3

 それからしばらくして、僕は部屋を出てビルスと一緒に守護兵団本部の廊下を歩いていた。拾った勲章の持ち主——推定リアンナさんへ、落とし物を返しに行くのだ。

 あの後はしばらくクラウディアさんと話し合っていた。モンスターの襲撃を防ぎ当面の危機が去ったのもあって、とりあえず僕は影武者を続行することになった。

 対応が遅れてごめんとクラウディアさんからは謝られたが、こんなこと誰も予想できなかったろうし仕方がない。むしろ、モンスターを見ただけで恐怖で動けなくなってしまった自分を思い出すと情けなくて、やるせない気持ちになる。これだから、と深い溜息をついた。

「どうかしたか、ツバサ?」

「……いいや、何でもないよ」

 心配そうに顔を覗き込んでくるビルスに、笑顔で答えた。誰かに聞かれたらまずいので、ペット設定のビルスは常に小声で喋り、僕の耳の近くを飛んでいる。

 戦いが終わった後の守護兵団本部の廊下は、人で埋め尽くされていた。武器を片付ける兵士たちがひっきりなしに出入りし、辺りは喧騒に包まれている。すれ違う兵士たちはみな負傷しており、医師や医薬品を求める声がそこら中で上がっていた。割れた窓ガラスの破片と思われるものが足元に散らばっていて、慌てて避ける。

 こんな光景を見ていては、また思い出してしまう。蜘蛛に齧り付かれ血を出していた人。地面に倒れ踏みつけられていた人。だめだ、考えてはいけない。小さく首を振った。

「あのモンスターがどこから来たのかの調査を……」

「ああ、後で緊急会議を……」

「聖神水の補給を……」

 何とか別のことを考えようと、廊下の所々から聞こえる声に耳を傾ける。女の子に関する情報は特にない。あの娘は一体どこにいるんだろうか。

「あれ、クラウス様? どうかなされましたか?」

 兵士さんに声を掛けられた。ちょうどいい、リアンナさんがどこにいるか聞いてみよう。

「あの、ピンク髪の、さっき魔法を使ってた女の子の落とし物を拾いまして。返しに行こうと思って」

「…………ああ、あの黄金魔導師様のですか。確か応接室で副本部長と話していましたが……」

 兵士さんが廊下の突き当たりにある部屋を指差した時だった。

「だ・か・ら! さっきから言ってるでしょ? 一日くらい貸しなさいよ」

「で、ですが……!」

 誰かが言い争っている声。ちょうどその部屋から聞こえている。しかもこの声、あの娘の声じゃないか? 何かあったんだろうか?

「あ、ありがとうございます!」

 とりあえず行ってみるか。兵士さんにお礼を言い、その部屋へと歩を進める。あの娘のことを口に出した途端、兵士さんの顔がげんなりしていたのは気のせいだろうか。

 目的の部屋はドアが半開きになっており、そこから声が外へ漏れ出ているようだった。隙間からこっそり覗き込んで中の様子を伺う。

 部屋は僕がさっきまでいた部屋と同じくらいの大きさで、中央に広いテーブルと大きなソファが置いてあった。

 さっきの娘は僕から見て正面に座っており、向かい側には兵士さんが座っている。甲冑のデザインが他の人より豪華だから、あの人がきっと副本部長だな。

「雰囲気悪りぃな、どうしたんだ?」

 ビルスが僕の肩へとまり、耳打ちする。確かに応接室の空気は澱んでいた。あの娘、推定リアンナさんはソファに座りながら、足と腕を両方組んでいる。その表情は不機嫌そうで、あまり気軽に話せそうな様子ではなかった。

