第一章『AlterNative』

第一話:出会ーオルタナティブー

 ♢(Ⅰ)


 関町せきまちユウリ。

 どこにでもいる普通の女子高生。

 K県は長谷川市という小さな街にある長谷川中央高校の商業科に入学したばかりの女子高生。


 そのはずだと自分では思っている。


 どこにでもある普通の家庭……母親は自分の生まれた時に亡くなったらしいが。

 どこにでもある普通の家……平屋の一軒家で父と二人ぐらしだから多分普通。

 そしてどこにでもある普通の部屋……どこにでもある普通の部屋。


 そのはずだとユウリは思っている。


 いつも通りであるはずの部屋。

 小学校の頃から使っている木製の学習机。

 高校に入学するにあたって買い換えた無難な回転椅子。

 薄茶色のベッドに、女の子らしい花柄のシーツ。

 学習机の横隣に三つ並んだ、同じく薄茶色で木製の三段ボックスに入れられた漫画や小説(ただし自分の趣味のものではない。雲野キョウコという親友から勧められたもの)。

 身だしなみを確認する為に父親に取り付けてもらった、扉の真横にある姿見鏡。


 そして学習机上部に取り付けられた棚には、高校入学時の際に父親である関町タダユキと共に写った写真が飾られている。

 それを見ても、やはりいつも通りに感じる。


 リビングに行く前に自分の姿を鏡で確認してみる。

 入学したてで皺がよっていない綺麗な制服。

 校則違反を気にして肩にかからないように整えた長髪。

 大きくはっきりとした目。特に弄ることはしていない整った眉。低めの鼻。

 全く着飾らない自分の姿に「やっぱりいつも通りだな」と言い聞かせる。


 けれども鏡に映らない自分の感情は、いつも通りではない気がする。

 確かに通学鞄には今日の授業の教科書は入れた。筆記用具も入れた。

 机の上には学校に持っていく手帳型のカバーを付けたスマートフォンと生徒手帳、小学校から使っている女の子が持つような可愛らしい柄の折りたたみ財布。

 忘れ物は、ない。

 ないはずなのに。

 どうにも


 そう思いながらもユウリは朝の暖かな光が差し込んだ部屋を出てから、リビングに辿り着く。リビングには正真正銘自分の父であるタダユキがいた。


 すでに自身が営む喫茶店へ行く準備を終えており、青いジーパンに黒いワイシャツに身を包んでいる。

 パーマを当てた短髪。目は細く、鼻はやや高め。お洒落に気を遣い(と言うよりお洒落しなさすぎてユウリに嗜められたから)色つきレンズの丸メガネをつけたその姿はまさにイケてる中年……というのは友人である雲野くものキョウコ談。


 ……ただこの親からどうして自分が生まれたのだろう、とユウリは料理をするタダユキをまじまじと見つめて思ってしまう。幼少期から一緒に過ごしてきた記憶がはっきりとあると言うのに。


 ユウリは頬杖をつきながら、思わず問いかけてしまった。


「ねえ。なんでお父さんはお父さんなの?」


 リビングに設置したスピーカーからいつも通りラモーンズの曲を聞いては口ずさむタダユキは、さすがに苦笑くしょうするしかなかった。


「おいおい。なんでって……父さんが母さんと出会ったから、ユウリは生まれてきたんだろ?あとは出生届も市役所には出してるし、血縁的にもユウリは俺の愛しい娘で、俺はユウリの父親だろ?」

「うん、まぁ、それを言われるとぐうの音も出ないんだけど……なんだかなぁ」


 ユウリは望んだ答えではないことに酷くがっかりした様子で、気を紛らわすようにテレビを見つめた。


『昨日のニュースです。昨日、財団法人である愛衣蔵財団がむかい浅生あそう市にある大学への寄付を申し出ました。大学では近年、K県に生息する動植物の研究を進めており、寄付金はその研究費に当てられるとのことです』

