第十二話:信頼─ダウトフル─
♢(0)
いつも通りある長谷川市の空は黒く染まり、いよいよ地上に雨を降らせる。
いつも通り歩いている人々は予め持っていた傘を差して歩いていく。
しかし……一人の少女だけは違う。
傘なんて持っていなかった。やることに必死で忘れていた。
歩くことなく走っていた。別に傘を忘れたから走っていたわけじゃない。
ただ、やることに必死で走っていた。
そんな少女を笑うように雨の量は徐々に増えていく。
目元を隠すほどの髪は、顔にべったりと張り付く。
しかし、それどころではない。
少女は立ち止まってから、振り返る。
その場所はコンビニの駐車場。かなり広めの敷地の中で少女は息を切らしながらも、追手……タダユキが来ていないかを確認した。
幸いなことに来ていない。
そもそも少女はタダユキが自身を心配していたことすら気付いていない。
そんなことは露知らず、少女はスマートフォンを取り出した。
この大雨の中ではスマートフォンの操作もままならない。
それなのに少女は必死になって操作する。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
少女は誰かに向かって謝罪の言葉を呟きながら、ようやく連絡先のアイコンをタップして、たった一つしか登録されていない電話番号に連絡する。
プルルルル……。
雨音の中でも少女の耳元にはっきりと聞こえる音。
それはいつも通りの日常でよく聞く電話の呼び出し音。
少女にとってこの音を聞くのは……自分が慕う人物に電話をする時のみ。
プルルルル……。
まだ繋がらない。
少女は卑下するように考える。
もしかして……私は何か良からぬことをしてしまったのではないか。
だから出てくれないんじゃないか?
プルルルル……。
ご……ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい────プッ。
『芦屋みちみさん、どうされましたか?』
出てくれた。
出てくれた。私を見捨てないで出てくれた。
芦屋みちみと呼ばれた少女はこの雨に打たれながらも、喜びさえ感じさせるほどに伝えた。
「見つけました!関町ユウリは長谷川病院に入院中です!」
『分かりました。学校以来、足取りが分かりませんでしたが、これは好奇です。あなたはいつも通りの行動をしてください。期待していますよ』
そう淡々と告げ、相手は電話を切った。
「……よかった。お役に立てて。まだ見捨てないでいてくれて」
みちみは空を見つめる。
この雨の降り続ける黒い空を。
みちみの顔に降り続ける雨は、まるで彼女の感涙を表現するほどに降り続けていた。
♢(Ⅰ)
春であるはずなのに、長谷川市にはいつも通りとはいかない雨が降り続ける。
おかげで車を運転する時はライトをつけて光を灯さなければいけない。
光は道標だ。
どんな時にでも、光はある。
けれども今の長谷川市の空に太陽の光は差し込まない。
そのおかげで病室の蛍光灯はくっきりと部屋の中にいる人間たちを照らしている。
されど、その騒々しさは鳴りを潜めているようだった。
……まぁ、キョウコが出ていったから病室のベッドで上半身を起こすユウリと隣で椅子に座るレイの二人きりになっただけなのだが。
「なぁ、ユウ」
「どうしたの、レイくん」
「ユウ……ユウ……なんかいい言葉だよな」
「……もしかして、呼んだだけ?」
「いけないのかよ」
「いけなくはないんだけど。レイくんってそういうことする人だったんだなって」
「だって、ユウっていい文字じゃんか。だって長髪で制服の人って読み方はイヤなんだろ?」
そう言われればユウリにとってはそうだ。
今までの呼び方だと他人行儀な気がしなくはなかった。
まぁ、このいつも通りの日常では当たり前になりつつあったのでそろそろ慣れてきたところではある……にはある。
しかしユウリにとっても、レイにとっても、これは嬉しいものだろう。
名前を呼べる。その意味が決して違うものでも……呼んでくれて、呼べる。
