6 捜しに行かなければ (カレン)

 何の音かわからないけれど、先ほどから耳元で、ズーンズーンと鳴り続けている。

 どうしたのかしら。やけに頭の中で響く。


 カレンはそっと目をあけた。すぐには何も見えなかった。

 しばらくして、灰色の天井とおぼしきものが視界に入ってきた。

 すごく、くさいにおいがする。頭を傾けると、入り口らしき扉がぼんやりと見えてきた。

 ここはどこかしら?


 頭の下には毛布のような布が敷かれていて、これが魚の腐ったようなにおいを出しているようだ。

 頭を戻し視線を下に向けると、体にも、お世辞にもきれいとは言えない別の毛布がかけられている。


 後頭部がちくちくと痛むのに気づき、また頭を傾けると多少ましになった。右手を毛布の下から出して、痛いところにそっと触れてみる。ぽっこりと膨らんでいて押すとぐにゃぐにゃしてきた。




「カレンさん! 気がつかれましたか? よかった!」


 後ろからの大声が頭にがんがんと響いた。思わずこめかみを両手で押さえ目も閉じた。


「ウィルなの?」

「はい、ここです。本当によかった。もう目覚めないのかと、とても心配でした」


 声の主が近づいてくる音が聞こえた。頭を巡らすと、ウィルのうれしそうな顔が視界に入ってきた。


「ほかのみんなは?」

「えっと、シャーリンさまは、川を泳いで反対側の岸に渡り、攻撃してきたあの丘まで敵の様子を見に行きました。けど、それっきりなんです。父さんは、連絡のためにリセンに向かったんですけど、そっちも、まだ戻ってこないです」


 ウィルはやたら饒舌だった。


「あの、カレンさん、大丈夫ですか? とても具合が悪そうですけど」


 実際、とても悪いのよ。


「頭痛がするの」




「いま、水を取ってきます」

「ウィル、さっきの話はどういうこと?」


 手をついて体を起こそうとすると、ウィルが戻ってきて、背中を支えて座るのを手伝ってくれた。


「つまり、その、攻撃をくらったときに、カレンさんはどこかに頭をぶつけて気を失われて。それで、シャーリンさまは、ぼくたちにカレンさんを岸に運ぶようにと、そのあと、リセンから連絡を取るように命じたんです」


 ウィルはくしゃくしゃの金髪を両手ですきながら続けた。


「ここにカレンさんを運び入れたあと、シャーリンさまが戻るのを待つようにと、父さんに言われたんです。でも、誰も戻ってこなくて、どうしようかと、ほんと困っていたところなんです」




「ちょっと待って。船はどうなったの?」

「ああ、サンチャスのことなら川の底です。荷物を全部なくしました」


 カレンは、ウィルの困り果てたような顔をしばらく見つめた。


「丘の上から攻撃されたところまでしか、覚えていないのだけれど、わたしはどうなったの?」

「シャーリンさまが、カレンさんを水中から引っ張り上げたんです」

「そう……ここはどこ?」


 頭が痛くてまともに考えられない。それに、ちょっと寒気もする。服が濡れているせいかしら。


「襲撃されたところから、リセンに行く途中にある船着き小屋です。村の誰かの持ち物でしょうけど。その、勝手に侵入しました。ああ、小さいボートを見つけました。一応、推進機もついています。さっき調べてみたんですが、動きます」




