第3話 選ばなかった選択肢の先
学院を出たら、皆平等の夢から醒めないといけない。話しかけられる前なら避けられたけど、身分の高い人に話しかけられてしまったら無視することはできない。
「こんばんは。セシル伯爵子息様」
なるべく彼の顔を見ないように瞼を伏せてカーテシーをすると、よく磨かれた男性用の靴の隣に青白いドレスの裾が見えた。女性をエスコート中なのかと認識した途端、もう忘れたはずの痛みが胸に蘇る。
「顔を上げて。そう堅苦しくしないでくれ。君と俺の仲じゃないか」
どんな仲だって言うのよ!? と言いそうになって唇を噛む。私は僅かの間に表情を繕い、呼吸を整えてなんでもないふりをして顔を上げた。
――ああ、もう。憎たらしいぐらい素敵だわ。
私の視線を受け止めて、アーサーは貴公子らしい優雅な笑みを見せる。背が高くて体格が良いからか、黒の礼装がよく似合う。華やかな美貌はさらに色香を増して、私を見つめるエメラルドグリーンの瞳は浮ついた夜の熱を孕んで怪しい金色に光る。あんな別れ方をしたのが嘘のように、熱くてのぼせそうな視線だ。彼の隣に女性が居なかったら、また勘違いしてしまいそう。
「元気そうで安心したよ」
婚活頑張ってるねってこと? 嫌味かしら?
アーサーがただならぬ仲を仄めかすから、隣の女性が居心地悪そうにしてるじゃない! エスコート中なんだから彼女を優先するべきなのに。アーサーは彼女の存在を忘れたかのように、私から眼を逸らさない。私は引き攣る口元を扇子で隠し、おほほと笑いながらこの場を切り抜ける口実を考える。
――早く逃げたい……じゃないとボロが出そう。
「仕事は順調かい?」
「ええ。ありがたいことです」
「そうか。それは良かった。冬に備えて我が領にも火の魔石を卸して欲しいのだが、君に連絡するにはどうすればいい? オーヴェル家に使者を送っても良いだろうか?」
「あら、残念ですわ。せっかくのお話ですが、在庫は全て売れてしまったばかりですの。来シーズンまでご用意できそうにございませんわ」
「出遅れてしまったか。君が作る魔石は質が良いからな。……本当に残念だ」
「……」
悲しげに溢れた彼の声に、言葉がつかえて出てこない。魔石が完売したのは本当のことだし、別に意地悪しているわけじゃないけれど、なんだか悪いことをしてしまった感じがする。私たちはもう何の関係も無いんだから、融通してあげなきゃいけない理由なんて無いのに。だけど……――アーサーは私の魔石作りの腕をすごく褒めてくれていたし、仕事のことも応援してくれていたのよね……。
思い出すのは学院での日々。私は作業に集中すると周りが見えなくなるので、側に居たって退屈でしょうに。彼は飽きもせずに毎日のように私の魔石加工の練習に付き合って、終わった後は寮まで送り届けてくれた。
同じ部屋に居るだけで、彼は彼で自分の勉強をしていたり課題をやったりしていたけれど、『貴族の娘が手を傷だらけにして粉まみれになりながら魔石の加工だなんて!』って否定しないで側に居てくれることがどれほど嬉しかったかなんて、彼はきっと知らないでしょうね。
あれからまだ一年も経っていないけれど、彼と一緒に過ごした時間が、もう遠い昔のことのように思える。
「あの……アーサー様……そろそろ参りませんと。予定に遅れてしまいますわ」
少し拗ねた様子の女性の声で、私は物思いから引き戻された。
パートナーの女性が彼の腕を引いている。年齢は私たちと同じぐらいだろうか。最近流行りのマーメイドラインのドレスが、細身だけど出るところが出た身体によく似合っている。何となく見覚えのある顔なんだけど、もしかしたら学院の同窓生かしら? よく顔を見たら思い出せそうだけど、あんまり見つめて変な意味で取られたら嫌なので、私は視線を南国の庭に向けた。彼女の手に優しく手を重ねた彼の姿を見たくなかったというのもあるけれど。
「ああ、そうだったな。――会えて嬉しかったよアビー。それじゃあ、また」
「ええ。ご機嫌よう」
やっと解放される! って顔に出てしまったかしら? アーサーは、すうっと眼を細めて笑った。これは意地悪を言う時の彼の癖だ。
「……ああ、そうだ。ひとつ言い忘れていた」
私に身構える猶予も与えず、彼は唇の片端を皮肉げに引き上げる。
「あの商人、若いシュセイル人の娘を他国に奴隷として売っているよ。逮捕劇に巻き込まれたくないなら、君も早く退散した方が良い」
「……は、えっ?」
俄かに空気が重くなり息苦しくなったかと思えば、夜闇に閉ざされた回廊の向こうから、黒いフードを目深に被った騎士の一隊が床を滑るように音もなく現れた。私たちの真横を通って、私が先ほどまで居たサロンに入っていく。間も無くして、怒号と悲鳴が飛び交い喧騒に包まれた。
「な、なぜ、貴方がそんなことをご存知なの……? 今の騎士たちは? まさか……貴方が通報したの?」
心臓がバクバクと痛いほどに跳ねている。また騙されるところだった。私ばかりか、妹たちまで危険に晒すところだった。反省しなくてはいけないけれど、ある可能性に思い至ってしまって今はそれどころではなかった。
いくら悪い奴だったとはいえ、私が結婚を考えた相手が突然眼の前から消えるなんてことがそうそうあるはずがない。これが三回目にもなれば、鈍感な私でも不審に思う。
――誰かが、私の結婚を阻んでいるんじゃないか、って。
「相変わらず、男の趣味が悪いな。君は」
私の質問には答えてくれなかったけれど、彼のぞくりとするほど綺麗な笑みに、答えを察するしかなかった。
「くっ…………本っ当に、そう、ですわね! 私の周りには、ろくな男が居ませんわ!」
扇子をへし折りたいのを堪えて、去っていく彼の背中になけなしの強がりを投げつける。彼に寄り添う女性の憐れむような視線が痛い。
あの注文を受け入れていたら、貴方の隣にいたのは私だったのかしら?
寄り添う二人の後ろ姿に、選ばなかった選択肢の先を見てしまったような気がして、未練と後悔に押しつぶされそうだった。
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