第7話 Hasta La Vista (アスタ・ラ・ビスタ)

 六月下旬。憂鬱になるような毎日の雨。

 激しく降り続けるのでもなく、降ったりやんだりを繰り返すのでもない。

 一定の雨量がただただ繰り返し降る日々だった。

 あれからしばらく経った。伊香保は次のお礼参りをまだ言い出してこない。

 あの秘書さんの一件依頼、どうやら少し慎重、もしくは神経質になっているようだった。警戒しているとも思えた。

 そのあたりでいくつか気になったことがあり、僕らは手分けして調べてみることにした。

 まず一人目の元彼、嬉野さんが住んでいた学生向けアパートだが、完全に専門のプロの管理会社によって管理されており、管理人さんはいないそうだ。これはその管理会社に直接電話して聞いた。なかにはオーナーさんが手ずから掃除をしにくる場合もあるそうだが、少なくともあのアパートはそういうことはないらしい。

 だとすると、あの時出会った女中さん風(もしくは売り子さん風)の女性は一体誰だったのだろうか。

 単にアパートのほかの住人だったかも知れない。あのアパートは学生向けだが、別に学生しか住んではいけないわけじゃない。普通に社会人も住んでいる可能性はある。

 だけど、住人が玄関先まで掃除するというのはちょっと考えにくい。潔癖症や殊勝な性格なら分かるけど。

 全くの部外者だとしたらそれは考えると謎が深まって恐くなる。

 白骨先生の所で会ったナイスバディ秘書さんは、実際に勤めている本物の研究室付き秘書さんだった。週三で勤務しているようだ。これは伊香保が聞いて確認したことなので間違いない。

 あの日、お手洗いに行ったと見せかけ、彼女は研究棟内を歩き回り、知り合いと会っていたと言う。その知り合いとは研究室付きのもう一人の秘書さんのことだった。

 まだ伊香保が白骨教授とつきあっていた頃、その秘書さんはあの男のアリバイ作りや逢い引き場所の手配などを嫌々やらされていたらしい。

 彼は何人もの女性を同時に相手にしており、既に当時から女癖が悪かったようだ。

 と言うか、もっと若い頃からの不治の病なのだろう。

 その秘書さんは、複数人いる浮気相手のなかで一際若い伊香保を心配して、親身に相談に乗ってくれたそうだ。別れるきっかけもその人の後押しがあったかららしい。

 ちなみにあの日、教授と会うアポを取ってくれたのも同じ人だった。

 その人から聞いた話では、例のナイスバディ秘書さんは白骨先生自身がどこからか採用してきて、一年前くらい前から勤めているとのこと。

 だけど絶対に顔の左半分は露わにしないし、着替えは人に見えないように徹底しているし、どこの出身か、結婚しているのか、趣味は何か、プライベートに関して全く教えてくれず、それどころか飲んだり食べたりしているところさえも見せない、とか。かなり怪しい人物らしい。

 そう、『とか』と言えばあの語尾だけど……。

 とかとか。などなど。

 なんで二人の女性が同じような語尾を使っていたのか分からない。

 偶然かもしれないが、まるで「あたし達は同一人物ですよ。気づきなさいよ、おばかさん」と言っているかのようだ。

 まさか、だ。

 あの二人が似ているかどうか記憶に自信ないが、そんな偶然あるだろうか?


 まだ梅雨の明けていない七月上旬、伊香保の部屋に招待された。

 何度目かになる。家に上がる前に、雨露がかかって濡れた制服の上着をハンカチで拭いていると、伊香保がタオルを持ってきてズボンを拭いてくれた。

 ちょっと感激。でも微妙な場所だから少々遠慮も欲しい。

 当たり前と言えば当たり前だけど、家での彼女はスーツじゃなく普通の服装だ。

 これまた内面とは裏腹の花柄がお好みのようで、今日は白地の花柄ワンピース。丈は長い。膝上何センチというより足首上数センチだ。

 一つ、彼女の容姿に変化があった。

 髪の色が一層明るく抜けていた。

 もともと茶髪だったのが、もうほとんど赤毛に近い。

 彼女に赤はよく似合う。イメージ的にも。

 そう言ったら、大きな口をにっと曲げて照れたように笑った。

 伊香保は附属高校から駅一つ分離れた借家に住んでいる。

 家族は両親とお兄さん、弟、それにおじいちゃんだ。伊香保は意外と言うと失礼だが家族思いで、特にお兄さんとおじいちゃんは大好きらしい。

 今日はお母さんとおじいちゃんがご在宅だった。お兄さん以外とは全員お会いしている。同じ学年で同じクラスということもあり、比較的友好的に受け入れられている、と僕は思っている。多分。

