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 それからしばらく歩いて森を抜けると、リアンナさんの言っていた通り街が見えてきた。入り口には商人らしき格好の人や馬車が見え、ひっきりなしに出入りしている。とても賑やかで、離れているこの場所からでも人々の喧騒が聞こえるほどだ。

「そろそろ着くわよ、クラウス様。準備はいいかしら?」

「は、はい!」

 リアンナさんが振り向き、僕へ呼びかけてくる。サイドテールが大きく揺れ動くのを目で追いながら、背筋を伸ばして返事した。

「見えてきたな! ナッツ売ってるか?」

 肩の上で猫のように丸くなっていたビルスはぐいっと頭を上げ、僕の耳元で囁く。声はあからさまに明るくなっていた。

「まだわかんないけど、あってもおかしくないんじゃないかな」

 小さい声で答える。リアンナさんは常に先行して歩いてるし、もうちょっと大きい声で喋っても大丈夫そうだけど、念のためだ。

「街に着いたら、どっかでクラウディアに連絡するかー?」

「そうだね。無事親玉も倒せたしね」

 僕は結局まだ何もできていない。それどころか貴重な手作り手榴弾を無駄にする始末だ。とはいえ心配かけているだろうし、ちゃんと報告はしておかないと。無駄遣いしてしまったことも謝らないとな。

 街がどんどん近づいていく。服を整え、ウエストポーチや腰に差した剣がズレてないかを確認した。防御魔法があったとはいえ土煙も被ったし、汚くなってないかと思ったけれど大丈夫そうだ。仮面も付け直しておいた方がいいよな。

「何してるのよ?」

「えっ? えっと、服装を整えようと……」

 怪訝な顔で見つめてくるリアンナさんに僕は目を瞬かせる。何かまずかったんだろうか?

「あたしの隣を歩いても恥ずかしくないようにするってのは良い心がけよ? でもね……」

 リアンナさんがはあっと溜息をついて頭を振る。サイドテールをかき上げながらつかつかと僕へ近づくと、顔に付けている銀の仮面をびっと指差して、

「その仮面はダメよ。今どき舞踏会でもそんなの付けないし、時代遅れもいいところだわ」

 何年前のものなの、それ? と呆れたように聞いてくるリアンナさんに、僕は苦笑いすることしかできなかった。

「あたしが魔法で何とかするから、その古くさい仮面はしまっておきなさい」

 リアンナさんは杖を取り出し、桃色の魔法陣を二つ出す。一つは自分に、もう一つは僕に。杖の動きと共に一層強く光った後、消えていく。

「あの、これは……」

 何か魔法をかけられたみたいだけど、特に変わった感じはない。外した仮面をウエストポーチにしまいながら問いかけると、

「認識阻害の魔法ね。長くはもたないけど、お茶飲んで帰るくらいの時間は大丈夫よ。これで勇者と黄金魔導師だとは気付かれないわ。もちろんペットもね」

「そんな魔法があるんですか!?」

「ええ。補助系魔法の中でも上位、しかも魔力を食う方だから、あたしみたいな強い魔法使いじゃないと使えないけどね」

 鼻を鳴らしながら、有名人って大変よねと続けるリアンナさんの顔は満足そうだ。使える魔法の多いこと多いこと、流石としか言いようがない。

「さ、行きましょ。お店はあたしが決めるわ」

「あ、はい。お願いします」

 声には出さないもののウキウキな様子のビルスを肩に乗せ、僕たちは街の内部へも歩を進めていく。

 街の入り口から続く一本道、その両側には店が立ち並び、商店街になっていた。果物や野菜の立ち並ぶカラフルな店もあれば、煌びやかなアクセサリーを売る店もある。店先に立ち客引きや宣伝をする人々もおり、耳を傾ければいくらでも情報が飛び込んできた。新鮮な魚の入荷、パンの焼き時間、服のバーゲンセール。商店街を行き交う人々は多く、みな連れと話したり店の商品を吟味しながら、ぶつかるのを上手く回避して進んでいた。

 賑やかな街、現世でも見覚えのある光景の数々に僕はほうっと息をつく。けれどぽつぽつと見える食材は色合いや形が変わっているものも多く、やはり異世界なのだと実感する。

「凄く賑やかですね」

「マルシャンの街はいつもこうよ。人が多いのも考えものね」

 リアンナさんは行列のできている喫茶店を見つめながら口を尖らせていた。もしかしてあそこに入りたかったんだろうか。

「……仕方ないわね。もう少ししたら宿屋が見えるから、そこに入りましょ」

「えっ、宿屋ですか?」

「そうよ。宿屋の一階に併設してる喫茶店があるの。あまり人も多くないし、穴場なのよ」

 なるほど、それはいいかもしれない。いくら認識阻害がかかっているとはいえ、人がいないに越したことはないだろうし。

 にしてもこの魔法、本当に効いてるんだな。すれ違っても誰一人振り返らないし、特別気にされてる様子もない。普段は顔を隠してるらしい僕、いやクラウディアさんはまだしも、リアンナさんの方もこれとは。