 そうだ、作用者の攻撃を何度も受けたのだった。だいぶ記憶がよみがえってきた。それに、感知者がいる。気をつけないと。


 さらに何か話そうとしたウィルを手で制し、目を閉じてあたりをそっと探ってみた。相手に悟られないように受け身で調べるだけにする。

 さっきは、うっかり感知力を全開にしてしまったけれど、同じ間違いはおかせない。少なくとも今のやり方でわかる範囲に作用者はいないようだ。


 カレンがあたりを探る間、ウィルはどこかに行っていたが、戻ってくると水とおぼしき液体が入った容器を手渡してくれた。

 その中身を疑わしげに見たあと、彼を見上げる。


「ちょっと怪しいですけど、ここにはこれしかないんです。大丈夫です。試しましたから」


 うなずくと水をそっと口に含んだ。

 気持ち悪いくらいにぬるい。頭痛が余計に酷くなった。それでも、水を無理やり飲みながらシャーリンのことを考えた。


 襲撃してきた相手のところに行ったの? なんて無謀なことをするの。攻撃者、遮へい者に感知者もいるのに。

 ダンとウィルはどうして止めなかったのかしら。




「どうすればいいですか?」


 顔を上げると、すぐそばで、ウィルの期待に満ちた目がこちらを見つめていた。視線が合うと、彼は慌てたように飛びのいた。


「つまり、捜しに行ったほうがいいですよね?」


 顔が少し赤くなっている。


「どのくらいたったかしら?」

「ここにたどり着いてから、かれこれ七時間になります。すぐに暗くなりそうです」

「えっ、そんなになるの?」


 確かに服がほとんど乾いている。また意識を失い皆に迷惑をかけちゃった。


「でも、シャーリンは、わたしたちがここにいることは知らないのでしょう?」

「そうですけど、ここから、村へ行く道が見えますから。今まで誰も通っていません」




 別れてからずいぶんたったとすると、何かあったに違いない。

 川向こうまで探りを入れようか? でも、そうすると、感知者にわたしの位置を教えてしまう。それより、近づいてシャーリンの居場所を探ったほうがよさそうだ。


 ウィルの顔を見ながら、自分に言い聞かせるようにしゃべった。


「ボートがあるって言ったわね? わたしがシャーリンを捜しにいくわ。ウィルは村に行ってダンと合流しなさい。わたしたちもその村に向かうようにする。いい?」

「でも、こっちには武器がないです。向こうはたぶん武装していますよ。カレンさんは攻撃者じゃないし、それに、防御者でもないし……」


 声がしだいに小さくなっていった。


「それはそうね。でも、近づけばシャーリンの居場所はわかるわ。さ、ボートはどこ?」


 勢いよく立ち上がったとたんに、頭がジーンとしびれて、何かしゃべったウィルの声が全然聞こえなかった。



***



 カレンは、ボートを小屋の中から後退させ、一番遅い速度に入れると船先を上流に向けた。


 上には、灰色の雲がたくさん見え、振り返ると、空が茜色に染まっていた。本当にもうすぐ暗くなりそうだ。その前にシャーリンを見つけないと。

 少し進むと、川が右に曲がる地点に近づいた。


 あたりをそっと探るが何も入ってこない。見上げる。あの崖の上に行ったのね。目を戻すと、川辺に小さな船着き場があるのが見えてきた。

 静かに船を近づけると、推進機を切って桟橋に降りた。急いでボートを結わえると、あたりをぐるっと見回す。


 相変わらず、頭の中では虫がブンブンうなって意識を集中できない。

 船着き場の先に、上まで続いているらしい急な坂道が見えた。ここを行けば、シャーリンのところにたどり着けるはず。そう確信したカレンは急いで登り始めた。


 上のどこかにいるはずの敵の感知者の発見に全神経を集中する。でも見つからない。ここにはもういないのかしら?

 坂道はかなりの急斜面に作られていた。足がずるずる滑るため登るのにも疲れる。つかまるところがまるでなく、うっかりすると転落してしまいそう。


 もしかすると、もう、敵も、それにシャーリンもここにはいないのかもしれない。突然、彼女が連れ去られてしまったという恐れに捕らわれ、動悸が激しくなった。




 もう少しで上にたどり着くところで、左のほうから作用力のかすかな余韻が訴えかけてきた。

 シャーリンなの? 慌てて登るのをやめ、その場にしゃがみ込む。振り返って、発信源と思える方向に目を泳がせる。


 すぐに見つけた。あそこだ。川岸をこちらに向かって走ってくる。

 その時、シャーリンの叫び声がかすかに聞こえてきた。


「カル、戻ってきて! カルー!」


 船着き場目がけて走ってくる。何をそんなに急いでいるのかしら?