 今までの彼氏がぶっ飛び過ぎていたせいなのか、やっと普通の人が来てくれた、という雰囲気だった。


 彼女の部屋に入ると、また以前より物が増えていた。

 例の極彩色の標本もそうだが、フラスコやビーカー、ピペット、それと染色液などの各種薬品など。数も種類も、かなり増えている。

 これらはガラス棚にきちっと整頓されてあった。

 水槽も何台か追加され、そこで生きているサカキが飼育されている。

 水槽の一つには、例の鋏を接ぎ木されたイセエビもどきがいた。別の水槽にも何かいるみたいだが、暗幕が掛けられている。夜行性なんだろうか。

 前から部屋に置いてあったものはそのままだ。でっかい冷蔵庫と、研究者仕様の高性能顕微鏡、小型の遠心分離器。それから解剖台。

 伊香保の私室はちょっとした研究室だ。

 あと、前に来たときにはなかったものは……。

「伊香保、このユニットバスくらいの大きさの入れ物は何?」

「培養器。温度設定して大腸菌とか培養出来るの」

「大腸菌っ?」

「例えばの話。普通の研究室だとよく使うらしいよ。安心して。これに細菌は入ってないから。さすがに家族も嫌がるしねー」

 それはそうだろう。

「ここにはサカキの内臓の細胞が入ってるの。取り出した臓器を薬品液と混ぜて、こう攪拌してね、そのあと培養するの」

 片手を何か抱えるように固定して、もう片方の手でかき回す仕草をして見せる。

 まるでボールに入ったケーキ生地をゆっくりかき回しているようだ。お菓子作りに嵌まっていた頃を思い出す。

「これだけの物をよく揃えたよね。一体お金どれくらい使ってるの」

「基本、あたしのポケットマネー。前にも話したけど、標本とか研究データとか、学会が結構高く買ってくれるの。さすがに培養器は親に半分出してもらったけど。あとはー、白骨先生の所からお古をいくつかただ同然で譲ってもらった」

 すごいなあ。情熱ってすごい。家族公認ってのもすごい。

 中途半端で浅い僕とは、ホント正反対だ。

「今ね、細胞を培養してそこからDNAを抽出してるの。サカキって外見が違うのが多いから種族別に分類するのが難しいんだけどー、この方法ならほぼ確実に系統が分かるのよ。めちゃくちゃな進化をたどってきた生物だって、道筋が一応あるはずだからねー」

「それって、大学生レベルじゃないの!?」

「まあでも、あたしこれしかやってないし。あはは」

 彼女のやっていることはいわゆる分類学だ。

 サカキは太古の昔からいたけれど、種類が多い割に個体数があまりに少ないため生物学としてはまだまだ始まったばかりらしい。

 言ってしまうと、ダーウィンの時代くらいのレベル。

「こんなに部屋いっぱいにしちゃって。どこで寝てるの」

「もうここじゃ無理。だからお兄ちゃんの部屋を借りて寝てる。お兄ちゃん、家を出て自活してるからもう使わないって。実はね、あっちにも液体窒素に酵素、それとPCR装置が」

「……もういいです」


 ひとしきり研究の話を聞いて、一段落着いたところで別の話題を切り出された。

「三人目はね、『魔女リカ魔女ルカ』。またお願いするね」

 来た。お礼参りの件だ。やっぱり今日はその話だったかあ。ん?

「今、名前なんて?」

「『魔女リカ魔女ルカ』。アバターの名前なの。本名は知らない」

 まじょりかまじょるか? なんだその化粧品の商品名みたいな名前は。

「SNSで知り合って、アバター同士で結婚したの。あはは、あたし仮想世界ではバツイチ」

「それって、元彼にカウントするの?」

「ま、一応、ね。ジョークとユーモアも込めて」

 何だか安心した。また凄い過去バナ聞かされるかと思った。

 あれ? 元彼のアバター名にしては……。

「そのアバター、なんか女の人みたいな名前だね」

「うん、あたしは男のアバター使ってたの。そしたらね、逆に男なのに女のアバター使っている人がいて、その人と話している内に意気投合して、で、コミュ内で結婚式を挙げたわけ」

 喋りながら伊香保は自室のパソコンの電源を入れて起動させた。

「サカキの情報を探すために会員になったんだけど、最近あまり使ってないのよねー。あの人いるかなー」

 そうか、ほかにもサカキを調べている人達はいるんだ。なかには仲間を探している人もいるだろうな。情報交換や仲間探しにSNSはうってつけだ。


 目的のサイトにたどり着くと、遊園地を模した空間の中で今現在アクセスしている世界中の人達のアバターが無数に動いていた。

 伊香保のアバターはホストみたいなイケメン。

 服装は黒スーツだった(こっちでもスーツか)。

 この手のは僕もやったことがあるけど、やっぱりと言うか少し遊んでアバター改造して、程なく飽きてしまった。楽しいことはきっといっぱいあったはずだけど、何故か段々とやる気が減ってしまい、自然消滅的に訪れることはなくなった。