「ほら、ここよ」

「あ、はい!」

 ぐいっと腕を引っ張られ、僕はレンガ造りの建物の中へ入っていく。チョコレート色のドアを開けば、ホテルのロビーに似た光景が広がっていた。フロントに立つお姉さんが僕たちに気づき、笑顔で挨拶する。会釈しつつ、リアンナさんに連れられるまま歩いていくと店らしきものが見えてきた。

 あれが喫茶店のようだ。木製のテーブルにゆったりとしたソファが並んでいる。ワインボトルの並んだ棚を背景にしたカウンターから、店主と思われしき老人が声をかけてきた。

「いらっしゃい。二人かい? 好きな席に座ってくれ」

 まばらに人のいる店内を手で指し示される。広さはそこそこといったところか。リアンナさんは窓側、既に座っている人たちから少し離れたところにある席を選んだ。座るとソファのふかっとした感覚にほっとする。リアンナさんは既にメニューを開いていた。僕も同様にすると、ビルスが体を乗り出してくる。

「おー! どれも美味しそうだな!」

 メニューに映る写真を見て目を爛々とさせるビルス。小声での発言だが、テンションが上がっているのがよくわかる。僕は値段とウエストポーチの中に入れたお金を見比べる。クラウディアさんから使っていいとは言われているけど、人のお金だしあまりたくさんは使えない。コーヒーだけでいいかなと思ったけど、ビルスにうるうるした目を向けられ、デザートの欄を見る。ええと、これは無理で、これはちょっと高い。こっちなら何とか大丈夫かな、ナッツも入ってるし。

「決めたわ。ロイヤルアイスミルクティーとプリンアラモード」

 メニュー表をテーブルに置き、リアンナさんはソファの背もたれに寄りかかる。どっちもメニューの中では最高クラスの高級品だ。確かリアンナさんって貴族なんだっけ。流石お金持ちだな。

「クラウス様は? 決まったかしら?」

「はい、大丈夫です」

「そう、じゃあ呼ぶわね」

 リアンナさんがすっと手を上げると、店主がやってきた。顎に蓄えた白髭を撫で、エプロンのポケットからメモ帳とペンを取り出す。

「ご注文は?」

「あたしはこれと、これ」

 メニュー表を指差してリアンナさんが言う。店主が注文をメモし終わった頃を見計らって、

「コーヒーと、このキャラメルナッツのミニパフェお願いします」

 こういうものを頼むのはいつぶりだろう。ビルスが身を乗り出しすぎて肩から落ちそうになったのを押さえながら、メニュー表を指差した。状況が状況なので喋れないが、醸し出す雰囲気だけでもわくわくしている様がありありと伝わってくる。

「ごゆっくり」

 店主は注文をメモすると、会釈してカウンターへと戻っていった。その背中を見送り、僕はリアンナさんに向き直る。海を思わせる青とばちっと目が合って、慌てて逸らした。

 さて、そろそろちゃんとリアンナさんと話さなければ。大事な話とやらもそうだし、彼女が本当に戦争反対派なのかもしっかり聞かないといけない。でも、何て話を切り出せばいいのか。どうしよう。

「それにしても、クラウス様って手榴弾とか使うのね。意外だったわ」

「へっ!? あ、え、そ、そうですね、使いますね」

 いきなり話しかけられて挙動不審になったが、なんとか取り繕う。勇者としては剣を使う方が正解だし、イメージ的にもそうなんだろうな。だけど僕には難しいし、あの時は咄嗟の行動だったからな。明後日の方向に投げてしまったしのを思い出し、がくっと肩を落とす。

「いいじゃない。魔法だって武器だって、色んなものを使えた方が良いに決まってるわ。しかも陽動として使うなんて、見直したわよ」

「ありがとうございます……」

 陽動という言葉に肩がもっと下がっていく。好意的な解釈をしてくれたからこそ、より心のダメージは大きかった。

「で、どうなの? あたしの魔法を特等席で見た感想は?」

「え」

「守護兵団に所属してる魔法使いとは違ったでしょう?」

「え、えっと……」

 そもそも魔法使いを見たのが初めてなんですとは言えない。いやビルスの転移魔法とか見てるけど、あっちはドラゴンだし、星条界の魔法とは仕様が違うみたいだし。

 リアンナさんは口調こそ軽快だが、その目は、僕に絡みつく視線は真剣だった。何と答えればいいのだろう。雰囲気からすると、間違えた答えを言ったら大変なことになる気がするんだが。じわりと背中に汗が染み出していくのを感じる。

「そ、そうですね。あんな戦い方見たことなかったので、驚きました。本当に……ほんっとうに凄くて、素晴らしかったです」

 圧倒的という言葉が似合うそれを思い出して、語気に力が入る。彼女の青い瞳を見つめ直し、頷きながら言った。

「ふんっ、当然でしょ?」

 満足げに笑みを浮かべるのを見て、こういう答え方でよかったのだと胸を撫で下ろす。緊張のせいか語彙力の低下が激しいが、ひとまずは大丈夫そうだ。危ない危ない。あとは何を言えばいい? あ、そうだ。

