12

 堕ちる。堕ちる。堕ちていく。炎が消え、すっかり見晴らしのよくなった地面が迫ってくる。タイミングを見計らい、俺はビルスの背から飛び降りた。ぬかるんだ地面に勢いよく着地し、前を見据える。

 大木に寄りかかり、目を大きく見開いたリアンナさんがいた。額から血が出ていて、手足は傷だらけで。服はボロボロで、破けている。

「リアンナさん!」

 そこらにできた水たまりを踏みながら、急いで駆け寄る。バシャバシャと泥水が跳ね、靴に入って染み込んでいく。

「大丈夫ですか!?」

「………………別に、平気よ」

 リアンナさんは俺と目を合わせない。唇の端から血が流れていた。

「立てますか? 捕まってください」

「……いい。自分で立てるわ」

 差し出した手を取ることなく、彼女は大木に手をついて立ち上がった。服に付いた泥や土を払っている。

「どうして来たのよ、こんなところまで」

「これを届けに来たんですよ」

 手に握った杖を差し出すと、リアンナさんは眉間に皺を寄せた。

「……なんで、貴方がそんなこと」

「リアンナさんが心配だったので」

 リアンナさんの眉間の皺が更に深くなった。どうしたのだろう?

(うわーーーっ!!! 何だコイツ!)

 ビルスの悲鳴にばっと空を見上げる。リアンナさんの方にばかり気を取られていた俺は、やっとそこで正面からモンスターの姿を見た。

 八つの頭を持つ、巨大な蛇。

 その大きさは遠くからでも見えるだけあって、真の姿となったビルスを更に上回っている。頭の分かれ目の部分には蜘蛛の親玉と同じような目玉が付いており、ぎょろぎょろと動いていた。

 ヤマタノオロチが神話から飛び出してきたような出立ち。見る者全てを圧倒させ、震え上がらせるそれを前にして、俺は息を呑む。大きく開いた目は蠢く幾多の蛇頭と同時に、空中で襲われているビルスの様子も映し出す。

「ビルス!」

 反射的に声が出た。蛇頭の突進や食いつきを紙一重で回避し続けるビルス。地上に降りたいようだが、オロチがそれを許さない。リアンナさんとの戦いに割り込んできたのが気に食わないのか、八つの頭についた目はどれも血走っている。時折甲高い咆哮を上げており、怒り狂っているのが見てとれた。

「貸して」

 リアンナさんは俺の手から杖を取り、構える。

「あれ、クラウス様が呼び出したの?」

「えっ、あ、はい!」

 透明化魔法が切れていたのか。リアンナさんはビルスが飛び回る姿をじっと見つめ、杖を振る。

「飛行魔法、起動」

 水色の魔法陣が地面に浮かび上がる。リアンナさんの体が宙に浮いた。

「もう手出しは無用よ。あたしが……うっ!」

「危ない!」

 リアンナさんが魔法陣に乗ったままバランスを崩した。倒れ込む寸前に手を伸ばし、彼女の体を支える。

「怪我してるんじゃないですか。無理しないでください」

「余計なお世話……ごほっ!」

 血の混じった咳をするリアンナさんを見て、俺は魔法陣に足を掛ける。

「肩、貸します。俺も一緒に行かせてください」

 リアンナさんは険しい顔をしていたが、上空をちらりと見やった後に、

「……勝手にすれば」

 顔を背けて言った。俺は魔法陣に乗り込み、屈んで彼女に肩を貸す。

「行くわよ!」

 リアンナさんは空を睨みつけ、杖を大きく振る。魔法陣が急上昇し、一気にオロチとの距離が縮まった。一層強くなった雨が体を打ち付け、冷たい風が肌を刺す。

 上空に突如現れた魔法陣に気づいたのか、ビルスを襲っていた蛇頭のうち一つがこちらにやってきた。口を大きく開き、細長い舌と白い歯を見せつけて迫ってくる。

「炎魔法、起動——失せなさい!」

 赤い魔法陣が展開され、中央部分から火柱が立ち上がる。赤い炎は一直線に開いた口の中へ入っていき、口内を焼かれた蛇頭は奇声を上げて地面に沈んでいく。

「おお……!」

 感嘆の声が漏れ出る。流石はリアンナさんだ。彼女はビルスの方へ向き直り、更に魔法陣を展開させる。三つの赤い魔法陣から飛び出した火柱が、杖の誘導に従って蛇頭を次々と撃ち落としていく。

(スゲェ! 蛇が一気に半分まで減ったぞ!)

