第五話:火焔─ネクロフィア─
♢(Ⅰ)
すっかり春の光も静まった、夜の19時。
春の季節だろうと、校舎はいつも通りを保っている。
一号棟の四階に位置する職員室は未だに電灯が灯っているし、四号棟からは夜の静けさを壊すように吹奏楽の音が鳴る。校舎の隣の体育館や小さな武道館からも未だに、あらゆる音がいつも通り打ち鳴らされていた。
そんな中で一号棟の折り返し階段を下るものたちがいた。
それはユウリとレイ。
レイは(つむじ風のように突然だったが)転校初日ではあるが、件の反省文のせいで、普段の疲れ気味な顔もどんよりとしていた。
ユウリは隣で労うようにレイに言った。
「やっと書き終わったね、レイくん」
「あぁ、長髪で制服の人のおかげだぜ。ほんとにありがとな」
「いつもレイくんには助けられてるから、これぐらい当然だよ」
口調はいつも通りだが、レイはすっかり疲れた様子だった。
無理もない。初めて作文用紙にみっちりと、初めて反省文という罰を受けさせられたのだ。
これはレイのいつも通りではない。
「そういえばなんだけど」
3階から2階に降りる階段の折り返しの地点で、ふとユウリは問いかける。
「
愛衣蔵さん、とは愛衣蔵ハルカのことである。
この調子なのだから、藤原カンナほどではないだろうが……ハルカからも相当嗜められているのではないだろうか、なんてユウリは思ってしまう。
……最もハルカが怒る姿がユウリには全く想像できないが。
「もちろんあるぜ」
しかしレイは当然の如く言った。
「えぇ?怒られることあるの?」
「そりゃあな。偉そうな人はちょっとやそっとのことじゃ怒りはしないけど、やっぱり人的被害みたいなのがでたら烈火の如く怒るな」
「レイくんが人的被害って言葉を知ってることは置いとくけど……でもハルカさんは人を大事に思ってるんだね」
「当たり前だろ?まぁ、戦ってるとたまに忘れそうになるけどな」
「……そういえば初めてレイくんが戦った姿見た時、置き去りにされかけたよね」
「それは悪かったって」
「おまけに不法侵入まで……」
「え!?あれ、不法侵入じゃないじゃないのかよ!?」
「……うそうそ。あれは不法侵入じゃないよ」
誤った知識は改めて誤解を解くとして。
しかしハルカも怒るんだな、と意外な気持ちにさせられる。
ただ、それもそうか、とも反面にユウリは思わされた。
「ま、でも普段は怒られることはないな。なんか何しても笑われてるって感じ」
「……笑われてるって」
ユウリはハルカがレイを笑う様子(実際、今朝見た様子)を思い浮かべた。
……そう思うと妙に納得する。
そして隣で一緒に階段を降りるレイを見て……ユウリもふと笑ってしまった。
「な、なんで偉そうな人みたいに笑うんだよ!?」
「あ、ごめん……でも……そうだよね。レイくん見てたら笑っちゃうよね」
「なんでだよー!?俺、そんな変なことしてるか!?」
「うん、すごくしてる」
レイは「どこが変なんだよ?」と一人で唸るように歩く。
そんなレイの様子にユウリは決して、普通の人は刀を堂々と持ち歩いたりしないとか、その歳でスーツはあまり着ないとか、財布を持たずにお金を剥き出しに入れないとか、その他諸々のことは決して言わずに、ただ悪戯に笑った。
こういうとなんだか性格が悪いな、とも思えてしまう。
だがレイのそんな困った顔もまた、ユウリにとっては何故だか安心させられる。
……以前にもこんないつも通りの日常を過ごしていた、そんな気持ちにさせられた。
♢(II)
さて、一号棟の折り返し階段の一階、その突き当たりには大きな鏡がある。
天井にも届くほどの大きな鏡で自分の姿はおろか下り階段が丸々見えてしまうものだから、あまりの大きさに不気味さも感じる。
