第7話

(町内の南西にある橋っていったら……、浅瀬橋あさせばしだよな……)

 町には大きな橋が三つある。大通りにかかる五色橋ごしきばし、葉守神社の目の前の帆屋橋ほやばし、そして、町の外れの浅瀬橋だ。

 記憶を頼りに角を曲がると、大きな川が姿を現した。

 さらさらと流れていく太い川の向こうに、大きな橋がかかっている。二車線の道路と歩道がある、町内で一番大きな橋、浅瀬橋だ。

(誰もいねェが……)

 河原に下りてみても人の姿はない。

 余裕でキャッチボールができるほど広い河原は雑草が芽吹き始めているものの、人が隠れられるような場所はない。

(空気がピリピリしてやがる……)

 剣道や空手の決勝戦の空気を数段強めたような緊迫した気配が立ち込めている。

 鎮守隊が集結していると言っていたから、この付近にいるのだろう。

(先輩は結界の中にいるんだっけか……)

 「結界」と聞いたところで、どういうものなのか見当もつかないが、簡単に見えるものではないはずだ。そうでなければ、町内のあちこちで目撃談が飛び交うだろう。

(ここから、どーしたもんかな……)

 浅瀬川に来れば、鎮守隊の誰かがいると思っていた。一戦交えるつもりで来ただけに、この展開は予想外だ。

(カラスのオッサンは、こんな感じで目ェ閉じてたっけな……)

 何も思いつかないので、冶黒がしていたように目を閉じてみた。

 真っ暗になった視界には何も映らず、ただ川を流れる水の音と橋の上を行き交う車のエンジン音、轟轟ごうごうと唸る風の音だけが耳に届く。

 五秒が経ち、十秒が経ち――、諦めて目を開けた。

(……あの時は……、こーやって……)

 五色橋の時のように宙に手を伸ばしてみるが、スカスカと夜の空気を押しただけだった。

「クソ……、ダメか……」

 焦る気持ちを押さえつけるように大きく息を吐いた。

 こうしている間にも、鎮守隊が詩織を見つけるかもしれない。

 詩織を見つければ、望はまた刀を抜くのだろう。

 あの五色橋にいた少年も加わるのだろうか。彼が補佐だとすれば、他の補佐も刀を使うのだろう。あの霊符とかいう札や刀を手に、妹を追いかけまわすのだろうか。

 詩織に憑いた化け物を退治する為に抜刀や霊符が避けられないのは、さすがに理解している。だからこそ、詩織の兄として、どうしても指揮官の「組長」とやらに確かめておきたい。

 光咲が言っていたように、とり憑かれた隠人は「退治」されてしまうのか?

 それとも、彰二が言ったように、詩織を助けてくれるのか?

 彰二を信じたいが、妹相手に日本刀を振り回したり、炎を放っている姿を見てしまうと、光咲から聞いた話が正しいような気分になってしまう。

冶黒あいつはもうどっか行っちまってるだろーし、どーしたもんかな……」

 ぼやきながら川面を眺めた。

 水が流れる音に交じり、風の音が耳を掠めていく。

「なんか懐かしいな……。よく黄昏時たそがれどきに……」

 何気なく呟いた自らの言葉に眉をひそめた。

(黄昏時……? いつのことだ……?)

 そもそも、「黄昏時」という言葉は知っているが、普通の生活の中で使ったことはない。

 なのに、何年もずっと使っていたかのように言葉が滑り出した。答えを求めるように、河原に視線を巡らせる。

「……いねェ。どこに……?」

 ドクリと鼓動が跳ねた。

(今……、オレは、んだ……?)

