第八話:偽神─フォルスゴッド─

 ♢I


 いつも通りの場所ではない高級ホテル。

 ホテルの一室に設置されたアナログ式の掛け時計の時刻は19時の小さな針が徐々に動き、長い針は60分の刻みを二分の一も間もなく通過しようとしている。


 しかし問題は時間ではない。


 街を見下ろし眺められるほどの大きさの出窓に張り付くように、関町ユウリはある一点を集中して見ていた。


 そこは、長谷川中央高校がある場所。


 最初に轟音が放たれてから、レイはすぐに変身し、そこに向かったはずだとユウリは信じている。そして今も戦っている、と。


 そうでないと、ここまで時間が掛かることはないと。


 ユウリはレイを信頼している。きっと勝つと。

 しかしその内ではまだ不安も残っている。

 自分が襲われるのではないかと。

 しかしレイがきっと、きっと来てくれる。

 そう思っていた。


 しかしユウリはそう自分にそう言い聞かせても、そわそわとした感情を抑えることはできなかった。

 それは普段感じるモヤモヤした気持ちと相まって、ユウリの心をざわめかせ、また心臓の鼓動が早く感じられるほどに自分の感情が複雑に加速していった。


 大丈夫、大丈夫。レイならきっと。


 まるで神に祈るように、ふとユウリは手を握り合わせて、目を閉じた。

 

 お願い、帰ってきて、レイ。レイがいないと、私……。


 自分の素直な感情を心の内で吐露していた時だった。


 ───唐突に、そして激しく、ホテルが揺れた。


「じ、地震……?」


 普段学校で避難訓練が行われている賜物だろうか、ユウリはすぐに膝をつき、壁沿いの机の下に隠れる。

 どうにも大きな揺れであり、部屋全体が縦と横に揺れているのは明白だった。しかし高級ホテルが壊れるほどの揺れではないらしく、ずっと揺れながらも何かが崩壊する音が聞こえるだとか、そういうことではなかった。


 ……いや、物理的には壊れてはいないだろうが、概念としてははっきりと壊されているのかもしれない。このいつも通りの日常を。


 地震の揺れは収まることを知らず、遂には新たな異変を生み出すこととなる。


 それは……高級ホテルの外が眩いほどので包まれたことだった。


 春の夜を消し去り、月の光を遮り、そして部屋の窓を溢れさせるほどの紅い光。

 

 ユウリは無論、どういう状況なのかも分かりはしなかった。

 ……自分の目で見るべきだろうか。

 今まで怪物を見てきたユウリはたまらず、地震の揺れに耐えながらも慎重に、そして及び腰になりながらも窓の方へと近づくと、眩い光の中を見つめた。


 一瞬、光は閃光弾のように強烈にユウリの目に飛び込み、ユウリの視界を奪い去った。

 しかし目を閉じながらも、なんとか慎重に目を開け、薄めながら窓の外の光景を見つめる。

 その先には───。


「………あれは……怪物……?本当に……怪物……?」


 ───まるで街全体を見下ろせるほどの巨大な紅い竜がそこにいた。


 それは……言い換えるなら神の獣が降臨した瞬間だった。


 ♢II


 時を遡ること……19時を回り、校舎の時計の長い針は四分の一を少し回った頃。


 もはやいつも通りではない春の夜。長谷川中央高校はいつも通りを取り繕うように静かに長谷川市に佇むものの、いつも通りの日常に突如として現れた存在はそれを許すことはなかった。


