第14話 在天願作比翼鳥(てんにありては・ねがわくば・ひよくのとりと・ならん)
気がつくと、国見荘にいた。
傷はなかった。説明されなくても大体の察しは付いた。
あのときリカルカさんが残していった無精卵。伊香保はあれを僕に使ったのだろう。
だから今、僕の体は嬉野ナツメや紫苑さんと同じになっているはずだ。
伊香保は仕方がなかったのだと言った。それ以外助ける方法はなかったと。
僕もそれは覚悟していた。感謝しこそすれ、怒るわけもない。
けど、伊香保は「ごめんなさんです」と謝り、体調について細かく心配した。
幸い、不調はない。嬉野が言っていたことを信じると、失敗した場合は寒気など何らかの体調不良が生じるようだ。家に帰ってからどうなるか不安だが、多分僕は運良く当たりを引いたのだろう。
国見くんは完全に元通りだった。
あのあと、意識を失った僕を伊香保と一緒にここまで運んでくれたらしい。
山の中、高校生女子と小学生男子で僕の体を運ぶのは大変だったろう(ちなみに国見くんは残された嬉野の服を着て帰ったとのこと)。
彼の体も不調はない様子で良かった。足の羽毛も元通り。それを見て彼は、折角だからこれは無くなっていると良かったのに、と軽口を叩いていた。
紫苑さんはしばらく石のままで結構、とのことだった。
会話のなかで紫苑さんは、昔の有名なSFマンガについて話してくれた。その作品では、ネットに自由に出入り出来る存在を新しい生命と表現していたらしい。
まさに今の自分の状態のことだな、このままで十分強力だと、はしゃぐように話していた。
そして、僕たちのことを祝福してくれた。
結局その日の晩も国見荘に泊ることになり、僕は両親に怒気を含んだ声で電話越しに強く責められた。
伊香保の方もさすがに家の人に心配されて小言を言われたみたいで、少し落ち込んでいた。
再三のことながら、またもや旅館の方(国見くんの親御さん)のご厚意でご飯を頂き、お風呂にも入らせてもらい、服の替えまで用意してもらった。本当に有り難い。
この日の夜はさすがに色っぽいことがあるわけでもなく、風呂から上がるや二人とも疲れて泥のように眠った。
深夜、僕のスマホに着信があった。
眠気と疲れで重い頭のまま起き上がり、スマホを手に取って急いで部屋を出た。着信を見るとリカルカさんからだった。
今回の件の僕に対する謝罪と、無事助かったことへの安堵を述べ、そして嬉野ナツメはもう僕らに手出しをするつもりがないこと、彼と再契約したこと、白骨教授の秘書はまだ続けることを付け加えた。
最後にリカルカさんは伝言をくれた。
「『オオヒコ様』はあなたのことを聞くと、また息子が増えたと喜んでいたわ。困ったときはいつでも頼ってくるように、とのことよ。命の父と呼ばれるだけあるわ。母性愛に似たその包み込む優しさ、大らかさが、あの方の本質なのね」
思わず涙がこぼれそうになった。
自分がもう純粋な人間、父と母の子供ではなくなったことで、存在の拠り所がなくなったと感じていた。
だからこのオオヒコ様の言葉には、自分でも想像していた以上に救われたようだった。いつかまた、落ちついたら挨拶に伺おう。
次の日の早朝、国見荘を発ち、旧・山女魚群を後にした。
そして無事に家に帰り、長かった旅行が終わった。
八月。
僕らはまた採集へ出掛けた。何度も、色々な場所へ出掛けた。
でもそのほかにもたくさん遊びに行った。
夏祭りに行った。花火を見に行った。海水浴にも行った。
念願の着物姿も見られた。水着はノーコメントだった。
ひとつ、気になることがある。
お願いのこと。
あれから伊香保はお願いについて何も言ってこなくなった。
お礼参り一回につき、お願いが一つという約束だった。
だけど結局紫苑さんにはお礼参りをしなかった。
湖に投げたのは違うだろう。ならお願いは四つになる。
叶えてもらったお願いは、学校に来る、可愛いこと言う、胸を触る、眼鏡を借りるの四つ。
元彼達との馴れ初めを聞くのはカウントしないと自分で言っていた。
ひっかかるのは嬉野には二回お礼参りしたことになるんじゃないのか、ということだ。となると、お願いが一つまだ残っていることになって数が合わない。
それを言い出さないのは、もうどこかでお願いを叶えたからなのか?