ただ、ユウリにとって意外だったのは……レイから感じる嬉々の感情だった。
「なぁ、ユウ」
「どうしたの、レイくん」
「ユウっていい言葉だと思わないか!?」
「うん、とってもいいと思う」
「そうだよな!」
まるで初めて図画工作で作ったものを親に見せびらかす子どものようだとも、ユウリには思えた。
なにせユウリのあだ名を呼ぶ時、すごく笑顔で呼んでくるのだから。
……とは言え。
「ねぇ、レイくん」
「なんだよ、ユウ」
「あのね、そんなに連呼しなくてもいいんじゃないかな?」
「えー、なんでだよー?」
少し恥ずかしいし、なんだか照れる。
ほんの少し、(照らしてくれてはないが)春の太陽に少しあたってしまったように、ほんの少し赤面しつつもユウリは取り繕うように言った。
「あのね?名前とかあだ名を呼ぶ時は何か用があるから呼ぶんだよ?」
「用ならあるぜ」
「あった?」
「あったじゃん。俺がユウのあだ名を呼びたいっていう用!」
「……それは用じゃなくて訳じゃないかなぁ……」
あとそれは屁理屈というものではないか、と言いかけたが、いつも通り喉に出かけた言葉は飲み込むことにした。
「えー。じゃあどう言う時にユウって呼んだらいいんだよー」
「いつも通りでいいよ。別にそんなに連呼するものでもないし」
「うーん、難しいぜ」
どうしてあだ名を付けた途端にそこまで難しい問題になるのだろうか、とユウリは首を傾げたくなるが……すぐに思考を停止した。
まぁ、レイくんだし仕方ないよね……なんていつも通りの考えに至った。
「まぁ……今まで人の名前とかあだ名とか呼んだことないから仕方ないのかもね」
そうしてレイをフォローするように言った。
「まぁな。今まで全然人の名前なんて呼んだことなかったし結構嬉しいんだよな」
「だろうね」
「自分の名前はちゃんと言えるのにな」
レイは耽るように窓から黒い空を眺める。
春だというのに降り注ぐ大量の雨はまるでレイの悲しみのようにも感じられる。ともすればいつも通りなら無邪気なレイの表情も、モヤモヤするような表情に変わる。
「そういえばレイくんは自分の名前だけはちゃんと言えるんだよね。別の名前もあるって言ってたよね?」
「あー、◯◯◯◯◯な。俺の本名って言うべきなのかなー」
「…………づぬぅるじぃあ?」
「うへ。めっちゃ変な発音。ユウは頭いいって思ってたけど、そんな間抜けみたいな言葉も言うんだなー」
「仕方ないじゃない……だってその発音、すごく難しいんだよ」
「ユウは俺のこと、レイって言ってくれよ」
レイはふとユウリの顔を見つめて、苦笑した。
いつも通りの無邪気な顔ではなく、困ったような苦笑。
初めてみるレイの表情にユウリはほんの少しだけ困ってしまった。
ここ数日の関係とはいえ、見たことがなかったから。
「俺がユウのこと、長髪で制服の人って言われるのが嫌って気持ちがなんか分かる気がしたぜ。確かに他人から言われると嫌だな。物扱いされてる気がして」
「最初は気にしてたけど、別に今は気にしてないよ。それがレイくんって感じがして慣れちゃった」
「わり、気を遣わせちまって」
「全然。大丈夫だよ」
まさかあだ名をつけたことでここまでの効果が出るとはユウリには思ってなかった。確かにレイが謝罪することはあれど、わりとあっさりしているようでいつまでも引きずっているような雰囲気ではなかった。
しかし今のレイは自責の念に駆られている。
その姿もまた見たことはなかった。
「大丈夫だよ。レイくん」
だからユウリは言った。
「今は私のことをユウって言ってくれる。そして私はレイくんのことは本当の名前?じゃなくてレイくんって呼び続ける。それでいいんじゃないかな」
「ユウって本当に俺に優しいよな」
「優しいかな……?別に普通だよ。だってレイくんは……もう友達って言ってもいいんじゃないかな?」
「ともだち?なんだそれ」
「…………まぁ。そうなっても仕方ないよね」
一瞬、レイの言動に疑問を持ちかけたユウリだがすぐに納得した。
これまで戦いの中で生きてきたレイの中で友達と言える存在がいたのだろうか?