そして近くに墓地があるのだから「幽霊の通り道になっていて、夜な夜な映り込む」とか、「鏡に映る自分が、鏡の世界に引きずりこもうとする」とか、勝手に七不思議に加わりかねないことにもなっている。
だがその鏡はこの校舎が出来てから、ずっといつも通りある。
そして、そこを通る者全てを映す。
二階から一階に下ってきたユウリとレイも例外ではない。
巨大な姿身鏡は、夜の校舎でひっそりと電灯に照らされた二人を見透かす。
すっかり首を傾げたレイ、そして相変わらずと言った様子で笑みを浮かべるユウリ。
まだ三日しか経っていない関係、されども昔からいつも通りそうしてきた様子を見せる二人を。
レイはすぐにその大きな鏡に気付くと、ふとその鏡の前に立った。
「俺、そんなにおかしいかぁ?」
「うーん」
ユウリもレイの隣に立ってから、鏡の中のレイの姿を見つめる。
そして全体をずっと見つめた。
その顔も。
その刀の入った竹刀袋も。
そのスーツの姿も。
そのスーツは……いつも通り上着から白いワイシャツの裾がだらけるように出ていた。
「……まずはこれを直せばいいんじゃないかなぁ」
そう言ってユウリはレイのワイシャツの裾をひらひらと掴み上げる。
「えー……?それ出してないと、なんかズボンがきついんだよなぁ」
「サイズがあってないんじゃない?」
「いや、サイズはあってるはずだぜ?偉そうな人が言ってたし」
「じゃあベルトを強く締めすぎてるんじゃない?」
「……あぁ、確かにな!」
そう納得すると、ユウリが目の前にいるし、鏡に映り込んでいるにも関わらずレイはベルトを緩めると堂々とズボンを脱ぎ出そうとした。
「ちょっと」
「なんだよ、長髪で制服の人」
「……一応、女の子の前だよ?」
「なんでここで女の子が関係あるんだよ。長髪で制服の人は長髪で制服の人だろ?」
「……もしかして愛衣蔵さんの目の前でも同じことしてる?」
「当たり前だろ、そんなの」
「じゃあすぐに直した方がいいよ?」
「え、なんでだよ」
「なんでって……えーと……そんなものだよ」
「そんなものじゃわからないだろ?」
「そこは納得して!」
ユウリはムキになるように、レイの顔から、そして鏡から目を背ける。
「なんなんだよー……」
再びレイは首を傾げるようにして、いつも通りズボンを下ろすとベルトを弄る。
そうして「出来たぜ!」とレイが言うと、ユウリは再びレイの鏡姿に目をやった。
レイのその姿は……全く持ってずぼらなままだった。
「確かに長髪で制服の人の言うとおりだな!ベルトを締めすぎてたから、緩めたらめっちゃ楽になったぜ」
「いや、そのままだよ……」
「え!?なんでだよ!変わってるだろ!?」
「趣旨分かってる?」
「しゅし……しゅし……?」
「まず趣旨って言葉を理解してる?」
「わり、わかんね」
「はぁ……」
ユウリは思わずため息を吐いてしまった。
いかんせん、目の前でズボンを脱ごうとしているレイのデリカシーの無さもあって、がっかりしてしまっていた。
「な!?なんだよなんだよ!?そんなにしゅしって言葉が重要だったのか?」
「多分レイくんは男性と女性の関係性から学んだ方がいいかも」
「えぇ……?」
レイは思わず混乱してしまう。
レイにとっての男性と女性の知識、と言うのはただの男性と女性。ただ、それだけ。
一方のユウリにとっての男性と女性とは……ドラマや映画などの知識しかないが……言葉に言うのも難しい関係。
だからユウリは徐々に困った様子のレイの様子に、納得してしまう。
「……そうだよね。分からないだけだよね」
