるとおり、王立女学校に行こうと思います」

「うむ、がんばりなさい」

「がんばってね。だけど、この夏の間に、一人暮らしできるように家事を仕込むわよ」

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