第7話 罠にかかったのは

「……説明して」

「うん」


 馬車の向かいの座席に腰掛ける夫は、胡散臭い笑みを浮かべて頷いた。

 神殿から遠ざかるごとに現実感が増す。怖かった。祭壇を破壊すれば結婚を免れるかもしれないけど一発で破門だ。流石にそんな勇気は無い。もうだめだ。神様はこの結婚を祝福した。私はこの人と最低十年は結婚生活を続けなくてはならない。全部終わった。……そう思った。


「私、心配したのよ? 貴方が危ない目に遭っているんじゃないかって。来れない事情があるんじゃないかって!」

「ありがとう」

「……っ、アーサー、なんでしょう?」


『アビー。俺たち、夫婦になったんだよ』

 彼が耳元で囁いた時、ふわりと届いた愛しい香りを、私が間違えるはずがない。そこでようやく彼の正体に気付いた私に、彼は光の無い甘く濁った蜂蜜のような瞳で笑った。

 絶望のどん底に差し伸べられた手はどす黒く汚れていて、待ち望んだ綺麗な王子様の姿とは程遠い。その手を取ったら、今度は違うもっとドロドロで熱い沼の底に引き摺り込まれる予感がしたけれど、彼という怪物に魅入られてしまった私にはそれがお似合いのように思えた。


「ああ。君の夫のね」


 夫は魔道具の眼鏡を外して、綺麗にセットされた髪をぐしゃりとほぐす。髪はまるで洗い流したかのように色を変えて、元の白金色になった。あんなに会いたかったのに、顔が見れないぐらいに視界が滲んで、涙が零れ落ちそう。飛びついた私を、彼は強く抱き留め膝に乗せてくれた。


「ぅぅぅううもう……大嫌いよ! 馬鹿!!」

「ごめんて」

「もうやだ。一生許さない。貴方、神様の前で嘘を吐いたのよ!?」

「嘘じゃないよ。俺はシュセイル王国の貴族でもあるし、ローズデイル大公国の貴族でもある。フルーリア伯爵家の血を引いている正当な後継者だし。君が心配しているようなことにはならないよ」

「わかんない! 説明して」

「ちょっと長くなるけど、寝ないで聞けよ?」


 苦笑混じりの彼の声に安心してしまう自分がチョロくて嫌い。腹いせに、「納得できる内容じゃ無かったら、魔石を爆破するからね!」と宣言すれば、「それは困るなぁ」と、アーサーは事の始まりから話してくれた。





 今から二十三年前のことだ。ロシュフォール伯レイモンド・フルーリア卿がガードナー一味によって陥れられ、領地を奪われる事件があった。領地を奪われれば、当然税収も見込めない。取引相手からも見限られ、膨らむ負債を抱えてフルーリア伯爵家は没落した。気落ちしていたところに、流行病にかかって伯爵夫妻が亡くなり、残された双子の姉妹はそれぞれの特技を生かして別々の道を歩むことになった。


 姉は治療魔法を学ぶためにローズデイル大公国に渡り、そこで大公に見初められ結婚。妹の方は首都で貴族の子女の家庭教師をしていたが、姉の結婚式に呼ばれて訪れたローズデイルでセシル伯爵に出会い、後に結婚した。


 姉妹は幸せに暮らしました。めでたし、めでたし……御伽話ならここで終わるんだろうが、姉妹が結婚した相手はどちらも執念深くてね。それで許すほど甘くはなかったんだ。


 義父のフルーリア伯爵を死に追いやり、姉妹の故郷ロシュフォールを奪ったガードナーを密かに追い続けていた。ただ、あいつを恨んでいる奴は他にもたくさん居たので、向こうもなかなか尻尾を出さなくてね。証拠を集めるのに手間と時間がかかってしまい、復讐は息子の代――つまり俺たちに持ち越された。


 俺の従兄弟――ローズデイル大公国の第一公子ジェイドは、投資が趣味でね。投資で儲けた金で、今から三年前にロシュフォールを買い戻したんだ。弟の第二公子が成人したら領地として与えるつもりだったらしいが、ロシュフォールは度重なる山火事や冷害で荒れ放題で、住民もほとんど残ってはいなかった。

 それに、シュセイル王国内にローズデイル大公国の飛地ができたことを快く思わない者たちが街道を封鎖したりしてね。復興させようにも資材も人員も運べない……断念すべきか迷っていた頃に、雲隠れしていたガードナーが再び動き出したという情報を入手した。


 俺たちは、ガードナーの息の音を止めるために罠を仕掛けることにしたんだ。


 まず、公王陛下に御助力いただいて、アーサー・ロイド・フルーリアという名の男にローズデイルの伯爵位を授けてもらい、『ロシュフォールを大公国から買い取ったフルーリア伯爵という富豪が、赤毛の花嫁を探している』という噂を流した。――二十年以上前に踏み潰した家の傍系の生き残りが、良いカモになって社交界に戻ってきた。ガードナーはすぐに接触を図ってきたよ。


 フルーリア伯爵は、夜会でよく見かける気の強そうな赤毛のお嬢さんが気になっていてね。それとなく『あの娘が欲しいなー』なんて溢したら、ガードナーが気を利かせて彼女の母に話を持ちかけ、婚約を取り付けてくれたんだ。お嬢さん本人は何にも知らなかっただろうけど、二人はもう婚約していたんだよ。


 伯爵は婚約の成功報酬と言って最初に提示された金額の倍額を支払った。そして『逃げられないように、今すぐにでも結婚したいんだ。もし私の希望が叶ったらその時はまたお礼をしなくてはいけませんね』と言って煽ったんだ。

 上客だと思ったんだろう。あとは勝手に暴走してくれたよ。ガードナーはオーヴェル男爵夫人の尻を叩くために『娘をすぐに結婚させなければ、借金のかたに娘を売ったことを公にする』と脅迫して、結婚式の日を早めてくれた。


 俺はそのやりとりと、金銭の流れの全てを記録して、結婚式の日に金を渡すことになっていると第五騎士団に通報しておいた。ついでに、両親にも少し時間をずらした招待状を送って……あとは君も知っている通り。

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