第8話 かつての理系女は旅をする

 礼拝堂のとなりに小さな部屋があり、旅の教会関係者が泊まれるようになっていた。ベッドは二つあったのだが、なんとなくアンとヘレンは一つのベッドに入った。お互い向き合って、身の上話をする。村の人々の話、おいしかった食べ物、二度と食べたく無い食べ物。

 ヘレンはローデンの村の農家の娘だった。

 話は尽きることはなかったが、その前に体力がつきて二人とも寝てしまった。


 朝目が覚めると、村と異なり外がなんだか騒がしい。ヘレンはまだ寝ている。アンはそっとベッドから降りて、記憶を頼りに台所へ向かう。

 台所ではハンナさんがもう仕事をしていた。

「おはようございます」

「ああ、おはよう、アン。早いのね」

「うん、外がうるさくて」

「この街はね、朝早くから仕事している人が多いのよ」

「なるほど」

「で、アン、どうしたの?」

「のどが渇いて」

 そんな話をしていたら、半べそをかいたヘレンがやってきた。

「アン〜、ひとりにしないでよ〜」

「ごめんね、のどが渇いただけなの」

「おしっこ」

「いっしょにいこ」

「うん」


 トイレをすませ、着替えをして台所にもどる。

「ヘレン、アン、おはよう」

「「おはようございます、クラウスさん」」

「さあ、食べよう」

 お祈りして食事を始める。おかずは沢山の炒り卵だった。

 こんな沢山の炒り卵を見たのははじめてで、アンはおそるおそる聞いてみた。

「あの、クラウスさん、毎朝こんなに卵を食べているんですか」

「ははは、わかるかい。もちろん食べないよ。アンとヘレンが王都でしっかり勉強できるようにね、用意させてもらったよ」

「「ありがとうございます」」

 王都で勉強することがどれだけ名誉で、また期待されていることなのか、アンもヘレンも改めてよくわかったのだった。食事を終え、ヘレンと二人身支度をする。少ない荷物をまとめて部屋を出ると、ハンナさんが二人にひとつづつ包みをくれた。

「お昼にたべなさい。あと、水筒にも水をいれといたからね」

「「ありがとうございます」」

「まだ暑いから傷むといけないから、早めに食べるのよ」

「「はい」」

 ヘレンが小声で言う。

「大事に食べようと思ってた」

「私も」

 ハンナさんが笑った。

「やっぱりそう思っていたかい。でもお腹痛くしたらいけないからね」


 ハンナさんは、停車場まで二人を送ってくれた。クラウスさんは仕事があるので、教会の入り口で見送ってくれた。

「しっかり勉強するんだよ」

「「はい」」

「たまにでいいから、手紙をおくれよ」

「「はい」」

 心からアンはそう返事した。たった一泊でも、もうハンナさんもクラウスさんも家族のような気がしたからだ。

 

 馬車に乗る。見知った顔はヘレンの他にはマティアスさんとエマさんだけだった。

「おはようございます、マティアスさん、エマさん。こちらはね、私と一緒に女学校に行くヘレン」

 紹介すると、二人はにっこりと挨拶してくれた。

「よろしくね、ヘレン」

「よろしくおねがいします」

 ヘレンが頭を下げて挨拶すると、

「あなたも優秀なのね、アンと仲良く、しっかり勉強してね」

「はい、ありがとうございます」

 朝半ベソをかいていたとは思えないくらい、しっかりした挨拶をヘレンは返していた。


 馬車が街を出ると、またも田園風景が広がる。するとヘレンが意外なことを言った。

「この辺は家が多いのね」

「そう?」

「うん、パッとみた感じ、いっぺんに家が4つくらいみえるでしょ? 私のうちのあたりは一つくらいかな?」

 アンの思い出す風景は村の中心、教会からの風景だから家がたくさん見えていたが、言われてみると昨日より家の密度が高い気がした。ヘレンは続けて言う。

「あとね、野菜の畑が多くなったわ」

「そうなの?」

「うん、うちの近くは小麦が多いわ。野菜は自分たちでたべるのがほとんど」

「つまりこのあたりは都市部に売る値段の高い作物が多いってことね」

「そう、学校で教わった通りね」

 アンには教会学校で、そんなことを教わった記憶はない。神崎杏として中学受験の勉強で教わった記憶があるのを今実感しているところだ。でもヘレンは勉強家で、きっと故郷の学校でそれを教わったのだろう。