「いた」

 どうやら探し人は見つかったようだ。必ずしも会えるとは限らないから、これはラッキーだ。

 しかし、パソコン画面を覗いてみると何だか奇妙なアバターがそこにいた。

 左手が一本に対して右手が二本、顔には右眼一つに左眼三つ。

 ドレス姿の貴婦人の姿。

 周りを見ればほかにも奇天烈なアバターはいっぱいいるからさほど目立たないのだが、サカキのことを知っているとこれはかなり恣意的に思える。

 伊香保がアクセスを試みる。画面上で会話が展開されるが、どうやら相手も彼女のことを覚えていてくれたようだ。


『ね、ね? あたしあたし。あたしだけど、覚えてるー?』

『そんな詐欺にはひっかかりません。嘘。覚えてる。2πrさんでしょ、元夫の(苦笑)』

『この前は急に怒ったりしてごめん。突然だけど今度会える?』

『いいよ。前に会ったカフェとか』

『うん。そこで』

『それともアレな感じのショップとか』

『カフェでいいよ』

『あっち系の書店、とかとかー』

『だからカフェでいいって』


「と、言うわけで、今度の土曜日午前十時に会うことになりました」

「伊香保、今のやりとりでちょっと気になる点が」

「うん、キミが言いたいことは分かってる。だけど多分、それはすぐ解決することになると思うから」

 言いながらも伊香保は笑ってない。唇の端がくいっと持ち上がって笑顔ではあるけど、眼鏡の奥の眼は妙に物憂げな雰囲気だ。

 隠していることがある、と思った。

「それでね、お願いがあるの。今度はキミ一人で行って欲しいの。それで適当に会話して、頃合いを見て一発がつんとヤっちゃって?」

「ええっ!」

 いきなり何を言い出すんだ。僕に何させる気だ。だから僕を何に巻き込む気だ。

 て言うか、やっぱりお礼参りするんだ。

「僕腕力ないよ? 相手本当は男だろ? 無理だって」

 今までの二人だって結局僕は必要なかった。

 一人目の大学生は抵抗出来る状態じゃなかったし、二人目の教授は抵抗する素振りもなかった。だから僕はそもそも必要なく、伊香保一人で目的を達成できた。

 でも今度は彼女本人は来ずに、僕だけが行って殴れと言うのか?

 滅茶苦茶だ。知らない人間を殴ったら取っ組み合いになるかも知れないし、警察沙汰になるかも知れない。

「相手は女、だよ」

「そうか、なら、いや良くない。あれ?」

 話おかしいぞ。

「うん、あのね。ちょっと分かりづらい話なんだけど」

「ん?」

「あたし、それまで濃い関係ばっかりだったから、男の人とこうやってネットを介してただ会話するのがかえって新鮮で」

「ふんふん」

「話している内にいつの間にか自分の中を占める割合が増えていって。あたしね、本当に好きになったのよ、実際に会ってもないのに、色々と想像したりして。この人なら今度こそ長続きするかもって思ってた」

「ああ、そ、そう」

「思ってた……のに。いざ会ってみたら、出てきたのは女の人だった。笑えるでしょー?」

「んんっ?」

「魔女リカ魔女ルカはね、『女のアバターを使う男』の振りをした『女』だったの」

「へっ!?」

彼女は一旦、言葉を切ってから少し声量を上げて言った。

「乙女心を弄ばれたって言ったらキミ笑う? でもあれほど怒ったのは自分でもびっくりだった。会って即絶交宣言してお店出てきちゃった。彼女とはそれっきり」

 それは、成程。二例にも共通する感情。

 傷つけられて怒るのは当然だ。そしてこういう彼女の一面は、やっぱり人間くさい。日頃人間味が少なく見えるから、こういうのを知るのは喜ばしいことだけど。

「だから、お願いしまーす」

 そう言って彼女は手をひらひら振った。いってらっしゃい、と言う感じで。


 七月。最初の土曜日。

 まだ雨の日は続いていて、陰鬱な気分はさらに深まった。

 これから女性を殴りに行く。

 どうなっちゃうんだろ。捕まるかな。何とか穏便な形で済ませられないだろうか。

 軽く握ったげんこつで、ちょんっとおでこを小突くくらいで。

 こいつぅー、みたいな感じで。

 待ち合わせ場所のカフェに着く。

 全国でも有数の電気街。周囲は僕も好きなゲーム、アニメ、マンガ、フィギュアなどの専門店が建ち並ぶ。歩く人達も普通の格好の人に混じって、ゴスロリやコスプレ、リュックを背負ったオタクなど少々不思議な風体の人が多くいた。

 お帰りなさいませー、とお店の人に迎えられて席に着く。

 フリフリのメイド衣装のウェイトレスさんが可愛すぎて思わず見入ってしまい、おかげでいくらか気分が晴れた。気恥ずかしいのでごく普通のアイスティーを頼む。店の中のテレビではバーチャルのディーヴァが歌っていて、それを見て時間を潰すことにする。

