3 やはり、そうなるの (シャーリン)

 できるだけ頭を沈め静かに手を動かして泳ぎながら、シャーリンは岸辺のボートの様子をうかがった。


 長く突き出た桟橋がある。ここから見る限り、ボートは動力のついていない手漕ぎらしい。濃緑色の服を着た三人が坂を下りてくるのが確認できた。全員男のようだ。

 よく見えないけれど、あそこには、上に通じる道か階段があるに違いない。

 振り返ると、ダンたち三人が反対の岸にたどり着くところだった。


 ボートで川を渡ってこられると困る。

 しょうがない。あれは使えないようにしなければ。

 崖の上には誰も見えないけれど、あの三人の中にさっき攻撃してきた作用者がいるのかな?

 目を凝らして見ても、もちろん何もわからない。


 まあ、攻撃してみれば、はっきりするわね。

 覚悟を決めた。どうせ、こっちの姿はあの上からは丸見え。

 立ち泳ぎに移り、ゆっくり両手を水面から持ち上げて、狙いをボートに定める。


 防御と違って攻撃するときは、目標が小さいと難しい。こんな不安定に揺れていればなおのこと。穴をあけて使えなくするだけだから、最小限の力でも十分すぎる。


 手の位置が決まったところで、攻撃作用を送り込むと、ボートの手前で水しぶきがぱっと上がった。もう少し先。

 ちょっと修正して、もう一回送り込んだ。

 すぐに防御フィールドを張って様子を見る。




 ボートの周りに水蒸気がもうもうと立ち込めているのに気づき、顔をしかめる。もやが薄らぐと、沈みかけたボートが見えた。男たちが川に飛び込む姿も確認できた。

 攻撃作用の悪いところは、はでに目立つこと。


 どういうわけか誰も反撃してこない。

 作用を使ったのはとっくに相手に知られたはずだけれど。あそこのやつらの中にさっきの攻撃者はいないってこと?


 フィールドを消すと、下流の岩場に向かって再び泳ぎ出した。

 そのちょっと目を離した間に、三人の姿が見えなくなっていた。

 しまった。

 川岸付近のあちこちに目を凝らすが誰も発見できない。坂だか階段を戻っていったようには見えない。別の道があるのかもしれない。


 船着き場から少し離れた岸にたどり着くと、ぬかるむ地面に腹ばいになる。防御を張ったまま、しばらく様子を見た。

 どうせ、どこかで見張っている感知者には、ばればれだろうけど。


 カレンがいれば、彼らの居場所がすぐわかるのに。

 ひとりで来たのはやっぱり無謀だったかな? でも、今さら考えてもしょうがない。


 覚悟を決めフィールドは消した。

 立ち上がって見回す。きっとあの坂を登っていったに違いない。すぐにも、作用者と一緒に戻ってくるかもしれない。




 それにしても、体がずっしりと重い。

 自分の姿を見下ろすと、外服そとふくがぐしょぐしょ。スカートの裾からは水がぼたぼたと滴っている。しかも、淡い青色だったよそ行きの上から下まで泥がべったり。


 がっかりした。

 上服の袖を鼻に近づけると、雨の中に放置された枯れ草のにおいがする。

 これはまた、ドニにこっぴどく叱られるわね。なぜか笑いがこみ上げてきた。


 振り返って川を見ると、サンチャスが水面下に消えるところだった。

 とてもいい船だったのに。

 ああ、それに、大事な旅行かばんも着替えも何もかも、川の底。また大きなため息が出た。


 その場にしゃがみ込んで、下服をぎゅうぎゅう絞ると、足元に茶色い水たまりがどんどん広がった。スカートはしわくちゃになったが気にしてはいられない。かぽかぽいう靴も脱いで中の水を捨てる。


 もう一度、船着き場や急斜面に目を向け、誰もいないのを確認した。

 少し離れた緩やかな斜面に回り込んで登り始める。


 しばらく歩くと、草が背の丈くらいに伸びた場所に出た。

 このまま草むらの中を進めば、丘の上に着くはず。何度か立ち止まって耳をそばだてるが、少なくとも、誰かが近づいてくる気配はない。

 よし、この調子で上まで行こう。

 今さらながら、感知者に気づかれないように、作用力の余韻を消し感情も抑えるべく努力する。


 カレンたちはどこまで行ったかな?