「僕たちのことを上まで連れていって、防御魔法まで使ってくれたのが嬉しかったです。おかげで怪我せずに済みました。本当に、ありがとうございます」

 膝に手をつき、ソファに座ったまま深々とお辞儀する。ビルスが肩から落ちそうなのに気づいて慌てて上体を起こした。

 これは言った方がいいかなと思っていた。クラウディアさんは僕が怪我をするのを何より心配していたので、ビルスに注意してもらうよう声掛けしたり、万が一のための応急処置の方法を教えてくれたり、そのための道具を持たせてくれていた。それを使わなくて済んだのは、ひとえにリアンナさんのおかげに他ならない。

 あの魔法、本当に凄いよなぁ。RPGでも防御魔法はあったけど、あそこまで攻撃を無効化できるほどじゃなかったし。

 ふっとリアンナさんに視線を移すと、その顔には驚きの色が浮かんでいる。目は丸く、口は少し開いたまま。しかしすぐ気がついたのか、僕から視線を逸らし口を閉じる。

「ふ、ふんっ。当たり前じゃない。変なところ見てんのね」

 そんな変な発言だったろうか。リアンナさんと視線が合わない。そっぽを向き、窓の外を見つめている。これはまずかったか? やらかしたのか、どうしよう!

「はい、お待ち。コーヒーとロイヤルアイスミルクティーね」

 慌てる僕の前に、銀のお盆を持った店主が現れる。僕たちの前に飲み物を置き、デザートの方もあと少しで出来上がるとのことだった。

 白いカップから漂う湯気に、コーヒーの匂い。カップと同じ色をしたソーサーの上には小さなスプーンと角砂糖がいくつか添えてある。いつもはブラック派だけど、今日は砂糖が欲しい気分だった。

 カラコロと音が聞こえてリアンナさんの方を見れば、ロイヤルアイスミルクティーをストローでかき混ぜている。付属のガムシロップを入れたようだ。小瓶の中のガムシロップはほとんどなくなっており、ガラスの側面に残りが僅かに張り付いている。

「ふん。甘いわね、これ!」

 ストローに口をつけて、リアンナさんはぼやく。自分で甘くしたんじゃないのかと思ったけれど、口には出さなかった。

 スプーンでコーヒーの中に角砂糖を一つ沈め、くるくると回しながら溶かしていく。いい具合になったのを見計らってカップに口をつける。柔らかな口当たり。苦みの中に感じる仄かな甘さ。香ばしい匂いが鼻を突き抜け、全身へと行き渡っていく。体の力が抜けるのを感じ、ほうっと息をついた。美味しいコーヒーだ。しかもこの香り、リラックスできる。満足感が表にも出ていたのか、ビルスがじっと僕を見つめていた。飲む? とカップを差し出してみるが、いやいやと首を振る。

「はい、お待ちどう。プリンアラモードにキャラメルナッツのミニパフェね」

 店主がデザートをテーブルに並べていく。リアンナさんの前にはフルーツや生クリーム、アイスがふんだんに盛られた豪華なもの、そして僕の前には小腹を満たすにはちょうど良いサイズのパフェが置かれた。バニラアイスの上にキャラメルソースと刻んだチョコ、そしてナッツが綺麗に飾り付けられている。その横には生クリームとミントが添えられ、底の方にはコーンフレークが敷き詰められていた。

 ビルスが肩から飛び降り、テーブルの上に座る。目をキラキラさせながら、口をパクパクと動かしている。その姿はとても可愛く、ドラゴンということを忘れそうになる。食べさせろということかな、全く仕方がない。テーブルの端に置かれた籠からスプーンを三本取り出す。そのうち一本をリアンナさんに渡した。

「その子も食べたいのかしら。じゃあいいわよ、あたしのも分けてあげる」

 リアンナさんは更にもう一本スプーンを取り出すと、プリンアラモードに盛り付けられたフルーツのうち一つを掬い、ビルスに向ける。するとビルスが更にぱあっと顔を明るくさせ、スプーンに飛びついた。もぐもぐと口を大きく動かし食べる姿は見るからに幸せそうで、こっちまで嬉しくなってきてしまう。思わず口を綻ばせると、同じような表情のリアンナさんと目が合った。しかし彼女は僕の視線に気づくと、すぐに表情をいつものツンとしたものに戻してしまった。

 ちょっと今の表情、普段や戦闘で見せているものとは違ったな。素の笑顔というか。こういうのも年相応で可愛いと思うんだけどな。

「……いただきます」

「あ、いただきます」

 リアンナさんはツンとした表情のまま食事の挨拶を済ませ、スプーンを手に取る。僕も続けて挨拶し、パフェに手をつけた。二本取っておいたスプーンにキャラメルソースのかかったアイスとナッツを盛り付け、片方をビルスの口に運んであげる。もう片方を口に入れると、とろりとしたキャラメルソースの柔らかさ、舌の上で溶けるアイスの冷たい甘さが広がった。カリカリとしたナッツの食感も実に小気味良く、キャラメルとの相性は抜群だ。ビルスの方を見ると、幸せが天元突破したのか蕩けた顔をしている。

「……可愛いわね、その子」

「あはは、ですね」

 あまり僕と目を合わせないようにしながら、彼女はまたスプーンをビルスへと向ける。今度はプリンだ。ビルスは笑顔で口をぱかりと開ける。

「……大丈夫なの? 色々食べさせちゃってるけど」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 クラウディアさんも特に何も言ってなかったし、何よりビルスがウインクしている。顔にはどう見ても大丈夫! むしろ大歓迎だぜ! と書かれていた。

