5 とにかく急いで (シャーリン)

 集中力を切らしたシャーリンは何度も息をついた。

 変な姿勢を保ち続けるため背中と腰が痛い。時々体を支えられなくなり、そのまま後ろに倒れこんでしまった。

 熱い金属に腕が焼かれ、あまりの痛みに声を上げそうになる。それでも、早くここから逃げなければとの思いから、激痛をひたすらこらえて作業を続けた。


 単調な手仕事の連続にいいかげん嫌気が差してきたところで、ようやく板状に延ばした先端が鋭くなった。体を起こして振り返り、作品のできばえを眺める。

 まあまあうまくいったが、床がえぐられてぼこぼこになっているのが目に入った。

 この鈍った即席ナイフを支える場所がいる。


 部屋を見回し床に転がっている椅子に目を留めた。起こした椅子を部屋の隅に運び背もたれがこちらを向くように置く。

 棒を背もたれの隙間に差し込み壁に押しつけ、突き出た板が水平になるように修正する。

 後ろ向きになり中腰状態で腕を板に押し当てた。体を動かして、手のバンドを何度もこする。


 棒が幾度かずれて腕がざくっと切れるのがわかり、手首がさらにぬるぬるしてきた。

 どんどん足腰が重くなり、座り込んで休む時間が長くなってきた。

 どれくらいたっただろうか?

 心なしか窓の外が暗い。




 腕が痛く足も腰もパンパンになって、もう動かない限界まできたところで、やっと一本目が切れた。少しだけ腕が自由に動くようになり、ちょっぴり元気が出る。さらに頑張って体を動かし続け、ついに二本目が切れた。

 足を投げ出して椅子に寄りかかると、しばらく脱力感に捕らわれる。


 どうにかこうにか腕を前に持ってくる。肩が固まってしまって痛みでうまく動かせないし、両方の手首が赤黒く染まっているのに気づいてぎょっとした。


 いたるところに裂傷や火傷の痕があり、血がだらだらと流れている。早く手当てをしないと酷いことになりそうだが、ここでは何もできない。

 とりあえず手首を互いに握って出血が止まるまでじっと耐える。


 前腕全体がずきずきと痛む。どんどん気分が悪くなってきた。


 腕や肩を順にさすって血行を戻す。苦労して上服を脱ぐと、両袖から全部の銀糸を引き抜く作業を行なった。

 両方から集めればもうちょっとまともになるはず。


 指先がやたらと震え思うように動かせなく時間がかかった。すべての糸を束ねて左手首に巻きつけてみる。

 全部集めてもすごく細く、ちょっとしたこよりのようになっただけで、とても頼りない感じがした。




 次は、窓か扉を選ばないと。

 静かに扉に近寄りすき間からのぞいてみる。

 案の定、スライドが見えた。扉に耳を押し当てるが何も聞こえない。外に誰かいるのかもわからなかった。


 左手首の頼りない輪っかに目を落とした。

 扉のほうが鉄格子よりは楽そうだけど、ここから出ても、これであいつらと渡り合うのは無理よね。やっぱり窓にするしかないか。

 窓は小さいけれど、見たところ何とか通り抜けられる大きさはあるから、鉄格子さえはずせればいい。


 椅子の上に立って、格子の固定ピンが溶け落ちるように攻撃作用を順番に送り込む。繊細な作業にかなりの時間が取られる。

 手元がよく見えなくなってきた。ここで誰かが扉をあけたら万事休す。がぜん焦る。

 体力をかなり消耗していた。作用力の使いすぎのせい? たいした力は出していないはずなのに、どうしてこんなに疲れるのだろう。




 下側の最後の一本はそのままにして、鉄格子をぐるっと回してみる。

 急いだせいで、甲高い金属音が室内に響き渡った。思わず唇を強くかむ。

 小さな片開きの窓をすばやく押しあけて、外に頭を出してみると、遠くに山が見え、ここが川とは反対側なのがわかった。


 大急ぎで窓枠によじ上り、かがんで窓から体を押し出す。

 そのまま飛び降りたが、ぐにゃりとなった足に力が入らず、滑ったあげく腰崩れになり、ぶざまに転ぶ。顔を地面にぶつけてくらっとした。

 急いで起き上がって周りを見る。本当に暗くなり始めている。


 建物の壁に沿ってそろそろと進み角まで来ると、顔をゆっくりと出してのぞいてみた。誰もいない。

 先には下り斜面があり、その遙か向こうでは、川の対岸から続くと思われる緩やかな丘が陰気な色に染まりつつある。

 予想していたとおり、川岸から登ってきたところだ。




 あたりを見回し、誰もいないのを確かめると、目の前の斜面に向かって一気に走った。途中、何度もつまずいた。

 草が生い茂っているところまで来ると、急いでしゃがみ込む。後ろを見たが、誰も追いかけてくる気配はないし、声も聞こえない。

 助かった。


 再び立ち上がると、川へと続く斜面を飛ぶように駆け下りる。音を立てても見られても、もう気にしてはいられない。

 一気に下までたどり着いたところで、岸辺の岩かげに隠れる。

 足ががくがくするし、先ほどから頭がぼーっとして、全身ふわふわした感じが抜けない。


 岩に寄りかかって一息ついてから、川に沿って目を走らせる。

 また泳がなければ。

 せっかく服が乾いたところなのに。見下ろせば、大量の血のあとも加わって、さらにおぞましくなっていた。


 血だらけの袖を折り返しながら、この辺に橋がかかっていたかどうか思い出そうとした。確か、リセンより少し下流にあったような気がする。

 でも、こちら側の岸に沿っては道がないし、泳いだほうがよさそう。


 あたりが急速に暗くなってきた。時間がたちすぎた。

 みんな心配しているだろうな。急いで戻らないと。




 川に滑り込もうとした時、船着き場にボートがあるのに気づいた。

 え? なんでボートがあるの? 沈めたはずだけど……。

 もう一度よく見ると、前のと違って小さいし、しかも動力つきに見える。まったく意味が理解できず、茫然となった。


 しばらくして我に返ると、ボートから目を引きはがし、斜面に沿って視線を泳がせる。誰かが急坂を登っていくのが見えた。


 もう一度、目を凝らしてみる。

 遠くてよくわからないけれど、あれはカレンなの?

 なんであんな所にいるの? ほかの人たちはどうしたの? いろいろな疑問が頭の中を駆け巡った。


 カレンなら、わたしがここにいるのが、とっくにわかっているはずだけど。本当に彼女なの?

 確かめるために、すぐさま、シャーリンは船着き場に向かってわき目も振らずに走り出した。もしもカレンなら、上にたどり着く前に呼び戻さないと。

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