第5話 赤毛ちゃんとオオカミ

 学院に入る直前の十二歳の冬のことだったと思う。

 母の買い物が終わるのを待つ間、近くの河原で魔石の材料になりそうな小石を物色していたところ、大きな岩の影に珍しい金色の石を発見したのだ。

 すっごい魔石が作れそう! と、ワクワクしながら近づくと、石だと思っていたそれには、もふもふとした被毛があった。何か小さな生き物が丸まって寒さに耐えているらしい。


「なーんだ。石じゃないのかぁ」


 ガッカリはしたけれど、今までに見たことの無いメタリックな輝きで火花のような赤い燐光を放つ金色のもふもふから眼が離せなかった。ゆっくり近づいて、そっと触ってみて、びくっと手を引っ込める。もふもふしてるからあったかいのを想像していたのに、もふもふの被毛は薄ら凍りついて氷針鼠に触れたみたいに冷たかった。ぷるぷる震えているし、このまま寒空の下に放置したら死んでしまうかもしれない。


 可哀想になってしまった私は、マフラーを広げて謎のもふもふを包んだ。河原に転がる大きめの石を馬蹄状に並べて小さな竈門を作り、即席で作った火の魔石を投げ入れる。忽ちぼうっと炎が上がり、周囲の空気が柔らかくなった。マフラーに包んだ謎のもふもふを抱えて石の上に座り、たき火にあたることしばらく。もふもふから三角の耳がにゅっと生えてきた。

 あったかくなって身体がほぐれてきたのかな? 頭を撫でてみるとまだ短いマズルの先の小さな黒い鼻がピクピクと動く。仔狐かと思ってたけど、仔犬だったみたい。抱っこした重さが当時まだ赤ちゃんだったアンと同じぐらいで、愛着が湧いてしまった。


「あなた、どうしてこんなところにいたの? パパとママは?」

「……クーゥゥ」

「置いていかれちゃったの?」

「ウー」

「そうなの」

「ゥゥ」

「……じゃあ、うちの子になる? あなたまだ赤ちゃんでしょ? うちにも赤ちゃんがいるのよ。仲良くしてくれる?」

「……」


 答えてくれなくなったので、もしかして人の言葉がわかってる? うちの子になるの嫌なのかしら? なんて思って、近づいてきた気配に気付くのが遅れてしまった。突然仔犬が「キュー!」っと哭き出したので何事かとその視線の先を追ってみれば、私のすぐ後ろに大きな犬――いや、狼が忍び寄っていた。咄嗟に仔犬を隠そうとギュッと抱きしめたけれど、よく見れば被毛の色が仔犬と似ている。もしかして、この仔の家族かしら? 光沢のある上品な金色に、顔と足先と尻尾の先が白い綺麗な毛並みの狼だ。


「この仔を迎えに来たの?」


 狼は緑の中に金色が混じった不思議な色の眼で私を睨みつけ、前足でタシタシと地面を叩いて『早く寄越せ』と催促する。流石に狼に襲われたら怖いので、包んでいたマフラーを解いて仔犬を渡そうとしたんだけど……仔犬が「キュゥゥゥゥ」とか細い悲鳴を上げてぷるぷると震え出した。


「まだ寒いのかな? この仔あの岩場で震えてたのよ」


 仕方なくもう一度マフラーに包んで抱っこしてあげると、仔犬は安心したように哭くのをやめた。迎えに来た狼は胡乱げに私を見上げて、その場に腹這いに伏せる。たき火で温まりながら私のことを監視することにしたらしい。

 火を怖がらないし、噛み付かないし、みだりに吠えないし、おとなしいし、臭くないし、綺麗だし……この狼さん、野生ではなさそうだ。そういえば、お隣のセシル家は狼を飼ってるって聞いたことがある。この子たちはセシル家から来たのかもしれない。だとしたら、やっぱり返してあげなくちゃ。赤ちゃんが居なくなって心配してるに違いない。

 小さな寝息を立て始めた仔犬を、包んだマフラーごと鼻先に置いてあげると、狼は眉間に皺を寄せながら私を見上げた。


「寝ちゃったみたい。今のうちにママのところに連れて行ってあげて」


 本当はうちに連れて帰って、アンの友達になってくれたら良いなと思ってたけど、やっぱり家族と一緒が良いもんね!


「寒そうだから、マフラーはあげるよ」


 と続けると、狼は困ったように耳をぺしょっと寝かせた。本当に言葉が分かっているみたいだ。皺の入った眉間をぐりぐり伸ばして、あったかそうな頬のもふ毛をわしゃわしゃすると、狼は眼を細めて私の掌に頬擦りしてきた。冬毛でふわふわの手触りが気持ちいい。


「ふふふ。かわいい」


 もっと撫でたかったんだけど、遠くから「アビー!」と母が呼ぶ声がしたので慌てて手を離した。


「お母様が来ちゃうから早く……って、あれ?」


 振り向いた時には、狼も仔犬もいなくなってた。

 高級なマフラーは失くすわ、大人の居ないところでたき火するわで、私はめちゃくちゃ怒られて、学院に出発する日まで謹慎を喰らうことになっちゃったのは痛い思い出だ。





 眠る前にセシル家の紋章を見たからかしら?

 朝陽を浴びて光る金の懐中時計をぼんやりと見つめながら、私は昨夜見た懐かしい夢を反芻していた。思い出に浸っていたいけれど、なんと言っても今日は私が嫁ぐ日だ。朝が来てしまったのなら準備しなくちゃいけない。

 ベッドの天蓋から垂れるカーテンを開き、呼び鈴を鳴らしてしばし待つ。我が家は使用人が少ないので普段は全部自分で支度するのだけど、今日は特別だ。『お支度をお手伝いいたしますので、眼を覚まされましたら、お呼びください。くれぐれもおひとりでなさらないように!』と重々言いつけられている。


「おはようございます。お嬢様。本日のお召し物をお持ちいたしました」


 扉をノックする音の後に、傭兵の目を誤魔化すため、侍女とメイドに化けたイライザとルイーズが部屋に入ってきた。『私たちは地味な顔立ちですし、お母様はご自分の衣装選びでお忙しいですからバレませんよ』なんて言ってたけど、お仕着せ姿が可愛い過ぎてお姉ちゃん一目で分かっちゃったわ。


「ええ。ありがとう。今日はよろしくね」


 バスルームに向かいながらイライザの手に懐中時計を渡す。私がお風呂に入っている間に、ウェディングドレスに魔石と懐中時計が入るポケットを作ってくれることになっている。

 決戦は三時間後だ。当日まで待ったけれど、彼から連絡は無かった。あの夜の彼は誠実に思いを伝えてくれたから、何かのっぴきならない事情があって助けに来ることができないのだと思っているけど……最悪の場合を考えて準備しておいた方が良い。私には魔石があるからある程度身を守れるし、命や貞操の危機に陥ったら爆破も辞さない。

 そんなことよりも、あの人が無事なのか……ただ、それだけが心配だ。

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