 約束の時間から待つこと十五分。相手がやって来た。

 ――ドレス姿だった。


 さすがこの街は異質なものを受け入れるキャパが大きい。

 当然ながら、外も同じ格好で歩いていたはずだが……。

 店内のほかの人達は一瞬視線を向けただけで、それ以上は別段気に止める風もない。

 僕は席を立ってその人のところへ歩いて行き、伊香保の代理で来たことを告げた。

「そう。やっぱり会ってはくれないのね」

 そう言って、ドレスの女性は僕と真向かいの席に座った。

「始めまして、リカルカさん。僕は鳴子と言います」

「リカルカ? いいわね、それ頂くわ。鳴子さんは2πrさん……タチバナさんのお友達なの?」

「ええまあそんなもんです」

 2πrとは伊香保のアバター名。タチバナから同じ柑橘類のオレンジとなり、オレンジがO―rangeで円周となって、2πrとなる。ややこしい。

 この女性は、見た目二十代くらい。物腰にちょっと気品を感じさせる。

 丁寧な濃いめのお化粧をしていて、鳥の尾羽の付いたつばの広い帽子を被り、長袖のドレスに白い長手袋、靴も隠れそうなロングスカートを穿いていた。

 まるで体を一部分でも外には見せたくないような服装だった。

 顔はモデルのように小さく、鼻筋が通っていて、頬はふんわりと柔らかな輪郭を描いている。

 その中でぽってりとした肉厚の唇が一際映えていた。さらに目に付く点として、尖ったバストが前方へ飛び出るようにして張っていた。

 もう一点気になるのは、左の眼の下に二本、ひっかき傷のようなものがある

ことだ。

 何だろう、変は変だけど、ただ変なだけじゃない。

 この人は全体的に何か違和感を感じさせる。……いったい何だ。この奇妙な感覚。

「伊香保から、これを渡すよう、言付かってきました」

「まあ、これ、以前会ったときにプレゼント交換するはずだったものね」

 もっとも、これは本来の目的を隠すためのカモフラージュだ。さすがに殴りに来ましたとは言えない。とは言え、渡すつもりなのは本当。

 僕は鞄の中から、お菓子などを入れるような可愛い絵柄の紙袋を相手に手渡した。

 マナーに反するかと思ったが、気になったので聞いてみた。

「あの、良ければそれが何か教えて貰えますか」

「え、ああ、いいわよ。これはね、『種もみ』よ。これを蒔けばまた実らせることができる、とてもとても大事なものよ。手に入れるのは難しいの。彼女にはありがとうと伝えてちょうだい」

 種もみ。なんでそんなものを?

「こちらは何も用意してないわ。ごめんなさい。代わりと言ってはなんだけど、後で何か彼女の役に立ちそうな情報を送るわね」

 猫耳のウエイトレスさんが、リカルカさんの頼んだアップルティーを運んできた。

「ひとつ、ふたつ、みっつ、角砂糖って最近じゃ白砂糖だけじゃなく三温糖とかいろいろあっておもしろいわね。まあ、ここのはただの白砂糖だけど。よっつ、いつつ、むっつ」

 彼女はじゃぼ、じゃぼ、とティーカップに角砂糖を沈めていく。

 うげげ、やり過ぎだ。明らかに溶媒の限界を超えている。飽和して下に砂糖の沈殿層を作っていた。

「甘いのが、お好きなんですね。伊香保のやつはコーヒーもブラックですけど」

「あなたも角砂糖いかが? それともシュガースティックとかのほうがお好みかしら」

「どちらも変わらないんじゃないですか」

「シュガースティックは大抵人工甘味料が入ってるから、カロリーは少ないわよ。それともシロップとかのほうがいいかしら。粉じゃないから溶け残りがなくていいわよね。シュガースティックとか、ふふっ、シロップとかとかぁー?」

 どきっとして顔を見ると、左右対称に目と口でにこりと笑った。

 ……何か、何か変だ。……語尾も。

 とにかく、とにかくここは当初の目的を達成しなくては。なんとか一発でいいから殴らなくてはいけない。今までは僕は傍観者だった。今回は伊香保がわざわざ頼んでいる。どんな形であれ、やっておかないと彼氏としての体裁が悪い。

 しかし滅入るなあ。

「あの、鳴子さん、これでお話はおしまいですか? せっかくここまで来たのに、勿体ないですね。さっきはタチバナさんとはお友達と言いましたけど、本当のところは……、彼氏なんじゃないですかぁー?」

「!」

「やっぱりそうですか。彼女のこと、好きなんです?」

 会話の方向が妙な風向きになってきた。これでは毒気が抜かれてしまう。

「どうなんでしょう。好き、なんでしょうかね……。自分でも最近はよく分からなくなってきました」

 これは言葉通りの意味じゃない。

「あら、でもつきあってるのなら、気持ちを言葉に表したりするんでしょう?」

 どうだったか、なあ。

「僕らの場合、逆なんです。始めに言葉があって、気持ちは後回しになってます」

 単なる聞き間違いでつきあうことになったことを簡単に説明した。

「ふうん、あたしたちはアバター同士とは言え、よく話をしたものだけど。そんな適当なことして、あの子一体何考えてるのかしら。ねえ、鳴子さんは彼女と一緒にいてどうなの? 楽しくないの?」