「へぇ……」


 特に関心や興味も向かないまま、ユウリはなんとなくチャンネルを変える。


『お願いします……大事な一人息子なんです……!もし神様がいるなら……お願いです、息子に合わせてください!』


 そこには涙ながらの家族の映像が流れていた。

 ……そのニュースならユウリも知っている。

 なにせ今映っているニュース……失踪事件が起こったのは間違いなく長谷川市で起こっていることだった。


 そのニュースを聞いて、タダユキは頭を抱えていた。


「…………はぁ、嫌になってくるよ」


 タダユキはため息混じりにキッチンで朝食の準備を進めていった。

 「ユウリも気をつけろよ」、そう言いながら。


「うん」


 ユウリは返事をしながら、またチャンネルを変えていく。

 しかしどうにも心に刺さる番組は出てこない。

 それは朝だから当たり前なのだが……ユウリはどうにもモヤモヤしてしまった。 


 ♢(II)


 ユウリの自宅から長谷川中央高校までの距離はわずか10分ほど。


 朝食を終えてタダユキに「気をつけて行けよ。あと不審者にあったら一目散に逃げろよ。ユウリは可愛いんだから」と恥ずかしいほどに余計な一言に言われてから家を出る。


 空は……春が自分が来たことを宣言するほどに健やかな晴れ模様であった。

 されど近くに植えれた桜の木が、すでにその花びらを風に乗せて撒き散らしている。

 これを青春の一歩を噛み締めると読むか、春の早すぎる終わりと読み解くか、ユウリは少し判断に困った。


 家を出てから5分後、通り沿いに茶色く煉瓦造りに感じられるコンビニに寄り、いつも通り学校で食べるお菓子を買っていく。

 昼食はタダユキお手製のお弁当があるとして、学校のお菓子選びは重要である。


 なぜなら女子高生にとってこのお菓子選びはまさに、ターニングポイントと言って差し支えないだ。


 このお菓子選びで美味しいお菓子を選ぶことができれば友達との会話も花が咲き、退屈な授業も「休み時間にお菓子が待ってる」と自身に希望を与えることができる。

 しかし一歩間違えれば……友達の会話は花がしぼんだようになり、退屈な授業はさらに退屈になり、結果居眠りをして「関町さん、居眠りは反省文の対象になりますが」とみんなの前で叱咤され、ジ・エンド。


「………やだやだ」


 一つのレーンを占めるほどのお菓子の列を目の前に、一人で首を振るユウリの姿はまさに滑稽でなものだった。


 しかし、しかしだ。

 ユウリは思う。

 自分の常は安定型。つまりいつも通り。

 新しいものに踏み出す勇気がない。

 これには困ったものだ、とユウリは自分で自分を叱咤したくもなる。


 ……ここはいつも通りにするべき、か。

 もしくは神の一手があれば。


 ユウリはまるで切望しながらも、目の前に置かれた無難なアーモンドチョコレートをいつも通り手に取ろうとした、その時だった。


「あれあれ〜?ユウリちゃんはいつも通りを選ぶのですかな〜?」

 

 神の一手のような声が、背後から聞こえてきて、ユウリは喜んで振り向いた。


 そこにはユウリが中学から仲良くしている唯一無二の親友、スポーティな短髪に大きな目がくっきりとしている雲野くものキョウコがニヤついた表情をしていた。

 

「キョウコー……待ってたよー……」

「え!?なになに!?ユウリがあたしのこと、待ってくれてたの!?」

「うん。キョウコは私にとってのお菓子な神様だから」

「え〜、なんだか照れちゃうな〜。そんなあがめられてもお菓子しか選べないよ〜?」

「それ以外のことは求めてないから安心していいよ?」

「それ、どういう意味!?」


 いつも通りのやり取り。

 ユウリとキョウコは、コンビニの中にも関わらずくだらないことのように笑い合っていた。

 ……ただいつも通りのはずなのに、やはりユウリの心にはモヤモヤした気持ちがあった。


 なんだか大事なことを忘れて、モヤついている。

 そんな気持ちだった。


 ♢(Ⅲ)


