第一章 七不思議との邂逅
第1話
微かな物音が聞こえた気がした。
町内でも三本指に入る大きな橋の上といっても、今は車も通っていないし、誰かが歩いているわけでもない。
いつもならば聞き流してしまうところだが、一真は足を止めた。
小さな硬い音がまた鼓膜に届いた。
(……足音か?)
シューズを履いて体育館で飛び跳ねれば、こんな音がするかもしれない。
だけど、体育館の床よりも硬いもののようにも聞こえる。
三度目の音に、欄干の下を覗き込んだ。
足音は橋の下――、五色川のどこかから聞こえた気がした。
(どこだ……?)
真っ黒な夜の川面は橋の上の街灯を反射しているだけだ。
五色川ほど広い川ならば小動物が住んでいてもおかしくないが、あんな重たい音を立てるような生物はさすがにいないだろう。
考えている間にも足音は止むことなく続き、どんどん近づいてくる。
パシャリと水が跳ねる音がした。
金属が硬いものにぶつかったような甲高い音が響き、ぼうっと川が明るくなった。
(……あそこ……、誰かいる……?)
よく視ようと身を乗り出すと、ごつんと鈍い衝撃が額を襲った。
「痛て!? んだよ、こんなとこに……?」
街灯にでもぶつけたのかと顔を上げ、息を呑んだ。目の前にあるものといえば、肩の高さくらいの欄干だけ。額がぶつかるような街灯も壁も、どこにもない。
(ここらへん……、だったよな……?)
そろりそろりと額の高さに手を伸ばした。
もしも今、誰かが通りかかったならば、手を引っ込めていただろう。
だが、先ほどから人っ子一人どころか、車すら通らない。
(あった……!)
指の先に硬質な感触が触れた。
ふと、足音が止んだ。水が跳ねる音も止まり、妙な緊張感だけが伝わった。
――なんか……、ヤベェ……
突如襲った胸騒ぎに突き動かされるように両手を前に突き出した。
まるで、そこに巨大なガラスの板でもあるように、両の掌がべったりと硬いものに触れる。
「の、ヤロ……!」
両掌に渾身の力を込めた。
腕力にはそれなりに自信があるが、不可視の何かはビクともしない。
足を踏ん張り、さらに力を込めて圧した。
どうして、こんなことをしているのか、こんなに必死になっているのか――、自分でもよくわからない。
ただ、どうしても、この向こうにあるものが見たかった。
否、見なければならないと思った。
「く……、開……け……!」
さらに力を込め、意識を両手に集中する。
火が付いたように右手の甲が熱を帯び、両手を巡った。
(なんか……、感触が……?)
手を中心に波紋が生じ、掌に触れる硬い感触がゼリーのように柔らかくなって消えた。
眼下に、夜の川面が広がった。
ただし、誰もいなかったはずの川面に、ぼんやりとした赤い光が出現している。
目を凝らし、その中心に見えるモノに固まった。
(人が……、光ってる……?)
それだけでも十分に異常だが、あろうことか、その人物が立っているのは川面だ。
さらさらと流れている川の上に静止しているのだ。
(もしかして、オレ……、ヤバいのか……?)
空腹のあまり幻覚でも見ているのだろうか?
それとも、まだ寝ぼけているのだろうか?
だけど、先ほどぶつけた額はジンジンと痛んで、自分は確かに起きているのだと告げてくる。
(……
こちらに背を向けているので、顔はわからない。
だが、薄紫のパーカーにジーンズというラフな服装と体型から、同じ年くらいの少年だろう。
赤く発光した少年が夜の川の上に立っているだけでも衝撃的なのに、さらに手には抜き身の刀を持っている。
時々、川の中に切っ先を突き刺しているあたり、何かを探しているのだろうか。
(誰だ……? あそこにいるの……、誰なんだ……?)
懐かしい誰かのような気がする。
全く知らない他人のような気がする。
そのどちらも正しいような気がした。
ふと、少年の背後の川面で黒いものが盛り上がった。
少年は気づいていないらしく、目の前の川に再び刀を突き刺した。
黒い巨大な何かは少年の背後で大人の背丈ほどの高さになり、音もなくアメーバのように広がって――、
「後ろ!!」
夜の川面に声が響いた。
弾かれたように少年が振り向いたと同時に、景色が途切れた。
「え…………?」
何が起きたのかわからずに瞬きを繰り返す眼には、あの少年も、黒い何かも見えない。
「お、おい!? なんでここで終わんだよ!?」
慌てて橋の下を覗き込んでも黒い水面に街灯が映っているだけだ。
額に何の衝撃もなければ、突き出した掌には何も触れず、スカスカと夜の空気を掴むだけ。耳を澄ましても、川が流れる音しか聞こえない。
(ここって降りられたよな!?)
四年前までの記憶を頼りに土手を走り、川原に続く階段を駆け下りた。
刀を持った赤く発光する人間に、謎の黒い物体だ。
いくら喧嘩に自信があるといっても、自分の手に負える相手ではないことくらい、わかる。だが、見てしまったからには放っておくわけにもいかない。
「いねェ……」
川原には誰の姿もなかった。
周りを見回しても、川に目を凝らしても、あの少年も黒い物体もいない。
(確かに……、いたよな……?)
額に触れると、ぶつけた場所がまだ少し痛い。
今は、この痛みだけが、自分が見たものが夢ではない証拠だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます