第十三話:前夜─プリパレイション─
♢(0)
いつも通りの長谷川市。
いつも通りの春……だというのに季節外れの大雨が降り注ぐ。
そして、その道理を外れたように長谷川市の空は黒く染まる。
時刻は13時。
いつも通りであれば、空には太陽の光が輝く。
しかしこれは生きとしいける者たちにとってのいつも通りではない。
怪物たちが跋扈する為のいつも通りの日常。
その日常の中で、雨に打たれながらも走り続ける少女がいる。
少女はこの道外れた夜道の中、雨に晒されながらも走り続ける。
いったい何が彼女をそこまでさせるのか?
「……先生」
長い前髪が顔に張り付き、前は見にくい。
それにいつも通りではない夜道は街灯の光さえも灯らない。
それでも彼女は走り続ける。
喫茶店から生命からがらのように抜け出し。
普段ユウリがお菓子を買うコンビニの前を通りぬけ。
普段ユウリの通う長谷川中央高校の前を抜ける。
例え該当の光がなくても彼女……芦屋みちみは走ることができた。
それはいつも通り通い慣れた道、というだけではない。
「先生……私が必ず……」
関町ユウリ。
いつも通りの日常で……怪物に狙われる理由をみちみは無論知っている。
そしてその理由も含めて……ユウリを憎んでいる。
どうして自分ではないのか。
先生は確かに自分を選んでくれているのに。
先生は関町ユウリを求めている。
自分の方が……適しているのに。
みちみは春に似合わない冷たい雨に打たれながら、強く思う。
「先生……見ていてください……」
みちみは走りながら、そう呟いた。
その目はほんのりと充血し、瞼はやや腫れているようであった。
その感情を隠してくれるように雨はいまだに彼女の顔にさえも降り続ける。
しかし、同時に彼女の視界を遮るように雨は降り続けてる。
それでもみちみは……ユウリのいる病院まで走ることをやめようとしなかった。
♢(Ⅰ)
夜の長谷川市。
その事実はキョウコが入院する病室からでもしっかりと認識することができた。
なにせ……きちんと夜なのだ。
空には黒い雨雲がかかり、大量の雨が降り注ぐ。
が、それだけで夜とはなり得ないだろう。
では夜とは何か?
それは太陽が隠れていること。
その春の日差しが一切見えなくなること。
だからユウリとレイとキョウコの三人は、キョウコがいる個室の病室の窓から必死に見上げる。
しかしそこにはいつも通りの太陽は存在しない。
……間違いなく夜。
しかし病室に掲げられたデジタル時計は13時をちょうど指し示していた。
「いやぁ、びっくりだよね〜」
病室からユウリたちの元に走ってきた時はさも必死の形相だったのにも関わらず、キョウコはいつも通りの陽気な態度に戻っていた。
とはいえユウリとレイはいつも通りというわけには行かない。
「怪物ってここまで出来るの?」
「いや……俺も初めてだ。こんなことできるやつ」
ひそひそとユウリとレイは小声で話す。
一応レイのことは秘密にしておいた方がいいだろうというのはユウリの談。
……色々と騒がれても、その後がめんどくさそうだと思ったから。
「でもどこにいるの、怪物」
「…………」
レイは口を紡ぐ。
この場合はどちらなのだろうとユウリは考える。
具体的な場所は分からないのか……もしくはこの病院にすでに存在しているのか……。
どちらにしても状況は最悪なのだが、あえてユウリは自分としてはより最悪な方を言ってみることにした。
「……もうこの病院にいたりする?」
「どうしてわかったんだ」
ユウリはその返答に思わずバツの悪い顔をしてしまう。
こういう時は悪い予想をしておいてから、悪くない答えが返ってくることによって安心するという取り越し苦労という概念に期待したのだが……人生はうまくいかないらしい。
ユウリは思わず内心で項垂れる。
「これからどうするの?」
「しらみつぶしに倒していくしかないよな」
しらみつぶし?