 コンビニから学校までは約5分。

 やはりみちなりの道を真っ直ぐと進めばいいだけで、時間は全くかからない。

 キョウコと合流したユウリは勿論、一緒に徒歩で学校へと向かうことにした。


 歩道はかなり狭めであり人が二人並んで歩くと、ほんの少し窮屈になってしまう。

 しかしかなり早い朝ということもあり、「人は来ないだろう」と勝手に思ってしまって、つい歩道を二人並んで歩いてしまっていた。


 普段ならユウリも気にするところなのだが……ついつい横並びになってしまう。


 歩道にも桜の花びらが撒き散らされており、ユウリはふいに「春も終わっちゃうな」とセンチメンタルな言葉を思ってしまう。


「そういえばね、ユウリ。最近SNSで流れてる動画見た?」


 そしてそんな情緒もないキョウコの言葉。

 ユウリは見ていないらしく、首を傾げた。


「私……SNSやってないんだ」

「えーほんとー?流行に乗り遅れちゃうよー」

「なんだか知らない人と関わるのって怖くない?」

「あたしも学校の友達しかフォローしてないけどなー。まぁ?でも?そんな世間知らずのユウリちゃんにはキョウコ様がちゃんと教えてあげちゃうから!」

「しょうがないなぁ……キョウコ様、是非ともよろしくお願いします」


 ユウリが冗談めいておちゃらけた言葉に対して笑いながら返答すると、歩きながらキョウコはスマートフォンをカバンからそそくさと取り出し、SNSを開く。

 操作していくと、キョウコは真っ暗な画面から始まる動画を再生し始めた。


「長谷川市で撮った動画らしいんだけどね。ほんと、映画みたいな動画なの」

「長谷川市?長谷川市でそんな動画撮れる?」

「まぁまぁ、ひゃくぶんはひゃっけいにしからずだよー」

「百聞は一見にしかず、ね」


 ユウリたちは歩きながら動画を見始めた。


 動画なのだから学校に着いた時に見ればいいのに、と思われるが、学校は原則的にスマートフォンの操作は禁止である。

 それを止めるものは今、ここにはいない。


 だからだろう。


 向かい側から来る少年のことを、ユウリたちは気付いていなかった。


 そんなことも露知らず、ユウリはわずか10秒の動画を見終えて、キョウコを見つめた。


「なにこれ」

「怪物の動画」

「映画じゃなくて?」

「映画みたいだよねー」


 動画はわずか10秒ほどではあるが……まるで神業でも見せられているような動画だった。


 ───どこかの建物の中で、龍の仮面を付けた戦士が炎そのものである怪物を斬り裂いた動画。


 それはまさにあり得ないことであった。


 黄金に輝く龍の仮面をつけた戦士。その戦士が刀を輝かせ、炎と形容すべき存在を一刀両断する。炎は鎮火するように消え、また、戦士は炎に包まれてから蝋燭の火をふっと消すように一瞬で消える。


