第二話:理由─コモンポイント─
♢(I)
春の世の夢。
そう形容できれば、どれほどよかっただろう。
しかし、月の光が照らし始めた夜の教室。
割れた窓ガラス、破片が散りばめられた机と椅子と床。
何事もなく振る舞おうとしているが天板が燃え、じっくり残すように焦がれた教卓。
何かがいたことを暗示させる、木材の床に等間隔に残された足跡。
そして……
『おーい、長髪で黒髪の人ー?聞いてるかー?おーい』
それにも関わらず
『おーい。なんだよ。無視かよ。俺、なんかした?』
「…………レイくんなの?」
『お、やっと返事した。そ、俺がレイ』
ユウリの探るような震える声にも
だからユウリはこう答えるしかなかった。
「なに、その姿」
そう言われ……
『やべ……。つい長髪で制服の人がいたから声かけちまった。偉そうな人に怒られる』
まるで自分に髪があるのかと錯覚するほど後頭部を掻いて
『こうしてる場合じゃねや。じゃあな、長髪で制服の人。怪物倒したらさっさと退散しないといけないんだ』
そういうと
ユウリが顔を手で覆いたくなるほどの熱気。机や床は燃えないものの、まるで
……そして
残されたのは……割れた窓ガラス、燃えた教卓、燃えた床。
されどレイ、そして目の前の怪物の記憶はもちろんユウリには存在する。
まるでつむじ風が一瞬で襲ってきた感覚にユウリはただ呆然とするしかなかった。
……しかしユウリは我に返るように気付く。
残されたものに。
もう一度あえて言おう。
残されたのは割れた窓ガラス、燃えた教卓、燃えた床。
そして怪物がいたという証拠はユウリの記憶にしか残されていない。
「こ、これ、どうしよう!」
ユウリはすぐに直感する。
この惨状とユウリしかいない場合、人はユウリのせいにする。
「おい、1年5組の教室だぞ!」
「あの一番端っこの教室よね!」
無論窓ガラスの割れた音さえ、校内には響いている。
校内の異常を聞きとった者たちの叫び声と足音が嫌にはっきり聞こえてくる。
ユウリと鉢合わせするのは……おそらく数秒。
「か、隠れなきゃ!」
慌てたユウリは通学鞄を持ちながらも安直に細長で木造の掃除箱に隠れようと振り向いた、その時。
───熱気。炎に包まれる感覚。体を焦がされるような感覚。
通常であれば人間には耐えられない炎、そして黒い腕に掴まれた直後───つむじ風の如くユウリは姿を消した。
♢(II)
目の前を炎に埋め尽くされ、その炎が水で消されたように一瞬で消えた瞬間、次に見た光景は……長谷川中央高校の校舎ではない。
長谷川市で一番大きい建物……この街に唯一存在する15階建てで前面がガラス張りのホテル。ユウリはたまに街に買い物に行く時見かけるぐらいで、入ったこともない建物。
それでいてソーラーパネルが設置された剥き出しの屋上にユウリは移動させられた。
『あっぶねー。長髪で制服の人を置き去りにするとこだった。こんなことは初めてだったからつい一人で消えるとこだったぜ。あー危ない危ない。でもちゃんと人助けしたから偉そうな人からは褒められそうだな』
ユウリを尻目に一人で意気揚々と喋る
ただ……いよいよ戦士がレイであることを心で受け入れたのか、遂にユウリは意を決したように言葉を発した。
「……多分褒められない……と思う」
『……え?なんでだよ?』
「だってここだと……明らかに不法侵入になっちゃうし」
『え、嘘?マジ?』
いくら高校生のユウリでもわかる。
ホテルの屋上は客に解放されてはいない限り、関係者以外立ち入り禁止。ホテル側からどういう処罰があるとか、もしくは警察に厄介になるなどの細かいことは勿論知らないが……間違いなくアウト。
しかし
『え?だってここ、外だろ?建物の外だし、不法侵入したとかないだろ?』
「敷地内って言葉知ってる?」
『しきちない……知ってるぜ?……いや、わりい。やっぱ知らない』
「敷地内だと例え外でも人の持ち物みたいなものだから、入った段階でいけないことになるんだよ?」
『…………知らなかった』
『マジかよ、普通にここに来てた……いちゃいけない場所だったのかよ……。
「……ごめんなさい、レイくん」