 ───白い仮面を着けた謎の戦士。


 四つの角張った白い校舎、その内の一号棟と二号等の間。

 そこに二人の戦士が倒れていた。

 その周辺には春の夜でも似合わない青い火の粉が枯れた桜の葉のようにゆらゆらと落ちていく。

 最初に立ち上がった者、それは───青龍の戦士、タダユキ。

 直前に防御の構えを取っていたのか紺碧の体は傷一つ無く、いつの間に戻したのか、長い龍の尾が生えた左腕をしならせながら立ち上がった。


『大丈夫か、レイ!』


 青龍の戦士タダユキはもう一人の倒れた戦士……黄竜の戦士、レイを案じるように叫んだ。

 しかし不意打ちを喰らって想定外の痛手を被ってしまったのか、その黄金の装甲に傷は見当たらないものの、肉体にほんの少しの痛みを感じてよろけながらも立ち上がってから、青龍の戦士タダユキの隣へと並ぶ。


『あぁ……店長の人が叫ばなかったらもっとやばかったぜ』

『瞬発力はあるみたいだな、上出来だ』

『嫌な言い方だぜ……なんか試されてるみたいだ』

『これから協力する仲になるからな、お前の実力を見ておくのは当然だろ?』

『協力……?どういうことだよ???』

『話は後だ』


 青龍の戦士タダユキは首を傾げる黄竜の戦士レイを他所に、その右手の龍の顔をある方向に向けながら振り向いた。


 そこは……一号棟の屋上。

 春の夜に溶け込みながらも、晒されるように月の光を浴びながら……その者は───落ちた。


 それはまるで非日常に降り立つ神。


 ゆっくりと一歩踏み出し、そして青い火の粉をゆらゆらと撒き散らしながら、何も音を出さずにただゆっくりと着地した。

 白い仮面の戦士が、戦士たちの前へと。


『………』


 白い仮面の戦士は無言であった。

 しかし間違いなく、感情はある。

 それは敵意と言っていいだろう。何故なら白い仮面の戦士は、その身を変化させていた。


 その白い仮面の半分を隠すように赤い龍を彷彿とさせる仮面。

 全身を紅く透けた鱗を全身に生やした鎧を纏いながら、その手には薙刀のように長い武器を握りしめていた。しかし柄の両端の方に、刃が非対称になるように半月刀が付いていた……それはつまり両剣。いつも通りの日常にはあるわけもない武器。

 そして何より普段はそこにあるだけの右胸部の紅い結晶体は、まるで心臓の鼓動のようにどくどくと輝いていた。

 ……まるで闘志を燃やすように。



『…………お前』


 その姿に真っ先に反応したのは……無論、黄竜の戦士レイ

 忘れるわけもない、その姿を。


『あの雪山で戦ったやつだろ!?』


 依然として月の光に照らされた白い仮面の戦士に、黄竜の戦士レイはいつも通りの態度を崩し、静かな春には似合わないほどの激昂した叫びを上げた。


『こいつを知ってるのか、レイ?』

『あぁ、知ってるッ!!俺がずっと探してた偽物の神様だッ!!』

『神?神だと?』


 青龍の戦士タダユキは怪しむように、紺碧の結晶で覆われた仮面の奥から、その白い戦士を睨みつける。

 なるほど、本当に神はいたというわけだ。レイの言動に多少は納得しながらも、まだその存在を疑っていた。

 神、というには神には似つかわしくない。しかし今の月の光を浴び、無言で立ち尽くす姿は神秘的という意味では神と言ってもいいのだろう。

 だが……その戦う為の姿は、神の遣い。形容するなら戦いの神の遣い。


 神の遣い……白い仮面の戦士はただまっすぐに両剣を二人の戦士に向けた。

 月の光が反射して、輝きを見せつけながら。


『…………』


 そして白い仮面の戦士は───踏み出した。

 

 一歩。踏み出した瞬間。消えた───。


『来るぞ』


 青龍の戦士タダユキは身構え、その右手を引いた。

 黄竜の戦士レイはその言葉に反応するように刀を構えた。


 だが。


 ───青い火の粉と共に、白い仮面の戦士は再び現れた。


 二人の戦士の背後へと。


『……!』

『なッ!?』


 二人が振り向く前に───その両刃が二人を切りつけた。

 

