第2話 春の星は、君に。

 ナースコールよりも早いからと、早足でセンターに向かってくれた彼女は、担当医を呼んできてくれた。


 それからは、慌ただしかった。


「もしかしたら、ですが」

 担当医は、わたしが発した言葉に動かされたのかも知れないと言った。


「あと数日で、奥様の昏睡状態は半年ですね。それまでに目覚めて頂ければ」

 あくまでも、可能性です、との前置き。


 だが、身体機能などへの影響が軽微で済むかも知れないという話。

 リハビリ次第では、事故前と変わらない程度まで回復の可能性もある、とまで。


 わたしが発した、言葉。


 可能性としては、あの、桃の花。


「指が、確かに動いたんだよ!」

 その日は、映像付きで娘に電話をした。


「よかった、よかったよ……!」

 娘は、泣いた。



「今日は、花弁が揃っていなくて、花冠ではないんだ。ごめんよ。でも、きれいだよ」

 妻には、アレルギーなどはない。


 許可を得たわたしは、それからほぼ毎日、花を届けた。


 妻の動きは、増えた。


 最初は、指が。

 次は、指たちが。

 その次は、腕が。


 これならば。


 そう思いながら、その日を迎えた。



 今日は、事故から半年の日。


 それでも。


 わたしはやはり、桃の花を。


 すると、きれいな茎でつながった二つの花冠が、風に吹かれた。


 これを、きれいなままで受け止められたら。

 そんなことを思う間もなく、体が動いていた。


 やっと、分かった。


 妻は。

 彼女を、助けられるかどうか。

 そんなことは、考えてはいなかったのだ。


 とにかく、動いた。動けたから。

 それだけだったのだ。


 わたしも、同じだった。


 気づいたときには。


 わたしの手の中には、春の星がいた。


 二つ、つながった、春の星が。



「ごめんよ、遅くなったね。春の星だよ」

 泥にまみれたわたしを見とがめるものはいなかった。


 習慣からか、手だけは消毒をして、彼女の手に握らせる。


「君の、そして、わたしの。春の星だ。どうか、見ておくれ」


 わたしは、いつの間にか、泣いていた。


 おんおんと。

 まるで、子どものようだ。


 おかしいだろう。おかしいに決まっている。


 扉は閉めてあるが、退出を促されても、文句は言えない。

 それでも。


 わたしは、泣いた。


 泣いて、泣いて、鳴いていたら。



「泣かないでくださいな」

 いだ、柔らかな声。


 春の星を握ったままの、細い指。


 わたしから零れた水滴を。

 ぬぐうために、そっと、触れたとき。


 わたしはまた、いた。




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春の星 豆ははこ @mahako

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