ユウリは思わず首を傾げた。
「……まるで大量にいるみたいな言い方だけど」
「あぁ。めちゃくちゃいる」
ユウリは思わず頭を殴られたように、ふらつき体をのけ反らせた。
なにせ……それではまるで昨日のホテルと状況が一緒なのだ。
「じゃあみんなが危ないよッ!!!」
だからユウリは思わずキョウコにも聞こえるほどに大声をあげてしまった。
それもそうだろう。ユウリは見ている。
昨日のホテルの惨状を。
「え、危ないってどういう意味!?」
当然、キョウコはユウリに聞き返す。
「あ、ごめん……なんでも……ないわけじゃないけどないよ」
「いや、なんでもないわけないと思うけど……だってこの夜だよ???」
キョウコは夜になってしまった長谷川市を窓から指差す。
「これもどうせ怪物の仕業でしょ?はーあ、うちの街ってどうなってんだろ。だってあたしが怪我させられたのも怪物のせいだし、あたしが入院っした翌日にも学校に怪物が出てたらしいし、昨日もホテルに怪物出たんでしょ?これじゃあまるで映画の世界じゃん!」
映画ではなくて現実なのだが。
そう言いたくなるがユウリはその言葉を飲み込む。
言葉を遮られなかったキョウコはさらに話を続ける。
「でもでも〜。また動画の戦士が出てくるって状況じゃないの、これって?なんかすごいよね。炎を出したり、水出したり、龍になったりするんでしょ!?なんかあれだよね、怪物を倒す戦士ってなんとかマンみたいだよね!?」
「うーん、どうだろうね?」
そのなんとかマンには心当たりはないとして、ユウリはとぼけたように言葉を返すと、その助けてくれる戦士ことレイに視線を合わせた。
「レイくん、どうするの?」
「だから言ったろ?しらみつぶしに倒すって」
「しらみつぶしに倒すのはいいと思うんだけど……今のこの状態だと何も出来ないんじゃない?」
「なんでだよ」
「だってキョウコがいるんだよ」
「え、あたしがいると何がまずいの???」
「うーん。説明が難しい……」
ユウリの時はなし崩し的に正体が分かってしまっただけであって本来は愛衣蔵ハルカに怪物の件を含めて口止めされているわけなのだが……レイはいつも通りと言った様子で気にすることもないらしい。
「あんまり隠し事って得意じゃないんだよな」
そう言ってレイは竹刀袋から至極いつも通り、剥き出しの刀を取り出した。
すると当然……キョウコは口をあんぐりと開けて驚いた。
「ちょ……ちょちょちょ……レイくん……模造刀だよね、それ」
「……こういう時どう反応するのが正解なんだろうね」
ユウリは呆れを通り越して、いつも通りに苦笑する。
そしてキョウコの肩に触れてこう言った。
「キョウコ。今から起きること、絶対誰にも言わないでね」
「なんの話?」
キョウコが首を傾げた時だった。
レイはいつも通り……刀を地面に突き刺した。
そうすると神が万物から作り出すようにして。
レイの体は土のように変化した。
レイの体は炎に塗れた。
レイの体を染めた炎は水によって鎮火した。
そして風が吹いた。
そこにいるのはレイであってレイではない。
……黄金の龍の仮面を被った黄竜の戦士。それがいつも通り姿を現した。
「…………なに、その姿」
「うん、分かるよ、キョウコ。私も初めて見た時同じこと思ったもん」
キョウコは唖然とし、ユウリはいつも通りに宥めていると黄竜の
しかし、それはこの病室を見ているわけではない。
……まるで病室から病院全体を俯瞰してみるように眺める。
『結構いるな……』
「なにが?」
「……怪物がだよ」
「え!?怪物ってそんなにいるの!?」
「まぁ……」
キョウコはどうにもはしゃぎ気分が抑えられない印象だった。
その様子にユウリはふと心配になる。
なにせユウリは見ているのだ。
……ホテルの惨状を。
『とりあえず俺についてきてくれ。多分遅かれ早かれ、どこから飛び出してきてもおかしくはないはずだ』
「その方がいいと思う……」
ユウリは頷く。
なにせユウリの時は自分の部屋にいて襲撃を受けたのだ。
つまり安全な場所は黄竜の
「キョウコ、レイくんから絶対に離れちゃだめだよ」
「うん!」
まるで遠足に行く前の子どものような無邪気な笑顔。
もしくはヒーローショーが始まる前にうきうきした気分で始まるのを待つ子どもの気分なのだろうか?
