11
頭の一つが猛スピードで突っ込んできて、あたしの体は吹き飛ばされて勢いよく大木に叩きつけられた。
衝撃と、骨が軋む音。口から涎に混じって血が吐き出される。荒い呼吸。全身を鈍い痛みに支配され、意識は飛ぶ寸前だ。額の傷からは血がだらだらと流れていき、顔半分が赤く染まっている。ケープは土埃に塗れてボロボロ、ワンピースは泥水を吸い重くなり、レースは剥がれて至るところが破けている。手足はどこもかしこも擦り傷だらけで、節々が痛かった。
ぼやけていく視界の中で映るのは巨大なモンスター。あたしの全身を覆うように影を落とすそれは、八つの頭を持つ蛇。頭の分かれ目の部分にある大きな目玉がぎょろぎょろと動いている。
特徴から見るに、近年稀に見る被害を出したという噂のモンスター、大きさから見るにその親個体だろう。子どもはまだ産んでないって話だったのに、全然違うじゃない。
モンスターは至る所が傷つき、動きも鈍くなってはいるが、倒れる様子はない。対してあたしの魔力は限界寸前で、気力も体力もほとんど残っていない。
口の中に広がる鉄の味を噛み締めながら、迫り来る死を前にあたしは昔のことを思い出す。こんな時でも頭に浮かぶのは、あの人の顔だった。
グレンダ・ヴァーンスタイン。
かつて魔人戦争にて、勇者アルベルトの相棒として彼を補佐した。この星条界で誰もが知っている、最強の大魔女と謳われる存在。そして、
——あたしこと、リアンナ・ヴァーンスタインの祖母だ。
祖母とは言っても、写真でしか顔を見たことはない。あたしが生まれるより先に死んでしまった。母もあたしが小さい頃に死んでいる。つまり、グレンダの血を継いでいるのはもうこのあたししかいないというわけだ。
生まれついての高い魔力、その回復スピードの早さ。魔法陣の起動速度、正確性。魔法の才能はあたしがまだ子どもだった時から目覚ましく、他を圧倒していた。
そんなあたしを見て、周りのみんなは口を揃えてこう言った。
——さすが、グレンダ様の孫娘。これからたくさん魔法を勉強して、強い魔法使いになるんですよ。
リアンナの名前を出すものはほとんどいなかった。出したとしてもグレンダの方が先だった。
子どもの頃のあたしは不思議だった。どうして祖母の名前が出てくるのか。才能があるのはあたしのはずなのに、周りの人たちが見ているのはあたしであってあたしでない、違う誰かのようで。
何でそうなるのか理解できないまま、大きくなって魔法学校に入った。周囲から言われたよう懸命に努力し、日々のあらゆる時間を魔法の研鑽にあてていたあたしは、初めてのテストで学年で一番の成績を取ることができた。全教科満点の、これ以上ない最高の成績だ。
あたしは凄く嬉しくて、たまらなかった。これでみんなにあたしを褒めてもらえると、そう思っていた。
けれど、あたしの成績を見た先生方やクラスメイトは口々にこう言った。
——さすが、グレンダ様の孫娘!
