第4話 誘惑は密会で
その後も、『良縁を掴んだ!』と思った途端、相手と連絡がつかなくなったり、突然お断りの手紙が届くことが続き、私の心は折れかけていた。更に悪いことは重なり、件の大商人に私が密告したと誤解されて、こんな状況に……。
「俺の首に腕を回せ」
「い、嫌よ……」
「早く」
夜会の帰り、ガラの悪い連中に追われて逃げ込んだのは、会場から少し離れた薄暗いテラス。こういう場所は密会に使われるので、カーテンとガラス戸を閉めてしまえば使用中とされ、誰も入ってこないはずなのだけど。息を潜めて蹲っていた私の前に現れたのは、アーサーだった。
――なんで、こんな所に? まさか、誰かと密会の約束でもしてるの?
一気に浮かんだ疑問が喉元で渋滞して出てこない。私が口をはくはくさせて言い淀んでいる間に、彼は私の状況を理解したみたいで。這って逃げようとした私の腕を掴んで立たせると、強引にテラスの手すりに追い詰めた。彼の身体に隠されてよく見えないけれど、ガラス戸の向こうに人の気配がある。
今出ていけば確実に捕まるだろう。護身用の魔石は一個しか持っていない。相手が何人居るかわからないので、まだ使えない。アーサーの言う通りにするのは癪だけど、この場を切り抜けるための対案は出てこなかった。
私は諦めて、つま先立ちになり、少し屈んでくれた彼の首に腕を回す。
――私たちは他人。もう関係無いの。だから、この程度で揺れたりしない。
そう自分に言い聞かせて、眼前のやたら顔が良い男を睨む。腰を引き寄せられても、顔がぐっと近づいても、彼の視線から眼を逸さなかった。挑戦的な私の態度に、アーサーは嘆息する。
「……君ってひとは。今度は何をしでかしたんだ?」
「知らないわよ! 向こうが勝手に私を逆恨みして追いかけてくるの!」
「それはまた面白いことになってるな」
「面白い、ですって!? 誰のせいでこんなことになったと思ってんのよ!」
「くっ、ははは」
アーサーは愉しげに笑うと、黒い革手袋の指を噛んで外して背後に無造作に投げ捨てた。その様があまりにも耽美だったので、思わず見惚れてしまったけれど、ぼうっとしてる場合じゃない。私が固まっている間に、アーサーは私の髪から髪飾りを引き抜いて、解けた髪をくしゃりと乱す。髪染めの魔法を使ったのか、私の特徴的な赤毛は一瞬で金色に変わる。アーサーは満足そうに私の髪を撫でると、今度は親指で私のルージュを拭って自分の首に擦り付けた。
「ちょ、ちょっと! そこまでする必要な……っ」
「やるなら、徹底的にやらないとな」
上から覆い被さるようにきつく抱きしめられ、胸が潰れて苦しい。彼の後ろ襟を掴んで、乱れる呼吸を必死に抑える。爪先立ちで足がぷるぷるしている私に、アーサーは吐息だけで笑みを溢した。
――どうしてここまでしてくれるの? 私たちはもう、婚約者じゃないのに。こんなに強く抱きしめられたら、勘違いしてしまいそうよ。
浮かんだ疑問を口にする機会は無かった。ノックも声掛けも無く、無遠慮にガラス戸を開けて誰かがテラスに入ってきたようだ。足音から推測するに、四人ぐらいだろうか? アーサーは振り向かず、私を隠すように腕の中に抱き込む。
「見ての通り、取り込み中だ。出ていってくれないか」
今までに聞いたことの無いアーサーの冷酷な声に、私までびくりと肩が跳ねてしまった。
「は……お楽しみのところ申し訳ありません! 我々も仕事でして。ここに赤毛の若い女が来ませんでしたか? そちらの女性は……違うようですね」
――ああ、やっぱり私を探してるんだ。
震える私の背中を、アーサーは子供をあやすように優しく撫でる。
「赤毛の女なら、五分ほど前に裏庭の方に走って行くのが見えたが」
「ありがとうございます! ……くそっ逃げ足の速い女だな!」
バタバタと足音が遠ざかって、男たちの気配が完全に消えた後、アーサーはようやく私を解放した。ずっと爪先立ちだったので足元が覚束ない。アーサーに支えてもらってテラスを出たのだけど、その時の私は、一難去って完全に油断していた。
「アビゲイル嬢……?」
「ふぇっ!?」
振り向いた先には、今回の夜会のパートナーを務めてくれた婚約者最有力候補の伯爵子息が居た。真っ青になる私とは反対に、彼はみるみる頬を紅潮させて眼を背ける。
今の私の状況を見れば、それもそのはず。乱れた髪に、よれたルージュ。気不味げに泳ぐ眼に、のぼせた頬。親しげに腰を抱くのは、首に赤いルージュの跡がある貴公子。どう見ても事後です! みたいな格好で、密会にお誂え向きなテラスから寄り添って出てきたのだから。
「あっ、こ、これは、違っ……」
悲しげに顔を顰めて去って行く令息に、私はガクリとその場に
「うう……今度こそ、今度こそ上手くいくと思ったのにぃ……」
「残念だったな」
完全に他人事のアーサーに、頭に一気に血が昇った。
「助けてくれたことには感謝するけど、どうして私の邪魔ばかりするの!?」
私の抗議に、彼の顔からすとんと温度が抜け落ちる。美しい笑みはそのままなのに、まるで知らない人のように見えて、ぞくりと肌が粟立った。今すぐ逃げ出したいのを堪えてその場に踏み留まる。
――今逃げたらだめ。
本能が、そう叫んでいた。
「……本当にわからなくて訊いているのか?」
「ええ! わからないわ! 貴方は何にも教えてくれないじゃない!」
「君を愛してるからだと言えば信じてくれるか?」
馬鹿にされているのだと思った。さぞかし愉しげに嘲笑っているんだろうって。だから、彼の眼の奥に潜む真剣な光を、どう解釈したら良いのかわからなかった。
「何を、言ってるの? 婚約を破棄したのは貴方でしょう?」
「確かに婚約を破棄したのは俺だが、俺を選ばなかったのは君だ」
貴方の本心がわからない。今更そんなことを言って、私を惑わせて楽しい? どんな言葉も、私を惨めにさせるだけ。
頬に伸ばされた手を振り払うと、アーサーは少しだけ傷ついたように笑った。行き場を失った彼の手は、私の髪を一房指に絡める。彼が口づけを落とすと、金色に染まっていた髪は、一瞬にして元の赤を取り戻した。
「誰でもいいなら、俺にしておけば良かったのに」
彼の満月のような金色の瞳がじっと私の眼の奥を見つめる。まだそこにある失恋の傷痕を見抜かれた気がして、私はさよならも言わずに尻尾を巻いて逃げ出した。
――私だって、貴方が良かった。
言えない言葉を飲み込んで。
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