「どうしよう……」

 何か言い争っていたようだし、今返すのは難しいだろうか。だけどこのタイミングを逃すといつ返せるかわからないしな。最悪、兵士さんに頼むって手もあるけれど——

「あ」

 ふっと顔を上げた瞬間、部屋の向こうのあの娘とばっちり目が合った。反射的に声が出る。

「あーら、クラウス様じゃない。そんなところで何してるの? いるならさっさと入りなさいよ」

 ばれてしまった。彼女の言葉を聞いて、副本部長も振り向く。

「え、ク、クラウス様!? お部屋でお休みになられていたのでは!?」

「あ、いや、そ、その! すみません、落とし物を届けに参りまして!」

 こうとなっては仕方がない。慌てて部屋へ転がり込み、ぺこぺこと頭を下げながら歩いていく。副本部長は僕の姿を見て露骨に狼狽えていた。

「落とし物? 何よそれ?」

「あの、これ、リアンナさんのですよね?」

 そっと勲章を手渡す。思わず名前を呼んでしまった。まだ推定だったのに。勲章の裏に彫ってあったし、多分名前で間違いないとは思うんだけど。

「………………あたしの名前、なんで」

 やはりリアンナさんで合っていたらしい。ほっと胸を撫で下ろす。けれどリアンナさんは戸惑いのような、驚きのような、そんな表情を浮かべていた。

 なんでだ? あ、もしかして初対面なのにいきなり名前で呼んだのがまずかったのか? 多分リアンナって苗字じゃないもんな。気持ち悪いって思われたかな。

「あっ、いやその、勲章の裏に名前が彫ってあったのでそう呼んだだけでして……! その、他は全然知らなくて!」

 慌てて弁解したが、よく考えたら新聞に載るくらい凄い魔法使いのフルネームを知らなくて、しかもそのことを本人の前で言うのはかなり失礼なのではないか?

 まずい、やらかした!一気に顔が青ざめていくのを感じる。

「………………ふぅん、知らなかったんだ。今星条界で最強の魔法使いって言われてる、このあたしを?」

「す、すみません……!」

 急いで頭を下げる。脇汗がぶわりと溢れ出てくるのを感じた。

「…………不愉快だけど、まあいいわ。コレ届けてくれたし、特別に許してあげる。感謝なさい」

 顔を上げれば、リアンナさんが届けた勲章をケープに付け直している。不愉快とは言っていたが、不思議とその声と表情は明るいように見えた。

「あ、ありがとうござ……」

「ただし」

 僕の礼は遮られ、首元に何かが突きつけられる。それが杖だと気づくまでに時間はそうかからなかった。

「あたしの名前はリアンナ。この星条界で唯一、『黄金魔導師』の称号を持つ女。よく覚えておきなさい? 今度忘れたら、クラウス様でも承知しないわ」

 青い目を細め、勝気な笑みを浮かべるリアンナさん。ぐりぐりと僕の首にめり込むこの杖があの雷光を呼び出していたことを思い出し、ゾクっとした。

「は、はい! わかりました! すみません!」

 赤べこのように頷けば、リアンナさんは満足そうにしていた。その表情は部屋の外から覗いていた時と比べてずっと柔らかくなっていて、少しほっとする。

 あ、言い争いといえば。

「…………あの、黄金魔導師様。お話に戻らせていただいても?」

 長らく放置されていた副本部長が喋り出す。腹の奥底から絞り出すような声だ。眉間にはふかーい皺が刻まれ、明らかに迷惑そうな顔を僕に向けている。早くこの部屋から出て行ってくれと言わんばかりだ。

「話も何もないでしょ? 決まりでいいじゃない」

「いやそれは、困ります……!」

「じゃあ何? 本人に許可取ればいいの? それならちょうどいいわね、ここにいるし」

 リアンナさんは僕の方へ向き直ると、サイドテールをかきあげて、

「クラウス様、明日あたしと二人でモンスター退治に行くわよ」

 とんでもない発言を繰り出した。頭が真っ白になり、やがてハテナで埋め尽くされる。えっ、待ってくれ。何を言ってるんだ? そもそも一体何の話なんだ!?

 肩にとまったままのビルスも衝撃を受けたようだが、人前ではペットを装っているため何も言えず、スマホのバイブのように震えていた。

 いやいやいやいや、待ってくれ。もしかしてこの応接室でずっと言い争ってた話には僕、いや勇者が関係してたのか? でもそれが何でモンスター退治に繋がるんだ? というか本人に許可取るって言ってたけど、言い方としては完全に命令だよなこれ。ああもう、何もわからない!

「ですから、勇者クラウス様は守護兵団所属ですので。連れ出されるのは困ります! ましてや本部長の許可も取らずになんて……」

「だけどその本部長、今いないのよね。あの人、精鋭部隊の隊長も兼ねてるもんね。噂のとんでもないモンスターとやらを倒しに行ったんでしょ?」

「そ、それはそうですが……」

「だからあたしも困ったのよね。本部長直々のスカウトを断りに来たのに、肝心の本人がいないんだから」

 スカウト、という言葉にはっとする。リアンナさんも守護兵団にスカウトされていたのか。確かに初対面の時、そんな感じのことを言っていた。あの強さならされても当然だろうけど。