「いや、分かんねえよ。しゅしって言葉がどう男性と女性の関係になるのかが全く持って分かんねえよ……いや、そもそもなんでズボン緩めて怒られたんだ、俺」
鏡に映る姿のレイは、まさにいつも通りだった。
いつも通り常識を知らない、いつも通りの少年。
……だから安心出来るのかもしれない。
だがレイの顔を見て、安心できる理由をユウリには説明できない。
でも、今はそれでいいのかもしれない。
彼がいるだけで。彼がこの街で戦ってくれるだけで。
「レイくんはそのままでいいのかもね」
ユウリはボソリとそう言った。
鏡に映るレイを見つめながら。
ふと。
体が熱くなった。
「……長髪で制服の人。逃げろ」
いつも通りのレイの声色が変わる。
日常を知らない少年の声が、非日常を知る戦士の声色に。
レイは鏡にふと映り込む……炎を鏡越しに見つめた。
「……嘘」
鏡越しに映る炎、それは小さな炎だった。
真っ赤に燃える炎。
階段の一つの段差ほどの炎。
しかし炎は徐々に形成していく。
一段。また一段。階段を踏み込むように大きくなっていく。
それは……烈火の炎の如く。
ユウリはまた、一歩も動けなくなった。
その姿を鏡越しにしか見てはいない。だが……体に感じるこの熱気、そして異物に襲われる恐怖を心が支配しようとしていた。
「大丈夫だ、長髪で制服の人」
すぐにレイは竹刀袋から刀を取り出し、右手で握りしめた。
「偉そうな人に言われたわけじゃないけど、俺が守る。絶対に」
そうしてレイは……鏡に映る自分の姿に向かって、刀を突き刺した。
「神様、また力貸してくれよ───。──────。」
その最後の神の名を、ユウリは聞き取れはしなかった
ユウリにとってはいるはずもない神。
レイにとっては存在を認識する神。
しかしユウリはその名を聞けなかった。
刀が突き刺され、鏡がひび割れた直後───つむじ風が吹き荒れたから。
そしてレイの体は。
一瞬で全身が土にとなり。
一瞬でその体をいつも通り変身させ。
一瞬でその体を水で包み込み。
一瞬でその体を炎が吹き荒れ。
そしてつむじ風が再び吹いた。
その様々な事象はユウリには何も影響は出なかった。
いつも通りの感覚。
レイだから大丈夫。安心させられるような感情。
ユウリがそう感じながら、レイは変わった。
───黄竜の戦士へと。
黄色の龍の仮面を着けた戦士は刀を鏡から抜き、振り向き、そして目の前の炎……否、怪物を仮面の奥から睨みつけ、刀を向けた。
炎はというと。
徐々に形を形成しつつあった。まるで体液のように炎を階段に垂れ流し、焦がす。
神が念じるように、まず炎は腕部に当たる部分を創造し始めた。その腕は大きく、階段の壁を削り取り、そして黒く焦がしながら大きくなっていく。
そして次は頭部を創造した。その形は龍にも見えるが、龍にあらず。目に当たる部分はなく、細長くもあり炎の影響で
炎は次に胴体を創造する。人間が数人並んで歩けるほどの幅にも関わらず、際限のない風船のようにその体は大きくなっていく。
いよいよ階段が崩壊しようとした時、
『さっさと成仏しろよ』
いつも通りと言わんばかりに、その刀にはどこからともなく水が溢れていく。
そして次に
ユウリは思わず倒れそうになる。
春の風さえも遮る、その風に。
『長髪で制服の人。離れてろよ』
足が止まっていたユウリは、
……ゆっくりになってしまったのは
大丈夫、レイなら大丈夫。
しかしどういうわけか、ユウリは不安になってしまう。
絶対大丈夫だと、信じているのに。
それは徐々に巨大になり、上の階段部分さえも突き破り、コンクリートの瓦礫を浴びながらも、それを崩壊させていく龍に似た怪物に不安になっているからだろうか。
それ以外に何があるのか?