——グレンダ様の孫娘だもんな。満点も当然だよ。
あたしの努力の成果は、当然だとあっさり切り捨てられた。
おまけにあたしに対して投げかけられるのは、祖母の名前ばかり。あたしの名前は全然出てこない。
たくさん魔法を勉強しろと、努力しろと言っておいて。その成果が出たとしても、誰もあたしを見ていないのだ。学年一位の称号は、あたしのもののはずなのに、あたしのものではないようだった。
その時、やっと気がついた。
あたしは祖母の、グレンダの代わりなんだ。みんなから求められているのはリアンナではなく、グレンダなんだ。
だからみんな、あたしに祖母の名前を言い続けてたんだ。だから勉強しろって、努力しろって言ってたんだ。早くグレンダになれって、そう言ってたんだ。
グレンダ、グレンダ、グレンダ。違う! 違う! 違う! あたしはリアンナだ! リアンナ・ヴァーンスタインだ! 涙が出た。気が狂いそうだった。この世の全てを憎んだ。周囲の人間たちも、死んでいるくせにあたしを縛り続ける祖母のことも、みんなみんな大っ嫌いになった。
むしゃくしゃして、夜中家を出て飛行魔法で飛び回った。ここじゃないどこかに行きたかった。この世界から消えてしまいたかった。だけど無理で。怒りと悲しみに震えながら、どこかの森の、川のほとりで体を縮こまらせて泣いていた。
そうしていたら、変な声が聞こえて。見たら、いつのまにか周りをモンスターに囲まれていた。魔法学校でもモンスターとの実戦はまだやったことがなかったし、貴族の居住区は守護兵団の兵士が常駐しているので、生でその姿を見たことがなかった。だから驚いたし、涙も引っ込んだ。
あたしを見て変な鳴き声を上げていて、猿みたいな顔を歪ませて笑っていて。その様にイラついて——炎魔法を起動した。一匹も逃さず焼き尽くした後は、怒りも悲しみも少しだけまぎれていた。
それからは時々貴族の居住区から出て、モンスターを退治するようになった。平民のいる場所になんて行くな、貴族令嬢の自覚を持てと父親はうるさかったけど、やめなかった。
そんなことを繰り返していたら、いつしか噂が広がったのか、勲章を貰うことになった。たくさんのモンスターを倒したから、ということらしい。
——勲章の裏には、あたしの名前が書いてあった。
リアンナ・ヴァーンスタインと。グレンダではない、紛れもなくその名前が書かれていた。間違いなく、あたしに与えられたものなのだと、強く実感できた。
——それがとてつもなく、嬉しかった。
それからはもっと、もっとモンスターを倒すようになった。とにかく勲章を集めるようになった。貰った勲章はどれもこれもみんな身につけていたかった。だんだんヴァーンスタインの名前が入っているのも嫌になって、勲章に刻むのはリアンナだけにしてもらった。魔法学校の支給品のケープは、いつのまにかどこもかしこも金色にキラキラ光っていた。
勲章だけじゃない。モンスターを倒していると、民に感謝されることもあった。モンスターに自分の畑や牧場を潰された人だったり、家族を傷つけられたり。そんな人たちが私に直接礼を言ってくることがあった。派手な攻撃魔法を使ってモンスターを倒すのを見て、喝采を挙げる人々もいた。
貴族は平民を見下し、嫌っている人すらいる。けれどあたしにとっては、すぐにグレンダの名前を出すのではなく、あたしの力を認めて、褒めてくれて。あたしにきちんと礼を言ってくれる平民の方が、貴族よりよっぽど好感が持てた。
それからは更に努力した。どんなモンスターでも倒せるようになるために、毎日毎日たくさん魔法を練習した。貴族の居住区にいる時間より、平民の村や街の付近に出てモンスター狩りをしている時間の方が長くなった。
そして十三歳になって——今までの功績が認められ、『黄金魔導師』の称号と勲章を貰うこととなった。これまで貰ってきた勲章の集大成。全ての魔法使いの頂点を示す、誰も未だ貰ったことのない称号。あたしだけの称号、あたしを一番の魔法使いと認めてくれた! その日は人生で一番幸福だった。嬉しくてお祝いのケーキをたくさん食べたし、甘いジュースもたくさん飲んだ。テンションが上がって、踊ったりもした。毎日毎日魔法の勉強ばかりしていたあたしが、こんな風に過ごすなんて、人生で初めてだった。
新聞にも載ったからか、やがてあたしのことを黄金魔導師と呼ぶ人も増えた。平民だけじゃなく、貴族の中でもそう呼ぶ人が出てきて、あたしは更に上機嫌になった。