「そうね、本当は断るつもりだったけど……もしクラウス様を一日貸してくれるんなら、守護兵団所属、考え直してあげてもいいわよ?」

「…………! それ、は……」

 副本部長の目の色が変わったが、まだ悩んでいるようだ。視線があっちこっちへと移動しており、額には大粒の汗をかいていた。

「……大体ねぇ、あたしのことスカウトしたのも、クラウス様とバディ組ませるためでしょ? 勇者だものね。わかってんのよ」

「なっ!」

 図星と言わんばかりの副本部長の表情。確かにクラウディアさんとリアンナさんなら最強のバディになれそうだ。二人とも凄いもんな。

「それならまずはお互いのこと、ちゃんと知っておくべきなんじゃないかしら? クラウス様なんて、あたしの名前だって知らなかったのよ?」

 ちらりと鋭い視線を向けられて、肩が跳ねた。それは申し訳ないです、本当に。

「で、ですが……それでもモンスター退治なんて!」

「別にいいでしょ。それにあんたたちにとってもありがたい話よね? 何てったって倒しに行くモンスターは、今日あたしが全滅させたあれの親玉よ?」

 そうだったのか!? あの蜘蛛の体に背中に目玉がついた気持ち悪いモンスター。あれに親玉なんていたのか。

「ああいう大きな目玉のついたモンスターは、子どもを産む可能性が高い。常識よね? どうせすぐには精鋭部隊帰って来れないし、親玉放っといてまた子ども産まれて、本部襲われたら大変なんじゃないの?」

 目玉のついたモンスターって子ども産むのか。初耳だ。しかもまたってことはまさか、さっき本部を襲ってたのは子どもたちってことなのか!? あんなにたくさん産めるなんて。確かにそれを放っておくのはまずい。

「うっ、それは……いや、ですが……!」

「それに、もしバディ組むなら一緒に戦うこともあるわけだし、相手の強さを知っておかないといけないわよね。あたしの強さを見せてあげるわ。クラウス様だって興味あるでしょう?」

「それならば、誰か他に護衛を付けさせます! 二人きりというのは!」

「い・や・よ。有象無象にうろちょろされて、足を引っ張られたら敵わないわ。それにただでさえ今は人が少ないっていうのに、これ以上本部の人員を割ける余裕あるの? また別のモンスターに襲われる可能性だってあるのに?」

「うっ、それは……!」

 リアンナさんはサイドテールをかきあげ、不敵な笑みを浮かべる。足を組み直し、ソファに座ったまま頬杖をついた。

「別に勇者様を誘拐しようってわけじゃない。傷付けたりもしないし、させないわ。モンスター倒すのだって、あたしが全部一人でやるわよ。勇者様は見てるだけでいいわ」

「で、ですが……それでも……」

「さっきからずいぶん勇者様を外に出したくないようだけど、何なのかしら? 勇者様が外出して何か困ることでもあるわけ?」

「……っ、い、いえ! そんなつもりは……!」

「じゃあいいじゃない。決まりね」

「…………っ! くそっ……………………一日だけ、ですよ……!」

 副本部長がついに折れた。リアンナさんは勝ち誇った笑みを浮かべると、立ち上がって僕の前に移動する。

「守護兵団所属の件、ちゃんと考えてくれるんでしょうね……!」

「あ~、はいはい。わかってるわよ」

 苦々しい顔をした副本部長の方には一切視線を向けることなく、リアンナさんは僕へにっこりと笑顔を向けて、

「というわけで、一緒に親玉退治に行くわよ。明日の朝、ここの玄関で会いましょう」

「え、あ、いや」

 ちょっと待ってくださいよ。そんなこと急に言われても困りますし、無理です。そもそもモンスター退治なんて心の準備が——言いたいことは山ほどあったが、何から言えばいいのかわからない。

「あの、その……!」

 とにかく断る意思を伝えようとしたその時。リアンナさんが僕に歩み寄り、僕の顔にぐいと自分の顔を近づけてきた。青く大きな目、射抜くような視線。驚いて目を丸くする僕にリアンナさんは、

「貴方に伝えたいことがあるの。大事な話だから、絶対に来て」

 小さな声。けれど真剣な口調で、そう言った。

「え」

「じゃあね~、クラウス様。明日は忙しいから、今日はとっとと休んでおきなさいよ」

 リアンナさんは僕から離れると、くるりと踵を返し、手をひらひらと振りながら応接室を出て行く。

「あ、あの……!」

 どういうことですか、と聞きたくて背中に呼びかけるが、止まる様子はない。僕の返事は一切聞く気がないようだ。

 彼女の背中がどんどん小さくなっていて、やがて見えなくなる。僕とビルスは呆然と立ち尽くすばかりだった。

 な、何も言えなかった。最初から最後までリアンナさんのペース、口を挟む余地もなければ、こちらの返事も聞く気がない。こんなのありかよ!?