もしかすると、いなかったかもしれない。
………親父という言葉は知ってるのに友達という言葉は知らないんだという素朴な疑問はさておいて。
「うーん。私とキョウコみたいな関係性って言えばいいのかな」
「あぁ!あれって友達のやり取りなんだ!」
「…………ごめん、やっぱり前言撤回」
そうなってくると友達の説明とは難しい、とユウリは思えるわけだ。
いつも一緒にいる関係、だと家族とかと一緒。
とはいえたまにいる関係、だとレイに説明するのが難しい。
ここは簡素に応えねば、とユウリは思う。
「まぁ、気兼ねなく関わり合える関係性って言えばいいのかな?」
「きがねなく?」
「そう。レイくんは愛衣蔵さんといる時、多少は気を遣うでしょ?」
「あー、そうかも。たまにうるさい時あるし。俺が粗相するとすぐ注意してくるし」
…………今までのやり取りからしてそれはレイに非があるのでは、とか、言ってて思ったがそんなに気を遣っている素振りはないような気もしてくるが、それは置いておくとして。
「でも私といる時は気を遣ってないでしょ?」
「あー……そうかもな!ユウと一緒にいる時は全然自分らしくしていいって感じがするぜ!優しいし!」
…………多少は気を遣ってほしいものだという気持ちも置いておくとして。
「そんな感じでいつも仲良くできる関係性が友達……かな?」
本当にその説明であっているのかは別として。
レイはすんなりユウリの言葉に納得した。
「なるほどな!俺とユウは友達だ!友達でいいんだよな!?」
「うん、そうだね」
「なんか特別な関係って感じがしていいな、友達って!」
「そういうとまた語弊があるんだけど……」
「ごへい……?」
「…………そういえば、その言葉の説明まだだったね」
レイがいつも通り無邪気な表情になったが、今度はユウリが苦笑してしまった。
しかしこれはいつも通り。
レイの反応に困って浮かべてしまういつも通りの表情。
やっぱりレイは無邪気な方がいいよね。
ユウリはいつも通り安心しながら思った。
♢(Ⅱ)
正午になっても雨も止まぬ、春の長谷川市。
昼食の時間になり、いつも通りじゃない薄味の病院食をユウリが食べている最中のことだった。
タダユキが訪れたのは。
「元気そうだな、愛しの我が娘は」
「いくら個室だからって病院の中でやめてよ、お父さん。恥ずかしいから」
「はは、悪い悪い」
タダユキは言いながら、ユウリのベッドの隣にある椅子に座る。
それはレイの隣でもあった。
「店長の人はもう平気なのかよ?」
「……?平気ってお父さん、何かあったの?」
タダユキは静かにレイを睨みつけた。
そして「ユウリの前だぞ」と言わんばかりにレイに無言の圧をかける。
レイはそれにすぐに気づくと「やべ」と口を塞いだ。
「いや、店のことだよ。ちょっとコーヒーメーカーの調子が悪くてな。困ってる様子を愛衣蔵さんに見られちまったんだ。レイはそのことを言ってるんだと思うぞ?」
「ふーん」
口ぶり的に嘘だとユウリは感じたが、一応問いかけるのはよしておいた。
なにせタダユキの無言の圧はレイに向けられているものの、ユウリも少し縮み上がりそうになってしまったのだから。
「でもごめんね、お父さん。迷惑かけちゃって」
タダユキは知らないと、とユウリは思っている。
怪物のこと、レイが変身できること、そして自身が怪物に狙われていることを。
タダユキは何も事情は知らないだろうと思い、ユウリはそう謝罪した。
「気にするなよ。しかしホテルの一件、愛衣蔵さんから聞いたぞ?酷い目にあっちまったな……しかも怪物が出るなんて」
「え゛っ!?……お父さん、怪物が出たこと知ってるの?」
「そりゃあ知ってるだろ。もうニュースにもなってるし、多分長谷川市にいれば誰でも知ってることだろうな。今でも俺は信じられないよ。この街に怪物がいるなんて」