「そう、ならいいわね」

 プリンアラモードを口に運びながら、どこかほっとした様子のリアンナさん。ツンとした表情のままだけど、仕草でなんとなくわかった。

 場の雰囲気がどんどん良くなっているのを感じて、僕は内心笑顔になる。これなら話しやすそうだ。何かきっかけになるような話題を作って、それとなく本題に入りたい。本当は直に聞くのが手っ取り早いけど、クラウディアさんによれば人間側も戦争に積極的っぽいしな。二人きりならまだしも人目もあるし、ここはオブラートに包むべきだろう。

 ——それにしても、人間側の方も戦争に積極的なんてとても思えないな。

 ふっとそんなことを考える。マルシャンの街を見る限り、人々の様子は至って平和だ。黒岩病みたいなのが流行っているわけでもないようだし、魔人戦争だって逆転して停戦まで持ち込めた立場で、魔族側に比べてそこらでの恨みだって少ないはずだ。前に見た魔族の民のような切迫した状況、声だけでもわかる悲痛な様はこの街に住む人たちからは感じられなかった。戦争が起こりそうになっている原因は魔族同様聖神水の不足だとクラウディアさんが言っていたけど、現状何が理由で不足しているのかわからない。

 ううん、考えても無理だな。後でクラウディアさんに連絡取る時に聞いてみるか。まずは目の前のミッションをクリアしなくては。

 ええと話題、話題。何かないかな。周囲を見渡すと、喫茶店の壁には多くの絵画が飾ってあるのに気づいた。花瓶に生けられた花、夜空の下の街、子を抱える母。様々な絵が美術館のように並べられている。中でも一際大きな絵に僕の視線は吸い寄せられていく。

 それは、騎士の絵だった。雨上がりの空に浮かぶ、銀の甲冑に身を包んだ騎士。その騎士は動物の上に乗り、剣を天へと振り上げている。この動物は何だろう。羽のついた馬、ペガサスというのか。だけどその頭はどちらかというとライオンに近い。キメラっていうのかこういうの? ちょっと謎だな。謎といえば、乗ってる動物もそうだけど足元の黒いものもだ。目を凝らせば人っぽくも見えるけど、角や動物っぽいものもあるような。

「……やっぱり気になるのかしら? 初代様のことは」

「へっ?」

 足を組み、半分ほど減ったプリンアラモードを口に運びながらリアンナさんは言う。初代様という初耳の単語の意味を考える僕に、彼女は爆弾発言を投下した。

「まあ、当然よね。クラウス様は今や、世間では二代目勇者と名高いことだし」

 少し声を抑えていたが、その破壊力は抜群だった。今きっと僕は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているんだろう。更地になった頭の中に二代目という言葉だけがぐるぐると回っている。えっ、勇者って他にもいたのか? しかもクラウディアさんが二代目だなんて初耳なんだが。

「タイトルは『勇者の生まれた日』だったかしら。魔人戦争終了直後に描かれた有名な絵ね。ここにあるのはレプリカでしょうけど」

 ミルクティーのストローに口をつける。時間が止まったかのように動かない僕の目に映るのは鮮やかなピンクの髪色。コーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。

「カノンの戦い。魔人戦争における人間側の逆転、そのきっかけになった戦い。この戦いを題材にした絵は多いのよね、人気あるし」

 空になったミルクティーのコップをテーブルの隅に移動させ、リアンナさんは足を組み直す。未だ何も言えない僕を頬杖をつきながら見つめていた。

「魔人戦争が始まった当初は、魔族側が圧倒的に優勢だった。けれどこのカノンの戦いに配置された兵士の一人が、召喚魔法を使って誰も見たことのない獣を呼び出し、それを従えて戦った。その結果、並み居る魔族たちを打ち倒し、たった一人で戦いを勝利に導いた。快進撃はその後も続き、劣勢を覆して魔族たちを押し返し、最終的に魔人戦争を事実上の停戦にまで追い込んだ——これが兵士ことアルベルト・ヴァーノン、後に勇者と呼ばれる男の逸話。もう覚えちゃったわ。この世界に住んでいる限り、飽きるくらい聞く話だもの」

 リアンナさんはプリンをぱくぱくと口に運んでいく。だけどその目はどこか遠くを見ているようだった。

 頭の中でクローネさんとの会話が再生される。魔族は人間に対して屈辱的な気持ちがあり、それを晴らすためにも戦争を起こしたがっている部分があると。それはモンスター作成の誤解を受けたのもそうだし、戦争で勝てそうだったのに逆転されたのにも起因するようだった。その人間側の逆転を起こしたのは勇者、いや初代勇者だったのか。しかも召喚魔法で!

