第3話 狼の集会、羊の密会

 長く連れ添った夫婦にも見解の相違があるものだ。恋人同士なら言わずもがなだろう。

 俺は確かに婚約は破棄したが、別れたつもりはなかったし、また友人として側に居られるものだと思っていた。

 婚約の件は仕切り直してアビゲイルの希望に沿うように整えてから再度申し込むつもりだ。細かい条件等話し合いが必要なのに、アビゲイルに避けられている。あれから一度も言葉を交わしてくれない。


 押して駄目なら引いてみるかと、都合良く寄って来た女性を恋仲のフリをして連れ回してみたが、見向きもしてくれない。逆にアビゲイルの周りに男が湧いて、そちらへの対処の方が手間がかかった。俺のアビゲイルが魅力的で困る。

 俺にしてみれば深刻なだったのだが、弟たちは揃って砂糖を吐きそうな顔をする。


「イカレてんのか?」


 と言うのは、ひとつ下の次男デニス。兄弟の中で唯一母譲りの銀髪を持って生まれたが、その性格は全く似ても似つかない。繊細な見た目に反して兄弟の中で一番口が悪い。俺の可愛くない弟その一だ。


「人の心が無さ過ぎて引いた」


 とかほざくのは、二つ下の三男ヴェイグ。獣人の身体能力を活かして騎士になることを目指している脳筋である。十六歳ながら、既に俺とデニスの背に追いついて、追い越されるのも時間の問題だろう。狼がそんなに図体ばかりデカくなってどうする? 見た目からして可愛くない弟その二である。


はイカレてないし、人の心を持っている。もっと優しい言葉をかけろ。泣くぞ?」


 アビゲイルを真似てみたが、弟たちには大変不評のようで。デニスは青い顔で二の腕を摩り、ヴェイグは激しく咽せている。久しぶりに集合したというのに、本当に可愛くない弟共である。


 俺は上着の内ポケットから煙草を取り出し、一本咥えるとガタガタと軋む教室の窓を開けた。今は使われていない旧校舎は生徒の溜まり場になっていて、二階の旧生物学教室はセシル家が喫煙所として使用している。

 南国の妖しい蝶の標本や、薬品に漬けられた蛙や蛇や何かの眼球、小型竜の化石に魔獣の剥製など、不気味な展示物が未だ残されているので艶やかな密会には向かず、誰も入って来ないので隠れて煙草を吸うのに都合がいい。


 獣人は鋭すぎる嗅覚によって知りたくないことまで知ってしまうので、嗅覚を誤魔化すために未成年の内から煙草に頼る者が多い。俺たちセシル家もそのご多分に洩れず、母と現在八歳の四男以外は喫煙者だ。

 獣人用に成分を調整された煙草なので、身体への害は少ないが匂いが残りやすい。窓を開けて吸わないと、教官に目をつけられて面倒なことになる。

 窓脇の壁に寄りかかってオイルライターの蓋を弾き、発火石を擦って火を点けようとした時、外から女性の話し声が聞こえた。


「私たちは大丈夫よ。お姉様」

「泣かないでお姉様」


 聞き覚えのある声だった。彼女らが呼ぶ〝お姉様〟が誰を指すのか、姿を見なくても容易に想像できる。弟たちにも聞こえたのだろう、責めるような視線が俺の顔に突き刺さった。


「……んね……なお姉ちゃんで……ん……」


 シュセイル王国は世界の最北に位置する国。十二番目の蒼の月ともなれば、大地は雪に閉ざされる。厚く降り積もった雪に声が吸収されたのか、或いは顔を伏せて囁いたのか、獣人の聴力を持ってしても彼女が何を言っているのかまでは聞こえなかった。

 窓から吹き込む風に旧生物学教室は凍えるほどの寒さだったが、誰もそこから動くことができず気不味い沈黙が続く。俺は煙草に火を点けず、ライターを握ったまま、窓の外から聞こえる彼女の声に耳をすませていた。


 やがて、雪をさくさくと踏みしめて遠ざかっていく三人分の足音が聞こえると、俺は煙草をケースに戻してガタつく窓を閉めようと手を伸ばす。ちらりと窓の下、足音が去った方向を見やれば、明るい栗色の長髪の女が俺を見上げていた。やや吊り気味の眼に強い敵意と怒りを込めて。

 ――エリザベス・オーヴェル……アビゲイルが溺愛する妹のひとり、イライザ。

 敵意を悟られるようでは、まだ甘い。俺は外向けの顔でにこりと微笑んで窓を閉めると、踵を返して教室の扉へと向かう。


「……おい。あれ、放っておくのか?」

「エリザベスさんも、ルイーズも無関係なのに、随分酷いことを言われているみたいだが……」


 人の心を持ったお優しい弟たちは、血の繋がった兄よりも兄の恋敵の方が心配らしい。


「何故俺が気遣ってやらなければならない?」

「何故って、俺たちは……」


 誇り高き月狼の一族、セシル家だから? 高貴なる者の義務ノブレスオブリージュってやつか?