 副本部長はリアンナさんが出て行ってからというもの、仕切りに膝の上に握り拳を叩きつけている。歯軋りする音がこちらにまで聞こえ、イライラしているのは明らかだった。

 触らぬ神に祟りなし、というやつか。足音に気をつけ、そっと応接室を出て小走りで廊下を駆け抜ける。途中すれ違った兵士さんたちからの視線を強く感じながら、なんとかクラウディアさんの部屋へと帰ってきた。

「はあ~~~~っ、一体何なんだ…………」

 ドアを閉め、よろよろ歩いてベッドへ勢いよく倒れ込む。そういえば大して柔らかくなかったのを思い出して、ソファにしとくんだったとちょっと後悔した。

「た、大変だったな、ツバサ……」

 自室に戻ってやっとペットモードを解除できたビルスは、げんなりとした様子で枕に座りこんだ。

「何なんだよー、アイツ! 勝手すぎるぜ! ツバサ抜きで話進めててよー!」

 ぺしぺしと肉球が枕を叩く音。僕はベッドで仰向けになり、白い天井を見つめていた。

「ごめん。僕がもっと早く何か言うべきだった」

「……いや、アレは仕方ねぇよ。アイツ相当なもんだぜ。下手にアイツと喋ったら、オイラでも押し切られそうだ」

「実際押し切ってたしね……」

 さっき話していたのだって副本部長という守護兵団の中でもかなり上の人だろうに、リアンナさんは一切臆することなく喋り続けていた。その発言の節々には自分の強さへの自信がありありと表れている。

「大事な話があるって言ってたけど、何なんだろう」

 ずいぶん真剣な口調だったし、結構重要な話なんだろうか。

「何なんだろな? 言いたいことがあるならすぐに言えばいいのによー! なんでわざわざモンスター退治なんかに呼びつけるんだよ!」

「そうだよね。でも気になるよな……やっぱり明日、行くべきかな」

 ——でも、僕に行けるのだろうか。

 自分で言いながら、考えてしまう。頭に浮かぶのはあの蜘蛛の大群。背中でぎょろぎょろと動く大きな目を思い出すと今でも震える。あれの親玉ってことはもっと大きい姿なのかとか、そんなことを考えると怖くてたまらない。

 おまけに僕に戦う能力はない。リアンナさんはモンスターは自分が全部倒すとは言ってくれていたが、万が一のことを考えるとリスクが高い。本物のクラウディアさんなら自分の身は自分で守れるから大丈夫だろうけど、僕にそれは難しい。

 考えれば考えるほど、僕には無理だという結論にしかならなかった。当たり前だ。窓から戦いを見ただけでビビって動けなくなるのに、モンスター退治になんて行けるわけがない。

 ——そう、わかっているはずなのに。

 胸の奥で燻る、何か。それが後悔の念であることを僕は知っている。

 ——あんな情けない姿を見せたままで、終わっていいのか?

 心の奥底から、そんな声が聞こえていた。

「……う~ん、まあとりあえず、クラウディアに報告すっか」

 ビルスの言葉に頷く。そうだ、まずはクラウディアさんに連絡しなきゃ。僕は本当の勇者じゃなくてただの影武者なんだし、僕だけで色々決めるわけにはいかない。

「お~いクラウディア! 今大丈夫かー?」

 ベッドから起き上がると同時に風のテレビ電話が繋がり、天井にホログラム映像が映し出される。

(…………はーい! 探索一段落したから大丈夫だよ! で、どうしたの? 何かあった?)