「大変よね、二代目って。勇者様の再来だってみんな勝手に盛り上がるんだから。守護兵団がクラウス様を色んな街に訪問させてるのも、そういう人気があるからだろうし」

 ちょっと前もこの近くの大きな街に来てたわよね? と聞かれ、僕はクラウディアさんの言葉を思い出す。つい最近大きめの仕事を終えたばかりだから、今は休暇中だと言っていた。その仕事ってもしかして、街への訪問だったのか。

「あたしも見てたけれど、召喚魔法の魔法陣が出て、そこから見たことのない生き物が出てきた時の民衆の喜びようったらなかったわね。あの絵に描かれているのとは違う小さい獣だったけれど、パフォーマンスとしては十分だわ」

 召喚魔法? パフォーマンス? 訪問先の街で使ったのか? クラウディアさんが召喚したのは僕とビルスだけだと言っていたけど、そうじゃなかったのか? 次々と湧いてくる疑問に頭が沸騰しそうだ。精神を落ち着かせようとパフェやコーヒーに手をつけるが、もう味がよくわからない。情報が多すぎる。ビルスの方ちらりと見れば、かなり険しい顔をしていた。

「ねぇ、クラウス様」

「は、はい」

「貴方、守護兵団に——」

 リアンナさんの言葉は、突然響いた大きな音に遮られた。それが店主のいるカウンターから鳴ったと気づいて見れば、カウンターテーブルに手を突き、胸を押さえて苦しむ店主の姿がある。

「っ!」

 ソファから立ち上がり、カウンターへと駆け寄る。発作か何かだろうか、それとも。リアンナさんも来たらしく、ワンテンポ遅れて僕の横に並んだ。

「ちょっと! どうしたの!」

「すみません! おい、父さん!」

 カウンターの奥、調理室と思われるところから中年くらいの男の人が飛び出してきた。店主の老人の肩を抱き、寄り添う。

「言っただろ、今日はやめとけって。調子悪いんだから」

「バカ言うな。わしは大丈夫だ……!

「大丈夫じゃないだろ! ほら、お客様にも迷惑だし家に帰ろう。店は俺がやっておくから休んでくれ」

「いいや! 帰らんぞ。そんなことしたら、またヘンリーが守護兵団に入ると言い出すだろう!」

 店主は胸を押さえ、荒い呼吸をしながら言う。見るからに苦しそうなのに、その言葉からは強い思いが感じ取れた。男の人の表情が変わる。苦虫を噛み潰したような、そんな顔だ。

「いい加減にしろよ! 仕方ないだろ、そうじゃないと父さんの病気が……! 母さんの方だって! 本当は俺が行ければよかったのに。くそっ、もう少し若けりゃ」

「かと言って許さんぞ! わしだけじゃない、ばあさんだってそうだ! 孫が戦争行きなんざごめんだ!」

 あまりの剣幕に肩が跳ねる。けれど戦争という単語は聞き逃さなかった。

「仕方ないだろ、金と聖神水が必要なんだから! 守護兵団に入れば高級取りになれるし、支給品の聖神水だって貰える。しかも魔族との戦争に勝って向こうの泉を奪えれば、そこの水は戦争の最前線に立つ、守護兵団所属の兵士たちに優先して配られるんだ! だから!」

「優先して配られるっていうのはただの噂だろう! 本当にそうなるかわからんぞ!」

「噂だろうが何だろうが、それしか手がないんだよ……!」

 中年男性の顔が歪み、目から涙が溢れ出る。それを見た店主の顔も今にも泣きそうになっていた。自分の父親ほどの男性が目の前で泣く、その様は見ているだけで胸がぎゅうと締め付けられる。

 疑問は尽きないけれど、今は何も考えられない。僕は無言で立ち尽くすだけだった。男性の啜り泣く声だけが響く店内。僕たち以外のお客さんもみな動きを止め、じっとカウンターを見ているようだった。

「大丈夫だ。守護兵団には二代目の勇者様がいる。召喚魔法が使えるんだ。魔族相手に逆転した、あの伝説の魔法を使える方がついているなら。きっとヘンリーだって生きて帰ってこれるよ……」

 嗚咽混じりの声。だけどその言い方は店主だけではなく男の人自身にも向いているような、どこか言い聞かせるような、そんな様子だった。

「それに二代目勇者だけじゃない。あの大魔女グレンダの……」

「ねぇ、お会計いいかしら」

 リアンナさんが男の人の言葉を遮り、カウンターへ何かをバンっと音を立てて置く。見たことがない紙、デザイン的に紙幣だろうか。随分たくさん0がついてるけど。それを見て男性が目を丸くした。

「お釣りはいらないわよ。さ、行きましょう」

「え?」

 ガッと腕を強く掴まれて、引きずるように店の外へ連れ出される。リアンナさんはやたら早口で語気が強く、表情はよく見えない。突然のことに理解が追いつかない僕は、ただ店主と男性、リアンナさんを交互に見ることしかできなかった。店主の姿が見えなくなる直前、こんなにたくさんと呟く男性の声が聞こえた。