 まさに神の所業とも言える、至難の業。


「合成じゃないの?」

「でもCGとかにしてはリアル過ぎないかなー」

「CGでも今のは完璧に再現できるってお父さんが言ってたよ」

「ユウリのお父さん、物知りすぎー」


 ユウリとキョウコがくだんの動画について是非を問うている時。


 向かい側から来てい少年もまたユウリたちに気付いた。


 歩道を二人で通せんぼしている状況。

 ……歩道を外れて歩けばいいか。そう判断して車が一つも来ない車道に外れて、歩いて行く。


 ユウリたちは……相変わらずだった。


「でももし、こんなのがいたらユウリはどうするー?」

「どうするもなにも……私たちは逃げるしかないよ。だって立ち向かえるわけないもん」

「だよねー。あたしも絶対逃げるよー。SNSじゃ、嘘じゃないって証明する為に探すってコメントもあるけど、絶対にあぶないよねー」

「えー……。めたほうがいいと思うけど……」


 相変わらず歩道で歩きをめ、話し込んでいた。

 男もまた変わらず歩き続け……ユウリたちとすれ違いになる。

 ただ、ユウリたちの会話を聞く素振りはこれっぽっちもなかった。


 だが───。


「怪物なんて絶対いないから」


 その言葉を聞いた瞬間……すれ違った少年はすぐに止まり、ユウリの方を見た。

 そして発した。


「今、怪物って言ったか?」


 それは年相応に若く、それでいて大人のように低い声だった。

 ユウリとキョウコは思わず車道を見ると……白いYシャツをはみ出させた黒いスーツ姿で整えることをしないボサついた長髪の少年。

 細目で目元にくっきりと隈を付けたその表情は疲労あるいは気だるさを感じさせる。


 ユウリはそんな顔をつい、じっくりと見つめていた。


 ───まるでを思い出すように。


「……えーとー」

「すいません、なにか……?」


 ユウリとキョウコがまるで不審者を見つめるような目で見ていることに少年は気付くと、「やっちまった」と言わんばかりに頭を抱えた。


「わりい……つい怪物って言葉が聞こえたから……」

「…………」

「…………」


 しかしユウリとキョウコの怪しむ目は、止むことがない。

 春の暖かな風には似合わない、冷ややかな態度だった。


「そ、そんな目で見るなよ……だから悪かったって」


 だんだんとたじろぐばかりの少年の態度に、ユウリとキョウコは互いに目を合わせる。

 ……もしかしてただの変な人なのだろうか、と互いに互いの共通認識を無意識にすり合わせると、改めて二人は少年を見つめた。

 …………哀れみの目で。


「いや、そんな目で見ないでくれよ……だから悪かったって言ってるじゃねえかよ……」


 次はだんだんと申し訳なさを告げるような情けない声を出し始める少年に二人は……思わず「ぷっ」と吹き出してしまった。


「ごめんなさい、つい」


 ユウリがそう謝罪すると、少年は思わず安堵した。


「いや。俺の方こそ、わりい。つい怪物って言葉に反応しちまってさ」

「……もしかしてSNSで怪物探してたりする人ですかー?」


 キョウコの問いかけに少年は首を傾げた。


「えすえぬえす?アルファベットの羅列か?なんだそれ」


 キョウコは思わずユウリを見た。

 ……まるで同類だと言わんばかりの目で。


「私はやってないだけで、知らないわけじゃないから……」

「あ、SNSか。すまねえ。SNSな。SNS」

「………絶対知らない人の言動だと思う」

 

 ユウリがボソリというが少年は「いやいや」と否定する。


「あまり聞き馴染みなかったから忘れてたんだ、本当だ」

「……ユウリ、この人、やっぱり変───」

「それ以上はやめて」


 ユウリはキョウコの言葉を静止して、少年に話を続けた。


「あの……結局なんで怪物に反応したんです?別に探してるわけじゃないですよね」

「いや、探してる」

「…………」


 その言葉にユウリは唖然とした。

 そして「やっぱり変人だ」と妙に納得してしまう。


「…………お前らも探してるくちじゃないのかよ?」

「これが怪物を探してる人間に見えます?」


 少年はユウリに言われて、その姿を見やる。

 ……長谷川中央高校の藍色の制服を。


「……見えない」

「ですよね」

「ユウリ、この人やっぱり変人───」

「キョウコ」


 ついにキョウコの言葉を静止できなかったが、それはそれとしてユウリは続ける。


「えーと……失礼ですけど、怪物なんていないから探さないほうがいいと思いますけど……最近出回ってる動画も絶対偽物だと思いますし……」

「動画?」

「動画っていうのは動く絵みたいな……」

「いや、その意味じゃなねえよ。怪物の動画ってなんだ?」

「………怪物をで探されてる人???ユウリ、この人……病───」

「キョウコ、言い過ぎ」


 ユウリの言葉でもはや言ってはいけない一言が分かってしまいそうなところではあるが、少年は続ける。


「見せてくれよ、その動画ってやつ。興味があるんだ」

「…………」

「…………」


 ユウリとキョウコは二人見合わせてどうするか考えあぐねていたが、「早く去ってもらえれば」と再び共通認識を無言ですり合わせ、キョウコがスマートフォンで先ほどの動画を見せた。


 わずか10秒の動画。だが……少年はその動画を見て驚愕した。

 まるで映ってはならないものを見てしまったかのように。


「ありがとな、制服の人ら。教えてくれて」

「いや、教えたっていうかなんというか……」


 ユウリがしどろもどろに言葉を吐き出そうとした時。

 少年は来た道をそのまま戻るようにして走り出した。


「今度どこかであったらなんか奢らせてくれよなー!」


 …………まるで春に突然訪れた、つむじ風。

 二人は「一体なんだったんだろう」と少年の言葉を真に受けることなく、首を傾げた。


 ♢(Ⅳ)


