第2話

 一口頬張るなり、一真は目を見張った。

 程よく効いたスパイスがほんのりと口内に広がり、ホカホカのご飯と絶妙のハーモニーを奏で出す。

「うまい! マジうまいって、これ!」

 向かいから様子を窺っていた光咲と詩織が目を輝かせた。

「ホント!?」

「よかった~~! チキンカレー、大成功だね、光咲お姉ちゃん!」

「うん♪」

 詩織が光咲に料理を習いたいと言い出したのは、三日前だ。

 今日は光咲も母が夜勤で家にいないからと、料理教室のついでに夕食を一緒に食べることになった。

「次は唐揚げに挑戦してみよっか!」

「うん! 光咲お姉ちゃんの唐揚げ、すっごく美味しかったもん!!」

 二人が盛り上がっている間も、一真は忙しく左手のスプーンを動かした。

 バイト一日目。

 予想通り、客は一人も来ない。

 ただ座っているだけだし余裕だと思っていたが、暇すぎるのは意外と疲れる。

「なんだか懐かしいよね~~! 三人でカレー食べるの、昔、四人でカレー作った時以来かも!」

「あー、あった、あった。うちの親と光咲の親が、どっちも急に出かけちまった時だろ? あの時はジイちゃんとバアちゃんも出張してて、オレらだけで夕飯作ったよな~~」

「とりあえず、カレーにしようってなったんだよね!」

 詩織がスプーンを手に笑った。

「一真君ってば玉ねぎ切ってくれてたんだけど、目が痛くなっちゃって、拳骨で玉ねぎ潰しちゃったりとか……」

「う……。そーいう光咲だって、ニンジンの皮剥いてたら削れて皮と実の区別つかなくなってたよな」

「うぐ。まだ覚えてたんだ、一真君」

「詩織と若菜ちゃんでご飯炊いたら、お水加減間違えて、お粥になっちゃったんだよね」

「マヨネーズで混ぜたツナ入ってるわ、ウインナー入ってるわ、弁当用のミートボール乗ってるわで、結構スゴイ物ができたよな……。食ったけど……」

 売っている弁当を買えばよかったと全員がうっすらと後悔したのは、お粥の上にミートボールとウインナーが鎮座する上に、マヨネーズでマイルドに変色したカレーもどきをかけた時だった。

「何かが違うって言いながら食べたよね。今考えたら、あの時もらったご飯代、材料代じゃなくて、お弁当代だよね……」

「たぶんな……。材料はほとんど家にあるの使ったから、スゲエ余ったし……」

「皆で必死に食べたよね! 『証拠隠滅』って!」

「そうそう! 『こんなの、お母さん達に見せられない~~!』って! でも、あんまり味とか覚えてないんだよね……」

「そーいえば、覚えてねェな。コーラで流し込んだのは覚えてんだけどさ……」

「詩織も……」

 三人で一斉に笑った。

 今となっては、あの失敗も良い思い出だった。

「あれから、私、お料理だけは作れるようにならなくちゃ、って思ったっけ……」

「オレも。次の日から目玉焼きの練習始めたっけな。せめて、二日は自炊で生きられるようにしねェとってさ。光咲のとこもだけど、うちの親も急に出張することあるし。ジイちゃんも……」

 今夜のカレーは店で出てきてもおかしくないほど美味しいし、デザートにと家で作ってきてくれたレアチーズケーキも美味しそうだ。

 会わない間に、光咲の料理の腕は格段にレベルアップを遂げている。

「そういえば、伸真おじいさんの出張、今回も急だよね。長野だっけ?」

「ん~~、そう言ってたけど……」

 朝早くに出かけて行った祖父の姿を思い出し、なんとなく落ち着かない気分になった。

 二週間も出かけるというのに、祖父が持っていたのは学校の指定鞄のようなサイズの鞄一つだけ。

 あの後、詩織と二人で準備を手伝った出張用の着替えは、どれだけ上手く畳んで詰めたとしても、スポーツバック二つ分は軽くあったはず。あんな鞄一つに収まるはずがない。

 宿泊先に送った可能性もあるが、昨夜遅くに準備した荷物を送る時間なんてなかったはずだし、業者が取りに来てもいない。

 小さい頃は疑問に思わなかった何気ないことが、ひどく不可解で奇妙な出来事のように映る。

「うちの店さ、そんなに客来ねェのにジイちゃんは忙しそうにしてるしさ……。あんまり考えねェようにしてたけど、ある意味、七不思議だよな……」

「……七不思議って言えば、一真君、知ってる?」

 チーズケーキを分けながら光咲は少し声を潜めた。

「この町の鎮守様の話……」

「あ~~、夜九時過ぎたら子供は外出るなってヤツだろ? よくあるご当地七不思議じゃねェの? 大坂にもいろいろあったぜ?」

 五色橋の出来事が過り、少し気分が沈んだ。

(あの時のこと、何にもわからねェままだよな……)