「アンが賢いのは昨日よくわかっていたけど、ヘレン、あなたも優秀なのね。感心したわ」

 エマさんがそう言って褒めると、ヘレンは顔を真っ赤にして照れていた。


 暑くなってきた。陽も高い。そもそも、お腹が空いてきた。

「ヘレン、お弁当、もう食べたほうがいいかな?」

 本当は、もう食べたいのだが、そうとも言えずこんな表現になった。

「うそ、食べたいんでしょ?」

「うん、でもヘレンも食べたいんでしょ」

「もちろん」

 二人で笑い合っているとエマさんが、

「お弁当もっているなら、傷まないうちに食べた方がいいわよ」

と言ってくれた。

 早速包みを開き、サンドイッチにかぶりつく。おいしい。

 しかも包の底には小さな手紙が入っていた。

「足りなければ、これで何か買いなさい」

 小銭が包まれていた。

 アンは感動してヘレンに言った。

「なるべく早く、お手紙書こうね」

「うん」

 ヘレンも同じ気持ちなのだろう。


 お弁当を食べ終わった頃、急に馬車の進みが遅くなった。

「なんだかへんね」

 エマさんが言う。他のお客たちも、不安そうだ。そうこうしているうちに、馬車が止まってしまった。


「きっと馬の調子が悪いんだわ」

 アンはそう言って馬車から降りる。

「アン、馬車の中にいなさい」

 エマさんが注意するがもう遅い。ヘレンも降りてきていた。二人とも田舎育ちだから、馬に蹴られそうな場所にはいかない。二頭の馬車のうち、左側の馬の前に立ち、アンは話しかけた。

「ねぇお馬さん、どうしたの? お腹痛いの?」

 ヘレンがびっくりしたようにアンの顔をみた。

「アン、わかるの?」

「うん、昔から動物の具合が悪いところ、なぜだかわかるのよ」

「お腹をさすって、水を飲ませるといいわ。でも、水はどこにあるかしら」

 ヘレンは馬に蹴られないよう気をつけながら御者のおじさんに近づく。

「おじさん、馬が水を欲しがっているわ。お水はあっちの方にある」

 ヘレンが指差す方は、少し木がかたまってたっている。

「あそこに泉があるとおもう」

「お嬢ちゃん、わかるのかい」

「うん。おじさん、水とってきてくれないかな」

「ああ、だけどだれかが馬を押さえておかないと」

「私農家の育ちだから大丈夫。お腹の痛い馬は、アンが面倒をみるわ」


 しばらくして御者のおじさんは水を桶いっぱいくんできた。アンが馬のお腹をさすりヘレンが水を飲ますと、馬は元気になったようだった。


 お昼すぎ、小さな村で馬車は停まった。お昼休憩としてしばらく馬車は停まるということで、アンとヘレンは水筒の水の補給とトイレのため馬車を降りた。

「馬車が見える範囲しかいっちゃダメだよ」

 御者のおじさんが声をかけてくれた。

「うん!」

と元気よく返事して、ヘレンはトイレに走って行く。よっぽど窮屈だったのだろう。アンもヘレンを追いかけた。


 用事がおわり馬車に戻ると、弁当売りのおばさんがいた。ヘレンがじっとおばさんの持つバスケットを見ている。

「どうしたの?」

と話しかけるとヘレンは、

「お弁当美味しそうなんだけど、全部は多いし、お金は大事にしたいし」

とのことだ。アンは、

「半分ずつお金を出して、半分ずつ食べようか?」

「うん!」


 馬車に戻り席に座る。アンはヘレンに聞いてみた。

「すぐ食べる?」

「うん!」

 包みを開くと、ちょうどよくサンドイッチが2つ入っていた。仲良く一つづつ食べていたら、発車の時刻になった。

「ふたりともちゃんといるね。じゃあ出発しよう」

 御者のおじさんは、小さな二人のことを気にかけてくれているらしかった。


 再び田園風景の中を馬車が進む。しかし遠くに何か灰色のかたまりみたいなものが見えてきた。ときどき道は曲がっていて、見えたり見えなかったりするその灰色のかたまりはだんだんと大きくなってきた。

「エマさん、あれは何かしら」

 アンがエマさんに尋ねると、

「ああ、あれは王都よ。もうすぐ着くわよ」

と答えてくれる。それを聞いたヘレンが窓から見ようとグイグイ押してくるので、アンは窓際の席をヘレンと交代した。交代の時アンはヘレンに足を踏まれてしまい、痛かったが我慢した。実はかわいそうだったのはヘレンで、足を踏んでしまったことで一生懸命謝り、それでもしょんぼりしていた。

「ヘレン、足は大丈夫だから、しっかり景色見てよね」

「うん、ありがとう」


 そして大きな大きな門から、王都に入る。近くに座るおじさんから、

「この門は夜には閉まるよ。魔物から王都を守る門なのだよ」

と教わった。

「魔物はそんなに怖いの?」

とヘレンがそのおじさんに聞く。

「ああ、家畜から人から喰われちまうんだよ」

とおじさんは怖いことをいう。

 アンは田舎育ちだから、魔物はありふれたもので、対処さえ間違わなければけっして怖いものとは思っていなかった。たぶんヘレンもそうだろう。しかし都会の人にとってはとても怖いものなのだと今知った。

「まあ、ちゃんと夜は門の中にいれば大丈夫だからな」

 おじさんはそう言って笑った。

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