「いえ、確かに楽しいですよ。サカキの採集や研究につきあわされてばっかりですけど、良いも悪いも含めて退屈しないんです。いつも僕の考える斜め上のそのまた向こう、あさっての方向へ行ってしまって。一人の人間とこんなに長く一緒にいるのは、家族以外では初めてかもしれません」

 リカルカさんは、両手のひらを組んで肘をつき、そこに顎を乗せて僕の話に聞き入っている。

「採集にはよく一緒に行くの?」

「ま、まあ。この前の日曜も電車で二時間もかけて田園地方に採集に行きましたし、って言うか大概彼女とは採集くらいしか外に出掛けてません。あいつ、映画とか遊園地とか遠回しに誘っても全然のってこないんですよ」

「でも、一緒の小旅行はやっぱり楽しい、と」

「う、ぐぅ」

 彼女は組んだ手に乗せた顔をくっとかしげるように傾けた。ドレス姿にも似合って可愛い仕草だが、なん、だろう、か。ぎこちない?

 やっぱり……、何か……変だ。

 年上のお姉さんにあしらわれているような状況になっている。僕も暴力を振るうなんてこと本音では実行したくないから、聞かれるまま流されるように答えて時間を引き伸ばしていた。

「普段はどんなこと話してるの。別にサカキのことばかりじゃないでしょ」

「ま、まあ、そうですね、好きな食べ物のこととか、家族のこととか」

 とかとかー。なんちゃって。

「ずばり、好きなのは彼女のどんなとこなのかしら」

「美人だから、て言ったら怒られますかね。好きなタイプではないんですけど。う~ん、長い首のうなじ、眼鏡越しの視線、大きな口も魅力的かな? あ、あと、あーはーはーっていう抑揚のない、本気で笑ってなさそうなあの呵々大笑。あれも今ではちょっと好きになりかけてますよ」

 でもやっぱり好きな部分より嫌な部分の方が多いと思います、と続けた。

 リカルカさんはそれを聞いて、大げさに両手を自分のほっぺに当てて、まあっと囁いた。

「元妻としては、のろけにしか聞こえませんねえ。あなた、彼女のこと何だかんだで大好きなんでしょう? 理想のつがいになれるんじゃないですか?」

 つがい?

 さっきから感じていた嫌な感じ、首筋に纏わり付く怖気、それが勘違いではないと感じた。

 ……何か変だ。この女の人は何か変だ。でも一体全体、何が変だと言うんだ?

 相手の女性から視線を外そうとして、ふと店内のテレビに目を向けると、さっきも見たCGで描かれたバーチャルアイドルが歌って踊っていた。

 それを見て分かった。気づいた。

 あれだ。不気味の谷だ。

 アニメにしてもCGにしても、リアルに人間そっくりにすると気持ちが悪くなる。

 だからバーチャルのアイドルはあえてデフォルメし、不気味の谷に入らないように気をつけている。その境界に近づいた恐しい不自然さが、この目の前の女性には感じられるのだ。

 化粧を厚く塗った顔はマネキンみたいだし、服装もコーディネートできているようでちぐはぐだし、身振り手振りも微妙にズレていて、まるで人間の真似をしているようにも見える。