 学校の1日は遅くもあり、早くもある。

 退屈な授業は1秒1秒じりじりとその身をもって味じ合わされ、楽しい休み時間は10分が一瞬で過ぎて憂鬱になる。

 まるでいつの間にか来て、いつの間にか終わる春のような時間を終え、ユウリは一人、学校から10分ほど離れた市街地の一角にある喫茶店へと来ていた。


「お、ユウリか。おかえり、待ってたぞ」

「……………」


 普段ならタダユキの一言に「ここは家じゃないよ、お父さん」といつも通りのやり取りを交わすところであるが、今日は違った。


「なんでここにいるの、この人……」


 十畳ほどの空間でカウンター席とソファー席、窓ガラスの壁沿いにもカウンター席がある喫茶店。そして店内の雰囲気を作るようにラモーンズの「シーナ・イズ・ア・パンクロッカー」がいつも通り心地良く流れる。


 その壁沿いの椅子につむじ風のような少年が机の上に前屈みでうつ伏せていた。


 その様子はまるで疲れているのか、目を閉じて眠っているようでもある。

 ……プラスチックのコップに注がれた無糖の珈琲を全て飲み干して。


「ん?レイのことを知ってるのか?」

「レイ?」


 たまらず聞きかえすが、すぐに察する。

 平日の客足が少ない時間にたった一人、眠りにつく少年を見ながら。


「レイって言うんだ、この人」

「なんだ、名前も知らない知人か」

「うん、だってこの人、不審者みたいな人だし」

「…………あ゛?」


 タダユキは思わずレイを睨みつけた。

 「なにを大事な一人娘に」と言わんばかりに眉間に皺を寄せた怖い顔であったが、ユウリはなんとか顔を見ずに宥めようとする。


「あ、違うの!不審者みたいなだけだから不審者ではないの!でも変な人には変わりないの!」

「いやいや一緒だろ!なにを大事な一人娘に!?」


 タダユキが惜しげもなく遂にその言葉を放ったところで、急にレイと呼ばれた少年は目を開けた。


「……なんだよ、騒がしいなぁ。せっかくラモーンズ聞いて気分よくしてたのに」

「レイ、よくも大事な一人娘を!」


 頭に血が昇り過ぎているのか、ユウリの静止を振り解こうとしながらカウンター席の向こう側に存在する厨房から怒鳴り続けるタダユキ。

 だがレイはそんなことを気にせず、今朝見かけた少女の姿に気付いた。


「あ、制服の人の一人じゃん。長髪で制服の人。あ、奢るって約束してたよな。よかったら好きなの頼んでくれよ。偉そうな人からお金は貰ってるんだ」


 そして、呑気だった。


「ちょっと!そんなこと言わずになんとかしてよぉ!?」


 自分が巻いた種にも関わらず、ユウリはレイへと助けを懇願した。


 ♢(Ⅴ)


 それから10分後。

 

 タダユキの我が子を思い過ぎる故の誤解を解き、三人は向かい合わせにそれぞれ配置された二人がけソファに座りながら、珈琲を飲んでいた。


「はぁ、最初から言ってくれ、ユウリ。久々にキレちまいそうだった」

「もうキレてたよ。本当に怖かった。あと数十年は見たくないかも……嘘、一生見たくない」

「ユウリはいい子だから、怒ることはないよ」

 