「そ、そうだよね……」
もやはいつも通りの日常に溶け込んでしまっているが……それは本来いつも通りのことなどではない。
しかし時間の問題だったともユウリには思える。
これまでの誰にも気付かれずに怪物が長谷川市を暗躍していたに違いない。
それが学校の一件、そしてホテルの一件、果ては長谷川市の怪獣と誰の目にも触れられてしまったのだ。
噂になるのは当然のことと言うべきだろう。
「店長の人。偉そうな人はどこに行ったんだ?」
ユウリが考え込んでいると、レイはタダユキに問いかけた。
レイとしてはタダユキとハルカは一緒に行動しているものだと思い込んでいたのだからその言葉が出たのだが、ユウリとしては「別に愛衣蔵さんとお父さんは一緒に行動してるわけじゃないのに」と首を傾げるしかなかった。
「愛衣蔵さんはこの病院に別件の用があるみたいでな。しばらく席を外すようだ」
「別件?まだなんかあるのか?」
「さぁな」
タダユキはそう言いながら隣に座るレイの耳元に顔を近づけ、耳打ちするように小声で言った。
「怪物の件に決まってるだろうが。お前は黙ってろ」
あまりに低く吃るような声だったものだからレイは血の気がひいたように「うへぇ」と小さく肩を落とした。
「…………なにか私に隠してない?」
その素振りにユウリは思わず問いかけずにはいられなかった。
タダユキは慌てた様子でユウリに顔を向けると「なんでもないよ」と小さく笑った。
「もしかしてお父さん、怪物をどうこうしようとかしてるの?絶対やめてね。昨日ホテルで怪物見て感じたけど、普通の人だったら絶対に無事じゃ済まないんだから、絶対やめて」
……むしろ変身してても無事では済まなかった事は言えるわけもなく、タダユキは苦笑いした。
「おいおい、どうして俺が愛する娘を置いて無茶をしなくちゃいけないんだ。大丈夫だよ、俺はお前から離れたりしないから」
「だといいけど」
ユウリの疑り深い目にさすがのタダユキも抑えるように自分の額を指で小突く。
そんな仕草、今までしてたっけとユウリは思ってから口を開こうとした時、タダユキが先に言った。
「それよりもだ、ユウリ。喜べ、もう退院していいぞ」
「あれ、もう退院していいの?」
「あぁ、別に体の方はなんともないだろ」
「うん。むしろ入院する必要あったかなって思うけど」
「何を言ってるんだ、怪物に襲われたんだ。外傷がないかどうか調べるのも必要だろ?」
「あー。確かにそれはそうかも」
「病院の先生からも健康体っていうお墨付きは貰ってるしな。そうなってくるとここにいる理由もないだろ」
「まぁ、確かに理由はないよね」
「そういうことだ」
タダユキは笑みを浮かべながら、言った。
自身に向けられたタダユキの笑みを見て、「いつも通りのお父さんだ」とユウリは安心する。
「ユウリの服を持ってきたから、退院の手続きして着替えたらすぐに帰るぞ?」
「うん。そうする」
ふと思い返せば久しぶりの家だ。
今まで逃げるような(まぁ、逃げていたのだが)生活になっていたから、いつも通りある自分の家に帰れることにユウリは安堵してしまう。
……これで怪物が現れなければ言うことなしなのだが。
「あ、そう言えば」
そしてまた、ふと思い出す。
「どうした、ユウリ」
「キョウコもこの病院にいたの。だから挨拶だけしてきていい?」
「…………」
久しぶりに会えたのだから、少しぐらい話したい。
ユウリはそう思ったのだが、タダユキは困るように額を指で小突く。
黙り込んだタダユキの表情はまるで他人のようにユウリは見受けられた。
「お父さん?」
「なんだよー、店長。クモに会いに行っちゃいけないのかよー」
「雲?蜘蛛?誰だ、クモって」