 突然、別の作用が意識に割って入るのを感じた。

 慌てて下流を見ると、川を滑るように船が遡ってくるのが見えた。さっきの作用者が戻ってきた。

 シャーリンはまだ、船には気づいていないようだ。


 カレンは立ち上がると急いで崖を下り始めた。

 足元から石がごろごろ転がる。流れる小石に足を取られ何度も滑りそうになったが、必死にこらえる。


 その間も、頭の中では、繰り返し後悔の念に駆られていた。

 どうしてもっと早く気がつかなかったの? ボートに乗ってからは、あの感知者のことばかり考えていた。シャーリンを捜しにきたのに。

 また失敗しちゃった。




 全速力で駆け下りながら叫んだ。


「シャルー! うしろー!」


 何度も繰り返す。なんで聞こえないの? このままだと、シャーリンが危ない。やっと、彼女が体の向きを変えるのが見えた。


「攻撃してー!」


 大声で叫んだが、聞こえているのかいないのか、シャーリンは船着き場で立ち尽くしている。


 やっと下までたどり着いたカレンは、両手を膝に当てて、ぜいぜいと息を切らした。

 こめかみから中身が飛び出てきそうなほど、ズッキンズッキンと耐えがたくなってきた。


 川艇は音もなく滑るように近づいてくる。

 どうしよう? あたりを見回し、逃げ道がないかと懸命に探す。




 船には女と男が乗っていた。女が手を前に上げている。ああ、彼女は攻撃者で、それに遮へい者でもあるの?

 もはや逃げ道を探してもむだだった。

 それにしても、シャーリンはいったいどうしたの?


 その場に棒のように突っ立っているシャーリンのそばに駆け寄った。彼女と急速に近づいてくる白い船を交互に見る。

 その時、彼女のめくり上げられた袖からだらんと下がった手には、何もはめられていないことに気がついた。しかも腕が血だらけ。


 シャーリンの結んでいないぼさぼさの金髪と汚れた顔、夕日にほのかに光る薄紫色の目を順に見た。

 わたしが寝ている間に、大変なめにあったのね。


 シャーリンはカレンに顔を向けると、左手をちょっと浮かせて、手首の頼りない銀糸の輪を見えるようにした。

 手首が赤むけてただれているのに気づくと、ぎょっとしてシャーリンの顔を見つめた。

 本当に何があったの?


 あの銀糸は、たぶん袖に通してあったものだわ。でも、あれでは、シャーリンがまともな作用を引き出すのは無理。

 カレンは目を見開いたが、静かに首を横に振った。これでは、まったく勝ち目がない。

 そのまま、船が減速して桟橋に横付けされるのを黙って見つめるしかなかった。




「さてさて、おふたりさん、おそろいで。こっちを向いてもらおうか。手はそのまま動かさないように」


 船から桟橋に降り立った男が言った。


 シャーリンの隣で、カレンは男の動きを追っていたが、動こうとはしなかった。

 女は手をこちらに向けたまま微動だにしない。わたしたちと違って、船の上でも手慣れているように見える。


「あのばかどもは、いったいどうしてこいつを逃がしちまったんだ?」

「ジャン、ほら見て。どうやら言い訳に来たみたいよ」


 女は手を動かすことなく、顎だけを振った。


 シャーリンがさっと振り返った。

 カレンも後ろを見ようと動いたところで、首筋にひやっとしたものを感じた。次の瞬間、体にしびれが走り、足がふにゃりと立っていられなくなる。

 隣で、シャーリンがくずおれるのが見えたのを最後に、意識が遠のいていった。

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