「お忙しいところすみません、ちょっと色々とありまして……」

 僕とビルスは今まで起きたことをかいつまんで話す。クラウディアさんは終始驚いていて、声を聞いているだけでもそれが伝わった。

「……と、いう感じでして」

(なるほどね……それはちょっと私も予想してなかったなあ)

「できるわけねぇよ。オイラだって無理だぞこんなん」

 うんうんと僕も頷く。

(でもあの黄金魔導師様が、なんで私に用なんてあるんだろう? しかも大事な話って……? うーん、気になるな)

 心底不思議そうな声色。クラウディアさんは顎に指を当てて、首を傾げている。

「何か心当たりないんですか?」

(ないなぁ。そもそも会ったことないしね、そんな凄い人)

「だよな~。何なんだホントに?」

 ビルスも首を捻る。この二人にも心当たりがないなんて、いよいよ謎だ。僕も同じように首を捻っていると、ふと思い出すリアンナさんの発言があった。

 ——あれ、そういえば。

「で、どうする明日? リアンナについてくのか? あ、でも朝はツバサと入れ替わってる時間か」

(だけどツバサに行ってもらうのは危ないよね。黄金魔導師様が一緒で、戦闘もしてくれるとはいえ、流石に……)

「確かにな。じゃあ帰ってくるか?」

(そうだね、その方が……)

「あ、あの!」

 僕の声に、クラウディアさんとビルスが同時にこちらを向く。

「その、僕、行きますよ。大丈夫です」

 少し震えた声で、だけどはっきりとした口調でそう言った。

 怖くないと言ったら嘘になる。けれどそれと同じくらい、不甲斐ないという気持ちがあった。

 影武者とはいえ勇者の立場にいるというのに。自分が憧れた、なってみたいと思った勇者になれたというのに。それなのに、あのモンスター襲撃の時、震えて何もできなかった。

 いくらなんでもダサすぎるし、そんな姿を晒したままでいるのは嫌だ——そんな、僕の意地だった。

(えっ! 行くの!?)

「大丈夫か? 無理すんなよ?」

 二人は目を丸くして、心配そうな声で言う。僕のあんな情けない姿を見た後だ。当然の反応だろう。

「迷宮探索で忙しいのに、クラウディアさんを帰らせたら意味ないですから。そのための僕なのに」

 僕がそう答えると、クラウディアさんは首を振って、

(この状況じゃ仕方ないよ! 怪我でもしたら大変だよ? 無理しなくていいって! 黄金魔導師様ならモンスター退治にそんな時間もかからないだろうし。話だってきっと長くないと思うし。私は大丈夫だから、ね?)

「あ~、もう、行かなくてもいいんじゃねぇか? 色々面倒だな」

 頭を掻くような仕草をするビルス。僕は首を振って、

「……いや、お会いした方がいいかもしれません」

(え? どうして?)

「リアンナさん、『戦争なんて見たくない』って言ってたんです」

 リアンナさんが窓から飛び降りる直前に呟いていたこと。僕がそれを言うと、クラウディアさんが息を呑んだ。目を見開き、口を閉じる。ビルスも驚いている様子だった。

「おい、ほんとかよ!? 貴族のアイツが戦争反対派って……」

 ぎょっとして目を瞬かせるビルスに、僕は頷く。あのすれ違った一瞬、確かにそう言ったのを聞いた。

(……そう、なの……? あの方が?)

「はい、間違いないです」

 クラウディアさんは信じられないと言った表情で、口を押さえている。

 リアンナさんが戦争反対派なのって、そこまで驚くことなのか。人間側で戦争反対してる人って本当に希少なんだな。

「……その、もしかしたらですけど、リアンナさんとお話して、こちらの事情を話したら……協力していただけたりしませんかね?」

 あれだけ強い魔法使いが仲間になってくれれば、きっと百人力だろう。迷宮探索だって魔法でどうにかできるんじゃないか?

(う~~~~ん、そうだね…………)

 僕の提案を聞いたクラウディアさんは腕を組み、目を閉じて考え込むポーズをとる。

「でもよ、まだ決まったわけじゃなくねぇか? ちょっと聞いた言葉だけなんだろ?」

 確かにそうだな。まだ完全にそうだと決まったわけではないし、事情を話すのは流石に早いか。

(そうだね。まだ話すのはちょっとね。それに、リアンナさんがどんな人なのかもよくわからないし)

「だよな~。アイツの発言が信用できるかどうかわかんねぇよな」

「まずは話すなりなんなりして、人となりを知らないといけませんかね」

(そうだね、その方が……)

「やっぱり、僕が行って、どんな人なのか見てきますよ。戦争反対派なのかどうかも、それとなく聞いてみます」

 僕がそう言うと、クラウディアさんの表情が露骨に心配そうなものになった。当然の反応だろう。

「……頼りない僕ですけど、一応今は『勇者』としてここにいますから。それくらいします。いや、させてください」

「え、あっ!? いや、そんな、違うよ、別に翼を頼りないって思ってるわけじゃないから! 単純に私が翼を……!」

 クラウディアさんは慌てた様子でぶんぶんと首を振っている。最後何か言いかけたが、ハッとした様子で口に手を当てたので聞けなかった。顔がちょっとだけ赤くなっているように見えたのは気のせいだろうか。