「キョウコのことだよ、お父さん。レイくんにあだ名を考えてもらったの。キョウコはクモになっちゃったけど」
「あぁ、そういうことか……まぁ……」
キョウコのあだ名に何故か納得しながらも、またタダユキは考え込む。
額を指で小突きながら。
ユウリにはどうしてそこまで考え込むのか、理由が分からなかった。
しかしタダユキが考え込む理由はただ一つ。
……怪物の存在。
タダユキの疑念……さらに言えばハルカの疑念から躊躇していた。
「レイもキョウコちゃんに会いに行くんだったらいいぞ」
「……レイくんと一緒ならいいんだ。むしろそっちの方がありがたいけど」
どうしてレイと一緒ならいいという条件が出るのか。
ユウリはそれこそ理由が分からなかった。
まぁ、少しだけとはいえ別にキョウコもレイのことを嫌っているわけではないし、逆もまた然りというものだ。
拒否する理由はなかった。
「じゃあレイくん。私、ちょっと着替えるから外で待ってて?」
「分かったぜ、ユウ」
「……ユウ?」
「あ……!レイくん早く出ていって!早く!殴られるよ!」
「え!?まだ続いてるのかよ、それ!」
タダユキを押し除けるようにしてレイは言われるがままに病室の外へと出てしまう。
ユウリはそれに安堵すると、ほっとため息をついた。
「全く……ユウリは男を見る目があると思ってたのにな」
「もう。そういうのじゃないよ。勘違いしないで」
ユウリにそう言われるとタダユキは自分の額を指で小突く。
父の見知らぬ動作に首を傾げて思わず問いかけようとした時、先にタダユキが口を開いた。
「……なぁ、ユウリ。キョウコちゃんのとこに行く前に一つ聞いておきたいんだが」
「どうしたの?」
「俺になにか隠してることとかないか?」
「隠し事」
隠し事なら無論ある。
あるがどれもタダユキには言えないものだからユウリは「何のこと?」と白々しくとぼけてしまう。
「そうだな……例えば誰かに何かしたりとか……」
ユウリは内心、胸を撫で下ろした。
なにせ思っている隠し事ではなかったのだから。
とはいえ。
「誰かにって……学校はまだ日も浅いからキョウコとしか関わりないし……喫茶店の手伝いもあるから」
これは本当のことだった。
忘れそうになるが、ユウリはまだ高校に入学したてだ。
正直なところ、クラスメイトを全員覚えているわけではない。
それは確かに前後横の席の生徒に話しかけることもある。
しかし「ここの問題どういうこと?」とか「次の教室どこ?」とかそんな他愛もない会話のみである。何かするにしても何かする理由もない。
「ちなみに目が隠れるほど前髪の長い女の子に心当たりはあるか?」
「うーん……少なくとも、うちのクラスにはいないかも」
それほど特徴がある生徒なら覚えているはずだとユウリは思うわけで。
しかしクラスの人間は全員覚えていないまでも、そこまでの特徴があるなら確実に覚えていると思うので、ユウリはそう言うしかなかった。
「分かった。すまんな、愛する娘を……変なこと聞いて」
「なんか言葉遣いおかしくない?」
「そうか?愛する娘なんていくらでも言ってると思うけどな」
「それはそもそもおかしいよ」
タダユキは内心、ヒヤリとしていた。
なにせ……愛する娘を疑ってしまったのだから。
しかしユウリが言うなら本当だろうと、これ以上疑うことはしなかった。
「……というかお父さんも出ていって欲しいんだけど」
「なんてことを言うんだよ、父に向かって」
「いくらお父さんでも着替えを見られたくないんだけど」
「…………そりゃそうだ」
思わず否定されたのかと思ったタダユキは納得して病室から出ようとする。ユウリから「……外にいるレイくんを殴ったら承知しないから」とタダユキにも負けないほどの圧をかけられながら。
「大丈夫だよ」