どうしてこんなに心がざわめていているのか。それはいつも通りのように感じるモヤモヤではない。何かが起きるかもしれない。そのざわめき。
だからユウリは
ゆっくりと、ゆっくりと。
『行け!』
いつも通り、隣にいて欲しい気持ちはある。だがこの姿の時、ユウリが隣にてしまえば
だから
「…………うん」
ユウリは小声で発し、走った。冷たい春の風が吹き、崩壊の音が響き渡る外へと。
『さぁて……待ちすぎたな』
そこには……下の階段を炎で形成した尻尾で突き破り、壁をその腕で突き破り、上に上がる階段さえも細長い頭部で突き破る、怪物の姿。
だが
刀に湧き上がる澄んだ水、そして黄色の装甲に吹き荒れる風が集中するのを待っていた。
『お前みたいなのは初めてだけど……いつも通り、一瞬でやってやる!』
そうして
そして放たれた。まるで神の一手のように。刹那。
───刀から渦巻きめいた水流が放たれた。
水流は一瞬で怪物の膨らむ腹部を一瞬で貫く。
怪物は悲鳴をあげることはない。その代わり、澄んだ水は腹部の炎を掻き消し、風はその胴体を貫いていく。
しかし怪物は……決して悲鳴をあげることはない。
その頭部の細長い顔も……何も動じることはない。
まるで……何事もないように。
消えることもない。
『…………どうなってんだ?』
いつも通り怪物に効くはずの攻撃が効いていない。
それどころか……。
怪物はその水を、その風を、吸収していた。
『─────────』
怪物は
なにせ怪物が声を上げたのは、初めてだったから。
その断末魔の叫びのような、女性に似た声を。
その甲高い声を。
その悲痛な叫びを。
『な、なんだよ……こいつ』
そして怯んだ。
その声は聞き覚えのある声。決して知り合いの声、だとかではない。
よく聞く声だ。それは……人間が助けを求める声に相違なかったから。
だが助けることはできない。
……それは
だから
しかし……怪物の前で動きを止めたことは間違いだった。
───突如、
『あ゛ッ゛!?』
全身に感じる痛み。
黄色の装甲を一瞬で崩壊させ、漆黒の体を剥き出しにさせ、背後にあった鏡ごと
『─────────』
怪物は再び、叫びを上げた。
無論悲鳴のようにも聞こえるが、この叫びの意味は違う。
……それは獲物を狩った時に響き渡る咆哮だった。
♢(3−2)
一号棟を離れ、二号棟の一階。
春の夜には全く似合わない、一号棟から聞こえる大きな崩壊の音。
ユウリは二号棟の扉から、心臓の鼓動を鳴らしながら、一階の様子を見つめていた。
「レイ……」
だがユウリにはどうすることもできなかった。
レイが日常で困っている時、助けることができる。
だが
ついに校舎の壁を突き破り、一階と二階に繋がる階段の部分から突き出る……水で形成した鋭い剣。普段見ることのない風の渦巻きで形成された脚部。
そして……鏡ごと打ち付けられた
「レイッ!!」
ユウリは叫んだ。
心臓の鼓動は早くなる。そしてその胸も熱くなる。
目の前で、レイが危機に瀕している。
その状況にユウリは耐えられなかった。
……だから、無意識に一歩、走るように踏み出した。
「レイッ!!!」
その時だった。
「おい、なんだよ、あれ!!」
それは人の声、部活動で残っていた生徒たちの声。
崩壊の音が気になり、体育館や武道館から出てきた生徒たちが一斉に一号棟の校舎へと歩いてきていた。
……怪物がいるにも関わらず。
ユウリはその何人もいる生徒たちに目を向けた。
そして。
「みんな、来ないで!」
ユウリは叫んだ。
そして一号棟へと向かう脚を、他の生徒たちに向けた。
「怪物がいるからッ!みんな、逃げてッ!」
そして叫んだ時だった。
『─────────』
声。
生徒たちは一斉に、その声を止めた。
その女性の悲鳴に似た声に。
しかしユウリは知っている。
それはまごうことなく、怪物の声。
「みんな───」
ユウリが促すように叫ぼうとした時だった。
再びコンクリートの崩壊する音が鳴り響いた。
そして同時に。
───ついに怪物の顔が校舎から突き破られた。
それは無論、春には似つかわしくない巨大な顔。
月の光に怪しく照らされ、伸びた顔はまさしく怪物の顔。
目がなかったはずの顔には、水で形成した瞳もない青の目が輝き、同じく水で形成した仮面のような細長い鎧がおぞましい顔を隠していた。