「…………まあそこまで言うんなら、翼に任せてもいいんじゃねぇか?」

 ビルスは羽を広げてふわりと空を飛び、僕の肩の上に留まる。

「安心しろ、クラウディア。オイラも付いていくからよ。後輩の面倒はキチッと見てやるさ」

 リアンナの前だからあんま喋れねーけどよ! と付け足して、ビルスは笑いながら言った。

(…………ビルスがそう言うなら、お願いしようかな)

 クラウディアさんの顔から心配の色が薄れた。僕はぺこりとお辞儀し、ビルスにも礼を言う。

(だけど絶対無理しないでね。危なくなったらすぐに逃げて。私に連絡してきても良いから)

「わかりました。ありがとうございます」

 頷き、再度お辞儀する。ついに掴めた、名誉挽回のチャンスだ。固めた拳が小さく震えた。

(だけど行くなら、身を守る方法があった方がいいよね)

「そうですね……」

 モンスターのいる場所に行くのだ。万が一のことを考えれば、護身用の武器くらいは持っていきたい。でもそんな都合の良い武器なんてあるだろうか。

(それならあのとっておきを出すよ。翼、クローゼット開けてくれる?)

「クローゼットですか?」

 言われた通りにクローゼットを開けに行く。服がハンガーにかけられ並んでおり、下にはスペアの剣が置かれている。

「もしかしてこの剣ですか?」

(違う違う。剣は扱いが難しいからね。その近くに、赤い袋ないかな?)

「赤い袋ですか……? これかな?」

 それらしき色の袋を手に取り、開けてみる。中には茶色いボールに紐がついたものがいくつも入っていた。

(それね、小型の手榴弾なの! 本物じゃなくて擬似的なものだけど。私の手作りなんだよ)

「えっ、手榴弾!?」

 袋を落としそうになり、慌てて両手で持ち替えた。そんな危ないものがこんなところに、しかも手作りって! 作れたのかそんなもの。

(モンスターにもちゃんと効くから、それ。だから護身用に持っていって。紐を思いっきり引っ張ったら、十秒くらいで爆発するから)

「は、はい……」

 ちょっと怖いが、確かに投げて使うこれは剣よりも使いやすいだろう。丸腰よりずっと安心だ。

(……あ、そうそう! もう少ししたら夕方になるから、ぼちぼち私もそっちに帰るね)

 もうそんな時間か。時が経つのはあっという間だな。

「了解です。今度はダリアさんのところですよね」

(そうだね、私と入れ替わりで行ってもらうことになるね。だからそれまでに服とか元のに着替えて、用意しておいてもらえるかな?)

「わかりました」

(今日はありがとう、翼。じゃあまた後で)

 クラウディアさんの声が聞こえなくなった。僕の影武者生活一日目、その前半がそろそろ終わろうとしている。

 ただ、どちらかというと本番はこれから、いや明日からだ。赤い袋を握り締める。勇者としてリアンナさんと話をして、彼女がどんな人なのか、そして戦争に対する意見を確認しつつ、今日襲撃してきたモンスターの親玉を倒しに行く。大事な話とやらも聞かなくては。

 かなりの大仕事だけれど、勇者として必ず果たさなければ。それに、

 ——あたしの強さを見せてあげるわ。クラウス様だって興味あるでしょう?

 ふっと思い出したリアンナさんの言葉。あの時は窓から、遠くから見ているだけだったけれど、今度は間近で見られるのか。そう思うと、ちょっと胸がドキドキした。

 けれどその前に、まだ今日は終わっていない。夜、すなわち『魔王』の影武者としての仕事がこれから始まろうとしている。

 夜なので基本的に寝るだけ、とダリアさんは言っていたが、不測の事態が起きないとは限らない。実際こっちでは起きてしまったし、警戒するに越したことはないだろう。

 でも向こうは王様だから、何かあっても基本的に部下とか、そういう立場の者が守ってくれるよな。頼れる侍女さんがいるって言ってたし。そういう面に関してはこっちより安心かもしれない。そんなことを考えながら、一つ伸びをする。元の服へと着替える間、僕は窓の外を見る。少しずつ落ちていく太陽と、青に茜色を混ぜた空、遠くでカラスのような鳥の鳴き声が聞こえた。

 こうして、僕の勇者生活一日目は終わったのだった。

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