そう笑みを浮かべてタダユキは病室から出ていくものの……案の定というべきか通路から声が聞こえた。
………レイの「なんでだよー!」という悲痛な叫びも。
ユウリは落ち着く暇もなく急いで着替えて誤解を解くしかなかった。
♢(Ⅲ)
この春の雨模様で誤解も一応は解いたところで。
ユウリはタダユキが持ってきた服に着替えてからレイとキョウコの病室へと赴いていた…………わけなのだが。
「…………」
いつも通り竹刀袋を肩に掛けたレイがじっとユウリを見つめてくる。
歩きながら。
いつも通りならわりとおしゃべりなレイなのだが、無言になってユウリをじっと見つめる。
いつも通りなら会話が続くのだが、これではなんだか気まずいとユウリは思ってしまうわけで。
ユウリは耐えきれずに口を開いた。
「レイくん。そんなに見つめないでよ」
「あ、わり。なんかユウが別人に見えてきちゃって」
「なに言ってるの。ただ私服に着替えただけだよ?」
着替えを持ってくるなら制服ではなく私服。これは当たり前のことだ。
ただ……ここ数日、レイと行動する時の服は制服。
そして先ほどまで着ていた病衣。
そして今はというとライトブルー色のロングスカートにホワイトカラーで七分袖のシャツを身に包んだ、ユウリにとってはいつも通りの春の私服。
しかしレイにとってはいつも通りではないわけで。
「なんかすごく別人って感じだよな」
「そう何度も言わないでよ……」
別にオシャレしているわけではない、いつも通りの私服なわけで。
そして土日も大概は喫茶店の手伝いがあるから、普通の女の子よりも数少ない私服なわけで。
「そこまでじろじろ見られると、なんだか似合ってないって気持ちになるんだけど……」
「えっ!?なんでだよ!?」
「だって普通はおかしな服装でもしない限り、そこまでじろじろ見てこないよ?」
「そうなのか?」
「そうだよ?」
「めっちゃ似合ってるのに」
「…………」
今度はユウリの方が黙り込んでしまう番だった。
「…………ほんと平気でそういうこと言っちゃうよね」
「え?今のおかしな言葉だったのか?」
「いや、別に変な言葉じゃないんだけど……」
似合ってる。
何故だかユウリは少し赤面するほど、照れ臭く感じてしまう。
今身につけているこの私服。実はキョウコも似合ってると言ってくれた。
ただキョウコの場合は「めっちゃ似合ってるじゃん!やっぱユウリってこうだよね!なんかお嬢様って感じ!ユウリお嬢様!」と褒めてるのか貶してるのか、分からなかった。
レイはというと、素直だ。
素直すぎるのがこの場合いけないとユウリは思った。
レイは素直で正直だ。
好き嫌いもはっきりしているとユウリは思っている。
そんなレイが発した言葉は……嘘ではないのだろう。
だからユウリは少し恥ずかしくもあったし……嬉しくもあった。
……以前、ハルカが何気なく言った一言をユウリは思い出す。
───日常的に言われる感謝の言葉と、あまり言われない感謝の言葉じゃ重みが違うからよ。レイ。
これもその類なのだろうと思う。
だから自分の中で色々な感情が出てしまうのだろうとユウリは思う。
とはいえ。
「まぁ……そんなに見つめないでくれると嬉しいかな……」
「なんでだよー。なんか可愛いって感じがして俺は好きだぜ?まぁ、それにメガネつけちゃうと偉そうな人みたいになりそうだけど」
「…………」
素直で正直すぎるのも傷というものである、とユウリは実感させられる。
まぁ、偉そうな人こと愛衣蔵ハルカも美人であるからそれはそれで嬉しいけどもとユウリは付け加えておくとして。
「なんか別の話にしない?」
こうなったら力技でなんとかするしかないとユウリは何の当てもなくそう言うしかなかった。
「別の話ってなんだよ?」
「うーん……そうだなぁ」