もっと、もっと強くなりたいと思った。だから毎日の魔法の練習時間を更に増やして、座学だってもっと頑張った。昨日だってこっそり部屋を抜け出して魔法の練習をしていた。いつもより長めに練習して、気づいたら明け方になっていた。部屋に戻ってベッドに横になっていたけど、中々寝つけなくて。そのうち朝になった。守護兵団も活動を始めたのか、廊下を歩いていく兵士たちの声も聞こえてきた。
誰かが、こんな話をしていた。
——あの『黄金魔導師』って称号、元々は大魔女グレンダに与えるために作られたものらしいぜ。
ベッドから跳ね起きた。呼吸は止まり、目は限界まで開いていた。
——だけどグレンダが自分にはもったいないって断ったんだとさ。
世界から色が消えて、目の前が真っ暗になった。クローゼットに走り、ハンガーにかけたケープを取って、勲章という勲章を引き剥がして床にばら撒いた。黄金魔導師の勲章は地面に思いっきり叩きつけた後、何度も踏んづけた。
——これは、あたしの称号じゃない。あたしは一番の魔法使いじゃなかったんだ。この世界の一番は、どうあってもグレンダなんだ。
そう思った瞬間、叫んでいた。もう何もかもが嫌になって、いつかの深夜のようにどこかへ飛んで行った。雨に濡れても関係なかった。どうでもよかった。全部、全部消えてしまえばいいと思いながら、行く当てもなく飛び続けていた。
——その時、見てしまった。
山の頂上で蠢く巨大な影を。八つの頭を。木々を倒しながら進んでいく様を。その進行の先に、マルシャンがあることに気づいた時——反射的に魔法陣から飛び降りた。
杖がないことには気づいていた。けれど魔法陣を描く指は止まらなかった。紫の魔法陣を、防衛魔法を大量に起動させ、モンスターの周囲を囲った。魔法陣に邪魔され進行を止められたモンスターは怒ったようで、複数の頭を一斉にこちらへ向けた。幾多の蛇頭についた目はどれも血走り、殺意が滲んでいた。
そうして交戦し、今に至る。
杖のない状態でも魔法の起動はできる。だけどコントロールは上手くいかず、効果は通常の半分以下に落ちていた。それをカバーするため更に多くの魔法を展開している。足止めの防衛魔法も常時展開し続け、壊される度に新たな魔法陣を出していた。魔力量とその回復スピードには自信があるけれど、ここまで大量かつ長い時間魔法を展開し続けるのは流石にキツい。明け方まで魔法の練習をしていたので尚更だった。
展開していた炎魔法も効果が切れ、魔法陣と共に続々と消えていく。ぎょろぎょろと動く大きな目玉がついにあたしを捉えたのを見て、感じる。
——ああ、ここで終わるんだな。
あたしは最期まで、誰にとっての一番にもなれないまま、十三年の生を終える。
けれどまあ、ちょうどよかったかもしれない。自分がやってきたことの意味はなくなった。勲章もいらなくなった。永遠に死んだ魔女の面影を追われるより、ここで全て終わらせた方がずっと楽だ。
未練はない、けれど。今この時、死の間際に思い出した、つい最近の記憶。
——リアンナさん、と呼ばれた。
ああやって名前を呼ばれたのはいつぶりだろう。しかも初めて喋った男の人になんて。
クラウス様。召喚魔法を使うことができる人。伝説の勇者、その二代目と呼ばれる人。
——あたしと、似た立場にいる人。
あたしの名前知らないし、仮面付けて出かけようとするし、派手な攻撃魔法よりも防御魔法に注目するような、変わった人だった。
でもクラウス様と、ペットの子と一緒に過ごした時間は。久しぶりに、
——ちょっとだけ、楽しかったな。
蛇頭の一つがあたしを目がけて突っ込んでくる。口を大きく開けて、細い舌を伸ばして、奇声を上げながら、眼前へ迫り来る。
全てを諦めたあたしは、目を閉じてその瞬間を待つ——はずだった。
「リアンナさああああああん!!!!!」
吹き荒ぶ風。激しくなる雨音。耳をつんざく絶叫は、あたしの名前を呼んでいた。
閉じかけた目が開いていく。ぼやけた視界がクリアになっていく。上から何かが降ってくる。
大きな翼を生やした、見たことのない生物。その上に乗る金髪の男性は、手にあたしの杖を持ち、天に向かって掲げている。
——灰色の空を切り裂いて、クラウス様がやってきた。
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