まさかそこまで思い入れがあるとは思っても見なかったのだ。
そして
……その姿を見たら、みんな驚くもんね、と。
「……でもいいんじゃないかな?」
『え?いいのかよ?だってふほうしんにゅうってやつなんだろ?いけないことなんだろ?』
「人にバレてたら不法侵入になっちゃうけど、人にバレてなかったら不法侵入にはならないよ」
多分。いや、絶対にそうはならないけど。そう、ユウリは心の中で付け加える。
『でも長髪で制服の人にはバレてるぜ?』
「……私が黙っていたら、不法侵入にはならないから」
本当は私が黙ってても普通に不法侵入だけど。また、ユウリは心の中で付け加える。
なんとも普通の人が聞いたら、いくらでも揚げ足を取られる説明だが、
『え!?じゃあ黙っててくれるのか!?』
急に立ち上がり、その龍の仮面をユウリの顔に近づけながら、
「その前に元のレイくんに戻ってくれた方がいいと思うなー……」
さすがにその仮面で顔を近づけられると怖いのか、ユウリは抑揚ない棒読みになってしまい、なおかつ顔を逸らしてしまう。
……まぁ実際タダユキの怒っている姿以上に怖いとユウリは思ってしまうが。
『あ、そうだったそうだった』
ユウリから離れて、
すると
人間、すなわちレイ本人が。
スーツは相変わらず白シャツの裾が上着からはみ出るほどだらけており、髪のぼさぼさで整っておらず、そのせいで前髪が目にかかっていた。
だがその顔を見て……ユウリは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ何か大事なものを思い出しそうになった。
それが何かは分からない。
それにそうした感覚も一瞬で消え失せてしまい、ユウリはそのことを形容する言葉も見つからなかった。
そんなことは露知らず、レイが人間に戻ると同時にコンクリートの地面が傷つくほどに突き刺さった刀を、容易くレイは抜いた。
「それはなに?」
「あぁ、これ?俺もよく分からないんだ。ま、神様からの贈り物ってやつ?」
「また変なこと言ってる」
「仕方ないだろ?そういうしかないんだから」
レイはそう言いながら、上着のポケットからくしゃくしゃになった袋を取り出して広げる。それは筒状に肩掛けがついた竹刀袋のようだった。
上部にファスナーがついており、それを開いてからレイは鞘にも納めずにそのまま入れてしまった。
「刀って鞘があるんじゃないの?」
「さすがにそれは俺も思ったんだけどな。でも神様から無いって言われたんだ。おかしな話だよな。でもないって言われたらないんだよ。仕方ねえよな」
「……よくそれで納得できたね」
「納得はしてないって。ただ無いって言われたら無いってことなんだろ?仕方ねえよな」
「それを納得してるっていうんだよ?」
「そうなのか?日本語って難しいよな。ま、今は偉そうな人から入れ物貰ったからこれを貰ったし、何も思ってねえや」
「それを持って店に入る時は手放したりしないでね、お願いだから」
レイが納得出来ようと、ユウリは納得できるはずもない。
そもそも銃刀法違反が適用される事案ではないだろうか?というか神様とか言ってるけど、そんなものを少年に渡す人は誰なのだろうか。そもそもその偉そうな人はこの状況を納得しているのだろうか?
……しかしまたややこしいことになるとユウリは口を閉じた。
「でも、ごめんな。長髪で制服の人」
そんな折。レイは唐突にユウリに謝罪した。
「えーと、どのこと?」
ユウリとしては思い当たる節が色々(今朝の一件だったり、喫茶店の一件だったり、今みたいにホテルの屋上に飛ばされたり)あるので、どのことか分かっていなかった。
「戦いに巻き込んじまったことだよ」
「あ……そういえばそうだった」
そういえば、とユウリはレイのマイペースですっかり忘れていた。
そもそもこうなったのは怪物に襲われたからだと。
「そのことは何も気にしてないよ。謝ることなんて何もないし。むしろ助けてくれてありがとうね、レイくん。今度何かお礼をさせて」
「いや、いいよ。それより先に礼をさせてくれよ」
「……なんで?」
「今日の朝のことだよ。まだ何も奢ってないしな」