 青龍の戦士タダユキの背部、黄竜の戦士レイの背部の鎧はあっさりと切り裂けれ、それぞれの装甲に月の光に映るほどの切り傷がつけられてしまう。


『この野郎ッ!』


 黄竜の戦士レイは思わぬ攻撃に激昂する。

 そして瞬時に刀を握る手を一気に集中させ、その刃を青く輝かせる。

 その輝きはまるで澄み切った水のような輝き、やがては滴るように刃から水が流れ、その刀の全身を覆う。


 狙うは、目の前にいる白い仮面の戦士。


『おりゃあぁぁぁぁぁッ!』


 そして大声を上げ、その刀を振り上げ、そして振り下ろした───。


『…………あの雪山と同じですね』


 突如として、白い仮面の戦士は言った。


 その声は仮面の奥から聞こえてきており、まるで籠ったような声。

 男性か女性の判別もそこでは尽きそうにない。

 しかし問題はそこではない。

 

 白い仮面の戦士は……両剣を地面へと捨てた。

 そして……その一太刀をあえて、その身で受けた。


『なに?』


 それは神にあだなす、神の一太刀と言えるのかも知れない。

 

 何も抵抗せず、白い仮面の戦士はただその剣を縦一閃に受けた。

 その水は浄化するように鱗の鎧は切り裂き、漆黒の体ごと、顔以外の左の上半身から下半身にかけて、傷を負わせた。


『……しかし何も変わりませんね』


 ただ、傷を負わせた、“だけ”。

 白い仮面の戦士はまるで落胆するような声を放った。

 刀を振り下ろし立ち尽くす黄竜の戦士レイは白い仮面の戦士を見た。

 その黄竜の仮面の奥で驚いた様子の顔をしながら。


『……まさか、やっぱり俺の攻撃が聞いてないのかよ!?』

疑似怪物ネクロオルターを倒したと聞き、成長したと思ったのですが……』


 白い仮面の戦士は黄竜の戦士レイを見つめながら話している時だった。


『───他所見するな』


 その白い仮面の正面───青い龍の顔が激突した。


『…………!』


 叫び声を上げることはないものの、白い仮面を赤い龍の仮面ごと破壊されながら、白い仮面の戦士は少しばかり遠くに吹き飛ばされながら、地面に打ち付けられる。


『腑抜けた神だ。俺とも戦ってることを忘れてくれるなよ』

『わりい、店長の人……!まさか倒せないとは思わなかった……』


 黄竜の戦士レイは自身でも落胆したような態度を見せ、どこか悔しまじりの声を上げてしまう。


『一旦切り替えろ。一手が駄目なら、もう一手付け加えればいい。それが戦いだ』

『良いこと言うぜ、店長の人』

『ただ……あいつはなんだ』


 青龍の戦士タダユキは地面に打ち付けられた白い仮面の戦士を見た。

 その月の光に照らされた光景に青龍の戦士タダユキは、そして黄竜の戦士レイはその仮面の奥で見開くほどに衝撃を受けた。


『…………』


 白い仮面の戦士は復活していた。

 復活、というのはこの場合、傷が全て完治している状態を指す。

 先ほど黄竜の戦士レイにつけられた傷も。

 先ほど青龍の戦士タダユキにつけられた傷も。

 

 全て完治していた。

 そして何くわぬ顔で、それでいていつも通りの姿を維持するように。

 白い仮面の戦士は戦闘の構えを解くことなく、離れた場所に立っていた。


 それはまるで……神。

 偽りでありながらも、一切の攻撃を無としたような神の所業。


疑似戦士オリジン……E.V.I.L、ですか。なるほど、情報に違わぬ力をお持ちですね。最も、それはそれで危険ですが』


 白い仮面の戦士は独り言のように呟き、その右手に青い炎をぼおっと染めるように灯した。


『しかし、少々物足りないですね』


 その月の光に照らされた、春の冷たい風を熱くさせるほどの青い炎に二人の戦士もさすがに気付く。


『神というより、ゾンビと戦ってる気分になるな』

『ぞんび……とりあえず、まだやる気だぞ、あの神様!』

『先手必勝だ』


 そう言って青龍の戦士タダユキは左手の尾をいつも通り弓に変え、そしていつも通りその弦を右手の龍の口で強く引き伸ばした。


『レイ、手伝え』

『言われなくても!』

 