ユウリはため息を吐きたくなったが、それは飲み込むことにした。
なにせキョウコは知らないと思うのだ。
怪物に襲われることの悲惨さを。
……まぁキョウコも間接的にだが怪物には襲われているわけだが。
『なんかクモ、落ち着きのない子どもみたいだよな』
「え、それどういう意味!?」
「文字通り落ち着こうね、キョウコ」
「ユウリまでひっどーい!」
しかし、これぐらい気楽な方がいいのかもしれないともユウリは思う。
なにせいつも逃げている時、ユウリは必死だった。
学校の時も、ホテルの時も、いつも必死だった。
……なにせいつも狙われているのだから。
「でもキョウコ、絶対に私とレイくんから離れないでね。……私は何も出来ないけど」
「いや、むしろユウリがレイくんみたいになったらそれこそパニックなんだけど」
それもそうだ。
ユウリは思わず納得するしかなかった。
♢(Ⅱ)
キョウコの病室でユウリたちがこれからのことについて話していた時。
タダユキはユウリが入院していた病室で窓の外を眺めていた。
外は相変わらずの夜。
一瞬の内に変わってしまった長谷川市の光景……そして自分の内なる声にモヤモヤと困惑しながら窓の外を見つめる。
だが、この部屋に立ち止まっている場合ではなかった。
タダユキはレイと同じ戦士だ。
だから分かっている。
……この病院に怪物たちの気配がすることを。
しかしどうにもタダユキは動けずにいた。
ずっと考えているのだ。自分の内なる声……《エヴィル》と称した存在の言葉の意味を。
「戦うしかない人生……それは当たり前のことだろ。俺には愛する娘がいるっていうのに」
実際、当然のことだとタダユキは思う。
家族がいるから戦う。それは当然のことだと。
しかし《エヴィル》の言葉……それは戦う意味を持たずに戦っていたのか、もしくは別の目的があって戦っていたとも取れる言葉とも解釈できる。
「本当にロクでもない奴だな、《エヴィル》……クソ野郎」
タダユキは思わず汚い言葉を吐いてしまう。
いつも通りの日常なら娘の前で決して言わない言葉。
しかしタダユキは思わず言いたくもなる。
「まぁいいさ。俺にどんな秘密があるのかは分からんが、喜んで戦うさ。無論、愛する娘の為にな」
自分に言い聞かせるように、そして自分の内に潜む《エヴィル》に言い聞かせるようにタダユキは言い放った。
……額を指でこんこんと突きながら。
しかしまずはしなければならないことがある。
刀。
それがなければいくらタダユキでも怪物の前では無力同然だった。
タダユキが車に置いてしまった刀を取りに行こうと思った矢先……急に病室の扉が勢いよく開かれた。
そこには……雨でずぶ濡れになり、息切れしたハルカがいた。
その手には柄に収まった刀を握りしめながら。
「まさか刀の方から来てくれるとはな」
「冗談を言ってる場合ではありませんよ……」
外は相当雨が降っているのか、スーツが肌に吸い付くほどに濡れてしまったハルカはすぐにタダユキに刀を渡した。
「まさか無理やり夜にしてしまうこともできるなんて……この病院にユウリさんを入院させたのは迂闊でした……」
「こればかりはあんたのせいじゃないさ。悪いのは怪物だ。それよりも、だ」
タダユキは早速と言った具合に話を切り出す。
「どうする?」
「倒すしかないでしょうね……タダユキさんとレイの力で」
「怪物たちは病院の中にすでにいるぞ」
「そう思ってすでに避難活動をしてもらっていますが……怪物がどう動くのかはこれまでの経験を踏まえて予測するしかありません」
すでにハルカは行動を起こしていたらしい。
それを証明するように、タダユキが耳を澄ましてみると病室の通路側から人のけたたましいような声が聞こえる。
うっすらと「重症患者はエレベーターで移動させます!」と看護師の声が聞こえた。
「よく病院があんたの言葉に声を傾けたな」
「平和な世の中ならいざ知らず、昨日怪物が出てきたことはすでに知られていますからね。説得は容易でした……けど早く対処しないと」
ハルカは顳顬を指で押さえ、眉間に皺を寄せた。
「間違いなく怪物はユウリさんを狙うでしょうね。けれどもこの病院にいる人を襲う可能性もある。なにせこの病院にも死体安置所があります」