何かあっただろうか。
レイに関わること。
そしてすぐに思いつく。
「昨日、ホテルで戦ってたのに別の場所に行ったでしょ?あれってなに?」
それはレイが危機的状況に陥った際に転移させらた場所。
石畳の地面に、大きな光が空で輝いていた空間のことだった。
「あー、あれなー。あれは神様の家みたいなもん」
「あー………うん、そうなんだ」
そんなわけないでしょ、とはユウリは言えなかった。
なにせ神様がいる場所と言われればそう思えてくる。
レイと仲間の戦士を復活させ……自分には不思議な感覚を与えてきた。
それを神の所業と言われれば、ユウリとしては納得しかない。
「ユウも見ただろ?」
「見たってなに?」
「神様」
「神様?いた?」
「いたじゃん、あのでっかい光。あれ、神様」
思わずユウリの目は点になってしまう。
それもそうだ。いつも通りの世の中で神というのは人の姿だったり獣の姿だったりする。
しかしユウリが実際に目にしたのは……七色に輝く大きな光、ただそれだけ。
「嘘……あれ……神様……嘘でしょ?」
「嘘じゃないって。神様じゃなきゃあんなことできっこないって。ま、なんで最近あそこにいけるのか、よく分かってないけど」
「そ、そうなんだ……普段は行けないの?」
「なんか鍵があれば入れるって聞いたことあるけど。ま、◯◯◯◯◯◯◯がそんなありきたりなもの用意するわけないじゃんって思っちまったぜ」
「鍵なんか使ってる雰囲気、レイくんからなかったけど」
「そうなんだよな。神様も俺が来ることを想定してないのか、戦いが終わったらすぐに追い出すんだよな。なんでだろ?」
「本当は来てほしくないとかかな?分かんないけど」
「だったら鍵でも掛けといて欲しいよなー」
「どう見ても玄関らしきところなかったけどね……」
ユウリはそう言って苦笑する。
しかしどうして神様の場所に自由に出入りできないのか。
それを考えてもユウリには分からないことばかりだった。
……ただ、ユウリにも心当たりがないわけではない。
学校の時も、ホテルの時も。
神様がいる場所に行く時、確かにきっかけはあった。
…………レイがユウリの名前を叫んだ時。
まさか自分がきっかけになっているというのか?
ユウリは思わず否定した。
「ないない」
「なにが?」
「怪物に狙われてると思ったら、レイくんが神様がいる場所に行く時のきっかけになってるのが私ってないなって思って」
「……なんで神様のとこに行くのにユウが必要なんだよ。鍵じゃあるまいし」
「だよね。ごめんね、バカなこと言って」
ユウリは自分に対しても思わず苦笑してしまった時だった。
病院の通路でどたばたと走る音が聞こえたのは。
耳を澄ますとかなり慌ただしい雰囲気が伝わるのが感じる。
……そして騒々しさも感じた。
なにせ目の前から慌てた様子のキョウコが走ってきたのだから。
「……なんでクモはあんなに走ってるんだ?」
「腕を骨折してるのに……本当に元気だね……」
友人の元気さに思わず呆れてしまいそうになるユウリとレイの目の前でキョウコはついに立ち止まった。
腕を骨折して痛みを感じるはずなのだが、それも忘れたように息切れしているのを落ち着かせるように深呼吸する。
「もう。そんなに走ってたら傷に響いちゃうよ」
「ユウの言う通りだぜ?クモって本当に落ち着きないよな」
「……レイくんだけにはキョウコも絶対言われたくないよ」
思わずいつも通りと言った様子でキョウコに言い聞かす二人だったが……キョウコは何故か驚愕した表情をしていた。
まるであり得ないものを見てしまったという様子で。
「……おい、クモ。どうしたんだよ」
レイの表情が一気に張り詰める。
ユウリもまた友人の見たことない表情にどことなく緊張してしまった。