 そうして黄竜の戦士レイもいつも通り、その刀を青く輝かせると澄み切った水を湧き起こし、同時に春の冷たい風を巻き寄せるように刀に集中させる。


 青龍の戦士タダユキの右手の龍の口に水が一点に溢れ、矢を形成した時。

 黄竜の戦士レイの刀に水と風により、渦が巻き起こった時。


『ブリッツクリーグ』


 二人は神の一手の如く───解き放った。


 凝固した水の矢は勢いよく放たれ、瞬時に白い仮面の戦士の腕……炎を宿った腕を貫く。すると白い仮面の戦士の右手は鱗の装甲ごと溶解し、黒く淀んだ液と水が混じり合って地面に溶け込んでいく。


 その溶けている腕を思わず白い仮面の戦士が見た瞬間。

 

 ───水と風の事象が、白い仮面の戦士の全てを飲み込んだ。


 ♢III


 校舎の時計の長い針は15分と30分の間を通過しようとした頃。

 春の夜の元、そして月明かりの元で全ては終わった。


 白い仮面の戦士の肉体は全てを溶解させ、黒く澱むどろどろとした液へと変換されながら、地面へと水溜りのように付着していた。

 ……しかしあの左胸部に埋め込まれた紅い結晶はそのまま残り、地面に転がっている。


 ようやく強敵を倒せた。

 そう感じた二人は変身を解くと、いつも通りの姿へと戻っていた。


「はぁ………」

「疲れたな………」


 二人はすぐに地面へと尻餅をつきながら、座り込む。

 レイはどうにも気持ちが身に入らないと言った様子であり、タダユキは白い仮面の戦士の前にも力を使ったこともあり、酷く疲れた様子であった。


「しかしこんなあっさり倒せるものなのか?」


 タダユキはふと疑問を呟いた。


「俺も驚いたよ……やっぱり店長の人と一緒だったからじゃねえかな?」

「そういう問題か?」


 タダユキは首を傾げながら、白い仮面の戦士の亡骸に目を向ける。

 それは消えることなく、ただそこにあった。

 いつも通りの日常を阻害するように。

 月の光に照らされていた。


「……ていうか、普通に倒しちゃったな」


 レイは自分の目的を思い出したように呟いた。


「結局、なんで俺がモヤモヤしてるのか知りたかったのに」

「モヤモヤしてるのか?」

「あぁ、モヤモヤしてる」

「なんでモヤモヤしてるんだ?」

「知らないから、あの偽者の神様に聞きたかったんだ。俺がモヤモヤする前、最後に戦ってたのがあの神様だったからな」

「あの神様が、ね」


 タダユキは今だに白い仮面の戦士の亡骸を見ていた。


「しかしあいつの目的が分からないまま倒してしまったのは愚策だったな」

「あー、確かに。結局あいつの目的ってなんだったんだろ」

「……レイ、お前も知らないのか?」


 タダユキの疑問にレイは頷く。


「あいつとさ。前に戦ったのは雪山だったんだけどさ。。でもあいつ、超強いんだよな。まるで力が効かないっていうか。ま、あいつとの戦いはなんだか曖昧なところがあるんだけどさ。でも二人でやればあっという間だったんだな」

