エピローグ

 雨がすっかり止み、山に静寂が戻った頃。

 地面に着地したビルスの背中から降りる。地面は少しぬかるんでいて、そこらには水溜まりがたくさんできていた。

「お疲れ様、ビルス」

(も~限界だ……一生分の魔法使った気がするぞ……)

 ビルスに労いの言葉をかけると、地面にぺしゃりと頭を付け、両翼を縮こまらせた。口から舌がはみ出ている。ぐったりしているのがわかって、ちょっと笑ってしまった。大きい姿になっても動作はあんまり変わらないんだな。

「ありがとう。ビルスのおかけで助かったよ」

(いいんだぜ。オマエだって凄かったぞ、ツバサ!)

「いやいや、俺は大したことしてないよ。それよりずっと……」

 振り向きながら言いかけて、止まる。リアンナさんがふらつきながら歩いていたのだ。

(リアンナ、大丈夫か? 何かふらふらしてんな)

「そうだね、ちょっと……」

 さっきぼうっとしていた時からずっとあんな感じだ。気になるな、と言おうとしたその瞬間、リアンナさんが膝から崩れ落ちて、地面に座り込んだ。それを見た俺は急いで駆け寄り、

「リアンナさん! 大丈夫ですか!?」

 手を差し伸べる。けれどその手は軽く叩かれ、払われた。

「やめて!」

 リアンナさんは俺を強く睨みつけ、大声で言う。俺は目を丸くして、ゆっくりと手を引っ込めた。

「バカにしてんでしょ、わかってんのよ」

「え?」

「自分のこと強いって言ってたのに、こんなボロボロになって、負けそうになってたあたしのこと、バカにしてるんでしょ?」

「えっ? え、あの、えっと……」

「いいのよ、クラウス様。あたしのことバカにしなさいよ。クラウス様とあの召喚獣がいなかったら、あたし負けてたもん。一人じゃ勝てなかった。だからそれくらいは許してあげる。ほら、早くバカにしなさいよ」

 俺の返答など関係なく、次々と繰り出されるリアンナさんの言葉。早口で、挑発的なその様子に俺は目を白黒させることしかできなかった。

 バカにするなんて、何でそんなことを? あのオロチを倒したのはリアンナさんじゃないか。俺やビルスも協力はしたけれど、その前からずっと魔法を起動し続けていたのは、戦い続けていたのはリアンナさんだったじゃないか。

「……ああそうだ、あたしの名前。フルネームは知らなかったんでしょ? いいわ、教えてあげるわよ。一度しか言ってやらないから、よーく聞いてなさい」

 びしっと人差し指を俺の顔に突きつけ、言う。肩は小刻みに震え、紡ぐ言葉も震えていた。

「……リアンナ・ヴァーンスタイン。これがあたしの名前よ。だから早く」

 海のような青い瞳が潤んでいく。瞬きした瞬間に涙の粒は零れ落ち、頬を伝っていく。

「好きなだけ、バカにしなさいよぉ……!」

 声を大きく震わせて。ぽろぽろと零れ落ちる涙を顎から滴らせて、けれど突きつけた人差し指と、睨みつける目つきは変わっていなくて。

「……リアンナ・ヴァーンスタイン。そうか、そういう名前だったんですね」

 しゃがみ、目の高さを合わせる。するとびくりと彼女の肩が跳ねて、強く目を瞑ってしまった。赤くなった目元を擦る手は小さく色白で、腕は折れそうなほどに細い。

 けれど、俺は知っている。

 この腕がずっと杖を振るっていたことを。稲妻を、風を、燃え盛る火を。今は消えてしまったけれど、空を覆わんばかりに張り巡らされた、紫の魔法陣があったことを。

 リアンナさんはちょっと乱暴で、勝手なところもあるけれど。それでも、輝かしい圧倒的な力の持ち主で、誰かを守ろうと、どんな敵にでも立ち向かっていく人なのだ。

 そんな人をバカになんてするものか。だけどもし、言うことがあるとするなら。それは心の底から思ったことくらいだろうか。

「俺の知ってる中で、一番強くて勇敢な魔法使いとして——リアンナ・ヴァーンスタインさんを覚えておきます」

 笑顔で、彼女の目を真っ直ぐ見つめながら、言った。瞬間、リアンナさんの目が大きく見開かれる。しばらく固まった後に、俺へ問いかけた。

「…………あたしが、いちばん? 本当に? 本当に?」

「はい、間違いないです」

 力強く肯定すれば、リアンナさんの顔が真っ赤に染まった。こんな表情もするのか、初めて見たな——そう思っていたら、彼女の目から大粒の涙がボロボロと落ちてきた。口は何か言葉を紡ごうとして、はくはくと動いていた。

「ごめ、んなさい」

 やっと絞り出したのは、今にも消え入りそうな声で。

「ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい……! バカにしてるとか言って、ごめんなさぃい……!」

 繰り返される謝罪の言葉と、溢れる涙に俺は焦る。まずい、泣かせてしまった。何かまずいことを言ってしまったのか? 一体何が——

「………………あり、がと」

 紅潮し、濡れた頬。潤んだ瞳。小さな、本当に小さな声でそう言って、口元を綻ばせた。

 その表情には見覚えがあった。あの日、あの喫茶店で見た、あの笑顔だ。

 リアンナさんは目を閉じる。涙が一筋、頬を流れていって——そして、前に倒れ込んだ。

「へっ!?」

 俺は変な声が出た。胸板にリアンナさんの頭が寄りかかっている。柔らかな髪に、あどけない表情。俺はその場に固まり、目を瞬かせる。なぜ? どうしてこうなった!?  

 大丈夫か、急にどうしたのかとリアンナさんに言おうとしたが、すぐにやめた。だって、寝息が聞こえてきたから。しばしの沈黙。暖かな風が吹き付ける中で、すぅー、すぅーという寝息が一定間隔で響き渡る。起きることも、動くこともないまま、俺の胸板に頭を寄りかけて、眠っている。

「………………まあ、いいか」

 きっと、体力の限界だったのだろう。しゃがみ体勢からゆっくりと正座に近い体勢に変えていく。リアンナさんの体をそっと支えて、俺の膝に頭を置いた。男の膝枕なんて、きっと嫌だと思うけれど。泥が跳ねたりして汚くなっている上の服よりはズボンの方がまだマシだし、安定して寝やすい気がしたから。

 膝に心地よい重みを感じながら、辺りを見渡す。山頂は先程までの激闘が嘘のように穏やかだった。小鳥の囀りが聞こえ、呼吸すれば爽やかな空気が体に入ってくる。見上げれば、雨雲を越えて、澄み切った青空に虹がかかっていた。地上には暖かな光が降り注ぎ、マルシャンの街を照らしている。美しい景色だ。自然と口角が上がっていく。

 少し遠くに目を向ければ、聖神の迷宮も見えた。きっと今この時も、勇者と魔王はこの星条界を守るため、あの迷宮を踏破せんと歩み続けているのだろう。

 ——俺を必要としてくれた、憧れの彼女たちのために。

 彼女たちの味方であり、影武者として。相応しくなくても、未熟でも、今度こそ諦めずに。

 ——勇者として、魔王として。

 俺は、この星条界で生きて行く。


 ここからが俺の、影武者生活の始まりだ。

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勇者俺、魔王俺 ぽね太 @ponenosuke_poneta

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