「凄いな……!」

 目の前の光景に、俺もビルスも興奮を抑え切れない。だけどリアンナさんは、

「いいや、これじゃ倒せない」

 唇を噛んで首を振る。俺は目を瞬かせ、地面に倒れたままの蛇頭を見つめる。

「今はやられてるけど……そのうち復活する。ずっとそうだった」

「ええっ!?」

 復活って、そんなまさか! これだけ大きい上に自己回復能力まであるなんて。どう倒せばいいっていうんだ。

「……多分、あの蛇頭を攻撃してもそこまで痛くないのよ。もっと致命的なダメージを与えられる場所を攻撃しないといけない」

「蛇頭じゃないどこかに、急所があるってことですか?」

 視線を落とせば、頭の分かれ目についている大きな目玉が見えた。

「あの目玉はだめよ。やってみたけど、蛇頭と同じだった」

 俺の思考を読んだのか、リアンナさんが首を振る。

「そんな……!」

 蛇頭もだめ、目玉もだめ。それならどこを攻撃したらいいんだ。巨体を眺めるもその二つ以外に特徴的な部位などなく、硬そうな鱗のある背中と蛇の腹があるくらいだ。

「全身隈なく焼き尽くしたり、風で巻き上げたりしたけど……しばらくしたら回復してたわ」

「なっ! そこまでしてもですか!?」

「回復にも限界はあるようだけど、そこまで魔力が……」

 リアンナさんが口を噤む。その先は言いたくないという表情だ。俺はハッと気づいて、上空を見上げる。綻んで穴だらけにはなっていたが、今も紫の魔法陣は山頂を取り囲み、オロチが外に出て行けないようになっていた。

 リアンナさんは、ずっとこの大量の魔法陣を維持し続けていたのか。色からして防衛魔法であるそれが、何を守ろうとして起動されたものなのかは想像に容易い。

 こんなことをし続けていては、リアンナさんの魔力がいつ切れてもおかしくない。今だって限界寸前かもしれないのに、俺とビルスを守るために魔法を使ってくれたんだ。

 地面の蛇頭四つは、まだ起きてはいない。蛇頭の半分が機能していないうちに、急所を突いて何とか倒したい。けれどそれらしきものは見当たらない!

 ああもう、どうしろってんだ——やけくそになった時、頭の中でいつかの記憶が再生された。影武者生活一日目、初めて来たクラウディアさんの部屋で、ビルスからオロチによって牧場が被害を受けた話を聞いた時のこと。

 ——牛が大量に死体で見つかったらしいぞ。鋭い牙で全身を引き裂かれたみたいだ。

 空を見上げる。未だ残る蛇頭はビルスに襲いかかっている。ここから見えるほどに大きく開かれた口には歯こそあったが、小さくまばらに生えたものだ。とてもじゃないが、鋭い牙と言えるようなものではない。

 ——もしや、どこか別な場所に口があるんじゃ?

 巨体に視線を落とす。口らしきものは一切見えない。けれど見えないということは、普段は隠しているという可能性がある。つまり、

 ——普段見えないようにしている場所こそが、急所なんじゃないか?

 牛を引き裂けるくらいには大きく、鋭い牙のある口。それがありそうなところは。そして、それを露出させるには——

「………………リアンナさん」

「何よ」

「お願いします。あの蛇の背中と、お腹のところに飛んでもらえませんか。なるべく近くまで寄って」

「はあ?」

 リアンナさんは何を言い出すのかといった顔を向けたが、俺の目を見て黙り込む。

「そのどちらかに、急所があるかもしれないんです。危険かもしれませんけど……どうか、お願いします」

 その場で頭を下げる。リアンナさんは何も言わない。少しの間を置いて、大きく息を吐くと、

「…………わかったわよ。行けばいいんでしょ!」

 杖を振り上げると共に、魔法陣はオロチの背中へ向かって飛んでいく。脳内でビルスの声が響いた。

(おい、ツバサ! もしかして、口を探そうとしてんのか!?)

「そうだよ! ビルスが言ってたこと思い出したんだ!」

(ああ、オイラも思い出した! 蛇頭には鋭い牙なんてない! 本物の口は別にある!)

(うん、俺もそう思って! だから今リアンナさんに飛んでもらってるんだけど……!)

