第8話 森の王様
『森の王様に会いに行く』と告げると、護衛たちはあっさりと引き下がった。
森の王様と崇められる末の弟は、月神の器。力の大半を失った今でも、常人よりも強い魔力を持っている。馬鹿正直にぞろぞろついて来て、不興を買えばどうなるか分からない。親兄弟でさえ扱いに気を使うのだから、彼らには荷が重いだろう。
母と居た表の庭園から一旦城内へ戻り、回廊を通って城の北側に抜ける。そこには領主一族のための、よりプライベートな庭が在る。
以前は四季に関係無く乱れ咲いた花々で溢れかえっていたのだが、今は枯れ草ばかりの寒々しい有様だった。庭に一歩踏み出せば、乾いた草がみしみしと悲鳴を上げる。茶色く変色した生垣は冷たい風にカラカラと鳴いて、この森に居座る冬を嘆いていた。
表の庭園と違って、大人の足ならほんの五、六分で回れる小さな庭だ。枯れ草の絨毯の上にぺたりと座り込んだ子供を見つけるまで、そう時間は掛からなかった。
「セシル家が総領アーサーが森の王に拝謁する。――ご機嫌はいかがかな? 王様」
周りに五匹の魔狼を侍らせ、ぼうっと空を見上げていた王様は、ふと思い出したかのように手元の編みかけの花冠に視線を戻す。
答えは無いが、拒否もされていない。俺は許可を得たと判断して、花を編み続ける王様のすぐ目の前に胡座をかいて座る。五匹の魔狼たちは俺を警戒しているのか、その場に伏せたまま耳だけをこちらに向けていた。
「久しぶりに帰ってきたお兄様に、挨拶も無しかぁー?」
顔を覗き込んでも、王様はじっと手元を見つめて花を編んでいる。いつから編んでいたのか、冷たい風に晒されて萎れかけた白い花ばかりの花冠は、花嫁のものというよりは死者への手向けの花輪のように見えた。
「……ほら。これを使え。白ばかりだと単調だろう? 彼女に贈るなら、もっと可愛らしい色合いにした方が喜ばれる」
枯れ草に覆われた地面を撫でて優しく魔力を流すと、スミレやレンゲ、ヒナゲシの花が顔を出す。ぷちぷちと詰んで手元に差し出してやると、王様はようやく顔を上げて俺を見た。
あまり眠れていないのだろうか、美しいエメラルドの瞳には深い影が差して闇が凝っている。王様は重そうな瞼で二、三度瞬きすると、一理あると思ったのか、素直に花を受け取ってまた作業に戻る。
――降りていない。今のうちに話をつけよう。
「なぁ、ルー。そのままで良いから話を聞いてくれよ」
足が痺れてきたので俺はその場に寝転がり、せっせと花を咲かせながら愚痴ることにした。行儀が悪いが、王様が許しているのだから誰も文句は言えまい。
「俺にはこれと決めた女が居るんだが、クソ真面目な父上が結婚を許してくれなくてな。彼女に『オクシタニアの土を踏ませる気は無い』とまで
咲いたばかりの花を詰んで、王様の膝元に捧げる。ふと顔を見上げると、彼は作業の手を止めてこちらを見下ろしていた。
「……なぁ、お前なら、愛する女から引き離された俺の苦しみをわかってくれるだろう?」
同じ傷を晒して共感を誘い慈悲を乞えば、王様は我が事のように悲しげに眉根を寄せる。ついと俺から視線を逸らし、森に切り取られた狭い空を見上げる横顔は、月女神の訪れを待つ月神を彷彿とさせる。
しかしそれは、常人が想像するような神聖なものではない。煮えたぎる欲望に蓋をして、爪と牙を隠して機会を待つ魔獣の姿だ。
「……捕まえても、閉じ込めても、逃げられた。……足を潰しても、だめだった。怖いって……僕から逃げた。僕はただ、一緒に居たかっただけなのに」
小さな口からぽつりぽつりと溢れるのは、幼く凄惨な愛の告白。事前に聞いていた内容よりもだいぶ酷いが、俺に咎める資格は無い。『気持ちは分かる』と、共感が優ってしまったから。
「みんな、僕がおかしいって言う。間違ってるって言う。……アーティも、僕が悪いと思う?」
潤んだ眼で縋るような視線を向ける弟に、僅かに残った良心が痛む。
やはりこの子の本質は月神に近いのだろう。寄り添い、理解してくれる者に飢えている。五匹もの魔狼を使い魔にしているのも、孤独を紛らわせるためなのかもしれない。
――だとすれば、扱いは簡単だ。
「お前は悪くないよ」
悲しげな顔を作って、欲しい言葉を投げ返してやれば、寂しい王様は分かりやすく安堵の表情を浮かべる。
――ああ、なんて純粋なんだろう。こんなに扱い易くては心配になる。