「また一石二鳥でも狙ってるのか……」
タダユキは呆れたように額を指で小突く。
「たく。怪物に先制されるっていうのは面白くないな。とりあえず病院にいる奴らを全部叩くか」
「おそらくレイも動いてくれているでしょう」
「おそらく?あいつの行動を把握していないのか?」
「えぇ……タダユキさんにも連絡が通じなかったので、こうして刀を届けにきたんです。もしかしたらこれも怪物と何か関係あるのでしょうか……?」
ハルカは自分が持っているスマートフォンの画面を見せる。
水滴に濡れながらも起動はするが、画面のアンテナが表示されていなかった。
「雨に濡れたからじゃないのか?」
「防水なのに?」
「知らないのか、防水だからって完全に雨に強いわけじゃないんだぞ?端子から水が入れば壊れることもあるってもんだ」
タダユキは呆れながら自分のスマートフォンを取り出して画面を見つめた。
「…………」
タダユキのスマートフォンもまた、雨に濡れていないにも関わらず電波の表示はされていないようだった。
「なんでも怪物の仕業にするのはどうかと思ったが……本当にそんな気がしてくるな。今までこんなことをしてくるやつはいなかったぞ」
「これでは状況の把握も難しいでしょうね……」
「…………」
タダユキは考え込むように額をこんこんと指で小突く。
すると天啓でも与えられたように言った。
「いや、状況の把握は容易いな」
「……本当ですか?ですがどのように行動されるのです?」
「このようにな」
タダユキはそういうといつも通り、鞘から刀を抜き出してから、それらを交差させた。
するとタダユキの体は水に包まれ、神が創造するように別の形に流動的に変わり、突然氷結した途端、その氷は一気に砕かれた。
タダユキの代わりのように……その戦士は氷の中から現れる。
二本角を頭部に生やした多面体の結晶のような仮面。
右腕には龍の顔。左腕には龍の尾。
鱗のような肌を全身に帯びた青い体色の戦士。
すなわち青龍の戦士。
『人海戦術ってやつだ』
青龍の
そうすると透明な水がどばどばと溢れては床に流れていく。
その水はハルカの靴にもかかっていくが何も異常はない。
なんなら濡らされている感覚もない。
「……一体何をなさるおつもりですか?」
よもやこの水で病院を沈める気かと言いたくなるが、青龍の戦士の考えはそうではない。
『まぁ、見てろ』
水はどんどん流れていく。
すでに個室の床は青龍の戦士が流した水で浸される。
その水は扉の隙間を縫うようにして通路側にも出ていく。
『……おそらくだが奴らは複数いる』
「怪物が……ですか?」
『あぁ。この前は一体だけしか出せなかったが……今回はもっと出せるな』
「……どういうことですか?」
『あぁ、あんたはあの戦いの詳細まで知らんかったな。……つまりこういうことだ』
床に浸された水の一部は渦を巻く。
そうすると渦は青龍の
そして上昇したと同時に……一気に姿が創り上げられた。
透明な水の戦士の姿……もう一体の青龍の戦士の姿が。
『別に弊害だけじゃないみたいだな。レイのところに行ったのは』
「……なるほど、これを複数体出して怪物たちを一気に殲滅すると」
青龍の
『俺はここで水の戦士たちを出してから行動する。なるべく病院全体に行き渡らせないとな』
「分かりました……一応、私は院長にこのことは教えておきましょう……信じるかは分かりませんが」
おそらくこの水は病院全体にまで広がるだろう。
そうなると人目につくのは確実である。そしてこの異常な夜だ。
……怪物の襲撃だと疑われても仕方がない。
とはいえ混乱は避ける必要はある。
……だがどう説明していけばいいのか、ハルカは頭を悩ませた。
♢(Ⅲ)
黄竜の
幸いなのか、通路には誰もいない。全員避難してくれたと希望的に願うしかないとユウリは思う。
『うーん、でもどうした方がいいんだろうな……』
黄竜の
「どうしたの、レイくん」
『どこをどう攻めた方がいいのかって思ってさ』
「こういう時って親玉みたいな奴を倒せばいいんじゃないの???」
そう言ったのはキョウコだった。
黄竜の
その龍の仮面をつけながら唸るのだから、その人間臭さにキョウコは思わず吹き出した。