 人間の、真似。

 この時点で、僕はほぼ確信していた。

 このまま当たり障りのない会話をしていけば良いものを、恐怖と好奇心で押し出されるようにして、ちゅるっと言葉が口から滑り出てしまった。

「あの、さ、さかき……さん、は、こ、これか、ら……、どうする予定……ですか……」

 彼女は片手を口元に当てて、はあっと息を吸い込み、驚いた表情をして見せた。

「あなたは知らないと思ってたけど。もしかして、今気づいた?」

 不安が的中したことを僕は悟った。


 次の瞬間、左眼の下のひっかき傷が急に上下に開いた。

 ぴきっと音がしたような錯覚を覚える。血が零れるかと思いきや、傷が開くと中には第二第三の左眼が装填されており、その三つの左眼で僕に対してウインクをしたのだった。

 縦直列の三連ウインク。

 僕は手をテーブルから膝の上へ置き直した。

 無意識に震え始めたからだ。

 心拍も何だか速くなってきた。それに引き替え、相手のほうはゆったりリラックスして、糖分過多のアップルティーを優雅に飲んでいる。

 この女の人は、……サカキだ。

 頼まれても会うべきじゃなかった。

 伊香保は知っていたのか? 知っていたのかも知れない。それについては後で問い質そう。さすがに笑って流せない。が、今怒っても後の祭りだ。

 僕は現時点、彼女と向かい合って座っている。逃げるにしても戦うにしても位置的に非常にまずかった。


 前から疑問には思っていたんだ。

 ひょっとしてサカキにも知的生命がいるんじゃないかって。

 そんな気がしていた。

 サカキは法則性が無い進化をするけれど、『表の樹形図』の生物のうち何かと似ているものが多い。イルカやサルに似たサカキもいるらしい。

 それに採集先などで生きているサカキを見かけたとき、なかにはこちらの言葉や考えを察しているようなものもいた。決して気のせいなんかではなかったはずだ。

 だから知性を持つ存在がいても全然不思議ではないと思っていた。

 だとすると一体、逆の樹形図のその最『高』到達点、いや逆向きだからこの場合、最『低』到達点か、それはどんな生き物なんだろう。

 いつしか僕は、その玉座にすっぽりと嵌まる人間そっくりのサカキを想像していた。

 今、まさにそれが目の前にいる。


 どう行動していいか分からず、しばらく会話が止まっていた。

 殴るとかとんでもない。切り抜けて無事に帰る方法を考えるので精一杯だ。でもそれなら尚更沈黙はまずい。

「驚かす、のが、す、好きな方なん、ですね。てて手加減……してくださいよ」

「そんな怖がらなくてもいいのに。今日はお話をしに来ただけなんだから」

「あ、あの、それで、これからどうする、お、お、おつもりでしょう」

「お話して、お茶飲んで、なんならあたしのおうちに招待しましょうか。ちょっと遠いから時間がかかるけど」

 首をかくんとほぼ九十度水平に倒して、三プラス一の瞳で視線を投げてきた。

 ほかの客や店員の中には気づいた人もいたようだが、ほとんど気にする様子が感じられない。この街ではこの程度は大した内には入らないらしい。それが彼女をどんどん大胆にする。

 あからさまに見られてさえいなければ、左眼を三つとも開いたままの状態で何ら気兼ねせず会話を続けていた。

 気づかれないよう気をつけて、そっと相手の右手を見る。

 右腕は、一本か? ひらひらとしたドレスの上からではよく分からない。

 確か伊香保が言っていた。

 アバターを自分とは全然違う姿にする人がいる一方で、自分そっくりにする人もいるって。

 それと自分の姿を偽らなくてもいいのが魅力の一つだとも。

 この人のアバターは左眼三つに右腕二本。……どうなんだろうか。

「どうする? 来ちゃう?」

「い、いえ、来ません行きません。これからどうする、と言うのはですね、そういう意味じゃないんですよ。あの、今後伊香保とは、どうするつもりなのかとか、サカキの研究を今まで通り続けるのかとか、そういう事です……」

 とかとかー、などとは心の中だけで。

 あんたの家まで行くわけあるかぁ。

「タチバナさんとは、すぐには仲直りできそうにないわね。いつか昔の事なんて笑って話せるようになりたいんだけど……。研究は続けるに決まってるわよ。自分達自身のことだもの。あなた達だって脳科学とか哲学とか色々自分達のこと調べてるじゃない。何かおかしいことでもある?」

「ないです……」

「それにしても、とか、とか、って続けるから、てっきり口癖を取られちゃうかと思ったわ。ほら、とかとかぁー?って。もしくは、などなどー」

 心中を見抜かれて、思わず顔が火照てった。恥ずかしい。だけどそう言えばあの二人の女性は一体何者だったんだ? まさか……?

「ひょっとして、リカルカさん、以前にもどこかで僕らに会ってますか」

「今更ね。ええ会ってるわよ。二回ほど。一回目はどっかのアパートだったっけね」

 やっぱり、やっぱりそうだったのか。だとしたらなおのこと、伊香保は彼女の正体に最初から気づいていたはずだ。くそう。

「タチバナさんと実際に会ったのは数年前の振られたとき一回だけで、格好も違っていたから気づいて貰えなかったようね。分かるようヒントは出してたつもりだったんだけど。まさか一瞥もくれずに去って行くとは予想外だったわ」

 どうだかなあ。

 伊香保は観察眼には優れているはずだ。気づかなかった振りの可能性はある。

「僕らを、その、見張っていた、のですか?」

「それは半分正解で半分誤解。あたしもあそこに用があったの」

 確か、掃除してたけど。あれが用事?

「二回目は、あたしが秘書として働いている大学の研究室だったわね」

「よく普通に働いてますね。ばれたりしないんですか」

 白骨先生は自分のところの秘書の正体に気づいているんだろうか。

「基本大丈夫よ。たまに気が抜けて全部の眼を開けちゃったりするけど。あなたも片眼をずっとつぶったまま作業するの難しいでしょ? そういうときにあの髪型が便利なの。顔の左半分を髪で隠せば、眼を見られるのを気にすることはないし」

 あの変則ボブカットにはそういう理由があったのか。

「タチバナさんにはタチバナさんでやりたいことがあるようね。あなた、彼女にどこまで付いてくつもり? 知らないわよ。食べられても」

 食べる。食べられる。僕が怖がってるの分かってて、ゾッとする事を言う。

 嬲られてる気分。

「食べられる、とは、サカキにですか?」

 あなたにですか?