 俺たちが背中側に移動したのに気づいたのか、蛇頭が警戒している。そのうち一つがこっちに突っ込んできたのを、急旋回で避けた。突撃が空を切った蛇頭はこちらを威嚇する。

「これじゃちょっと、中々探せなくて……! 背中と、お腹の方を見に行きたいのに!」

 いつのまに関心が移ったのか、蛇頭はビルスを襲うのをやめてみなこちらへ向かってきていた。うねうねと動きながら、赤い目をギラつかせている。明らかに獲物を見定める目だ。

 まずい、これじゃあ近寄れない。どうすれば——と思ったその時、辺りを強い風が吹き抜けていった。空から吹いてくるそれは、ビルスが両翼をはためかせて引き起こした風だ。

(蛇頭はオイラが止める! オマエは早く、本当の口を見つけろ!)

 ビルスは飛ぶ。猛スピードで飛ぶ。吹き付ける雨風などものともせずに、両翼を広げて空を駆け回っていく。その速さに引きつけられ、蛇頭は揃ってビルスの元へ向かった。

「凄い速さ! そんなスピード出せたの!?」

(魔法で飛ぶ速度を上げてる! 攻撃はできねーけど、避けるだけなら何とかなる!)

「凄いね! 流石ビルス!」

(当たり前だろ! オマエの先輩だぞ!)

「はははっ! そうだったね!」

(ただしオイラもそろそろ限界だ! 頼む、ここで決めてくれ!)

「わかった!」

 横のリアンナさんを見ると、目が合った。けれどすぐに逸らされた。彼女は杖を振って魔法陣を動かす。びっしりと鱗のついたオロチの背中を上から下まで移動し、手を伸ばせば届きそうなギリギリの距離まで近づいて調べていく。

 ここにはない。ならば次は、腹の方だ。

「リアンナさん、お腹の方に回ってください!」

「わかってるわよ!」

 リアンナさんは杖を回転させ、魔法陣を旋回させる。次は下から上にかけて腹を調べようとした瞬間のこと。

(まずい! そっちに蛇頭が一つ行ったぞ!)

 ビルスの焦り声。はっとして見上げれば、上空から蛇頭が一つ、大口を開けてこちらに突撃していた。甲高い雄叫びを上げながら迫り来るそれがスローモーションで見える。

 リアンナさんが杖を構えるよりも、俺がウエストポーチに手を突っ込む方が早かった。彼女の手は小刻みに震えていて、限界に近いのがよくわかる。ここで彼女の魔法は使わせない。あの強力な魔法は最後の決め手だ。

 だからここは、俺がやる。

 手榴弾を握りしめ、紐を引く。上を向き、目は大きく見開いたまま。力を込めて、思いっきり。迫る蛇頭の口を目がけて——投げた。

「~~~~~~っ!」

 声にならない悲鳴をあげて。けれど目は決して閉じることはなく。放った手榴弾は一直線に飛んでいき、蛇頭の大口に吸い込まれる。一秒、二秒、三秒。蛇頭が俺たちを喰らわんと更に大きく口を開けた瞬間——蛇頭が爆ぜた。

 轟く爆音。青い血飛沫。爆風で蛇頭の肉片が舞い上がり、ボタボタと地上に落ちていく。飛び散った青は雨に濡れて滲んでいった。

 今後こそは当てられた。小さくガッツポーズして、湧き上がる興奮に打ち震える。しかしまだ終わってはいない、むしろ本番はこれからだ。

 リアンナさんの杖の動きに合わせ、魔法陣が動く。腹に広がる横縞を眺めながら、ギリギリまで近寄って上昇していく。巨体に染み付いた泥と雨水の匂いが鼻をついた。

 ない、ない、ここにもない。ここまで近づいても、それは姿を現さない。

 ふっと上を向けば、オロチの頭の分かれ目にある、ぎょろぎょろと動く巨大な目玉と視線が交差した。その黒い瞳が俺を捉え、瞳孔が大きく開かれた瞬間——目玉のすぐ下、模様だと思っていた横縞がぱっくりと割れて、内部が剥き出しになった。