「あ、あの、お金……!」

「いいわよそんなの」

「そんな、悪いです。僕のお会計までなんて。払いますよ!」

「別に。あたしお金持ちだし」

「でも……!」

 いくら貴族でお金持ちとはいえ、流石に年下の女の子に奢らせるのはまずいとウエストポーチに手をかけるが、もう片方の腕を掴まれ引っ張られているのでうまく開けない。

「あの、ちょっと離していただけませんか!」

「いやよ」

「どうしてですか!」

「もうちょっとで認識阻害の魔法が切れるわ。移動するわよ」

 リアンナさんは水色の魔法陣を起動させる。いつのまにか路地裏に来ていたらしく、人々の喧騒が遠くに聞こえた。

「飛行魔法起動、さっきの森に戻るわ」

 懐から杖を取り出し、振り上げる。リアンナさんは僕の腕を掴んだまま魔法陣に乗り込み、空を飛んだ。以前より更にスピードは速くなっており、台風の時みたいな風に晒される。言葉を発するどころか息すら詰まりそうになりながら、超特急で親玉のいた森まで戻ってきた。まだ宙に浮いたまま、いささか乱暴に魔法陣が消えて僕とビルスは地面に着地する。ビルスはたくさん食べた後なのが効いたのか、最初飛んだ時より更に具合が悪そうだった。

「あの……どうしたんですか」

 ビルスを介抱しながら問いかけるも、答えはなかった。リアンナさんはこちらを見ない。店を出てからずっとだ。横顔はちらりと見えるけれど、表情は険しい。いくら認識阻害の魔法の効果がなくなるとはいえ、ここまで急ぐことなかったんじゃないか。飛び方も態度も乱暴だったし。プリンアラモードに舌鼓を打ち、ビルスを見て柔らかな笑顔を浮かべていた彼女とは思えない。

 何が原因なんだろう。店主と男性の話だろうか? それとも別の……そういえば、店主が具合悪くなる前に、リアンナさんが何か守護兵団について言いかけていたような。

「ねぇ、クラウス様」

「は、はい」

 リアンナさんの刺々しい声に呼ばれ、僕は慌てて考え事をやめる。彼女は僕に背を向けたまま、

「貴方、守護兵団がどんな組織か知ってるの?」

「え……」

 意外すぎて言葉が出なかった。なぜそんなことを? けれど彼女の声色は真剣で、冗談を言っているようには思えなかった。

「え、えっと……人間側の組織で、各地に出てくるモンスターを倒すために動いてて……あとは聖神水の管理もしてるって」

「そうね。表向きはね」

「表……?」

 リアンナさんがくるりと振り向く。その目つきは鋭く、深青の瞳から射抜くような視線が僕に向けられる。快晴のはずなのに、やたらと冷えた風が僕たちの間を吹き抜けていった。

「守護兵団の真の目的は魔族と戦争を起こすこと。その資金を集めるために、大量の財を有する貴族たちと裏で繋がってる。そして庶民たちに入団を勧めて、戦力を確保しようとしてるってわけ」

「え……」

 そんなバカな。守護兵団が戦争を!? だってあそこにはクラウディアさんが所属しているんだぞ! しかも貴族と裏で繋がってるって。

「さっきあのおじさんが言ってたでしょ? 守護兵団に入れば高めの給料と、支給品の聖神水が貰えるって。実際のところ、給料は相場より若干高い程度で命を懸けるには足りないくらい、水の支給品だって体力回復用に配られるごくごくわずかな小瓶なのにね。そんなものを餌にして、重い病気の家族がいる人や貧しい人たちを続々入団させてるのよ」

「え、餌って……」

「あの守護兵団ができてからずっと、聖神水が高騰し続けてる。しかもここ数年はそれが更に酷くなって、庶民には手が出ないくらいになってるわ」

「そんなに高くなってるんですか!?」

「そうよ。守護兵団は庶民たちに聖神水の湧きが年々減ってるからとか言ってるけど、大嘘。実際は貴族たちに資金と引き換えに大量に売ってるのよ。もちろん裏取引でね。しかも戦争に使う魔法武器の製造、その稼働のための聖神水まで守護兵団内部でせしめてる。そんなことをしておいて、庶民には聖神水が足りなくて、そのうち魔法武器が使えなくなりモンスターへの対処が難しくなる、だから戦争を起こさなくちゃいけないって言い回っているのよ」

 守護兵団が庶民に言い回ってる内容、正にクラウディアさんが言っていたのと一緒じゃないか。嘘だったというのか、まさか。そんなことがあるなんて! 

 横目で見れば、ビルスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。こんな時にこんな事実が明らかになるなんて、ビルスもきっと予想外だったろう。

「……聖神水を貴族に売って、どうするんですか」

「簡単よ。あたしが生まれるずっと前、それこそ魔神戦争が起こるより更に昔から、貴族たちの間では聖神水を医療以外の目的で使うことが流行ってたの。それこそ美容とかね」

「美容に使えるんですか? あの水が?」

「ええ。アレを塗ると肌が綺麗になったり、シワが取れることもあるみたいよ。あと味が良いから料理にも使われたり……ああ、強壮剤として使うヤツもいたわね」

「そんなことして大丈夫なんですか? 貴重なものなんじゃ……」

「あまり良いことじゃないわ。結局のところ本来の使い方とは違う、私利私欲のための使用だしね。けれど長らく続いていて、貴族特有の贅沢文化みたいな扱いだったし、ちゃんと月々に買える量の上限を決めていれば一応大丈夫だったわ」