「勘違いね。彼女に食べられちゃうわよって言ってるの。カマキリみたいに」

 片手でちょいーんと鎌を振るう仕草をした。

 カマキリとは。悔しいが言い得て妙。伊香保にぴったりの例え。

「気をつけます」

 ふふっ、と左だけ眉を上げ、右眼だけ半閉じで左右非対称に笑った。

 非対称が基本のサカキなら、これが本来の笑顔だと思われた。

 見方によれば意地が悪いか何か企んでいそうな笑いだが。さっきまでの左右対称の笑顔の方がきっと作り物なのだ。

「大分時間が経ったわね。うちに来る云々は冗談として、そろそろお開きにしない? 彼女に会えなかったのは残念だけど、代わりにあなたに会えて良かったわ。また今度お話しましょ。じゃあ、これ、あたしの名刺を渡しておくわね。捨てずにちゃんと持っててね」

 テーブルの上に置かれた名刺には、名前と携帯電話の番号、メールアドレスが記されてあった。そして名前には『高峰くらら』と。

「たかみね? え?」

「あたしの本名」

 ああ、そうか。人間社会に紛れて暮らしてるんだったら、人間としての名前があるのは当たり前なのか。たぶん戸籍だってあるだろう。

「良ければあなたの連絡先も、教えてくれないかしら」

 迷ったが断るのも恐くて、結局携帯番号もメアドも交換してしまった。

 じゃあまたね、と言って席を立った彼女を追い縋るようにして呼び止めた。自分のももに指を食い込ませて、恐怖をアースする。

「あの、最後に聞いておきたいことがあるんです」

 これの返事如何で覚悟を決めよう。

「伊香保のこと、好きでしたか?」


 友人としてはね、と答えたリカルカさんは伝票を取ってレジに向かっていった。

 もう少し詳しく質問を重ねるべきだとは思ったけど。

 例えば恋愛感情は全くなかったか、彼女が好意を寄せているのを気づいていたのか、など。でも多分返事はそれほど変わらないだろう。伊香保がネットの中で勝手に盛り上がっていただけだし。リカルカさんが悪いとは言えない。

 だけど約束は約束だ。

 外はまだ雨が降っていて、風が横薙ぎに吹いていた。

 いってらっしゃませー、と背中から声を掛けられて扉を開ける。

 そっとリカルカさんの横に立つ。

 深呼吸。

 伊香保には白骨教授を殴るなと言っておきながら、我ながら矛盾していると思う。

 でも腹は据わった。ぐっと拳を握り込む。

 リカルカさんは傘が飛ばされないよう両手で支えていた。外はそれ程までに強い風になっていた。

 チャンスだ。

 後ろ手に店の扉を閉めると同時に、彼女の顔を目がけて思いっきり右手を振るった。思わず目をつむってしまったのは、怖さと後ろめたさから逃れるため。

 しかし右手に衝撃はなかった。

 外した?

 いくら目をつぶっていても目測を誤るような距離じゃなかったはず。

 出した右手に引っ張られるように体が前方に倒れ込んでしまい、足で踏ん張ろうとしたところを後ろから肩を掴まれた。

 そのまま背中側に引き倒される。後頭部がふんわりと胸元で受け止められた。

「目をつぶってパンチするなんて」

 僕はリカルカさんの体に完全に支えられ、否、拘束されていた。

 傍目には背中側から抱きかかえられているようにしか見えないだろうが、僕はその状態で身動きが取れなくなっていた。

 そして、攻撃がどうして当たらなかったかを知った。

 僕の右手の拳は、彼女の『右腕』に払われていたのだ。

 今も手首近くを彼女の右手につかまれて捻られ、押すことも引くこともできない。

 左手は背中ごしに僕の胸へ。

 一方、傘の柄にももう一本右手があり、風に飛ばされないようバランス良くしっかりと握りしめていた。

 つまり腕は全部で三本あった。隠していた二本目の右手が僕の攻撃を防いだのだ。

 三つの左眼、二本の右手。予想通りだった。

 街には多くの人が歩いていて、こちらを見ている人達もいるが、これだけ正体を晒しても誰も騒ぎ出す様子はない。

 コスプレの延長か何かだと思われているんだろうか。リカルカさんが会う場所としてこの街を選んだのは、こういう理由もあるのかも知れない。

「さっきの返事で怒ったっぽいのには気づいてたけど、まさか殴りかかられるとはね。そんなに腹が立ったの?」

 首をひねって後ろにいるリカルカさんを見た。

「怒ったのは事実ですけど、本当に怒っているのは伊香保です。僕は代理ですよ」

 リカルカさんは右だけ眉根を寄せた。そして左の口角を上げながら呟いた。

「そこまで嫌われちゃってたのね。弄んだつもりはなかったんだけどな」

 それにしても、と続けた。

「あなた、喧嘩とかしたことないでしょ。よくこんな乱暴なことしようと思ったわね。無謀な勇気は嫌いじゃないけど。むしろ好きだけど。けどけど、そんなんじゃあ、あたし達雌から雄を奪えないわよ。あたし達サカキは父系遺伝の雌社会。雄を守るのは雌の本能。もう少し鍛えてから出直して来なさいな」