だが完全に隠すことができないのか、仮面の隙間からは炎がマグマのように地面に垂れていく。
「あれって……まさかレイの攻撃を吸収したってこと……?」
ユウリはありえないと言った面持ちで、怪物の顔を見つめてしまった。
まさか
まるで神の如く、一瞬で怪物を葬り去るはずの
「か……怪物だ!!」
驚いたのはユウリだけではない。
立ち止まった生徒たちも同様だった。
しかし驚きの意味が違う。
まさか本当にいるとは思わなかったのだ。
……長谷川市で撮影された怪物が。
「逃げろ!」
そして誰かが叫んだ。
そして一斉に、全員が背中を見せ、走り出した。
怪物から逃げるように。
だが、生徒たちが狙われることはない。
……狙いはユウリなのだから。
『─────────』
再び、怪物の悲鳴のような叫び声。
水の仮面を着けた烈火の龍は───ユウリに目を向けた。
「あ……」
逃げろ。
逃げるんだ。
ユウリは自分に言い聞かせた。
そして背を向け、二号棟へと走り出した。
ユウリは直感した。自分が狙われていることを。だから他の生徒を巻き込む訳にはいかなかった。
だから誰もいないはずの二号棟に逃げ出した。
『─────────』
悲鳴のような咆哮。
怪物はいよいよ全身を表すように、校舎の壁を崩壊させ、その渦巻いた脚部を校舎の外へと出した。
その姿は最初に見た怪物の姿とは全く違う。
体長はゆうに3mほどある、人間から見れば巨大な二本足の怪物
まるで首長竜のように長く伸びる頭部。
水で鎧のように纏った腕部。左腕には鉄球のような武装を施し、右腕には剣のような武装を施す。
胴体はやはり水で形成した鎧を身につけ、腹部には鎧を突き破るようにして別の獣の口が覗いていた。水を涎のように垂らす、牙だらけの不快な口。
永遠に風を渦巻かせた脚部でコンクリートで舗装した大地を踏みつけた怪物の姿。
「はぁ……!はぁ……!」
その姿を見ることはなく、ユウリは必死に二号棟を突き抜け、並んだ三号棟へと逃げる。
だが普段の運動不足からか、すぐに息切れしてしまう。
『─────────』
怪物は吠えた。
確信していたからだ。自らの使命を果たせると。
そうして炎で形成した首を際限なく伸ばすと、勢いよく突き出した。
狙いは無論、ユウリ。
一瞬の内にユウリが通った二号棟の入り口を崩壊させながら進行し、すぐにユウリの通った出口さえも崩壊させる。
その轟き渡る崩壊の音にユウリは脚を止めてしまい、三号棟の出口からユウリはその顔を見てしまった。
その怪物の顔を。
「……レイッ!!」
ユウリは思わず叫んでしまった。
来るはずもないのに、目の前で倒されたのに。
ユウリは呼んでしまった。
怪物の頭部はすでに三号棟の入り口を崩壊させながら侵入し、ユウリの目の前へと現れると……その仮面を開くように解放した。
その炎で形成したおぞましい龍の顔を。
「ッ!?」
終わった。
ユウリは自分の終わりから背けるように、両手で顔を覆った。
『─────────』
ユウリが耳を塞ぎたくなるほどの怪物の叫び声。
……だが、それは咆哮ではない。
本当の意味での悲鳴。
怪物の悲鳴。
『ユウリッ!』
そして声。
ユウリの名前を呼ぶ声。
無論、それは知っている声。
名前を覚えられないはずの、少年の声。
『てめえ……ここから……出ていけェェェェェッ!!』
春に似つかわしいようにも感じる温かな炎。
ユウリはその両手を開いた。
そこには───鎧を崩壊させ、体に流れる真っ赤な印を流す
だが、その姿を見せたのは一瞬だった。
忽然と。
何も残さず。
ただ消えた。
無論、残されたのはユウリ。
そしていつも通りの日常とはかけ離れた、ところどころ崩壊した校舎。
突如として出現した非日常に悲鳴をあげる、人々の声だけだった。
♢(4−1)
そこに春はない。
否、まず季節という概念は存在しない。
そもそも、いつも通りの日常という概念も存在しない。
ただあるのは……光。
空はいつも通り、そこには存在する。
赤く染まる空。しかし太陽は存在しない。
あるのは、ただ一点に輝く、光。
光はただ、その空間を照らしてる。
何もせず、ただその空間を照らす。
そこに大地は存在しない。
あるのは石が敷き詰められた、平坦な地面。
そして、中央にはまるで祭壇のように門が存在した。