「そんなに気になるなら、お前たちが手を貸してやるといい」


 そんなものクソ喰らえだ。

 俺は振り返らずに手をひらひらと振って教室を出た。





 弟たちに宣言した通り、俺は手を貸す気は無い。……だというのに、どうして俺が感知できる範囲内で問題を起こすのか!


 昼休みに一服できなかったので、人気ひとけの無い校舎裏を通って煙草を吸ってから寮に戻ろうとしたところ、四人組に囲まれているイライザを目撃してしまった。煙草に火を点ける前だし別にやましいことは何も無いが、俺は咄嗟に物置小屋の裏に身を隠す。

 またもや吸えなくなってしまった煙草をケースに戻しながら、極力意識を遠く彼方に向けようとするが、獣人の耳には彼女らの話がよく聞こえてしまう。


「卒業間際に破局だなんて、お姉様お可哀想に」

「お気を落とさないでくださいませ。お相手はあのセシル家のご令息ですもの。最初から住む世界が違ったのですわ」

「今から結婚相手を探すとなると、同年代は難しいでしょうけど、アビゲイルお姉様の魅力があればきっと良いご縁がありますわ」

「わたくしたち陰ながら応援しておりますわ」


 表面上は気遣わしげにイライザに慰めの言葉をかけているが、意訳すれば『いい気味だ』『身の程知らずが』『老人の後妻になればいい』『愉快な続報楽しみにしてます』である。言葉通りの意味と真に受けてはいけない。

 アビゲイルならこんな時、謎の悪女スイッチが入って高笑いしながら煽り返して追い払うのだが、見た目も性格も控えめなイライザには難しいらしい。「ご心配いただきありがとうございます」と丁寧に答えるに留まった。


 こちらからはイライザの表情は見えないが、声音がブレなかったので表情が崩れることはなかったのだろう。やっぱり俺が手を出す必要無いじゃないかと、その場を離れようとしたのだが……。


「ところで……アビゲイルお姉様は、卒業祝賀会にはご参加されるのかしら?」

「いけませんわ! そんなことを尋ねては」

「ダンスもございますし、パートナーが居ないと参加できないのでは……あら、私ったら。ごめんなさい」

「おつらいでしょうし、無理に参加する必要は無いのではなくて?」


 くすくすと悪意に満ちた笑い声が風に乗って届く。……今のは、イライザじゃなくてアビーへの当て擦りだよな?

 嘲笑されるのがアビゲイルならば放っては置けない。それに、アビゲイルが卒業祝賀会に参加するのかどうかは、俺も知りたいことだったから。


 ――この行動に、それ以上の理由は無い。


「やあ、イライザ。ちょっと話せるか?」


 俺がイライザの背後から親しげに声をかけると、イライザを囲んでいた四人組がみるみる顔色を変える。イライザは小さくため息を吐いて振り返り、制服のスカートを摘んで軽く膝を曲げてお辞儀した。


「ご機嫌よう。アーサー様。私のことはどうかエリザベスとお呼びください」

「随分他人行儀だな。君がお義兄にい様と呼んでくれたら考えよう。……それで? 返事は?」

「生憎、今は大事なお話をしているところでして……恐れ入りますが、日を改めていただけますでしょうか」

「ふぅん?」


 訊き方が威圧的になってしまったのは否めない。だが、俺にここまでさせたのだ。拒むことは許さない。

 イライザの後ろ、真冬だというのに玉のような汗を額に浮かべた四人組は、俺が視線を向けた途端にガタガタと震えだす。


「わ、わたくしたちの用事は終わりましたので!」

「どうぞ! お二人でお話しくださいませ!」

「エリザベスさん! アーサー様をお待たせしてはいけないわ!」

「わたくしたちはこれで失礼いたします!」


 早口で言って、脱兎のごとく逃げ去って行ったが、しっかり顔を見てしまったしなぁ。あいつらにどうお礼をするかは、後でゆっくり考えるとするか。

 ともあれ、邪魔者は消えた。


「……だそうだが?」

「かしこまりました」


 イライザは俺を上目遣いに睨んで、渋々頷いた。

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