 そう談笑する隣り合わせの親子をレイはなんとなく羨望の眼差しを向けていた。


「でも、何度聞いてもレイは変なやつだな。怪物を探してるなんて」


 タダユキのふとした一言に、レイは「いや」と否定するように続けた。


「怪物はいる。どこにでもな」


 それはまたおかしな言葉だ、そうユウリは首を傾げるしかなかった。


「なんで怪物を探してるの?」

「それは秘密。言っちゃいけないって言われてるんだ」

「誰に?」

「偉そうな人に」

「偉そう人って?」

「偉そうは偉そうな人だぜ?なんか見て、「うわ、偉そうだなー」みたいな感じ」

「……ふわっとしてない?」

「そうか?店長の人はわかるよな?」


 ユウリにとっては分かるようで分からない言葉の羅列に、助けを求めるようにタダユキを見つめる。

 レイもまた、同様だった。


「店長の人ってのはまた他人行儀だな。店長だけでもいいぞ?」

「いや、俺にとって店長の人は店長の人」

「関町タダユキって名前があるのは無視か?」

「ただ……?わり。俺、名前が覚えられないんだ。いや、ちゃんと記憶力はあるんだぜ?でもなんでか知らないけど覚えられないんだ。……なんでだろ」


 そう言ってレイは、天井を見つめた。


「……やっぱ神様の悪戯かなー」


 その冗談めいた言葉にユウリとタダユキは、笑った。

 どうにも本人しか理解できないような難解な言葉しか吐き出さない少年の、最も良く分からない発言に二人は笑うしかなかった。


「おいおい、怪物の次は神様か?レイ、お前はそんなものも信じてるのか?」

「いやいや、神もいるぜ?手加減もしてくれない、無慈悲な神っていうのがさ」


 タダユキは笑って気付かないようだったが、ユウリはレイの顔を見つめて、ふと感じていた。

 …………その顔は冗談ではなく、まるで本当にいることを知っているかのような怖い顔を。


 だからこそ、ユウリは言ってしまった。


「やっぱり、レイくんっておかしな人だよね」

「そんなにおかしいか、俺?」

「うん。今朝のこともそうだけど。世間を知らないみたいな感じで、まるで自分の世界で生きてるみたい」

「うーん…………ま、そりゃそうだよな」


 レイは深く考え、そして言った。


「ま、その言葉は正しいかもな。今のこの世界で生きてて俺はモヤモヤしてるからな」

「え、それって───」


 どう言う意味か、ユウリは問いかけようとした。

 しかし───ラモーンズの音楽に被さるようにして、突然レイのスーツから着信音が鳴り響いた。


「げ、偉そうな人からだ。そういえば今朝電話してから定時連絡ってやつしてねえや」


 レイは慌てた様子で立ち上がると、スーツの内ポケットからくしゃくしゃになった千円札を取り出すと机の上に置いた。


「ありがとな、店長の人!あと長髪で制服の人!あ、奢るの忘れてたからまた来た時に奢らせてくれ!あと短髪で制服の人にもよろしく言っといてくれ!じゃあな───」


 まさしくつむじ風のような少年は慌ただしく言いながら、ガラス扉を開けて、走っていってしまった。


 残されたのは……くしゃくしゃになった千円札。


「あいつ……これじゃあ貰いすぎになるんだよなぁ……」


 まるでレイのことを歌うように店内で流れる「ジュディ・イズ・ア・パンク」。


 そして……レイの一言を気にかける、心ここに在らずのユウリであった。


  ♢(Ⅵ)