「あ……」
そういえば、とユウリはまた思い出す。
なにせ気にしてなかったのだ。奢られることに対して。
「別にいいのに。あの時は正直……なんというか……」
「なんだよ、言いたいことあるならはっきり言えよな」
「じゃあ言うけど……正直早くどこかに行ってほしかったからあの動画を見せただけというか……」
「…………だからごめんって謝ったじゃんかよ」
明らかに小声になり自省する様子のレイに……ユウリはくすりと笑ってしまった。
「な、笑うことねえじゃん!長髪で制服の人も性格悪いぜ……」
「ごめん……でも可笑しくって。レイくんって変人だと思ってたけど意外と面白いよね」
「それは偉そうな人にも言われたんだよな。俺ってそんなに面白いのかよ?」
「うん、とっても」
ユウリは普段は見せないような穏やかな笑みを浮かべた。
まるで大事なものを見つけたような、健やかな笑みを。
♢(Ⅲ)
ホテルの屋上から炎を経て、次に飛んだ先は……
そこは普段は誰も通らない建物が並んだ路地の裏側。そしてこの街に住むユウリには最も簡単に家に辿り着いてしまうような道だった。
ユウリはそこから歩いていく。
……レイと共に。
ただ側から見るとその光景は実に不思議なものだった。
竹刀袋を肩に携えたスーツの少年、そして通学鞄を持つ少女。
それだけで不思議だが、おそらくレイが刀を持っていることが発覚するととんでもないことになりそうだとユウリはある意味神頼みするしかなかった。
……お願いだから誰も来ないで、と。
「ついて来なくていいのに。一人で帰れるよ」
「なに言ってんだよ。あの怪物がまた出てくるかもしれないだろ。多分ないと思うけど」
路地裏の道には街頭は確かに存在するがまばらにしか存在しない。
その為一部はしっかりと照らしてくれるが、他の箇所は夜の暗闇に
よって隠れてしまう。
春の冷たい風が吹くこの道は、差し詰め、怪物が出るにはちょうどいいだろう。
「そういえばそうだった。レイくんといると、その事をすっかり忘れちゃうね。でも多分ないってどういうこと?」
「今日見た怪物ってさ。1日に何体も出てきたことないんだ」
「どうして?」
「知らねえよ。あの怪物に聞いてくれよ。ま、あいつらが喋ったことなんて聞いたことがないけど。まだ神様の方がマシだぜ」
「じゃああの怪物の正体は知らないんだ」
「知らね。ま、そこらへんは偉そうな人がなんとかしてくれるんじゃねえかな。いつも困った顔で調べてるけど」
「そうなんだ……」
その言葉にユウリは一抹の不安を感じる。
それはこの暗闇に近い路地や冷たい風だけではない。
怪物がこの長谷川市に存在する。
そしてそれを目の当たりにしたユウリにとって不安は当然のものだった。
「でも今日会った怪物をレイくんは探してるんだね」
「うーん」
レイは唐突に黙り込んだ。
「確かに
「……他にもって?」
路地裏を歩き、一つの街頭に差し掛かるとその道を二人は左側に曲がっていく。
ブロック塀を敷き詰められた壁が並んだ、民家の並ぶ道。
そこを抜けると、いよいよ車道のある大通りに差し掛かろうとしていた。
二人はその道を道なりに歩いていく。
いよいよ民家の明かり、そして月の光しか照らすものはないがユウリに不安な気持ちは微塵もなかった。
隣にレイがいる。それだけで心強く感じた。
「まぁ……なんて表現すればいいんだろうな。わり、これに関しては俺もよく分かってないんだ」
「そうなんだ……。喫茶店で言ってた秘密にしてることとは違うの?」
「秘密にしてるのは今日の怪物のこと。あれを知られたら世間が混乱する可能性があるって偉そうな人が言ってたんだ。だから今朝動画見た時、本当にびびったっていうか。でも俺が探してるのは…………」
レイはまた、黙り込んだ。
まるで自分の感情を言語化することが難しいと唸るように。
「……レイくん?」
「長髪で黒髪の人に言っても微妙なんだけどさ。俺、大事なものを無くした気持ちになってるんだよな」
その言葉に、ユウリは立ち止まった。
ちょうど歩行者用の信号は緑色から点滅する。
一歩遅れてレイは立ち止まり、振り返る。
