第4話

「邪物の回収は進んでおりますかな?」

 薄暗い部屋に若い男の声が響いた。

 声が聞こえた上座の座布団の上には炎が赤く揺れているのみ。声の主の姿はない。

「滞りなく。昨夜も一件、無事に回収いたしました」

 下座に座した、高齢の男が静かに告げた。

 浅城町で最も古くから存在する葉守はもり神社の宮司、城田宗則しろた むねのりは、炎に敬愛の眼差しを向けた。

「これも、ひとえに里長様のお力添えのおかげ。我ら武蔵国現衆むさしこくうつつがしゅう西組一同、今後とも一層務めに励んで参る所存にございます」

「それは頼もしい限り――」

 何かに気づいたように、炎の向こうにいる里長は言葉を切った。

「だが、肝心の主座しゅざ殿はお顔色が優れぬご様子……」

 宗則から数歩下がった位置で控えていた少年が、ぎょっとした顔をした。

「何ぞ、心配事でもおありですかな?」

「い、いえ、何も……」

 自分に発言の機会があるとは思っていなかったのだろう。白い袴姿の少年は慌てた様子で取り繕った。

「遠慮はいりませぬぞ。主座殿には重い任を負わせることとなり、日ごろから心苦しく思うております。何なりと申されよ」

のぞみ、どうなんだ?」

 宗則が振り向き、小声で囁いた。

 里長と祖父の二重の視線に耐えかねたように、少年は口を開いた。

「その……、昨日の戦いで、刀が傷んでしまって……」

 暖かい笑い声が応えた。

「そのようなことでしたか。ならば、これを機に、『誠』の匠に一振り鍛えて頂いてはいかがかな?」

「匠に!? あんな名刀、僕なんかには、まだ……」

「お若いのに、実に謙虚ですのう。そなたほどの使い手ならば、匠も喜んで鍛えてくれましょうぞ? 宗則殿、早々に手配を」

「は」

「あと、主座殿に三日ほどのお暇を出してはいかがかな?」

「え!?」

 衝撃を受けた様子の少年に、炎の向こうから探るような視線が注がれた。

「随分と霊気が弱まっておられますぞ。主座に就かれて以来、昼も夜も刀を振るっておられるのでは無理からぬこと……。とはいえ、主座が手負いのままでは皆の士気も下がってしまいましょうぞ?」

「お心遣い、感謝いたします」

 当の望の言葉を遮るように、宗則が再び頭を垂れた。

「では、万事頼みましたぞ」

 焚き木ほどの大きさだった炎が蝋燭ほどに小さくなって消えた。

 炎が消えた座布団の上には、掌に収まるほどの宝珠が何事もなかったように鎮座していた。




 昼前、軽快なチャイムの音がリビングに流れた。

「光咲お姉ちゃん!?」

 ドアホンのカメラを見るなり、詩織の声が弾んだ。

「裏口開けてくるね!」

 栗色の髪を勢いよく揺らしながら裏口へ向かう妹を見送り、一真は空になった段ボール箱を部屋の隅に追いやった。

(あんなに明るいの、久しぶりだな……)

 昔から、詩織は光咲によく懐いていた。

 夕べも、光咲が今日来ると話したら、本当に嬉しそうで――、

「お邪魔しまーーす!」

 明るい声と共にダイニングのドアが開いた。

「こんにちは、一真君! お手伝いに来たよ!」

「おう、えらく気合入った格好してきたな」

「えへへ、ごみ屋敷っていうから、これくらいしなきゃかなあ、って」

 ジャージ姿の光咲は、少し照れたように笑った。

「それより、お昼ご飯は? もう食べちゃった?」

「これから弁当買いに行くとこ。光咲も食うだろ?」

「よかったあ! 実はね、」

 光咲は手にしていた紙袋をテーブルに置き、中からおせちが入っていそうな重箱を取り出した。

「じゃーーん! お弁当、作ってきちゃいました~~!」

「弁当って、それ全部か!?」

「当たり♪」

 にこにこと光咲は重箱の蓋を開いた。

 一つにはおにぎり、残り二つの箱にはおかずがぎっしりと詰まっている。

「すごーい! こんなにいっぱい、光咲お姉ちゃんが作ったの!?」

「うん♪ 一真君と詩織ちゃんが町に戻ってきたお祝いって、頑張っちゃった!」

 不意に、光咲はくるりと弁当に背を向けて軽く咳き込んだ。

「大丈夫か? 埃ぽいかもしれねェから、窓開けたほうがいいな」

「そ、そういうのじゃなくて……、ちょっと……、風邪気味で……」

 ポケットに手を突っ込み、光咲は白い何かを口に放り込んだ。

 たったそれだけの、何気ない出来事がやけに気になった。

(さっきの……、金平糖だったよな……?)

 四年前までの光咲は、可愛らしくラッピングされたカラフルなキャンデーを好んでいた。一真が覚えている限りでは、彼女が金平糖を食べているところを見たことがない。

「どうかした?」

「あ、いや、なんでもねェ」

 ついまじまじと見てしまっていたことに気づき、慌てて目を逸らした。

 四年前まで食べているところを見たことがなかっただけで、今、金平糖にハマっているのかもしれない。

 金平糖は少し大きめのサイズだが、何かこれといって特徴があったわけではない。

 なのに、違和感が消えない。

「ねえ、光咲おねえちゃん! 若菜ちゃんは!?」

「え? ええっと、若菜は……、合宿に参加しちゃってて……。今月の終わりには帰ってくるんだけど……」

 光咲の妹の若菜は、詩織と同じ年だ。

 内気で人見知りが激しい詩織とは正反対の、勝ち気で社交的な少女だが、詩織とは気が合うらしく、いつも一緒にいた。

「そうなんだあ……」

 しょんぼりしたものの、詩織はすぐに元気に笑った。

「若菜ちゃんが帰ってくるまでに、お部屋、片付けとかなくちゃ!」

「でもさ、何の合宿なんだ? あいつ、小学校は卒業してるし、中学はまだ始まってねェのに……」

「え!? あ、えっとね……、町内会! 町内会から参加できる体験学習の合宿なんだ! 泊まり込みで、いろんなこと体験できるみたい」

「体験学習か……。よくわからねェ必殺技でも増やして帰ってきそうだな……」

「あはは、若菜ならやりそうだよね」

 ごまかすような笑顔だ。

 何かを隠しているのがわかったが、聞いてはいけないような気がした。

 若菜のことだ。姉の口から言いづらいような過激なサバイバル合宿に参加していても、さほど驚かない。

「んじゃ、さっそく飯にしよーぜ! ジイちゃん呼んでくるからさ!」

 ダイニングを出る背に、楽しそうな声が届いた。

「お茶淹れるね! 今朝、お兄ちゃんと一緒に買ってきたんだ~~!」

「あ、手伝うよ、詩織ちゃん」

「光咲お姉ちゃんはお客様なんだから、座ってて!」

「そういうわけにもいかないよ~。じゃ、私はお皿並べるね。こっちの使える?」

「うん! 詩織が洗ったんだよ~!」

 ――変わらねェよな……

 あっという間に戻ってきた四年前の空気に、じわじわと懐かしさが込み上げた。

 

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