第2話 夜会荒らしと呼ばれて

 セシル家とオーヴェル家は領地が隣り合っていて、アーサーとは小さい頃から顔見知りだったので、十三歳で学院に入ってすぐに親しくなった。綺麗なお顔に反して辛辣で、冷酷な雰囲気で人を寄せ付けない歩く芸術品のような彼が、私にだけは優しく親しげに話しかけてくるのだ。そんなの舞い上がっちゃうに決まってる。


 長い友人片思い期間を経て、告白を受け入れてもらえた時には、オーヴェル家に産んでくれてありがとう! って毒母に感謝したし、このまま死んでもいいかもって思ったぐらい嬉しかった。好きだから、アーサーとの将来を夢見てた。なのに、私がセシル家の財産を狙ってアーサーに近付いたと思っていたなんて。


 案の定、アーサーと私の破局は、次の日にはもう学院中に知れ渡っていた。

 とんでもない良縁を破談にしてしまったバカな貧乏令嬢に集まるのは憐れみと嘲笑しかない。他学年の妹たちにまで嫌みを言う奴が現れた時には情けなくて妹を抱きしめて泣いたけれど、それ以外は皆遠巻きに私を眺めてヒソヒソしてるだけだった。――ちなみに、妹をいじめた奴らは全員何らかの報復を受けたみたい。よく知らないし興味も無いけど。


 アーサーとはあれ以来、一言も話していない。元々女の子に人気があったから狙っていた子は多くて、私と別れてすぐに新しい恋人ができたらしい。新しい彼女が彼の腕に絡み付きながら勝ち誇った顔でこっちを見てくるのだけ何とかしてくれたら、後はどーでもいい。てゆーか、こっち見んな。私の視界に入るな。

 ――そんな感じで、学院卒業までの三か月間、私はアーサーを避け続け、好奇の視線に晒されながら過ごしたのだった。


 卒業して実家に帰る頃には、母にも破談の話が届いていて、帰宅するなり私は母に捕まり一週間近く延々と詰られた。ひとつ想定外だったのは、卒業後すぐに結婚させられるものと思っていたのに、『貴女はうちの子たちの中で最も器量が良いのだから、セシル家がダメでも、どこか良家の子息を捕まえていらっしゃい!』と夜会に送り出されるようになったことだ。


 以降、約一年の間、私は未婚の貴族の子息が参加する夜会を荒らしまわることになる。

 もちろん、私には荒らすつもりなんてないし、夜会に出る真の目的はジュエリーの流行調査と市場調査なんだけど。冷やかし半分に誘ってくる子息が後を絶たず、彼らの恋人や婚約者たちにあること無いこと噂されて、すっかり男漁りの尻軽悪女のイメージが付いてしまったのだった。未来の顧客である貴族女性に嫌われてしまっては、調査どころじゃない。


 肝心な結婚相手探しも、夜会で良い雰囲気になって結婚を意識した途端、その人のやばい性的嗜好が公になったり、客室に連れ込まれそうになったり、第八夫人になれと言われたり、顔を見るなり逃げられたり…………我ながら男を見る目が無さ過ぎる。


 いよいよ後がなくなって、第八夫人でも良いじゃない! とか思い始めた頃、夜会で度々アーサーを見かけるようになった。

 華やかな見た目はさらに色香を増して、私を見つめるエメラルドグリーンの瞳は浮ついた夜の熱を孕んで怪しい金色に光る。私を見つけると、あんな別れ方をしたのが嘘のように親しげに話しかけてくるから、他の男性が萎縮して逃げていっちゃうし、私も勘違いしそうになる。アーサーが毎回違う女を連れているのも気に食わない。


 あの手紙を受け入れていたら、貴方の隣にいたのは私だったのかしら?

 選ばなかった選択肢の先に幸せの未来を見てしまったような気がして、未練と後悔に押しつぶされそうだった。





 学院卒業から一年が経とうというその日も、隣の領地で開催される夜会に参加することになっていた。


「貴女がもう十年早く生まれていたら、お妃様候補に挙がっていたでしょうに」


 私の真紅の髪を梳かしながら母は心底残念そうにため息を吐く。四姉妹の中で、私と一番下の妹アンジェリカは父親似だ。今は二つの意味で丸くなってしまった父だけど、若い頃は髪も豊かでかなりの美男子だったらしい。母はことあるごとに父の昔の写真を引っ張り出してきて、私の顔と見比べては褒めそやす。そして最後には必ず――。