「なんか映像と違ってすっごい間抜けな感じだよね〜」
「まぁ……レイくんだからね」
そういえば初対面の時もユウリはその仕草から親近感が湧いた記憶があった。……その仮面を顔に近づけられた時は怖かったが。
『しょうがないだろ。なんかさ、今回の怪物ってさ。この病院の中だったらどこに現れてもおかしくないって感じなんだよ』
「……じゃあ一箇所に留まってたら危ないよね」
『ユウの言う通りなんだよな。かといってクモが言った通り親玉を探すってなると厄介なんだよ』
「なんで???」
『全員が全員、同じ感じなんだよ』
「同じ敵が複数……」
ユウリのその顔は引き攣る。
なにせ昨日のホテルのことを思い起こさせるのだ。
同じような氷の怪物が現れたことを。
「……でも昨日と違って大丈夫だよね。昨日はなんだか万全って感じじゃなかったし」
『あの偽物の神様な。俺の力を吸収して怪獣を出したかと思ったら、復活しやがった』
「怪獣?怪獣って昨日出てきたガッジーラみたいなやつ?」
「別に名前を言っちゃいけないものでもないんだからちゃんと言いなよ……キョウコ」
『なんだよ、ガッジーラって』
「有名な怪獣の英語読みみたいなものだよ」
いつも通りの呑気な冗談の言い合いはユウリが遮るとして。
「あ、そういえば!」
キョウコは急に声を上げた。
「動画で見たんだけど!レイくんって瞬間移動みたいなの出来るんじゃないの!?なんか炎に包まれて消えるやつ!あれでどこか遠くにいけばいいじゃん!」
『それはまぁできるんだけどさ……この場合の安全な場所ってどこになるんだ?』
「…………まぁ、今回の怪物って長谷川市を夜にするぐらいだから安全な場所ってないよね」
「じゃあ長谷川市の外に逃げちゃうとか!?」
『無茶言うなよ……』
黄竜の
『俺の転移も別に万能じゃないんだ。別の街から別の街に転移するとかそんなこと出来ないし、そもそも俺が知ってる場所じゃないと転移出来ないんだ……それに、ここに残ってる人を置いていくとかそういうのは流石にな』
「あー……確かにそうだねー……」
……ではあの神様がいる空間にはなんで行けるのだろうとユウリは思ってしまうのだが、それを言うとややこしい話になりそうなのでユウリは言葉を飲み込んだ。
「仕方ないよ、キョウコ。今はレイくんについて行こう。多分一番安全だよ」
「まぁ、そうだよね。じゃあレイくん!しっかりあたしたちを守ってよね!」
『それは当然だって』
本当にいつも通り気楽なものだとユウリは思う。
でもこの気楽さのおかげで、いつも通り賑やかになっているのはいいことだとも思えた。
……不安に冴えなまずに済むのだから。
「そういえば怪物ってどんな姿をしてるの?」
喋らずにはいられないのか、矢継ぎ早にキョウコは話題を振る。
「結局さ。あたし、怪物見ないまま病院に運ばれちゃったから姿見てないんだよね。レイくんの正体知ってるってことはユウリは怪物を見たことあるの?」
「……いやというほど見たよ?というか現場にいたし」
「え……そんなに見れるものなの?」
「まぁ、見れちゃうみたい」
……ユウリ自身が狙われているのだから、手で数える程度であれど、何回も見ることはできるだろう。ユウリはそう思いながらも言葉にはしない。
キョウコは「え〜、羨ましい〜」といつも通りの気楽さを見せながら……不意に指さした。
「じゃああれも怪物?」
「…………」
『…………』
キョウコの指さした先。
それは天井だった。
それは蛍光灯の光でくっきりと見えていた。
───白い怪物の腕らしきものを。
『……来やがった。ユウ、クモ!後ろにいろよ!』
ユウリはその言葉に頷き、三角巾をぶら下げたキョウコの肩を支えながら黄竜の
『ちゃんと成仏させてやるから出てこいよ……』
天井から見える怪物の腕。
人間の腕のようにも見える白い腕は、雲のように透き通っており、天井に傷一つつけずに貫通している。
そして腕は何かを探すように動き回ったかと思えば、ぴたりと止まった。
そして指さした───ユウリの方に。
『ーーーー』
悲鳴のような鳴き声。
それは怪物たらしめる要因の一つ。
もはや言葉を失った鳴き声が通路に響かせ、もう一つの腕を、頭部を、腹部を、脚部を天井からすっと透き通るように通過すると、通路の床に音なく落ちた。
