注文の多い婚約者

小湊セツ

第1章 アビゲイル編

第1話 理不尽な注文

「こんな……こんなふざけた条件……貧乏男爵の娘だからって馬鹿にしないで!」


 王侯貴族も通う由緒正しき王立学院の廊下に、私の悲痛な叫びがわんわんとこだまする。近くの教室から生徒が顔を出し、遠い廊下の先を歩く生徒のグループが何事かと振り向く。生徒同士の諍いを止めるべき教官も、見るに耐えない残酷な絵画を見たかのように、痛ましげな表情で足早に去っていく。明日の今頃は学院中の噂になっているだろうけど、今はそんなことを気にしていられない。


「どういうつもりなのアーサー!? あんた、これ読んでないの!? おかしいと思わないの?」


 私は頭ひとつ分高いところにある恐ろしく整った顔を睨んで、ぐしゃりと握りしめた手紙を封筒ごと突き返した。

 アーサーは私の憤りなんて意に介さず、ぐしゃぐしゃになった手紙を嫌味ったらしく丁寧に伸ばす。割れた封蝋に押された月と狼の紋章を確認して、呆れたようにため息を吐いた。何度見返してみても、紋章は間違いなくアーサーの実家、建国十功臣にして東の辺境伯と名高いセシル伯爵家のものである。


「うちが古臭い保守的な家だってことは、知ってただろう? 今更何を言ってんだ」

「限度ってものがあるわよ!」


 千年続く名家のセシル伯爵家と、祖父の代に爵位を買った新興貴族の我がオーヴェル男爵家とは月と小石ぐらいの格差がある。本来なら、こんな風に砕けた口調で詰って良い相手ではないのだけれど、この学院では身分を盾に権力を振りかざすことを禁じられている。学院に在籍している間は、王族も貴族も平民も外国人も平等に扱われるので、お咎めは受けないというわけ。


 学院の校則を味方に非難轟々の私を見て、アーサーは高名な芸術家が掘り上げたかのような白皙の美貌を僅かに歪めた。絹糸のような白金の髪が目元に垂れて妖艶な影を落とす様は、交際を始めて半年が経った今でも慣れそうにない。思わず、見惚れてしまう。彼の萌える若木のようなエメラルドの瞳が文字を追う間、私は手紙の内容を思い出していた。


 私たちは今年十八歳になり、成人となった。自分たちの責任で結婚できる年齢になったのだけど、相手は名門貴族の嫡子で、うちも末席ではあるけど一応男爵家である。トラブルを避けるためにも、事前にご両親に報告し許可をいただいてから、正式な手順を踏んで結婚する方が良いと、私は彼のお父様であるセシル伯爵にお手紙を書いたのだ。

 学院卒業まであと三か月に迫り、このまま交際を続けてゆくゆくは結婚したいと考えています。つきましては、両家を交えた婚約の話し合いをさせていただきたい旨、アーサーと連名で書いて送ったんだけど……。セシル家から返ってきたのは、ありえないほど時代錯誤な注文の羅列だった。


 内容を要約するとこうだ。


 一、結婚後は領主の許可無く領地を出ることを禁ず。

 二、実家から連れてきた使用人は領内に入る前に全員帰すこと。

 三、いかなる理由があろうと、領主の許可無く外部と社交をしてはならない。

 四、オーヴェル家への援助はしない。また、実家の家族と会えるのは年一回七日間のみ。領主の許可が得られない場合は家族であっても領内に招いてはならない。

 五、領地から人・金銭・物品・動植物を持ち出すことを禁ず。

 六、全ての書信は検閲が行われる。領内の情報を漏洩した者は厳罰に処す。

 七、白い毛皮を着てはならない。

 八、濃い化粧や強い香りを纏ってはならない。

 九、結婚後は首から肩を露出してはならない。

 十、家業・領地経営・城内人事への口出しは無用。

 十一、領主・夫・夫兄弟の仕事への詮索を禁ず。

 十二、領内で篤く信仰される月神・月女神に常に敬意を払い、領内に棲息する狼は神獣として丁重に扱うこと。

 十三、以上十二条が守れぬ場合、領主は婚姻を認めない。


 四つ目ぐらいまでは苦笑いで読んだけれど、五つ目の持ち出し禁止とか、六つ目の検閲とか情報漏洩とか……私、諜報員かなにかだと思われてるの? セシル家には、そんなやばい秘密があるの??

 七つ目の白い毛皮って、急になに!? 八つ目、九つ目は完全に趣味の問題よね?? まさか伯爵の?? 婚約したいのは貴方の息子ですが!?


 最後まで読んで、これって遠回しなお断りよね? という結論に至った。

 顔を合わせる前から、理不尽な注文をつけてくるなんて、嫌がらせとしか思えない。十三ヶ条を承諾してお嫁に行ったとして、幸せになれる未来が見えない。せめて、実家で小さい頃からお世話してくれている侍女を連れて行くことができれば心強いのに、先方は私の身ひとつで来いと言う。いびる気満々じゃないの!