 春であろうとも、変わらず来るものがある。


 それは夜。


 太陽が昇る間は暖かな風で人々を迎え入れるが、月の昇る間は人々を冷たく見放す夜。


 「先に帰っててくれ」とタダユキに言われて、ユウリは家路に着いていた。

 喫茶店から家までは10分ほど。いつも学校の登校中に寄るコンビニを曲がるだけでたどり着く、いつもの家。

 だがユウリは家路から途中で学校へと再び足を進めていた。


 珍しく学校に忘れ物をしてしまい、これでは宿題ができないと困って挙句の行動だった。

 時刻は19時。まさしく夜であり、辺りは暗い。

 ただ学校の方に着くと校舎内はちらほらと明かりが着いていた。

 おそらく部活動をしているのと、先生たちが職員室で働いているのだろうと思いながらも恐る恐る、学校へと入っていく。


 校舎は前方から後方にかけて、一つの列を作り、四つの校舎に分かれている。

 最も後方側にある校舎が、ユウリが通う校舎である。

 一年生は基本的にはその校舎で授業を行うのだが……夜はただならぬ雰囲気を出している。


 ………おそらく校舎から見える光景……公共の並んだ墓地と、夜遅くまで練習する吹奏楽部の音が恐怖を演出しているのかもしれない。


 校舎は三階建てであり、中央に位置する折り返し階段を登り、さらに右側の奥まで進むとユウリが日々過ごす教室がある。


「はぁ、よかった。やっぱりここにあるよね……」


 教室に入り、一息吐くユウリは窓の外を見る。

 校舎には明かりが灯っているものの、窓の外はすでに暗く、コンクリートの白い壁と木々が並べられた床がくっきり映り込み、まるでいつも通りの日常という概念を壊していく。


「…………あ」


 ふとユウリは気付く。

 タダユキに連絡を入れてなかったことを。

 ………帰った時にいなかったら、心配するよね。

 最初にすべきことをしなかった自分に反省しつつ、スマートフォンを鞄から取り出そうとした時。


 ───ぼぉっと、熱く燃ゆる感覚を教室から感じた。


「……まだ春なのに───」


 ユウリは不思議な感覚に疑問を抱きながら、教壇を見つめた。

 そして目を見開いた。


 ───青い炎に包まれた怪物のことを。


「ひッ!?」


 ユウリは顔を引きつらせ、一歩引いた。


 青い炎をその身で燃やし、まるで泥人形のような怪物のことを。

 まさか墓地から復活を遂げた怨霊だろうか、と普段なら冗談の一つでも飛ばすだろうがそんな余裕があるわけがない。


 早くなる心臓の鼓動。

 ばくばく、と自分の鼓動を耳と胸で感じながら、ユウリはまた一歩下がろうとした。しかし体が緊張を始め、震えこそあるが、怪物に足を掴まれたように感じ、動くことができない。


 たまにテレビで流れるパニック映画でどうして人は逃げないのだろうと思っていた。

 違う。逃げようとしているとユウリはこの時初めて思った。

 怪物が来ると、足が動かなくなるんだ。


「こ、こないで───」


 ユウリはか細い声で言った。

 だが怪物はゆらゆらと動き始めた。

 教壇の机をマッチ棒でも燃やすようにゆっくりと燃やし、その床にも蝋燭のように火を灯していく。


 ゆらゆらと、ゆっくりと、怪物は───近づいて来る。


「来ないでよ!」


 ユウリはやっと叫んだ。


 しかし怪物は目の前に来た。

 そしてその泥で形成された手を伸ばそうとした。


 だがその怪物の手は届かなかった。


 教室の窓ガラスを割る音が、それを阻害した。


 怪物はその方向を見た。

 

 それが最期の怪物の行動だった。


 ───刹那。一閃。怪物はその炎と土の体を叩き斬られた。


 怪物は何も言えなかった。


 炎は刀から溢れ出た水によって清められるように鎮火した。

 土は刀によってその体を頭上から真っ二つに斬られた挙句、刀から溢れ出た炎と風により、散り散りに分解されるように消えた。


 残されたのは……水。

 怪物の炎を消した水は、教壇から溢れようとした炎と床に灯る炎さえ消したあと、床に染み込むようにして蒸発していった。


 万物を超越するような神の所業。


 それはユウリの前にいる動画で映されていた漆黒の戦士が成した技。


 動画では炎を纏っていたが今はなく、されど黄色に輝く装甲を見に纏い、龍に似た仮面をつけていた。

 さながら……それは黄竜。


 そして一瞬の出来事に立ち尽くすしかないユウリに神の所業を成し遂げた戦士は……ついに一言を発した。


『…………なんで長髪で制服の人がいんの』


 が来たような、来てないような……そんな混乱した感情で思わずユウリは呆然としていた。


 ♢(Ⅶ)


 先にも話したが、この校舎は四つある。


 ユウリが襲われた後方の校舎。

 その校舎の前にある校舎、つまり三番目の校舎。


 ユウリがいる教室を見つめるように、がいた。

 ……暗い教室で誰にも気付かれないようにスマートフォンをかざしながら。


 そして戦闘を終えたことを肉眼で確認し、スマートフォンを操作するとそのは教室から足早に去っていった。


 制服姿の女子生徒が。


《第一話:出会ーオルタナティブ─ 完》

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