第4話

 風が頬を叩き、一真は目を開けた。

 広がったのは、全く異なる世界だった。

 川の水、土手の砂、草木……、全てがほのかに発光していて、夜だというのに昼間よりも鮮明に視える。

(あれ……? オレ……、どうしたんだっけ……?)

 ほんの一瞬、夢を見たような気がする。

 とてつもなく大事な夢だったような気がするが、何も思い出せない。

 だが、やらなければならないことだけはわかる。

(……まずは、ここを突破しねェとな……)

 握りしめた右手に碧が灯った。

 碧光が一真の輪郭をなぞり、夜の気と解け合っていく。

 軽々と水面まで跳び上がったスニーカーが川面を踏みつけ、一真の周りで碧色の風が渦巻いた。

 自分の霊気の流れも、操り方も、今ならばわかる。いや、知っている――。

「同じ場所に立ったぜ?」

 化け物を目にしたような顔の望と視線がぶつかった。

「そん……な……、霊風れいふうが従うなんて……」

「霊風? この風のことか?」

 冶黒もそんなことを言っていた。

 だが、あの時、吹き抜けただけの風は、今は光を増して一真の周りを守るように留まっている。

「……霊気から生み出される風……、天狗が使う神通力じんつうりきの一つですよ」

 望の足元に赤い波紋が広がった。

(来る……!)

 受け止めた腕に衝撃が走り、足が水面にのめり込む。

 先ほどまでの攻撃よりもずっと重い。だが、防げないわけでもなければ、見えないわけでもない。

「止めましたか……!」

「まあな……! 今の、かなり本気だったろ!?」

「ええ……、もう手加減はいらないみたいですから……!」

 嬉しそうに赤い瞳が笑った。

 望の拳が赤く光り、拳を受け止めているジャケットの袖から焦げた臭いが漂った。

「なっ!? 本物の火!?」

 慌てて水面を蹴った。

 袖は肘くらいまで茶色く焦げ、まだ腕に熱が残っている。

「いくらなんでも、反則だろ、それ! 霊気で燃えるなんて聞いてねェよ!!」

「火属性の霊気は攻撃性を高めると、こうやって火の気を帯びます。覚えておいてくださいね」

 さらりと言い、望も後ろに跳んだ。

「霊風も霊気を紡いだものには変わりありません。霊気を防御に回せば簡単に防げますよ。そんなに霊力が余っているのなら、同時に攻撃もできます。こんな風にね……」

 望を縁取る赤が急激に燃え上がった。

 赤い風が望を中心に渦巻き、風の中で火の粉が赤く輝く。

“風よ! 我が意に従え!!”

 声というには、あまりにも澄んだ音が水面を揺らした。

 赤風が伸ばされた望の掌に凝縮され、真っ赤な光の砲弾を生み出す。

(風が……、丸まった!?)

 二十メートル近く離れているのに、巨大な焚き木が目の前で燃えているように顔が熱い。髪から滴り落ちていた水滴が温くなって、瞬くうちに乾いていく。

“撃て……! 焔玉ほむらだま!!”

 大砲のような音が響いた。

 掌から放たれた真っ赤な風の塊が、一真目掛けて宙を駆けた。

 赤々と燃える炎に暗い川面が照らされ、川底まで透ける。

(あんなもん、どうこうできるもんじゃねェ……!)

 素手で受け止めるのは無理だ。

 だが、周りは水だらけ。立っている場所は深さも十分にある――、潜って身を屈めればかわせるだろう。

 カラン、と心の深い場所で硬いものが転がる音がした。

 別の意識が目覚めたように、「潜る」という選択肢が消えた。

(ダメだ……。こいつは……、逃げていい勝負じゃねェ……)

 一対一の勝負で。を相手に。

 そんな無様な真似、晒せるはずがない――!

 ――受けられねェなら、潰せばいい……

 自分であって自分ではない声が頭に響いた。

 直感で拳にありったけの気合を込めると、拳の周りに碧の風が渦巻いた。

 懐かしい感覚に導かれるままに、渦巻いた碧の風ごと思い切り突き出す。

旋風つむじよ……!”

