第6話 入浴

 やがて侍女は廊下を進んだ先の扉を開けるとその中へと私をいざなった。


 …ここは脱衣所かしら?


 孤児院にはお風呂場はあったが、脱衣所なんてものはなかった。


 小さい頃は芋の子を洗うような状態でお風呂に入れられ、さっさと服を着せられた。


 年長者になると先生達と一緒に小さい子供達の面倒を見なくてはならなかったから、ゆっくり入ってもいられなかった。


 おまけに冬場はお湯を沸かす回数を減らす為に、二日に一回の入浴と決められていた。


 孤児院を出てジェシカと住んでいた部屋にはお風呂なんてなかったから、生活魔法のクリーン魔法で身体を綺麗にしていた。


 前世の時でもこんなに広い脱衣所なんて普通の家庭には無かったわ。


 キョロキョロと脱衣所の中を見回していると、侍女の一人が私の服を脱がせにかかった。


「ジェシカ様、失礼いたします」


 あっという間に服を脱がされて素っ裸になった私はそのまま浴室へと連れて行かれた。


 そこに置いてある椅子に腰掛けさせられ、お湯をかけられる。


 数人がかりで髪や身体を洗われると、ようやく浴槽へと身体を浸した。


 …こんなふうにゆっくりとお湯に浸かるなんて、この世界に生まれてから初めてだわ。


 もしも孤児として生まれなかったら、もっと普通の生活をしていたのかしら…。


 目を閉じてそんな事を考えていると、不意に目頭が熱くなった。


 涙が零れそうになり、慌ててお湯をすくうとバシャッと顔を洗う。


「ジェシカ様、どうかされましたか?」


 私の様子に驚いたように侍女が声をかけてきた。


「何でもないわ。…そろそろ上がっても良いかしら?」


 そう尋ねると侍女が手を貸して私が浴槽から出るのを手伝ってくれる。


 浴槽から上がるとそのまま脱衣所に連れて行かれて全身をタオルで拭かれて着替えさせられた。


 身に付けられるのは触った事もないような上質の生地で作られたドレスだった。


 こんな綺麗なドレスが私に似合うのかしら?


 そんな事を考えている間にもドレスを着せられると、今度はドレッサーの前に座らされた。


 髪をくしけずられた後でヘアスタイルが整えられ、軽く化粧が施される。


「まあ、お綺麗ですわ、ジェシカ様」 


 正面の鏡に映っていたのは先程までのみすぼらしい少女ではなくて、どこからどう見ても貴族のお姫様だった。


 …これが私?


 思わず頬に手をやると、鏡の中の少女も同じポーズを取る。


 そこでようやく鏡に映っているのが紛れもなく自分自身だと実感した。


 足にも真新しい靴が履かされたけれど、いつの間にこんなにピッタリな靴を用意したのかしら?


 あのまま生活していたら、一生かかっても履けそうもないような高級そうな靴だ。


 全ての準備が整うと一番年配者らしい侍女が満足そうに頷いた。


「それでは参りましょうか。ジェシカ様、お立ちください」


 そう言うと侍女は私に手を差し出して椅子から立ち上がるのを手伝ってくれた。


 初めて履いた少しヒールのある靴に恐る恐る立ち上がったが、ピッタリとフィットした靴は痛みを感じなかった。


 そのまま侍女に手を取られて脱衣所から出ると、廊下を元来た方へと戻って行く。


 そのまま玄関ホールに出るとそこには執事のモーガンが待っていた。


「ジェシカ様、旦那様の所に行く前に一つだけお伝えしておきたい事がございます」


 私が近付くとモーガンがそう切り出した。一体何を言われるんだろう?


「この度、ジェシカ様の行方を探されたのは奥様のラモーナ様です。残念ながらジェシカ様が見つかる前にお亡くなりになりました。もしかしたら旦那様もジェシカ様を歓迎されないかもしれません。その事を心に留めておいてください。…準備はよろしいですね。それでは旦那様の所へ参りましょう」


 …つまり、先程のハミルトンのように辛辣な言葉を投げられるかもしれないって、事ね。


 モーガンが先導する後を侍女に手を取られて進んで行く。


 廊下にもカーペットが敷き詰められていて、足音がしない。


 広いお屋敷の中をどこまでも歩いて行くと、ようやくモーガンが一つの扉の前で足を止めてノックをした。


「旦那様、ジェシカ様をお連れしました」


 モーガンが声をかけると一呼吸置いたところで返事が返ってきた。


「入れ」


 …これがジェシカのお祖父様の声?


 …このままジェシカのフリを続けられるのかしら?


 私はゴクリと唾を飲み込んで、モーガンが開けてくれた扉の中に足を踏み入れた。

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