『ーーーー』
それは落ちたことに対する悲鳴ではない。
鳴き声。獲物を見つけたことを知らせる鳴き声。
そうして怪物は人の形を保ちながら、支えもなく、浮かぶように立ち上がる。
それはまさしく白い雲のような怪物。
ゆえにその形は不定形。
それを知らしめるように雲は人の形から……別の形に姿を変える。
「うへぇ……怪物ってあんなこともできちゃうの……?」
「多分……まだマシ……マシなんだけど……」
その形は歪なものだった。
顔は蜘蛛。八個の目がうっすらと見えるような気がする。
顔に合わしたように胴体から脚部に関しては虫のように見える。だが二本足で立つ姿は、人と形容すべきだろうか。
いや……人ではないだろう。
腕は人のようでありながらも、肘からしたには蟷螂のような大きな鎌。
極め付けは背中から伸びた六本もある節足の脚。
邪魔者を排除し、標的を捉える。
まるでそう言わんばかりの姿。
『蜘蛛か蟷螂かはっきりしてほしいところだけど───』
怪物が姿を現すや否や───レイは炎に包まれた。
そしてユウリたち、怪物の目の前から姿を消した。
───かに思った瞬間、怪物の背後へとレイは炎に包まれながら現れる。
『成仏しな!』
炎を宿した刀をレイは振り上げたと同時───振り下ろした。
『……………』
いつも通りなら怪物は叩き切られただろう。
確かに怪物は斬られた。
だが……斬られただけ。
なにせ怪物の体は雲そのものだ。
縦一線に斬られたものの、怪物の体は雲のようにゆらゆらと揺れると……何もなかったかのように怪物の姿へと戻った。
『ーーー!』
怪物はレイに背を向けながら、鳴き声を上げた。
すると意思を持ちえたように背中の脚は一斉に、レイへ目がけて飛びかかる。
『やらせるもんかよッ!』
鋭く尖った脚部を前に、レイは叫んだ。
そして刀を握りしめ、力を込めた。
雲を薙ぎ払うのは……風。
刀はそれに応じる。
一瞬、ユウリとキョウコもその素肌に感じられるほどのそよ風を感じた。
『成仏しやがれ───』
レイが言った。
怪物の脚部がレイに当たる直前。
神が神罰を与えるように……レイは力を込めて、刀で薙ぎ払った───。
そこに悲鳴は存在しない。
刀が振り払われた瞬間。
風は怪物の体を跡形もなく薙ぎ払った。
白い雲は風によって流され、その姿を形成することも難しくなる。
だがユウリたちの方に行くことはない。
何故なら雲は……実体化させられた。
塵と化した雲たちは突然、その形のまま氷結し、通路の床へと雹のように小粒になって落ちていく。
そして小さな雹は突然、小さな火に飲まれるとそのまま蒸発してしまった。
……怪物は消えた。
残されたのは黄竜の
そしてユウリとキョウコ。
「え……どういうこと?」
キョウコは目の前で行われた自然の摂理さえ破るような現象を前に呆然とした。
「うん……まぁ、わかるよ。私も初めて見た時もキョウコと同じ反応だったし……」
とはいえだ。
まずは一体、怪物を倒すことができたのだ。
ユウリはほっと胸を撫で下ろす。
しかし安心するのはまだまだ先らしい。
「…………レイくんッ!!!床ッ?」
『床?』
ユウリは床を指さした。
キョウコはその先を見た。
黄竜の
『………なんでこんなに水が出てくるんだ!?』
それはまごうことなく、透明な水。
どこから漏れ出したか分からないが、床に這うように水は床を侵食してき、すぐにユウリとキョウコの足元にも及ぶ。
おかげでユウリの履いている靴も、入院シューズも水浸し……にはならなかった。
そして、まるで種明かしをするように……黄竜の
……青龍の戦士に似せた水の戦士に。
『あッ!?て……仲間の人!』
『……ヤハリ、ウゴイテイタカ』
そのぎこちない言葉遣いはユウリにも聞き覚えがある。
それは黄竜の
「ねえ、あの透明な人だれ?」
「仲間の人だよ。誰かは知らないけど」
……どうやらこの状況は危機ではないらしい。
ユウリはひとまず胸を撫で下ろした。
(第十三話:前夜─プリパレイション─ 完)
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