「いいこと? アビゲイル。男は顔で選んだら絶対苦労するわよ!」


 で、締める。頬に力を入れて堅い表情で頷く私を見て、母も満足そうに頷いて部屋を出て行った。

 そうね。将来ハゲないかも重要なところよね。と、娘が心の中で付け加えているなんて思ってもいないだろう。


 贅沢するお金なんて無いはずなのに、どこからどうやって調達したのか流行りの背面が腰まで空いた扇情的な黒のドレスを着せられ、華やかに結い上げた赤毛に髪飾りを差す。気が強そうと言われる所以の鉄色の眼の印象を和らげるためにまつ毛を盛って、濃い目に化粧を塗る。最後に真っ赤なルージュを引くと、側で見ていた妹たちが歓声を上げた。


「お姉様素敵よ」

「さすが、赤がよくお似合いです!」

「お姉ちゃん可愛いー! いいなー。アンもお姫様みたいな格好したーい」

「……ありがとう」


 本当は自分たちだって綺麗な格好をして夜会に出たいでしょうに。妹たちはいつも私を優先してくれる。きらきらと眼を輝かせて手放しに誉めてくれる妹たちの顔を見ると、泣き言なんて言ってられない。

 イライザ、ルイーズ、アン……お姉ちゃん、絶対大金持ちの良い人と結婚して、あんたたち全員が無事に学院を卒業して、何の憂いも無く好きな人と結婚できるようにしてあげるからね!


 そんな決意を新たに、結婚相手を探すはずだったんだけど……。出発直前、突然母も参加すると言い出したのだ。その時点で何だか嫌な予感はしていた。夜会の中盤、母に無理やり引っ張られて会場を離れ、用意されていた一室に押し込まれた時、ついに私の自由な時間は終わったのだと理解させられたのだった。


 室内で待っていたのは、ひょろりと背の高い酷薄そうな口髭の老紳士。撫で付けた金髪には白髪の筋が混じり、不自然な笑みに歪む目尻の皺と青白い顔が冷酷さを滲ませている。


「ガードナー卿、こちらがわたくしの娘、アビゲイル・シア・オーヴェルでございます」


 ガードナー卿は母の紹介など聞いていないようで、ギラついた眼で私を上から下から舐め回すように見分する。いやらしく這う視線を浴びながら、私は心を無にして耐えていた。

 ガードナー……ってまさかライナス・ガードナー子爵? 悪徳高利貸しで有名な?


 夜会を飛び回るうちに、私の耳にも彼の噂が入ってきていた。詐欺師と組んで政敵に多額の借金を負わせて追い落としたり、没落貴族の娘に他国の富豪との縁談を押し付け紹介料を掠め取ったり、農作物に病気をばら撒いてわざと不作にした土地を不当な安価で買い占めたり……。ガードナーの不穏な噂は後を絶たない。

 噂に苦しめられてきた私は話半分で聞いていたけれど、実際会ってみて受ける印象は最悪で、噂通りかそれ以上の悪人だったとしても驚かない。


 横でペラペラと商品説明をする母の声を真顔で聞き流し、どうやってこの場を切り抜けるか思案していると、突然ガードナーは私の顎を掴んで顔を上向かせた。好色な視線が、私の眼の奥に怯えを見出して嗜虐的に嗤う。


「よろしい。見事な赤毛だ。見目も悪くない。先方もさぞお喜びになるだろう」

「まぁ! それはようございました! ガードナー卿にお任せすれば安泰ですわね!」


 手を叩いて喜ぶ母を横目に、ガードナーは私を放し、まるで汚いものに触れてしまったかのように神経質にハンカチで手を拭う。拭ったハンカチをその場に投げ捨てて、嗤いながら部屋を出ていった。

 ……込み上げる怒りに、震えが止まらない。今すぐ顔を拭きたいのは、私の方よ!


「お母様……私を売って、いくら貰ったの?」


 最後までガードナーにペコペコしていた母は、一度も私を顧みることは無かった。額の血管が今にもぶち切れそうな怒りを押し殺して訊いたけれど、私の低い声音は溢れ出る不満を隠せない。母は容赦無く私の頬を張った。


「売っただなんて人聞きの悪いことを言わないで頂戴! わたくしは貴女が傷心していると思って黙って一年待ったけれど、結果を出せなかったのは貴女じゃないの。今年はイライザが卒業するのよ。貴女にはさっさとお嫁に行ってもらわないと、下がつかえて困るでしょう? これは妹たちのためでもあるのよ」

「困るのは、あの子たちじゃなくて、お母様でしょう!? 信じられない! 娘をよりによって詐欺師に売るなんて!」

「口を慎みなさい!」


 再び手を振り上げた母を突き飛ばして、私は部屋を飛び出した。


 結局、私の帰る家は大好きな妹たちが居るあの家しかないって分かってる。

 私は可愛くて優しくて賢い妹たちを愛してる。気弱で尻に敷かれっぱなしのハゲぽちゃなお父様のことも愛してる。古くてボロくて隙間風が吹く我が家のことも愛してる。捨てて逃げたりしないから、せめて今夜だけは……。

 ――何もかも忘れて、ただのアビゲイルに戻りたかった。

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