二本の石柱を打ち付け、その上には何も装飾がされていない、ただの長方形の石が打ち付けられていた。
不可思議なことだが、その空間には匂いが存在した。
その匂いは春を感じるような匂いだった。……例えば、そう。春の薔薇の匂い。
ただ三月だというのに時期尚早だとも感じられる薔薇の匂いが、その空間に立ち込める。
人間にとっては違う。
だが、その空間にとってはいつも通り、ある空間。
そしてその空間のいつも通りを突き破るように……二本の石柱の間で輝きが起こる。
その輝きは……炎のような赤い煌めき。
その炎から抜け出すように……二つの存在が突如として出現した。
一体は……校舎に現れたはずの巨大な怪物。
怪物は石造りの地面を焦がすようにして倒れ込みながら、出現する。
そしてもう一人は……
黄色の鎧もすっかり無くなり、黄色い龍の仮面だけを着けた漆黒の体でなんとか石造りの地面に着地するや否や、
『おいおい、マジかよ……なんで神様の家に来ちゃってんだ、俺』
転移するにしても、町外れに転移しようと思っていた。
だが体中に傷を負いながら、必死になっていたのか、その場所は全く意図しない場所に来てしまっていた。
神の玉座に。
無論、怪物はそれを知るわけはない。
渦巻く風で体勢を立て直すと、細長い首を伸ばしながら、仮面を開いた顔を
『─────────』
それはまさしく、悲鳴。
されど怪物は逃げることも目的を果たすこともできない。
なんとかこの空間から抜け出さなければならない。
その鍵を握るのは、おそらく目の前の
怪物はその腹部にある口を遂に大きく開けると、大きく息を吸い込むようにした。
『────────────』
そして悲鳴を上げながら、吐き出した。
自分を形成する炎、そして
小さな
『神様さぁ!たまには助けてくれたっていいだろ!?』
あらゆる事象が包みこまんとする瞬間。
まるで
『─────────』
怪物は叫び、腹部の口から攻撃を放ちながら、次は左腕に備えた水の硬い鉄球を撃ち放った。
水で形成した鎖で繋がれた鉄球は勢いよく光の柱に激突する……しかし、ぶつかっただけ。
その鉄球の針で突き刺しながらも、光の柱は何事もなく、まだそこにあった。
まるでいつも通りを崩すことをないように。
『ありがとよ、神様』
そうして光の柱に守られながら、
光の柱を、握った刀で真っ二つに叩き切り、
『でも、ちょっとやりすぎじゃねえか?』
そして
復元された黄色の装甲から、余剰な力を放出するように炎を排出させる。その炎はまるで翼のようにも見える。
そして刀もまた、炎で溢れていた。
……まるで炎の神だと言わんばかりに。
怪物はその細長い首を、空へと向けた。そして腹部から垂れ流していた放射状の事象を、まるで一点に収束させ、まるで光線のように……空へと撃ち放った。
だが。
神の前では、無力だ。
『いい加減に成仏しな』
刀の炎はまるで石造りの大地にまで届き、
それは光にまで届くほど。
そして光線が届くより早く───振り下ろした。
まさしくそれは神の所業とでも言うべき行為。
その昔、とある神が大蛇を討ち払ったように。
───炎の刃が、一瞬で怪物の体を真っ二つに引き裂いた。
そこに悲鳴は存在しない。
先ほどまであった怪物の炎も水も風も一瞬で消え、怪物の体を形成していたはずの炎も
……まるで魂が昇天するように。
石造りの地面には何も残されることはない。
怪物がいた跡は忽然と消え去り、あるのはただ……いつも通り石造りの門。
そして泡状の光。
『はぁ……危なかった。ありがとよ、神様』
だが光は何も言わず……ただ光り輝いた。
その空間さえも包み込むような強烈な光は、瞬く間に
『え?何すんだよ』
突然のことに驚く
───去れ。
『あぁ!?なん───』
そして……残されたのは、やはりいつも通りある石造りの地面と門、そして薔薇の香りが漂う空間、それを見つめる光だけだった。
♢(5−1)
いつも通りを崩された日常。
階段部分を壁ごと破壊され、内部が一部剥き出しになった一号棟の校舎。
そして怪物がいなくなるや否や、人だかりを作る生徒たち。
どこからか通報を受け、駆けつけた消防や警察。
穏やかな春には似合わない、慌ただしい長谷川市の光景。
そして……三号棟でただ呆然と立ち尽くす、ユウリ。
「レイ……一体どこに……」