「あいつと戦った理由はあるのか?お前にもその時、あいつと交戦する理由があったはずだが」

「神様の遣いがそこにやばいやつがいるから戦えって言ってきたんだ。だから、雪山にいたあいつと戦ったってわけ」

「また神様か……お前の言葉はなんだか抽象的に聞こえてくるな」

「しょうがねえじゃん。神様の遣いに言われたんだから」


 タダユキはレイの言葉に頭を抱えながらも、ふと気付く。


「じゃあなんで俺の攻撃は効いたんだ?」

「え、火は水に強いからじゃねえのか?」

「前に戦った時は?」

「俺の攻撃なんて全然効かなかったけど」

「…………」


 タダユキはレイを殴りたくなる気持ちを抑えて、立ち上がり、再び刀と鞘を握りしめると十の字になるように交差させる。


「ゆっくりしている場合じゃなさそうだな」


 そうして青い輝きに塗れ、全身を透き通る水へと転換し、タダユキはその身を瞬時に青龍の戦士へと変身させた。


『どうして俺の攻撃が効いたのか疑問だが、とりあえずはあの黒い液体と紅い結晶を消す。レイ、手伝え』


 体力を消耗している青龍の戦士タダユキはそう促すと、レイはなんとか立ち上がり、刀を地面に突き刺した。


 そうすると瞬時に土、水、炎、風と事象が切り替わるように、いつも通りレイは黄竜の戦士へと変身する。


『分かったよ、店長の人』


 黄竜の戦士レイはそう言いながら、黒い液体と紅い結晶に近づく。

 青龍の戦士タダユキも同様だった。


 月の光は今だにその残骸をくっきりと照らしており、そこに存在することは明白であった。

 いつまでもこのいつも通りの春に残しておくわけにはいかない。


 青龍の戦士タダユキは黒い液体の間近に近づき、触れることなく、右手の龍の口を向ける。そうすると龍の口が開き、吐きつけるように水滴を垂らしていく。

 そうするとどうだろう。まるで化学反応を起こすように、水滴が付着した黒い液体はじゅうっという焼けるような音を鳴らし、小さく煙を出しながら消えていく。


 レイもまた、同じように刀からいつも通り水を湧き起こし、その刃先から流れるように水滴を流す。

 ……しかし黄竜の戦士レイがすると、どういうわけか黒い液体にのめり込むように吸収されてしまい、何も起こることはない。


『なんで???』

『さっきのあの馬鹿みたいな渦巻きは効いたのにな……いや、待て。あれはかなり力を溜め込んだんじゃないか?』

『力を溜め込んだ、というより力を合わせたって感じだよな。怪物倒す時は何かと何かを掛け合わせて使ってるんだよな。その方が力が凄くなるし。ま、理屈は分からねえけど』

『なるほどな……しかし自分の力はちゃんと把握しておけよ、レイ。黒い液体はこっちでやっておくから、お前はその紅い結晶を頼めるか?』

『あぁ、いいぜ』


 そう促された黄竜の戦士レイは黒い液体を避けながら、例の紅い結晶の前に立ち、刀の刃を逆さに向けた。


『…………でも実際、こいつに聞きたかったな。モヤモヤしてた理由』


 黄竜の戦士レイは自らの感情を吐露しながらも、躊躇なくその刃を───突き刺した。


 ピシッ。


 鉱物ほど硬くはないのか、刃はあっさりと結晶に貫通した。


 ピシッ。


 突き立てられた部分から波紋のように、ヒビが入っていく。


 ピシッ、ピシッ、ピシッ。


 ぼおっ。


 ぼおぉっ。


『……なんか熱いんだけど』


 徐々にひび割れを起こす結晶。

 そして呼応するように灯る結晶内部の


 火は自らの殻を破るように、ひび割れた箇所から漏れ出していくと、まるでマグマが逆流するかのように黄竜の戦士が持つ刀を伝っていく。


『ちょ、ちょっと待ってくれよ……!なんだよ、これ。こんなの知らねえよ!』