 そう言ってぱっと手を離した。

 急いで振り返り、少し距離を取る。リカルカさんは非対称に微笑んでいる。つかまれていた手首を薄ら寒い思いでさすった。

「お、雄を奪う、って、何のことですか」

「あら、知らなかったの? 教授も探してたでしょ。生命を産む存在は常に研究の対象になるから」

「サカキは雄が産む?」

「正確には、雄も産む。色々内緒にされてるみたいね。そう、あなたは巻き込まれ系。事故だわ」

 口をつぐんで俯いた。

「あなたとはきっとまた会えるわね。そんな気がする。今日のところは許してあげるわね。仕返しは今度会うときまでとっておこうかしら。そのときは容赦しないから。気持ちの面でもね。じゃあ、またね」

「う、」

「またね」

「……ええ」

「またねまたね」

「……」

「またね」

 雨で濡れているのか、冷や汗で濡れているのか分からなかった。

 同じ言葉を繰り返されるだけで、こんなに圧迫感のある脅しになるなんて。

 呆然としている僕を尻目に、リカルカさんは歩いて行った。二本目の右手を胸元に隠して。

 そうか、あの不自然に飛び出たバストは右手を胸元に回していたからか。

 ちょっとがっかり。


「伊香保、知ってたなあっ?」

 なにが? という表情で僕を見上げた。

「相手の女性がサカキだったことだよっ」

 とぼけるな。

「あ、やっぱりそうだったの」

 この、こいつ、しれっとしやがって。

「まじで怖かったんだからな。一応渡す物は渡してきたけど」

 いつになく口調が乱暴になるのを自覚するが、しょうがない。

 なのにこの女子は、

「約束は? 一発ヤってくれた?」

 などと聞きやがった。

「なああああに、言ってんだぁあぁあぁあっ!」

 こっちの剣幕に伊香保が少したじろいだ。微妙に困惑しているようだ。考えてみれば彼女に対して怒ったのは久しぶりだ。

「や、ごめん。危ないことはないと思ったから」

 白々しいことを言うが、顔はこわばっている。怒らせたことを本当に悪いと思っていそうに見えた。……多分。

「うん、まあ、もういーよ。でも最後にきつい脅し受けた」

「ホント、ごめん。キミにはお礼参りの事で手伝ってもらってばっかりで、いつか謝らなきゃ、お礼しなきゃって思ってたの。ごめんなさんです」

「変な謝り方だ」

「ありがとんでした」

「気持ちが入ってないよ」

「えー? じゃあ、どうしたらいいの? あ、だったら、こうしよ? 一回手伝ってくれたらキミのお願いを一つ聞く。どう? 今までのも含めて三回分お願いしてもいいよー。無理のない範囲でなら何でもオーケー。どうどう?」

 同じ言葉を繰り返すの、やめて。連想するから。

 でも願ってもないこと。乗っておくかな。

「それって、ひょっとして」

「ん?」

「もしかして、もしかすると」

 僕が言いかける途中で伊香保はびっと平手を立てて突きだした。

 言わなくても分かる、という制止のジェスチャーだ。

「えっちなことでも、全然いいよ」

 おおう。えぇーっと。

 間違ってはないけど。

 控えめに、言ってみるだけ言ってみるつもりだったけど。

 なんか見透かされてるなあ。

 最初の二人のことを聞いてたから、下世話な気持ちで期待してたけど、案の定大丈夫な様子だった。

 言っちゃあなんだけど、ぺったんこのくせにぃ。

「じゃあ、取り敢えず」

 伊香保は居住まいを正して、目を閉じて聞き入る姿勢を取った。

 マジだな。それとも試してるのか。または、からかってるのか? ただ乗ってしまうのは悔しい気がした。

 ここは予想を外そう。よし、これでも喰らえ。

「学校に、来てくれない?」

「それは嫌」

 意表を突いたつもりが即答された。

 とりつく島もなく断固拒否だった。口調はフラットかつ無感情で、その一言だけで説得は無理だと判断できた。

 それで一気に空気が冷えたので、お願いはまた後日に繰り上げられてしまった。


 数日後、リカルカこと、高峰くららさんからメールが届いた。

 内容はどこで知ったのかサカキの発祥地の一つの地名だった。

 白骨教授がらみか、はたまた独自の情報か。それは信憑性がどこまであるのか疑わしいものだったが、伊香保はそれを聞いて顔を明るくした。

 ぱあっという音が聞こえるような笑顔で、大きな口をさらに大きく開けて笑った。

「あははー、それきっとホントだよ。信じていいと思うよー。地名に心当たりがあるの。そうかあ、昔の地名だったのかあ、それは気がつかなかったなあ。それにしてもすっごい偶然! これであの子、見つけられる。四人目は別れたあと、連絡が付かなくなってたのよねー」

 何を言っているのかよく分からないが、どうやら四人目とその地名は関係があるらしい。

 その四人目の元彼の名前は、国見藜(あかざ)、と言う。

 いつか話していた、年下の彼氏だ。

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