 詩織ではない。望や鎮守隊でもない、全く違う誰かの姿を探していた。

 その誰かは、いつも暮れてゆく川をぼんやりと眺めていて、自分はその少し後ろから同じように川を見ていた。

 そろそろ戻ったほうがいいのではないかと、夜のとばりに焦りながら。

 風の音に自分達を探す声が交らないかと、耳を澄ませながら――。

 また鼓動が跳ねた。

 景色がぼんやりと碧に霞み、見つめる先に一人の少年の後ろ姿が浮かぶ。

 袴を改造したような服装をした少年は、「一真」の焦りに気づいたように振り向いた。

「そうだ……、こんな感じの、川だった……」

 ぼんやりと呟き、一歩踏み出した。

 茶色い髪に中性的な顔立ち――、少年は望と酷似しているが、大きく異なるのは髪型と、その瞳の色――。

『いいこと思いついちゃいました』

 望とよく似た声が鼓膜の奥に反響した。

 悪戯を思いついたような笑みに、「一真」も乗り気で頷いて――、

「痛っ!?」

 全身を駆け巡った静電気のような刺激に足を止めた。風邪を引いた時のようにズキズキと頭が痛み、額を抑える。

 次に前を見た時には、少年の姿は消えていた。

「…………行かねェと……」

 引き寄せられるように、彼が立っていた場所に向かって歩き出した。

 スニーカーの下の感触が砂から砂利の凸凹へ変わり、滑らかなものに変わった。

 夢の中を彷徨うようにふらふらと歩き、「一真」は左手を虚空へ伸ばした。

 手を中心に波紋が生じ、開いた掌に硬い感触が触れる。

「ここか……」

 呟き、波紋の中心を両手で掴んだ。

 指が不可視の硬い何かにのめり込み、手の周りが赤く光る。

 赤く染まった波紋が燃え、手首から煙が上がった。肉が焦げる臭いが鼻をつくが、「一真」は構うことなく手に力を込めた。

「開……、け……!」

 両手に碧の光が灯った。

 宙に碧の亀裂が走り、ガラスが割れるような音が響く。

 不意に波紋が消え、思いきり前につんのめった。

「え!? うぅおっ!?」

 あわや顔面から転ぶところを気合で踏み止まる。無事に転倒を回避したのも束の間、一真は眉をひそめた。

「あれ……? 今……、何やってたんだ……?」

 結界を見つけられずに河原を眺めていたところまでは覚えている。だが、その後のことはぼんやりと霞んでいて思い出せない。まるで居眠りでもしていたかのように、記憶が途切れているのだ。

(なんか……、焦げ臭いな……)

 それも、かなり近くから臭ってくる。

 発生源を探し、真っ黒に焦げた自らのジャケットの袖にゾッとする。

「なんで……、こんなことになってんだ……?」

 袖口から炭化した布がパラパラと落ちた。

 不思議なことに、焦げているのは袖口だけで、腕にも手首にも火傷はない。

(……じゃあ、なんで……、こんなに手が痛いんだ……?)

 ひりひりと痛む掌を恐る恐る広げ、言葉を失った。

 両手とも酷い火傷だ。それだけでも思考停止に陥るのに十分だが、掌の周りには青い蛍のような光がチラチラと舞い、光が触れた場所から痛みが引いて、火傷も消えていく。

「え……と、とりあえず、冷やしたほうがいいよな……」

 ちょうどすぐ近くに川がある。浅瀬川の水はわりと澄んでいて、魚が住めるほど綺麗だったはず。手をつけても問題ないだろうと周りを見回し――、一瞬、完全に思考が停止した。

「……なんで……、あんなとこに岸……?」

 河原に立っていたはずだ。

 なのに、その河原は五メートルほど向こうにあって、自分の周りには黒い川が流れている。

(……待ってくれ……。じゃあ、オレは……、今、どこに立ってんだ……?)

 川の真ん中まで歩いてこれるような道などとあっただろうか。

 町を離れていた四年の間に、造られたのだろうか。

 恐々と見た足元では、黒い川が流れていた。

 なのに、スニーカーは水に沈むことなく、川面を踏んでいる。

(……透明の板でもあんのか……?)

 つま先で軽く水面を小突いてみると、つま先だけが沈んで濡れた。

 おそるおそるしゃがみ、両手を突っ込んでみる。手は何の抵抗もなく水中に沈んでいく。 

「す、スゲエ!! 川の上に立ってるじゃねェか! これが結界ってヤツか!?」

「結界は関係ありません。君が自分の霊気を紡いでうつつの制限を断ち切っているんですよ」

「へ?」

 ガクッと足元が抜けた。

 何が起きたのかを理解する前に、しゃがんだ姿勢のまま川に落下する。

 「浅瀬川」と言うわりに、川が深いのを思い出したのは、頭の先まで春の冷たい水に浸かった後だった。

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