「それなら……」

「けれど最近、それが破られてるのよ。化粧品や特別な料理への使用だけじゃない。普段の飲み水から、日頃の食事にまで。どんどん聖神水が使われてるわ」

「貴族のみなさんは不思議に思わないんですか? 今までずっと上限ありだったのに」

「貴族の方には今年は湧き量が多いって言ってるのよ。庶民と真逆。貴族が住むような大きな街は大体どこも庶民と居住区が分かれているし、庶民は中へ入れないようになってることが多いの。だからまず関わり合いにならない。守護兵団の嘘っぱちがバレないわけよ」

「そんな……!」

「まあでも流石に貴族たちも、うっすら察してると思うわよ。そしてそんなことをする守護兵団の目的もね。だけどみんな見て見ぬふりをしてる。特に貴族の中でも多額の財を持つ者の中には、積極的に守護兵団に援助してるって話もあるわ」

「なっ、何でそんなことを」

「元から見た目だのなんだので人間の魔族への差別はあったけれど、貴族は特にその傾向が強いのよ。魔族なんて気持ち悪い、滅びてしまえばいい。貴族として力が強いほど、そんな思想の連中ばかりいるわ。守護兵団の上層部にも貴族出身の人間がいるし、そういう考えのヤツが多いのよ」

「っ! だから戦争を起こすと?」

 クローネさんの発言を思い出して顔を顰める。本当にそんな人間が、しかも地位のある貴族にいるなんて。

「貴族なんて元から選民意識の塊みたいな奴らばかりなのよ。魔族もそうだし、何なら庶民のことだって見下してる。たとえ戦争が起きても、戦地に行くのは自分たちじゃなくて庶民だと思ってるんでしょうね。安全なところでぬくぬくしながら、戦争に勝利したら聖神水をまた大量に貰う気なのよ」

「聖神水は守護兵団所属の兵士たちに優先して配られるって話じゃないんですか」

「ああ、あのおじさんが言ってたやつね。あんなの建前よ。例え守護兵団に入っていようが、庶民にどこまで配られるかなんてわからないわ。今よりは多少マシになるとしても、金持ちの貴族に行き渡る量の方がずっと多いでしょうね。だからあくまで噂話ってことにしてるんでしょ。それでも手段のない人にとっては、縋るしかないから」

「そんな、そんなことって……!」

 絶句し、遠くを見つめる。重たい空気が場を支配し、草むらに潜む虫の鳴き声だけが耳の奥でぼんやりと響いている。じりじりと照りつける太陽の熱さに、アンバランスな風の冷たさ。

「……クラウス様、やっぱり知らなかったのね」

 リアンナさんは腕を組み、深い溜息をついた。サイドテールを手櫛で整え、僕へ向き直る。

「守護兵団に入団してからどうなの? モンスターとの戦いじゃなくて、大きな街への訪問ばかりさせられてないかしら?」

 あの蜘蛛のモンスターが本部を襲撃してきた時、最後まで呼ばれなかったのを思い出す。しかもその後の後処理や調査でも声はかけられず、ずっと部屋にいるだけだった。

「図星みたいね。おそらくだけど、守護兵団はクラウス様を利用して民衆や貴族からの信用を得たいのよ。実際、あの初代勇者の逆転の逸話は有名だしね。初代勇者本人じゃなくても、同じ能力を使える者がいるなら。あの召喚魔法を使える者がいるのなら、またきっと戦争に勝てるだろう……そう思わせたいのよ。だから二代目勇者として各所への訪問、召喚魔法のパフォーマンスまでさせて、人気と信頼をどんどん高めてる」

 つまり勇者は、いやクラウディアさんは、守護兵団によって客寄せパンダにさせられてるってことなのか? 庶民と貴族両方から人気と信頼を得て、兵力と資金を確保できるように。全ては魔族と戦争を起こすために。そんな、そんなのって。クラウディアさんは戦争を止めるために動いてるのに。完全に逆効果になってるじゃないか!

 絶句する僕と、顔を伏せるビルス。こんなこと、当然クラウディアさんは知らないに違いない。知っていたら間違いなく、守護兵団にいたりしないだろう。

「クラウス様を自分たちの管理なしで外に出したくないんでしょうね。逃げられたり、万が一のことがあったら困るから。本部に住まわせてるのもきっとそうだし、今日だってこっそり見張りを付けようとしてたわ」

 飛行魔法で振り切ってやったけどね、とリアンナさんは鼻を鳴らす。見張りがいたなんて、全然気づかなかった。あんなにスピードを出してたのはそういう理由もあったのか。

「あ、あの……リアンナさんはどうして、こんなに詳しく色々知ってるんですか?」

「……勲章目当てに片っ端からモンスターを倒していた頃、色んな街で病気に苦しむ人を見たわ。みんな聖神水が買えないと嘆いていたから、そこで変だと思ったのよ。あたしの周りの貴族令嬢たちは、聖神水入りの流行スイーツを毎日食べていたのに。それから色々なところの調査を始めて、この通りよ」