 青く染まった粘膜。唾液でぬらぬらと光る舌。

 そして何より、鋭利に尖った巨大な牙。

 ——間違いない、本物の口だ。ここが急所だ。

 巨大な口からカメレオンのように長く、太い舌が出てきた。唾液を滴らせるそれは、近くに寄ってきた格好の獲物を巻き取らんと高速で迫ってくる。

 この時を待っていた。

 普段から隠すくらい警戒心が強くても、獲物が近くにいるのなら。牙で引き裂き、食い殺さんとして口を開くのなら。

 その一瞬に、攻撃の隙がある。

 ——勝機。

 腰に差した剣に手をかける。勇者が使う剣の代用品、細身だが重いそれを抜く。睨みつけ、渾身の力を込めて。

 迫り来る舌の先端に——真っ直ぐ突き刺した。

 悲鳴とも咆哮とも取れる奇声を発して、オロチは飛び出した舌を内へ戻そうとする。突き刺さった剣ごと俺の体が勢いよく引っ張られ、魔法陣から落ちる寸前。

 隣で、杖が空を切る音が聞こえた。

「炎魔法、起動——」

 赤い魔法陣が展開され、中央部分から火柱が飛び出してくる。炎は長く太い舌を通り道にして、目にも留まらぬ速さで燃え広がっていく。

「焼き尽くせ!」

 リアンナさんの絶叫。大きく開かれた口内に炎が到達し、瞬く間に青い粘膜を燃え盛る赤で染め上げた。

 一際甲高い奇声。地面が震え、空気が割れんばかりのそれに思わず耳を押さえる。鼓膜が破れそうだ。オロチは激しく燃え上がる口内を見せつけながら、全身を苦しげにバタバタと動かしている。ビルスを襲っていた蛇頭も動きを止め、大口を開けて暴れ出す。辺りの木々を踏み倒し、土埃を撒き散らし、泥水を跳ね飛ばして。もがき、もがき、苦しみながら、内側から炎に焼かれていく。ぎょろぎょろと動いていた目玉は充血し、白目を剥いて。空に向かって咆哮しながら——ピタリと動きを止めた。

 えっ、と思ったのも束の間。空を覆う巨体がぐらりと揺れて、こちらへ向かって倒れて来る。巨体の影が迫ってくる。呼吸も瞬きもせず、体も動かない中で、辺りの地面が、目の前が暗く染まっていく。

(ツバサ! 危ねぇ!)

 脳内に響く叫び声。見ればビルスが翼をはためかせ、こちらへ向かっている。ビルスと目の前の光景を交互に見て、気づく。

 ——まずい、このままだと潰される!

(オイラの背中に乗れ! 早く!)

「わかった!」

 魔法陣からビルスの背中に飛び移ろうとした時、はっとしてリアンナさんの方へ向き直る。リアンナさんはぼうっと空を、倒れてくるオロチの巨体を見つめ続けていた。その目は虚で、口は少し開いていた。

「リアンナさん!」

 声を掛けても、彼女は気づいていないようだった。魔法陣の上でふらふらと風に揺られながら立ち続けている。このままじゃ危ない。ならば——

「リアンナさん! 来てください!」

 彼女の腕を掴み、ぐいっと引き寄せる。彼女も気づいたのか、目を丸くして俺を見つめている。青い瞳には光が戻っていて、ほっと息をついた。

「背中に飛び乗って! 逃げましょう!」

「…………っ、わかってるわよ!」

 俺とリアンナさんは同時に魔法陣から飛び降り、ビルスの背中に乗り移る。びしゃ濡れの背中に足が滑りそうになったが、何とか耐えた。

(急ぐぞ! もう倒れる!)

 ビルスは両翼を激しく動かし、影の外側へと向かう。地面スレスレの場所を飛びながら、体を大きく傾けて飛んで行く。風が顔面を直撃するのも、巻き上げられた土埃が口内に入っていくのも気にしていられない。ただリアンナさんが背中から落ちないよう、腕だけはがっしりと掴んだままだった。

(もう少しだ! 抜けるぞ!)

 影の落ちていない地面が見え、ビルスは更にスピードを上げる。リアンナさんの腕を掴む手に力を込めた。

 ぱあっと目の前が明るくなり、体がぐんっと上がる感覚。両翼を上下させるバサバサという音と共に、高度が上昇していく。灰色の空へ向かい、飛び上がっていく。

 枝葉の折れる音。木々の倒れる音。地鳴りのような音。一瞬の静寂の後に、轟音が響き渡る。

 振り返って地上に目を向ければ、オロチの巨体が山を裂くように倒れていた。急所の口を貫通して背中にまで火が広がり、全身が燃え盛っている。八つの蛇頭も泥と雨水に塗れ、ピクリとも動く様子はない。全てが焼き尽くされるのは時間の問題だろう。

 その様を見て、思った。

 ——ああ、勝ったんだ。

 やっと実感できたその事実に、胸に灯した火が大きく燃え上がるのを感じた。興奮と喜び、高揚感。全身の震えが止まらず、心臓は爆音を掻き鳴らし、顔は自分でもわかるほどに熱かった。

 激しかった雨はすっかり弱くなり、涼しげな風が頬を撫でていく。俺は目下の光景を見つめながら、いつまでもガッツポーズをしていた。

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