俺は枯れ草を払って起き上がると、同年代の子供に比べて小柄な弟を膝の上に乗せた。真昼の月を示すように人差し指を立てて待つことしばらく。花の匂いに誘われて、灰色の小鳥が俺の指に降り立った。
小鳥は差し出したレンゲの花をちろちろと舐め、味をしめたのか貪欲にも花の中に顔を突っ込んでくる。冬が居座る今の森では、花の蜜は貴重なのだろう。弟の手にレンゲの花を握らせると、小鳥は俺の指から弟の掌に乗り移った。くすぐったそうに笑って小鳥を愛でる姿は、誰が見ても正しい森の王様の姿そのものだろう。
――だが、月女神を手に入れたいのなら、それでは甘い。
群れの年長者として、仔狼に狩りの仕方を教えてやらねば。
「……次は、翼を
俺は王の耳に囁いて、蜜に夢中で油断しきった小鳥をわし掴んだ。ぴいぴい鳴き叫ぶ小鳥の翼を無理やり広げて見せると、王様は俺の腕を掴んで駄目だと首を横に振る。――慈悲深いことだ。
俺が手を緩めると、小鳥は庇護を求めて王様の掌に逃げ込んだ。王様は小鳥を庇うように両手で包み込んで優しく抱き寄せる。
「お前の側に居るのがこの世で一番安全なのだと、わからせてやればいいんだ」
小鳥はじっと王様の手に身を委ね、逃げ出す素振りも見せない。服従を示して、媚びるように王様を見上げている。
「お前だけが彼女を守れるのだと、教えてやるといい。……逃げ出す気力が無くなるまで、何度でもな」
手中に収めた小鳥の姿に、愛しい彼女の姿が見えただろうか? ざわざわと蠢く森は枝葉を伸ばして、真昼の月を覆い隠そうとする。
「……そうしたら、あの子も僕の側に居てくれる?」
光の差さない底知れぬ樹の洞のような眼で俺を見上げる弟にぞくりとする。
――お前は本当に可愛い弟だよ。
俺はただ、清水にほんの一滴インクを落としただけ。だが、もう清らかな水には戻れないだろう。
月女神の娘には気の毒な話だが、セシル家の男に見出されてしまったのが運の尽きだ。今生の自由は諦めてもらう他は無い。……今生だけで済むとは思えないが。
「それは、お前次第だよ。俺が、やり方を教えてやる。お前の味方になってやる。――だから、お前も俺の味方になってくれよ。なぁ、いいだろう?」
王様は小鳥を空に放つと、俺の首に腕を回して甘えるように抱きついてくる。冷えた頬を寄せて、小さく笑った。
「……うん。いいよ。三日後の新月の夜、森の外への道を開いてあげる。森を出て、
「ありがとう、ルー。お前を頼って良かった」
王様懐柔作戦は成功だ。これでもう父の邪魔は入らない。いつでもアビゲイルと
――なのに、どうして胸が騒めくのだろうか?
風も無いのに森がうねる。王様の肩越しに、魔狼たちが怯えたようにじりじりと後退るのが見えた。耳元でくすくす笑う声は、八歳の子供にしては低過ぎる。これは、誰だ?
「その代わり、僕が月女神を欲した時には、僕の手足となって働いてもらうよ」
きゅっと首が絞まるような感覚に、俺は抱きつく弟の身体を引き剥がした。三日月のように歪んだ金色の眼が俺を愉しげに見つめている。
――金色の眼。器に月神が降りたのか。
「アーサー・ロイド・セシル。
少年の声に老若不詳な声が幾重にも重なって、不気味な不協和音が肌を撫でた。どうやら俺は、森の王様を通して森の神様と契約を結んでしまったらしい。神との契約を違えれば、加護を失うだけでは済まないだろう。王様は俺に確実に契約を履行させるつもりのようだ。
「……仰せのままに」
俺がそう答えるのを見届けると、月神はするりと弟の身体から抜け出た。森は元の静けさを取り戻し、真昼の月が何事もなかったかのように俺たちを見下ろしている。神を降ろして疲れたのだろう、弟は心配そうに寄ってきた魔狼たちに囲まれて寝入ってしまった。
「クソガキめ」
もふもふに埋もれて眠る弟の髪を乱暴に撫でて、預かっていた手紙を握らせてやると、俺はその場を後にした。
三日後の夜、俺は王様が開いた道を通って森から出た。その後九年もの間、森の外で生きることになるなど、その時の俺は思いもしなかった。
◇◇◇
母「最初にお手紙を渡せば、月神様の覚えも良かったでしょうに……」
長男「切り札は残しておこうと、ちょっと欲張ってしまいました」
月狼伯爵は赤毛の羊を逃さない 小湊セツ @kominato-s
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