ユウリはレイのことで頭がいっぱいになっていた。
なにせ突然怪物と一緒に消えてしまっただから。
攻撃が通じない敵に太刀打ちできるのだろうか、レイは無事なのだろうか。
気が気ではなかった。
「レイ……大丈夫だよね?」
神に祈るように、ユウリが手を握り合わせた、まさにその時だった。
───ユウリの目の前に、突如レイが現れた。
「いッ!?」
しかしなんとも滑稽なことか。
まるで空から落とされたように、レイはユウリの目の前で仰向けになって現れた。
「神様、なんでこんな荒っぽいことしてくんだよ!?あー、いってぇ……」
それは人間の姿に戻ったレイの姿。
数分前まで傷だらけだったにも関わらず、全くそんな様子もなく、いつも通りずぼらにスーツを着こみ、剥き出しに刀を手に持ったレイだった。
最も、何か乱暴なことをされたのか、左手で強打した部分を弄りながらレイは立ちあがろうとしていた。
「レイ……大丈夫?」
ユウリは刀を持っていない方の手に回り込みながら、しゃがみ込んで、レイの肩を抱き抱えるようにして、二人でなんとか立ち上がった。
「はぁ……もう二度と神様のとこは行かねえ」
「神様?」
ユウリは首を傾げた。
どうして怪物を退治していたはずなのに神様という言葉が出てくるのだろうかと。
「あぁ。なんか知らねえけど、神様のところに行っちまったんだ。ま、おかげであの怪物は成仏させられたけど……全く、あの神様はさぁ。毎度のことながら話にならねえぜ。長髪で制服の人とか偉そうな人を見習ってほしいぜ」
いつも通りの調子で愚痴をこぼすレイ。
だが、ふとユウリは思い出したことがあった。
「レイ、そういえばなんだけど」
「ん?なんだよ、長髪で制服の人」
「私の名前、呼んでなかった?」
「え?俺が?いつ?」
「レイくんが怪物と一緒に消える前」
「俺が?なんでだよ。長髪で制服の人の名前を覚えられてないのに」
「言ってたよ。あれは間違いなくレイくんの声だよ」
「いーや、言ってない」
「ううん、言ってた」
レイは首を傾げた。
なにせ自分が人の名前を発したことを覚えていないのだから。
「えー……俺、言ってたっけ……?本当に覚えてねえんだよなぁ……いや、ほんとわかんねえや……」
レイは気を紛らわせる為か、レイはスーツのポケットをごそごそと弄った。
……そして気づいた。
「やべ」
「どうしたの?」
「この刀入れる袋がない……」
「…………」
ユウリは思わず目を見開いた。
理由は……言わずもがなであるが、あえて言おう。
目の前に刀を持った少年がいる。そして近くでは警察の来襲を伝えるサイレンの音。
……絶体絶命の危機とはまさしくこのことである。
「レイくん、どこかに隠れよう」
「俺もそんな気がしてきた。偉そうな人に連絡しないとな!」
そして二人は三号棟の出口から辺りに誰もいないことを確認すると、そそくさと校舎から出ていった。
……なんとか二人で刀が見られないように隠れながら。
♢(5−2)
三号棟の三階にある、とある教室。
カーテンも締め切られているはずの教室。
そこは春の風も通らないほど締め切られているはずにも関わらず、カーテンの一部がゆらゆらと蠢いていた。
ほんの少し開いたカーテンから覗かせていたのは……スマートフォンのレンズ。
そしてレンズを通じて画面が映し出していたのは……なんとか隠れて移動しているユウリとレイ。
二人の姿を映像に収め、スマートフォンを持つ手はカーテンから引いた。
そしてスマートフォンを持っていた……女子生徒は次にそのスマートフォンを操作してから、耳に当てた。
「……もしもし、先生ですか?……はい、ネクロノミコンから生まれた
先生と呼ぶ人間との通話を終え、女子生徒はスマートフォンを閉じると、どことなく嬉しそうであった。
しかし再びカーテンの奥から、逃げるユウリとレイの姿を見つめると、その表情を一転させた。
……まるで羨望と憎悪の感情をぶつけるように。
特に必死に逃げるユウリの姿を見つめ、女子生徒は心の底から感じる言葉を口にした。
「気に入らない……ほんっとうに気に入らない。望んだものを手に入れたような態度」
女子生徒のその顔は、激しく歪んでいた。
(第五話:再来─ネクロフィア─完)
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