 音を発したのは自分だったのか、別の誰かだったのか――、わからない。

 生じた碧の竜巻が川の水を巻き上げ、龍のように火の玉に襲いかかった。

 碧と赤が入り交じり――、光が弾けた。

 轟音と共に生まれた熱風と水蒸気が四方に吹き荒れる。

「げ!?」

「なっ!?」

 咄嗟に防御の体勢をとった二人の姿が立ち込める霧の中に消えた。




 防御幕を解除し、望は笑みを浮かべた。

(……覚醒してすぐに、ここまで風を操れるなんて……!)

 視界を覆う霧が望の側へと流れてくる。

 加減したとはいえ、望が放った火球が一真の風に競り負けたということだ。

(やっぱり、彼は……)

 補佐を軽々と倒せる身体能力に、異常に高い霊格。

 そればかりか、誰にも習うことなく霊気を使いこなし、感覚だけで霊風を呼び、従わせる。この数時間で一真が見せたのは隠人の域を大きく超えた「化け物」の姿だ。

 諦めに冷めきっていた心がジワリと熱くなった。

(……僕と同じだ……!)

 生まれて初めて出会った、自分と同じことができる隠人。それは、生まれて初めて「仲間」に会えたということでもある。

(こんなに近くにいたなんて……!!)

 もう孤独に震えなくてもいいのかもしれない。

 この力を負い目に感じなくてもいいのかもしれない。

 少なくとも、一真の前では力を隠さなくてもいいし、同じ世界を見て話すことができるのだ。

(空手の心得があるみたいだし、かなり実戦慣れしてる。霊符の使い方と破邪の法さえ身に着ければ、鎮守役としてもすぐに戦えそうだな……)

 弾む心を押え、周囲に意識を集中させた。

 冷えた水蒸気が濃霧になって立ち込めて視界は最悪だ。

 霧には火と木の霊気が入り交じり、一真の霊気を探ることもできない。

 だが、こちらから一真の姿も霊気も捉えることができないのと同じように、一真にもこちらの正確な位置も状態もわからないだろう。

(ここから、どう出るんだろう……?)

 爆発の衝撃で倒れたということはまずないだろう。

 あの性格ならば、先手必勝とばかりに攻めてくるはずだ。

 ここまでの急成長を見る限り、もう霊気や霊風を自己流で操れると思ったほうがいいだろう。

 直球で来るのか、何らかの技を使ってくるのか――、相手の攻撃を予想できないことがこんなに楽しいのは初めてだ。

 一度も経験はないが、「全力の手合わせ」というのは、こういうものなのかもしれない。

 正面の霧が碧に染まった。

(来た……!)

 霧が晴れ、望が放った炎弾の倍はあるだろう碧の風弾が姿を現した。

(僕の技をそっくり返してくるなんて、やるなあ……!)

 火属性を帯びた自分の砲弾と違い、一真の砲弾は風だけで作られている。風の力が相当強いのだろう。

(正面から風撃かあ。一真君らしい力押しだけど、少し単純だなあ)

 自分よりも霊気の扱いに長けた相手に、正面から霊気での力押しは得策ではない。

 彼らしい正面突破といえなくはないが、よほど力で相手を上回らないと無力化されてしまう。

 一工夫あってもよかった気がするが、こればかりは霊気での戦闘経験の差だ。結界も防御幕も知らない一真に、そこまでを期待するのは厳しいだろう。

(まあいいや。即戦力の鎮守役候補が見つかったし、今夜は凄い収穫だなあ)

 風を集め、正面に向けて放つ。

 もとから、一真が冷静に話せるほど落ち着いたら、勝敗に関わらずに用件を聞いてやるつもりだった。

 彰二を負かしたというから、説得も兼ねて一真の実力も測れれば一石二鳥だろうと、提案した勝負だった。

 誤算だったのは、「軽い実力テスト」が「本気の実力審査」になるほど一真が強すぎた。

(手ごたえが……?)

 放った赤い風弾が碧をあっさりと散らした。大量の水を含んでいたのか、新たな蒸気が視界をさらに悪くするが、一真本人の姿はない。

 左頬を掠めた澄んだ気に息を呑む。

 ――破邪はじゃの匂い!?

 死角になっていた横手の霧が碧に輝いた。

(しまった……!)

 あの風弾が囮だったと気づいた時には、霧から飛び出してきた一真がすぐ傍に迫っていた。

 碧を帯びた左拳が真っ直ぐに伸びる。

 咄嗟に庇おうとした左腕が途中で止まった。

 拳の周りを渦巻く碧風が髪を揺らし、頬を吹き抜けた。

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