『レイ、刀を離せ!』


 青龍の戦士タダユキの言葉に頷き、黄竜の戦士レイは刀を握る手を離そうとした。

 が。


 ───刀を離すより先に、結晶の火がレイの腕に巻き付いた。


『なんなんだよ、一体さ!』


 そこから火の進行は止まることを知らなかった。

 黄竜の戦士レイの右手から獲物を捉えたかの如く、急速に火が燃え広がるように巻きついていく。

 それは月の光が黄竜の戦士レイにも届かぬほどに……。


『レイ、じっとしていろ!』


 青龍の戦士タダユキは右手の龍の口を黄竜の戦士レイに向けると、濁流のような勢いのある一直線の水を浴びせかける。

 通常の火であれば、水で消える。

 通常の火であれば。


 しかし火は消えることはなかった。

 むしろ焼石に水というべきか、相手を薙ぎ倒すほどの力を持つ水でさえ、蒸発するようにたちまち消えてしまう。

 ……先ほどは効いていた水が一切効いていないようであった。


 その理由は……黄竜の戦士レイにあった。


 火は巻きつきながら、勢いづくようにぼおっと輝きを増す。

 そして反比例するように黄竜の戦士レイはその黄金の鎧の輝きを失い、地に膝をつくように倒れ込んでしまう。


 いよいよ打つ手なし。そう言った最中さなかだった。


 ───地面が突如として揺れ出したのは。


『今度はなんだ……!?』


 青龍の戦士タダユキは激しい揺れに耐えながらも辺りを見渡す。

 しかしその揺れを引き起こしていると思わしきものは見当たらない。

 可能性があるなら、黄竜の戦士レイに巻きついている勢いを増した火。

 しかし火にそこまでの力があるのだろうか?

 青龍の戦士タダユキにとっては疑問でしょうがない。

 いや、あるいは……。

 青龍の戦士は揺れに耐えながらふと考える。

 

 自分たちはあの白い仮面の戦士のことを何一つ知らない、と。


 そう気付いた時。


 ふと青龍の戦士タダユキは異変に気付き、空を見上げた。


 今は春。静かな春の季節。

 だというのに空は突如として紅に染まっていた。しかし夕焼けのようなグラデーションのある哀愁漂う空ではない。それは炎が燃え広がったような紅い空。戦いを呼び起こすような紅い空。

 紅い空を見ながら、青龍の戦士タダユキの目下は突如として紅く輝いた。いまだに揺れながら、まるで大地からマグマが噴き出すかのように突発的に輝きを放った。

 青龍の戦士タダユキが今起きている状況に理解が追いつかず、目まぐるしくしている時だった。


 ───獣の声が鳴り響いた。


 それは確かに獣の声に相違なかった。だが青龍の戦士タダユキが知りうる中で聞いたことはなかった。

 その獣の咆哮、まるで火を焚きつけ、炎を燃え上がらせ、マグマのように静かに鳴るような咆哮。それはまさしく“火”そのものを具現化したような獣の声。

 しかしそれが不快な声かと言われれば、違う。

 それは生物の体を温め、道標として灯るような、人々の灯火とも感じる声。


 そんな不可思議な声は長谷川市全体に轟く。


 果たして、その声の主は一体誰なのか。


 青龍の戦士タダユキはその紅い空を見た。


 そして見た。


 その巨大な姿を。


『おいおいおいおいッ!!次から次へと……!』


 青龍の戦士タダユキは驚愕し、そして怒号を上げた。


 その巨大な姿(おおよそ100mほどあるのではなかろうか?)ある、地に巨大な足を付けた“竜”。


 ───兜のような角を生やした巨大な竜が、降臨した。


 未だに続く揺れはその竜が原因だろうとは、すぐに察することができた。

 竜、といっても伝播されたあの竜で長い龍とは違う。

 それは太古に存在した恐竜……と言えばいいのだろうか?