 振り返ると、だいぶ登ってきたおかげで、草の間から川向こうまで広く見渡せる。

 反対側の岸に沿って道があるのも確認できた。だが、三人の姿は遠すぎて見えなかった。



***



 もう少しでてっぺんというところまで登ってきたが、シャーリンは地面にはいつくばっていた。

 この先は草もまばらにしか生えていないから、丸見えになりそう。あたりに動きはまったくない。


 あの作用者たちはどこに行ったのだろう? それにボートの三人も見失ったまま。

 しかも、こんなところで身動きできずにいる。

 ああ、いったい何をやっているのだろう、わたしは。


 たぶん常識的には、撤退するべきなのだろうけど、今さら帰るなんてできない。ここまで来たからには、相手が何者か見極めないと。

 体をごろんと回転させ、仰向けになってゆっくり息を吐き出した。そのまま全神経を耳に集中して待つ。



***



 しばらくすると、かすかに土を踏みしめるような音が地面から伝わってきた。

 ゆっくり体を回して起こすと、生い茂った草の間から丘の上を透かした。はっきりとは見えないが二人。ボートのところにいたやつらとは違う服装。

 このふたりが作用者に違いない。


 感知者がいるとカレンは言っていたが、幸運にもまだ気づかれていないようだ。でも、攻撃の準備を始めたとたんに居場所がばれてしまう。だけど、このまま何もしないで待つのはもう限界。


 草を揺らさないように、そろそろっと両手を前に持っていく。

 ふたりは男と女だとわかり、何やら話しているのが聞こえた。その会話を聞き取ろうと全神経を集中する。いったいどっちが攻撃者だろう?


 どちらかに決めないと、絶好の機会を失ってしまう。手が汗ばんできた。

 最初に、攻撃者の頭か胸を攻撃するべきなのはわかっていたが、そんなことはとてもできそうもない。


 静かに息を吐き出したあと、少し迷ったが、男の足に手を向けた。

 その時、前方から鋭く短い声が発せられた。背後で風のそよぐ気配を感じ、同時に何かこするような物音を耳が捉えた。




 次の瞬間、顔が地面に勢いよくぶつかり、そのまま後頭部を押さえ込まれた。

 鼻ががんとあたる衝撃が頭の中に伝わるとともに、口に土がじゃりっと入ってきて、息が詰まった。


 何者かに腕をつかまれ、左右に引き離されて地面に叩きつけるように押さえられた。

 両手から指輪と腕輪が次々と抜き取られるのを感じる。最後に、両方の前腕が背中で重ねられてバンドのようなもので縛られた。

 後ろに引っ張られた肩がじんじんと熱い。


 体を仰向けに転がされ、やっとあたりが見えるようになる。

 口から土を吐き出そうとしたが、かえって苦い味が口中に広がった。


 腕のせいで持ち上がった上体が動かせない。視界には二人の男。後ろで頭を押さえつけたやつを入れると三人。

 どう見ても、ボートのところにいたやつら。

 ああ、やっぱり、あとをつけられていた。それに、感知者にも完全に読まれていた。




 彼らのひとりが、奪い取った四個の指輪と二つの腕輪を黒い巾着に順に落とし入れるのが見えた。

 頭を横に倒され、髪留めを調べられるのを感じたあと、リングごとぐいと引き抜かれて、袋を持つ男に渡された。


 レンダーをすべて奪っている。全部取られると、作用力が使えなくなって無力になってしまう。


 袋を持った男が横にかがむと、その顔がすぐ近くに迫ってきた。思わず息を止める。

 男はシャーリンの上服の打ち合わせを解いて左右に広げた。首に回された紐を見つけると、それをたどって手が入ってくる。


 これはレンダーじゃなくてただのペンダントよ。そう叫びたかったが、なぜか声がまったく出ない。


 必死に逃れようとしたが、ほかの男たちに腰も足も押さえ込まれて動けない。

 執拗にまさぐる冷たい感触に震えが走り、目をぎゅっと閉じた。

 男は、胸の間に収まっていた細長いペンダントをつかんで引っ張り出した。

 一気に紐を引きちぎり、先ほどの巾着にしまうのが見えた。首がひりひりと痛む。




 突然、激しい脱力感に襲われた。

 母の大事な形見を取られてしまった。あれはレンダーですらないのに。こいつら区別できないわけ? それに指輪も腕輪も全部。


 涙が溢れてくるのは、土が目に入ったためか、どうしようもない失敗のせいかわからなかった。


 靴も脱がされ中を調べられた。

 再びうつぶせに転がされたあと、腕を引っ張られ乱暴に立たせられた。頭に何か被せられて何も見えなくなる。


 相手はそれまで一言もしゃべらずにいたが、初めて口を開いた。


「まっすぐ歩け」


 遠くで別の男の声がした。


「どっちだい?」

国子こくしのほうよ」


 女の声が答え、男が満足そうに返すのが聞こえた。


「上できだな」


 やっぱり、相手が何者か知ったうえで襲ってきた。

 わたしはなんてばかだったのだろう。


 レンダーを一つも身につけていないと、自分が裸でいるようでまったく落ち着かない。

 幸い靴は再びはかせられていた。少なくとも、はだしで石だらけの道を歩かなくてすむ。

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