そうすると信号は待ち構えたように赤へと変わった。
「それ、本当?」
「いや、本当だよ。なんで嘘つかないといけないんだよ。でも別に大事なものなんか無くしてないはずだし、もやもやするんだよな」
「それ、私もなんだ」
ユウリは思わず言ってしまった。
なにせ、まさか出会えるとは思っていなかったのだ。
自分と同じ感情を持つ人を。
レイがそれを聞いて驚きながらも満面の笑みを浮かべた。
まるで同じ人間に会えたと喜ぶように。
「マジかよ!?本当なのか!?」
「嘘なんて言うわけないよ。だって感じてるもの。何か大事なものを無くしたような気持ち」
「モヤモヤしてるのか!?」
「してるよ。だから何だかいつも自分が取り残されてるような気持ちになるもの」
「だよな!?やっぱりそうなるよな!」
「うん、そうなるよ。だって誰にも分かってもらえないもの」
「分かるぜ、その気持ち。だって言葉にできないもんな!」
「そうだよね、やっぱり……そうなっちゃうよね」
本来であれば、その事象は喜ぶことではない。
けれども二人は互いに顔を合わせて笑みを浮かべた。
レイは今日一番と言わんばかりに笑みを浮かべ、ユウリは微笑みながらも心の底から嬉々としている。
この感情は、本来共有されることはない。
なにせ共有することが難しいのだ。言語化できない感情は。
だけど今、この暗闇の路地裏で二人は互いを共有するように笑みを浮かべていた。
春の夜の風は確かに冷たい。
だが一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、自動車が二人の前を通過した時にかき消されるような気がした。
♢(Ⅳ)
信号を渡り、道をまっすぐ進むと関町家に辿り着く。
平屋で築数十年も経つ家の前で、ユウリはレイに別れを告げた。
ユウリは別れの際、名残惜しい気持ちを感じていた
まさか同じ気持ちを抱えていた人間に出会えるとは思ってもいなかったのだから。
だがレイは行ってしまった。
春の夜の静けさを遮るように、レイの持つスマートフォン(それもその世間知らずには見合わないほどの最新機種)が音を鳴らしていた。
「やべ、さっきのことを偉そうな人に報告するの忘れてた!じゃあな、長髪で制服の人!絶対今度なんか奢るからな!あと店長の人とか短髪で制服の人にもよろしくな!あ、それと短髪で制服の人の誤解を解いてくれよな───」
それはやはりつむじ風の表現が正しいだろう。
それとは別にして、ユウリは感じる。
暖かさを感じる季節外れの南風のようだとも。
桜の花びらが舞い散るコンクリートの歩道を走りながらレイが走っていくことを確認してから、ユウリは家の扉を開ける。
家の中は真っ暗で、鍵もかかっていた。
まだタダユキは帰ってきていないのか、と思い、ユウリはスマートフォンを鞄から取り出して開く。
すっかりマナーモードにしていることを忘れていたが、メッセージはたった一件だけ。『最愛の娘、ユウリへ』から恥ずかしくて赤面しそうな出だしから始まる父からのメッセージ。
『まだ帰ってきてないみたいだけど、大丈夫か?遅れるようだったら、メッセージをくれ。あと喫茶店に忘れ物をしたから戻る。家の戸締りをしっかりしててくれよ?ご飯は冷蔵庫にあるからな』
時刻は19時40分頃。
怪物に襲われてから、まだ時間はそんなに経っていない。
これが楽しい時間なら満足できるのだが、とユウリは思う。
いや、楽しい時間だったのかも知れない。
同じ気持ちを持つ人と会えたのだから。
そう、まさに神の巡り合わせ。ユウリは冗談混じりにそう言いいたくなった。
♢《Ⅴ》
次の日の朝は何とも慌ただしいものだった。
別にタダユキから『昨日は何をしてたんだ?』とラモーンズの曲が鳴り響くリビングで聞かれたことは何も問題ではなかった。
むしろタダユキが帰ってきたのはユウリが就寝している最中だったし、逆に問いかけることもできたがいつも通りのことなので、何も言わなかった。
素直に「レイくんと偶然会って話し込んでたんだ」というと、知り合って間もないながらも「じゃあいっか」と安心しきっていた。
では慌ただしいこととは?