 かき上げられたサイドテールが風に乗りふわふわと靡く。リアンナさんは大きくため息をついて、

「すぐ貴方に教えようと思ったのよ。戦争のために利用されてるってね。本部に住んでいると聞いて時々様子を見に行ってたけど、警備が硬くて。どうしようかと思っていたらスカウトの話が来たから、断るついでに教えに行くことにしたのよ。そうしたら本部長と精鋭部隊が出払ってるってわかって、今が最大のチャンスだと思った」

 本部がモンスターの大群に襲撃されたのは予想外だったけど、と続ける。けれど親玉退治にかこつけて僕を連れ出せたので満足らしい。あの副本部長は本部長と違って口車に乗せやすいので、そこら辺もうまくいったとのことだった。

「内容が内容だから、本部の中では話せないしね。良いタイミングだったわ。これが貴方に伝えたかった、大事な話ってわけ」

「な、なるほど……」

 確かにこれは大事な話だ。強引に連れ出したのも頷ける。

「ああ、そうそう。喫茶店にいた時からそうだったけど、クラウス様何かあたしに言いたげだったわね。どうしたの?」

 見抜かれてたのか、ドキッとした。ちょっとしどろもどろになるも急いで取り繕い、ずっと投げかけたかった疑問を口に出す。

「ええっと、あの……その、リアンナさんは戦争反対派、ということでよろしいんでしょうか」

 影武者生活一日目で聞いた発言、その真意を問う。とはいえ、守護兵団の真の目的だの色んな情報を教えてくれたことを考れば答えはおのずとわかるけれど、改めて聞いておいた。

「ええ、そういうことになるわね。貴族と守護兵団だけが得する戦争なんて、まっぴらごめんよ」

 思った通りの答えにほっと胸を撫で下ろした。クラウディアさんもきっと喜ぶだろう。良い報告ができそうだ。けれど、それ以上に衝撃の事実も明らかになってしまったのだが。こんな酷い真実を報告しなければならないなんて、今から気が重い。

「そういうクラウス様はどうなの?」

「えっ!? えっと」

「わかってるわ。当然反対でしょう? あんな最低な理由で行われる戦争、しかもそれに利用されるなんて嫌に決まってるものね。おまけに本部住み込みなんて! 絶対ごめんよ。あんな組織、今すぐやめなさい」

「今すぐですか……」

「そうよ。あんな最低組織、貴方のいるところじゃないわ」

 サイドテールを結んでいるリボンの位置を直しながら、ちらりと僕を見やって言う。

「……あの、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 守護兵団の真の目的。貴族についての情報。わざわざ連れ出してまでそれを教えてくれるなんて。何から何まで世話になりっぱなしだ。昨日まで特に関わり合いになったことがないだろう相手に、なぜここまで。

 沈黙。じっと僕を見つめたまま、彼女は声を発さない。時折何か言葉を紡ぐかのように唇が動くけれど、音にはなっていなかった。

「……クラウス様が、貴族や守護兵団が汚い感情で起こしたがってる戦争に利用されてるの、見てられなかったのよ。勇者と同じ能力、立場を利用するなんて、最低じゃない。貴族の一人として恥ずかしいわ」

 僕から顔を逸らし、サイドテールの先端をいじっている。その語気は強く、青の瞳には静かな怒りが滲んでいた。

 また一層強い風が吹いた。ビルスが肩から落ちていき、地面に落ちる寸前になんとかキャッチした。空を見上げれば、太陽は翳り灰色の雲が空をじわじわと覆っている。少し暗くなったと思っていたら、こういうことか。

「天気、悪くなりそうね。帰りましょ、クラウス様」

「…………わかりました。リアンナさんは今日はどうするんですか? どこかに泊まるんですか」

「あたしも本部に泊まるわ」

「え!」

「副本部長から、本部長が明日戻ってくるから今日は本部にいてくれって言われたのよね。ほら、スカウトの件考え直すって言ったからよ」

「え、スカウト受けるんです……?」

「まさか。明日本部長が戻ってくる前に出てくわよ。本部の危機もわざわざ救ってやったことだし、宿の一つと食事くらい提供してもらうだけよ」

「なるほど……」

 副本部長の言う通りにする気なんて更々なく、ただ宿と食事目当てに守護兵団本部に泊まる気なのか。僕を強引に連れ出したから警戒されてそうなのに。圧倒的に強いから、守護兵団がどんな組織だろうと関係ないということなのかな。豪胆というか、何というか。

「ほら、乗りなさい」

 杖を取り出し、水色の魔法陣を出す。また飛行魔法で戻るということなのだろう。肩の上で項垂れるビルスがぷるぷると震えた。肩に置かれた小さな手にはあまり力が入っておらず、まだ具合が悪そうだった。

「すみません、今回はもうちょっと速度落としてくれませんかね……乗せてもらう立場で言うのもあれなんですが、すみません」

 おずおずと申し出ると、リアンナさんも肩のビルスの様子に気づいたのか少し表情に申し訳なさを滲ませた。ピンクの頭を軽く掻き、大きく息を吐く。

「……言われなくてもそのつもりよ。そんなに速くない、けど天気が悪くなる前には帰れるくらいのスピードで行くわ」

「お願いします」

 ビルスを肩から下ろし、手に持ち替える。そのまま深々とお辞儀して、僕は地面に光る水色の魔法陣へ足を伸ばした。

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