「ねえ、二人とも……」
キョウコは自分を落ち着かせ、そして二人に恐る恐る問いかけた。
「今ってお昼だよね……?」
「そうだけど……どうしたの?」
「外が夜みたいに真っ暗なんだけど」
「……なに言ってるの?だって雨降ってるから夜みたいになってもおかしくない───」
「ユウ、クモ」
ユウリがキョウコの言葉に首を傾げた直後、レイはいつも通りの表情を見せた。
戦士としての表情。
「近くにいやがる。こんなこと初めてだ。こんな時間に現れるなんて」
レイの言葉にユウリはまさかと思いながら、そして悪い予感を払拭してほしいと思いながら問いかけた。
「違うよね……?」
「いや、間違いない」
レイははっきり告げた。
「怪物がいる」
いつも通りの日常にまた現れた怪物の出現。
それがユウリにとってはまた、たまらなく不安になってしまった。
♢(Ⅳ)
いつも通りの長谷川市。
しかし、その空の色はいつも通りの雨空ではない。
夜。
太陽が完全に隠れたように空は黒く染まり、ただ雨が降るだけの夜空。
しかし時間はまだ昼過ぎ。夜になるような時間ではない。
まるで神が自らの力を見せつけるように変わった空を、ユウリが入院していた病室でタダユキは眺めていた。
「まさか……まだ夜じゃないんだぞ!?」
タダユキはただ声を上げるしかなかった。
なにせ刀は今、手元にない。
ユウリに正体が分かってはならないと、病院に来る時に乗ったハルカの車に置いてきてしまったのだ。
すぐにタダユキは病室から出ようとした時だった。
『その肉体を貸せ』
声。
しかし病室にその声は響いていない。
響き渡るのは……タダユキの脳内。
まるでタダユキの声色を借りるようにして、声は響き渡る。
「お前に貸すと思うか?どうせ借りパクするつもりだろ?」
タダユキは誰もいない病室で言葉を発した。
だが聞くものはいる。
タダユキの脳内に潜むものに。
『娘を守りたくないのか?』
「あいにく、愛する娘は俺が自分の手で守る主義でね」
『そんなに娘が大事か?』
「当たり前だろ」
『誰かを陥れているのかもしれないのに?』
「もう疑ったりはしないさ。俺の愛する娘がそんなことするはずないのに」
『もっと疑ったほうがいいと思うが?』
「これ以上なにを疑うって言うんだ?ユウリがそう言うなら、そう言うことだろう。あの子は変な嘘はつかない子だからな」
その言葉を聞くや否や……声は笑った。
脳内に満遍なく広がるほどに「ははは」と、まるで小さな部屋で拡散機を使われる不快感を感じるほどに笑った。
タダユキは不満を募らせるように、額を指で小突いた。
とんとん、とんとん、と。
騒音を奏でる隣人のドアを叩くように。
「黙っていろ。お前はただ俺に力を貸すだけでいい」
『いいや。滑稽だと思ってなぁ。まぁ、いい。今は秘密にしておこう』
「秘密?」
『そう。だが今は教えない。秘密というのは自分で解き明かしてこそ、価値があるからな』
「いったいなんの秘密だ?心当たりもなにもないが」
『そうだろうな。お前にとって今が幸せの絶頂だからな。戦うしかなかったお前の人生と比べたら』
「なんだと───」
いったいどういうことだ。
そう問いかけようとした時、声は止まった。
聞こえるのは夜空になってしまった空から降り注ぐ雨の音だけ。
「戦うしかなかった?なにをバカ言ってやがるんだ、《エヴィル》は。俺には愛する娘がいる。愛する娘を守るのに理由なんているか」
タダユキは否定するように、そう言った。
……しかし胸のざわめきがタダユキを襲ってくる。
そのモヤモヤを止める術を今のタダユキは知らなかった。
《第十二話:信頼─ダウトフル─ 完》
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