 だが直立したように太く巨大な2本の脚で直立し、臀部らしき箇所から生やした太く長い尻尾の先は三叉のようになり尖っていた。そして尻尾から背中にかけては炎を意識したような紅く透明な背鰭が生えている。

 これは果たして恐竜と言えるのだろうか?

 幻想の怪獣……そう言った方がいいのではないだろうか?

 まるで神が創造した炎の権化のような怪獣……。

 太古の恐竜と思わしき………


『ーーーーーーーーー!』


 怪獣は、再び叫んだ。

 その叫びの意味は、青龍の戦士タダユキには分からない。


 だが、その意味を分かっているものがいた。

 それは黄竜の戦士レイに巻きついた火。


 火は黄竜の戦士レイから十分に力を吸い尽くしたのか、自ずと離れていき、そして残された結晶へと戻っていく。


 そうするとどうだろう。

 先ほどまでそこにあっただけの黒い液体がどろどろと動き出し自ずと結晶へとまとわりついていく。結晶についたヒビは熱で温められたガラス細工のように一瞬だけ溶解して、ほんの少し膨らみ、やがては元の紅い結晶に戻っていく。

 そして残された黒い液体は結晶にまとわりつくことによって、どくどくとその量を増やすように大きくなり、形成していく。

 ……人の形へと。


 しかし、それはもちろん人ではない。

 

 最後の仕上げと言うべきなのか。

 巨大な龍の怪獣はその兜付きの顔をゆっくり、その紅と黒が混じるものへ向ける。


『ーーーーーーーーー!!!』


 咆哮。


 そして怪獣はその肉食恐竜のような口を大きく開き───炎を放った。


 大きな放射状の炎は瞬く間に長谷川中央高校の敷地内を覆い尽した。

 無論、黄竜の戦士レイも青龍の戦士タダユキも。

 そして紅の結晶にも。


『…………不思議だ』


 青龍の戦士タダユキは防御するように、右手の龍の口から水を溢れ出させてから、その水を膜で覆うようにして自分を守る。

 だが妙な気分であった。

 その炎から熱気を感じてもおかしくはない。しかしその紅い炎から何も感じることはない。

 その証拠に校舎にも浴びせられる炎は、その建物を燃やすことを一切してはいなかった。無傷。ただ、その炎を浴びているだけ。

 もしや、この炎は幻影なのだろうか?

