第7話 かつての理系女は出発する
出発の日が来た。秋が近づいているのはわかるが昼過ぎなのでまだまだ暑い。乗り遅れるわけにはいかないから時間より早めに馬車の来る広場に行くが、そこには村の人がみんな居るんじゃないかと思うほどの人出だった。
「アン、頑張ってくるのよ」
「手紙書いてね」
などなど、顔見知りのおじさん、おばさん、友達が声をかけてくる。アンとしては、
「うん、うん」
と返事するくらいしかできない。
そんな中に、ニーナがヨハンに付き添われてきてくれていた。
「アン、さみしくなるわ」
「ごめんねニーナ。手紙書くわ」
「うん、がんばってね」
ニーナが眼に涙をためているのがわかる。そう思ったけど、アンの視界もまた歪んできてしまった。
乗り合い馬車が来た。のりこむとやっぱり狭い。これで夕方まで進み、一晩宿で泊まって馬車を乗り換えたら明日の午後に王都に着く予定だ。一人旅で不安だが、今夜の宿泊先でもう一人の入学者と合流することになっている。聖女様がそのように手配してくださったとのことだ。
ドアが閉められる。みんなに手を振る。
「日時計はきれいにしとくから、安心しろ」
ヨハンの声が聞こえた。
「みんな、行ってきます!」
なるべく一人ひとりに眼を合わすようにして挨拶をしていたら、馬車が走り始めた。
馬車の揺れに中々慣れることができず、みんなとの別離の悲しみに浸る暇がなかった。ようやく馬車に慣れてきた頃、車窓には晩夏の田園風景が広がっていた。見渡す限り畑だ。所々に林が続いているが、そこには川があるのかもしれない。はるか遠方には霞んでよく見えないが、山々があるようだ。日が差し込んできて暑く、汗に砂埃が張り付いて不快だ。これが一日中続くと思うと気が重くなりそうなものだが、アンは景色に心を奪われていた。
向かいに座った女性が話しかけてきた。
「あなたお一人で大変ね。私、エマ。あなたは?」
「アンといいます。お世話になります」
「まあ、しっかりしてるのね。なにかあったら、言ってね」
「はい、ありがとうございます」
エマさんは三十代半ばくらいだろうか。成熟した女性の美しさを持っていた。それからなんとなく馬車の中でお互い自己紹介となった。エマの隣の男性は旦那様のマティアスさん、そのほかクラウスさんやパウロさんが居て、女性はアンとエマの二人だけだった。
「私達は王都まで行くのだけれど、アン、あなたはどちらまで?」
「王都まで行きます」
「まあ、じゃあ明日もご一緒できるのね。今夜はどちらに?」
「ザクセンの教会にお世話になることになってます」
「あらあなた、教会の関係者なの?」
「はい、父さまはベルムバッハで牧師をやっているんです」
「なるほどね」
そんな会話をしていると暑さや埃っぽさも忘れられるようだった。
暗くなり始めた頃、ザクセンに着いた。停車場には一目で教会関係者とわかる中年の女性が立っていた。
あんは馬車を降りて、その女性のもとに行って声をかけた。
「ベルムバッハのアンです」
「ああ、待っていたわ。ハンナよ。教会へ行きましょう」
ハンナは手を繋いでくれた。ベルムバッハの村と異なり、建物で空が少ししか見えない。人もたくさんいる。しかもみんな身ぎれいだ。アンはついつい見回してしまうので、ハンナが手を繋いでくれていなかったら迷子になってしまっていただろう。
ザクセンの教会は、故郷のベルムバッハに比べ大幅に大きい。人口に比例して大きくなるだろうから、それも当たり前だとアンは思った。ただ、教会の内部はベルムバッハ同様質素だった。
ハンナさんに伴われ、お祈りをしていると二人の人がやってきた。
「ベルムバッハのアンだね、私はここで牧師をしているクラウスです。お父さんと親しくさせてもらっているよ」
「はい、父さまがよろしくと言っていました」
「ははは、アンはしっかりしているね。あのね、この子ね、アンといっしょ王都に行くヘレンだよ」
「こんばんは、アンです。よろしくね」
「ヘレンです。ローデンから来たの。なかよくしてね」
「アン、ヘレン、君たちは同い年で、飛び級で王立女学校入学だよ」
アンはとても嬉しくなった。飛び級がひとりだけだったらと心配だったのだ。その思いはヘレンも同じだったようで、ショートの赤っぽい髪を揺らしてアンに近づき、アンの手をとった。あたたかいその手は、旧知の間柄のような気がして、アンもしっかりと握り返した。
いたずらっぽく笑うヘレンの瞳は、どこか懐かしく感じられた。
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