 あの日。夕食を食べた後にこっそりと川原まで行ったが、やはり誰もいなかった。

 次の日の午前中。信条に行く前にも五色橋に立ち寄ってみたが、昼間の川にも川原にも変わったことはなかった。

 あまりにも非現実的だっただけに、伸真にも結局何も聞けていない。

「それがね、そうでもないらしいよ」

 光咲はやや真面目な顔をした。

「私も最初はよくある七不思議だって思ってたんだけど……。中学生になったら、九時過ぎることって普通にあるでしょ? そしたらね、本当に『蛇』に追い回された人が出てきたの」

「追い回された? どんなふうに?」

 「蛇が人を襲う」といえば、マムシやコブラが牙をむいて追いかけている図くらいしか浮かばない。それはそれで、かなりの恐怖体験だが、たぶん、そういう類のものではないのだろう。

「蛇っていうか、黒い……、何かの生き物? そういうのに追いかけられてね。とにかく逃げ続けたら『鎮守様』が助けてくれるって、中学では有名な話だったかな……」

「黒い生き物……?」

「でも、鎮守様に会った人は、『助けてもらった』っていうことは覚えてるんだけど、鎮守様がどんな姿だったかとかは覚えてないんだって……。でね、私、お父さんに聞いてみたんだけど……」

「おじさんに?」

「お父さん、七不思議とかに詳しいから……」

「マジで? おじさんから怪談とかは聞いたことねェけど……」

「意外でしょ? 私も最近、知ったんだけど……」

「それで、おじさん、何て言ってたんだ?」

 一口食べたチーズケーキからさっぱりとしたレモンの風味が口内に広がったが、話の先が気になって味がよくわからなかった。

「それがね……、『鎮守様は包丁で蛇をぶつ切りにするから、たまに包丁が刃こぼれして使えなくなって、近くの家の包丁を借りられるんだ。鎮守様が困らないように、常に包丁を万全な状態にしておこう』、だって……」

「……思いっきりはぐらかされたな……。つか、絶対、子ども扱いされてるって」

「やっぱり? 私も、ちょっとウソだあって思ったんだけど、お父さん、真面目な顔してたからホントかなあって……」

「包丁で蛇ぶった切るって、どんなワイルドな鎮守様だよ……」

 五色橋で見た少年が手にしていたのは、包丁などという生易しいモノではなかった。

 たぶん、あれは本物の刀。それも模造刀などではなく、真剣だ。剣道の試合会場で披露されていた居合いの演技で見たことがある。

(…………ありえるんじゃねェか……?)

 光咲の父親は肩書のわりには冗談好きな性格だが、案外、真面目に話していたのかも……。

(蛇があの黒いヤツだったら、刃こぼれくらいするよな……。子供に聞かせる話に刀は物騒だから、ユルめに包丁って言ってるんじゃねェか……?)

 あの夜、橋の上で目にした光景を他に見た者がいてもおかしくない。

 いや、四年ぶりに戻ってきたばかりの一真が遭遇したのだ。

 ずっとこの町に住んでいれば、目にする確率は相当高いのではないだろうか?

「そうなんだけど……、葉守神社の神主さんが真面目な顔で一真君のお店に入っていくの、見たことあるの……。おじいさん、いつも包丁研いでるでしょ? 何か関係あるのかなって……、あれ? 詩織ちゃん?」

「? 詩織……?」

 詩織はフォークを手にしたまま、遠くを見るような眼をしていた。

(なんだ……? この感じ……?)

 虚ろな妹の表情に、それまでと別の違和感が生まれた。

 ただの睡魔や疲労とは何かが違う――、そんな気がした。

「……あれ? どうしたの?」

 二人の視線に気づいたのか、詩織は夢から覚めたような顔をした。

「ぼんやりしてたよ? 調子悪いの?」

「ううん、なんでもない!」

「無理すんなよ? こっち着いてから、ずーっと片付けだったしさ……」

「だ、大丈夫! ちょっと眠いだけ!」

 少し慌てた様子で言い、詩織はごまかすようにチーズケーキを頬張った。

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朧守 壱 <双風邂逅> 改訂版 夜坂 視丘 @ninefield

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