 いびられるのは嫌だけど、それだけならまだ許せた。問題は実家への援助のことだ。

 私には三人の可愛い妹たちが居るので、実家への援助は私の稼ぎから捻出するつもりだった。そのためにこの学院で六年間必死にジュエリーデザインと魔石の加工を学んできたのだから。十歳下の末の妹が学院を卒業して、良い人と結婚して家を出るまで頑張ろうって思ってたのに、金銭を送ることを禁止されたら妹たちは学院を卒業する前に結婚させられるかもしれない。そんなの絶対ダメ! 妹たちを見捨てて私だけ幸せになるなんて、そんなの耐えられない!


 私が妹たちを大切に思っていることは、アーサーもよーく知っている。だから、こんなのは絶対おかしい。伯爵家の嫡子だからといって、成人した子の結婚に親がここまで干渉するなんて! って、怒ってくれると思ってた。

 けれど、私の予想に反して手紙を読み終えたアーサーは鼻で笑う。手紙を折りたたんで封筒に戻すと、私の手に握らせた。


「……まぁ、最初から飛ばし過ぎだが、間違ったことは書いていないと思う。君はそろそろ妹離れするべきだ」

「は? 嘘でしょ。あんたもこういう思想なの!?」

「思想ね。そうとも言える。俺たちにはどうにもならないんだよ」


 こんな手紙無視していい。二人で幸せになろう。

 そう言ってくれると、思ってた。


「君は、受け入れられない? 何よりも妹たちが大事?」

「当たり前でしょう!?」


 姉妹で協力し合って、娘を金持ち貴族に売りつけるための商品みたいに扱う母から、お互いを守ってきた。妹たちが居たから耐えられた。なのに、妹離れしろ、ですって? どうしてそんな酷いことが言えるの? 貴方に何かして欲しいわけじゃない。セシル家からの援助もいらない。だからせめて、口先だけでも私の思いに寄り添う姿勢を見せてくれたら、一緒に乗り越えようと言ってくれたら、それだけで私は頑張れるのに。

 けれど、彼が私の望む言葉をかけてくれることはなかった。


「……なら、仕方ないな。君に譲れないものがあるように、俺にも譲れないものがある」


 いつも冷静沈着で頭脳明晰で。何も言わなくても私の思いをわかって、気を利かせてくれて。一見冷たそうに見えて、その実、私を見つめる彼の眼の奥は熱い。非の打ちどころのない、私の恋人。

 貴方となら、多少の苦労も楽しめるって、そう思ってた。――なのに。


「アビゲイル。君との婚約を破棄させてもらう」


 いつも通りの澄ました綺麗な顔で、『君が好きだ』と言ってくれたあの時と同じ、低く響く優しい声で告げられた言葉に、私の頭の中は真っ白になった。

 は、と声にならない問いを溢して彼の顔を見上げる。


「な、にを、言って、るの……? どうして親の言いなりなの? いつものあんたなら、こんな理不尽『馬鹿げてる』って笑うところでしょう? ねぇ、どうしたの? 今、婚約できないと、私……」


 アーサーに断られたら、私は卒業と同時に顔も知らないどこぞの富豪の元に嫁ぐことになるだろう。働く貴族の女性を見下す母が見つけてくる人だ。結婚したら、私の仕事なんて許してくれない。私だけじゃなく、妹たちも売られてしまう。

 制服の襟を掴んで揺さぶっても、彼の眼は揺らぐことなく私を真っ直ぐに見ていた。


「君の不安は分かっている。金が必要なら俺に婚約破棄の慰謝料を請求すればいい」

「いらないわよ! そんなもの!!」


 私はカッとなって反射的に拒絶していた。

 婚約といっても、まだ本人同士の口約束の段階だ。何か契約書を取り交わしたわけじゃないから、お金で無かったことにできると思ってるのかもしれないけれど、あまりにも情が無さ過ぎる。好きだったのは私だけだったの? 貴方も同じ気持ちでいてくれていると思っていたのに。


「……あんたは、私がお金のためにあんたと付き合っていると思っていたの?」


 震える。握り締めた手も、膝も、声も。答えを聞くのが怖い。嫌いになりたくない。ねぇ、どうか否定して。

 彼の顔を見上げる。アーサーはいつも通りの美しい微笑みを浮かべている。こんな時でも変わらないってことは、普段からそう思ってたってこと?


「違うのか? セシル家の子息に取り入って誘惑しろ。金を引き出せと君の母親に言われたんじゃないのか? 俺は別にそれでもいいから君と……」

「――最ッ低!!」


 バチンと破裂音が廊下にこだまする。思いの外大きな音に、私は我に返った。

 人を叩いたのなんて初めてだった。衝撃に痺れる手が震えて、痛い。平手打ちしてしまったという事実が、身体中をゾワゾワと這い回って気持ちが悪い。

 恐る恐る見上げた彼の頬には、痛々しい真っ赤な手形が残っていた。


「なんで……あんたが」


 振った方のあんたが、そんな悲しそうな顔をしているのよ。


 湧き上がる嗚咽を必死に噛み殺して、私はその場から逃げ出した。

 彼の憐れむような視線の先に、もう一秒たりとも居られなかったのだ。

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