僕はあのとき、死の間際で伊香保にお願いをしなかっただろうか。
実際はあれはお願いなどではなく、一種のけじめみたいなもんだったけど、形としてはお願いになっていた。
だとすると……。
……悲しい推測をしてしまう。
まあ、いいや。結果オーライということで。
そして九月。
二学期の始めの日。
伊香保は僕の家の玄関先で、制服姿で待っていた。
どういう心境の変化か、髪が黒に染め直されている。
「あははー、黒髪処女」
いや、処女じゃないだろう。
まだ強い夏の日差しが残ってはいたが、風は涼しくなってきていた。
僕は手を伸ばして、彼女の手を握った。
握り返してくれた。
やっぱり彼女の手は暖かい。
伊香保タチバナ。
一五才。理系女子。好きな食べ物はコーヒーと明太子フランス。
興味のあることにしか興味がない。
命の大切さよりも、自分にとっての価値が優先。
ちょっと残酷。
感情はあまり出さず、造って偽る。抑揚のない笑い方。
眼鏡。虚数カップ。基本スーツ。
早く大人になりたい病。
鳴子アシタバ。
十五才。平々凡々な男子。食べ物の好き嫌いはない。
良く言えば多趣味。悪く言えばこれといって取り柄がない。
優柔不断で、女子の気持ちは分からなくて、甲斐性なしの根性なし。
言うことだけはご立派だけど、何ができるというわけでもない。
たまに頑張ろうとすると、大抵ろくでもない結果になる。
実際、そうなった。
そんな僕が、まるで正反対とも言える彼女のことを、とても魅力的に思えるようになってしまった。
何がいいのかと聞かれると困るけど、深く知ったことが理由かも知れない。
よく知らないうちでは、好きも嫌いもないけれど。
深く知ったら話は違ってくる。
深く知ったうえで嫌いになったらどうしようもない。
でももし、深く知ったうえで嫌いにはならなかったら……。
あるいは……。
好きになってしまうことも……あるのかも知れない。
手を繋ぎ、二人で街路樹の間の道を歩いて行く。
心地いい風が吹いて頬や首を撫でる。伊香保の偽黒髪をたなびかせる。
見蕩れているとこっちを振り向いて、にこっと優しい笑みを見せた。
普段あまり見ることのない、感情のこもった人間味のある笑顔だった。
そのまま伊香保は突然妙なことを言い出した。
「ねえ、鳴子くん。ニックネームで呼んでみたいんだけど、いい?」
「いいけど、どんな?」
あかちゃんとか、はっくんとか、彼女のセンス、独特なんだよなあ。
「えっと、鳴子アシタバだから、なる……あし……。なる……あ……『なるあ』。うーん、なんかしっくりこない。鳴子アシタバ……アシタバ鳴子、あし……なる……。あな……る」
! おいおいっ。
「あなるぅ」
「だめだ。いやだ。絶対にいやだ。それにパクリだ」
「あは、やっぱ、だめかー」
伊香保は最近になって、僕を呼ぶとき『キミ』ではなく名前を口にするようになった。
いかなる心境の変化があったのだろうか。
彼女のほうも、僕を本当の彼氏と思い初めてくれている。
……と信じたい。ほんとに。
「『なるなる』はどう?」
「いいよ、それで」
顔が火照って熱くなった。嬉しいったら恥ずかしいったら。
握る手が汗ばむ。
「伊香保」
「なあに?」
「また、これからもよろしく」
「どうしたの? いきなり。もちろん。こちらこそー」
伊香保はいつもと同じように、ぱっかーと大きな口を開けて、
あーはーはー、と笑ったのだった。
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