もちろん、教室の惨状だ。
「ユウリ、ユウリ!何これ何これ!?」
いつも通り、朝早く学校に着いたユウリとキョウコは目を見開いて驚いていた。
桜の花が満開になった木の下の駐車場、そこにパトカーが止まっているのだ。
「なにかあったのかな!?」
キョウコはいささか興奮を抑えられないようだった。
無理もない。いつも通りの日常に、警察などくれば、非日常に溢れた気分になってしまうものだ。特にまだ世間を知らぬ若き高校生であれば、尚更に。
しかしユウリは落ち着いていた……と言うよりなんとか悟られないように振る舞っていた。
「さぁ……何があったんだろうね?」
とぼけたようなユウリにさすがのキョウコも首を傾げる。
「あれ?ユウリ、気にならないの?」
「別に気になるほどのことかなぁ……」
「でも私が中学の時に生徒指導室に呼び出された時にアヤちゃんとかユミちゃんと一緒に嬉々として見にきてたような……」
「……それとこれとは別だよ」
しまった。ユウリは心の中で自分を叱咤したくなった。
その時はキョウコが中学3年の3学期、受験で気が緩んだのか毎日遅刻を繰り返し、通算20日を突破した記念に生徒指導室で昼休み丸々使った説教タイムが開催された時のことだった。
ユウリはキョウコが心配になってから堪らず生徒指導室の前に来たのだが、その時には進路の違いで離れ離れになったアヤとユミという女生徒もいた。
成り行きで三人一緒にこっそり中の様子を見ていると……キョウコは「ごめんさーい!もうしませんからー!」と強面の先生にしがみつき、まるでテレビで放映している過去のコント番組を彷彿させるやり取りをしていた。
たまらずユウリを含めた三人は、その様子を笑いながら見ていた……と言うわけなのだが。
まさかあの時のことを覚えているとは、ユウリは思ってもみなかった。
……いや、そういえば扉の窓ガラスからキョウコと何回か目が合って「助けて!」と目で訴えかけられていたような……とユウリは思いだしてしまった。
「えー!?あの時のユウリの野次馬根性はどこ行っちゃったの!?」
「いや、もう高校生だし……過去に置いてきちゃったよ」
「嘘!だって入学式の次の日に遅刻した時、ユウリは職員室に呼び出された私を職員室から見てたでしょ!?」
「……この前のは「一人じゃ心細いから来てよぉ」ってしがみついてきたから行っただけだよ?というか私は遅刻してないから、別に行く必要なかったし。なんなら私が助けて欲しい気分だったよ。何度も別の先生から見られるし、なるべく端っこにいたのに「そんなところで立たないの」って注意されたし」
「……………すいませんでした、ユウリ様」
「うむ、わかればよろしい」
なんだか知らないが助かったとユウリは思いつつ、キョウコと共に二人で教室へと歩いていく。
しかし……案の定というか、窓ガラスは一枚誰かが入り込んだように割れ、燃やされた教卓は撤去され、等間隔についた床の黒焦げはそのままになっていた。
「えぇ!?えぇ!?」
何かが燃やされた跡にキョウコは嬉々とした表情だが、ユウリはどうにもいえない気持ちになっていた。
大事なものを無くした気持ち、そして誰にも言えない夜のこと、その両方が心にのしかかるような気持ちに。
「もしかしてこれって怪物───」
「それはないよ」
ユウリはすぐに否定してしまった。
実際はその通りだが。
「えー、でもあの動画の怪物も炎を纏ってたよー、ほらー」
そう言ってキョウコはスマートフォンを取り出して操作すると、「あれ?」と首を傾げてユウリにスマートフォンの画面を見せた。
「運営側により、この動画は閲覧できなくなりましたって表示が出てるよ?」
「……本当だ」
確かにその動画は見れなくなっていた。
「というか……アカウントごと消されてる。……え、もしかしてあの動画って本物?」
「……そんなことないよ。怪物なんていないよ」
ユウリは否定するように言うが、無論知っている。
怪物はいる。
けれでも、彼女は知っている。
レイがいれば、大丈夫。
不思議とそう感じていた。
♢(Ⅵ)
長谷川中央高校。
そのいずれかの校舎の、太陽が照る春の風も届かない薄暗いトイレ。
三つほどある大便器を囲う白い壁。その内の奥の扉は閉められていた。
まだ校内には生徒が少なく、トイレを利用するものの人数はさらに少ない。
しかしそれでも利用する者は利用するだろう。
……ただしその用途は全くもって違うものだが。
例えば、今現在、そのトイレに篭っている彼女がそうだ。
その者は苛つく態度を隠そうとはせず、トイレの壁を叩く音が鳴り響かせた。
しかし、校内の誰もその音には気付かくことはできなかった。
制服姿の彼女はその髪をぐしゃぐしゃに掻き乱し、何度もトイレの壁を平手で叩きつけ、何度もトイレの床を踏みつける。
何故彼女はそこまでヒステリックな態度を表しているのだろうか?
その答えは……床に投げつけられたスマートフォンが知っている。
……『アカウントは停止になりました』と表示されたスマートフォンが。
おお、神よ。無慈悲な。そう言いたくなるほどに彼女は怒りに満ちていた。
(第ニ話:理由─コモンポイント─完)
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