 そう錯覚するが青龍の戦士タダユキはあの紅い結晶を見やることで否定した。


 紅い結晶はその黒い液体と共に燃えていた。

 人の形を保ちながら、焼き尽くされる。されどその黒い体は炎を吸収していき、遂にはの姿を顕現させる。


 ───白い仮面の戦士を。


 紅い炎はまとわりつきながらも、まだ黒い体へと吸収されていき、ついにはその体に紋章を刻み込む。の炎のような刺青を。

 そしてその顔にはの白い仮面。


『…………』


 春の世には似合わない、その姿。


 白い仮面の戦士は蘇った。


『…………やはり、か』


 白い仮面の戦士は紅い空を、巨大な龍の怪獣を見上げた。


『ーーーーーーーー!』


 怪獣は、吠えた。

 白い仮面の戦士に。

 そして───消えた。


 それは唐突な出来事だった。

 言うなれば神の悪戯。


 先ほどで紅に染まった空は、再び月の光が照らす春の夜空へと変わった。

 大地の揺れは収まり、無論、その輝きもなく、あるのはいつも通り春の冷たい風のみ。


『…………』


 白い仮面の戦士は膝をつく黄竜の戦士レイと防御の構えを解いた青龍の戦士タダユキを見つめた。


『…………まだ、でしたね』


 白い仮面の戦士は呟いた。


『レイ、立てるか……?とは言っても無理か』

『わりい……店長の人……今は無理………』


 そう言うと黄竜の戦士は……膝で姿勢を保つことも難しく……遂に倒れた。その姿をいつも通りのレイの姿に戻しながら。


『しょうがないか……』


 諦めたように呟き、青龍の戦士タダユキはその左手の尾をしならせ、地面に叩きつけた。

 そうすると今度は弓ではなく、長い尾が一直線に硬直し、ひれのようなものを刃のようにして鋭利に尖らせる。


『まだやる気だよな?来いよ、あのよく分からん怪獣が何をしたか知らないが、今度はちゃんと殺してやる』

『あなたでは無理ですよ』

『なに、要領は今のでちゃんと掴んださ』

『要領の問題ではありません……根底の問題です』

『なに?』

『いえ、今日はここまでとしましょう。私は目的を果たしました。あとはごゆっくりどうぞ……そうできればの話ですが』


 そう言うと白い仮面の戦士はぼぉっとその身に青い炎を宿し、全身を覆い隠すと───消えた。


 残されたのは残り香のような青い火の粉。

 そしていつも通りある、春の冷たい風。


『チッ……追おうにも追えないなんてな……』


 しかし青龍の戦士タダユキはもう一つの事も気がかりを感じていた。


 ───そうできればの話ですが。


 まだ、何かあるとするなら……怪物。

 いつも通り現れる怪物。

 まだ怪物はいる。

 青龍の戦士タダユキにはそう結びつけるしかない。


 怪物は……ユウリを狙っている。

 真っ先に考えついたのはそれだ。なにせ愛しの娘が狙われているのなら父親としては当然の考えだった。

 怪物の目的……今の所はユウリに焦点が言っている。

 つまり……今日もまた怪物が現れる可能性もある?


 そして守るべき存在のレイは……力を吸い尽くされ倒れている。


『…………まずいッ!』


 青龍の戦士はある方角を見つめた。


 それは……ユウリが泊まる高級ホテルの方角……。


 ♢Ⅳ


 高級ホテルの一室。

 ユウリが泊まる一室の時計、その長い針はとうとう二分の一を通過した頃。


 ユウリは件の怪獣が消え、春の夜が再び現れたことで安堵しかけたが、やはり心のざわめきを消すことはできなかった。

 なにせ状況が何一つわからなかったのだ。

 ユウリは自分の身を案じるより、レイのことが気になって仕方がなかった。

 レイの身が無事であるように。ただそう祈っていた。

 

 そしてまたいつも通り、この部屋に戻ってきてくれると、ユウリはそう信じていた。


「レイ……」


 そうふと呟いた時だった。


 ピタッ。

 ピタッ。


 春の風も届かない静かな部屋で音が聞こえた。

 

 ピタッ。

 ピタッ。


 それは……雨漏れのような音にも聞こえた。


 ユウリは思わず部屋全体を見返す。

 月の光が差し込むその部屋を。

 

 するとすぐに気付く。

 

 白い天井、その石膏の隙間から水が漏れ出していた。


「…………水漏れ?」


 まさか高級ホテルでもそんなことがあるのか?

 ユウリはそう思いながら首を傾げていた。


 水滴は等間隔でカーペットの床に落ち、染み込んでいくかに思えた。

 だが水滴は染み込むことなく、水玉のように浮き出てくる。


 ピタッ。

 ピタッ。


 そこでユウリは気付く。

 違和感に。


 最初は指で潰せるほどの小さな水滴だった。

 しかし水滴通しが重なり合えば、大きくなっていく。

 まるで雨上がりの大きな水たまりのように。


 もしかして……。


 ユウリはすぐに駆け出し、逃げた。


 自分でも飛び越えられるほどの水たまり。

 スカートを捲り上げながら、飛び上がり、すぐに扉を開ける。

 部屋に入るためのカードキーも持たずに。

 しかしそんなことは問題ではない。


 ユウリが部屋を出て、急いで部屋を閉じたと同時だった。


 ───水が形を形成し、小さな部屋に余りあるほどの巨大な尾が現れたのは。


(第八話:偽神─フォルスゴッド─ 完)

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