第12話

 そして僕も部屋の扉を自分の手で開け、青色吐息でその部屋の敷居をまたいだ。

 

 その部屋は物置小屋のように雑然としていた。机とベッドと大きな椅子があり、そのまわりには湯川先生の私物の本やマンガや洋服が、食器やヤカンや菓子袋やインスタントフードなどと一緒にとっちらかっている。どうやら湯川先生の研究室のようだが、先生はほぼここで暮らしているようだった。


 あいかわらず二人は僕のことを忘れたかのように会話に没頭していた。


「でも先生は未知の世界の研究をしてるわけだから、まだふつうの人たちとくらべればずっとスリリングだとおもいますけど」


「まあ今まではね。でも僕の研究もそろそろAIに追いつかれるし、かといってAIが思いもつかないような研究を探して、常にその先を行くのって、たいへんなのだよ、ほんとに」と言って湯川先生は柔和な表情を少し曇らせた。


「先生もたいへんだ」


「うーん、まあ、そうなんだよ。で、話は変わるけど、君らを襲ったのは――すると時空警察庁の奴らだね」

「はい間違いないです」

「日本国政府も執念深いというか、すこしは多めに見てくれればいいのにね」

「はい、井伊さんも長野さんも性格わるいですしね。――ところで、私、襲ってきたポリス二人を撃ちました。――大丈夫でしょうか?」

「銃で?殺しちゃったの?」

「…はい、たぶん」

 先生は大げさに顔をゆがめた。

「そりゃまずいよ。アルルちゃん、むやみに銃を撃っちゃだめだって」

「わかってます。――でも仕方なかったんです。あのまま捕まったら、なにもできないまま二十三世紀に強制送還ですもの」

「そうか、まあ、そのポリスがNHSかDHSじゃないことを祈ろう――まあ聞いたかぎりだと、たぶんどちらにも属さない、たぶん時空パトロール用に公安省傘下の特殊研究機関で改造された半アンドロイドだと思うなあ。そうなら、まだ日本国も正式に承認していない技術らしいから、殺されても文句のいいようがないだろうね」

「だといいですけど」と桜井さんはまだ浮かぬ顔だ。

「君らを襲った機動隊員も横横への査証リストバンドを確認したとたん、撤退したんだろ?もし君に殺人容疑がかかっていたら、公安はなにがあろうと君を地の果てまで追い続けるはずだからね」

「ああ――」

 とそこで桜井さんの表情はパッと明るくなった。

「なるほど、筋がとってますね。よかった、この先ずっと井伊さんや長野さんの手先に追いかけられるのかと思うと、ああ、もう、ほんとやだなあって思ってたんで」


「あの二人はわかっておらんよ、世界がどう動いているのか」


「――どうなるんでしょう?これから世界は?」


「いずれ世界はひとつに統合されるよ。でもそれまでにたくさんの衝突がある。違う文化や価値観をもった国や組織がひとつになろうとしたら、互いに衝突するのがあたりまえなんだ。でも離合集散をくりかえしながら、すこしずつひとつになる。人類とAIもそう。もうしばらく主導権争いがつづくよ。でも最終的にはAIが地球全体を統一するだろうな。ただ、それはまだまだ先のこと。いましばらく人類がAIを利用しながら、互いにくっついたり離れたりを繰り返して、そのたんびに争いや衝突がおきるけど、まあ仕方ない。人類の歴史は何万年も前からずっと同じこと繰り返しているようで、すこしずついろんなものが統一されるようにできてるんだ」


「人類はAIに屈するってことですか?」

「屈するとか、勝つとか負けるっていう単純な話ではないだろうけど、まあ、最終的にはAIが主導権を握り、人類はAIの指揮命令系統下におかれることは間違いないよ。だってAIは人類にとっても最適な選択をこれからもしてくれるし、人類もそれを疑わないだろうから」

 桜井さんはちょっと眉間にしわをよせながら聞いている。

「だから、人類同志でしかもこんなちいさな島国の中で争うなんてほんとうに意味がないんだよ。この先の未来を冷静に見越せば、ほとんどの争いごとは無駄だって気づくはずなんだけど、権力に取りつかれた者は、そんな単純なことすらわからない」

「先生が政治家になったらいいんじゃないですか?」

「いやだよ、政治家なんて。僕の仕事は科学を発展させること。科学発展の道は一筋縄ではいかないけれど、それでも宇宙の真理や節理に向かって確実に前へ進んでいるし、なにが正しくてなにが間違っているかははっきりしている。ところが政治家の仕事はその科学を使って悪用したり、利用したり、調和させたりしながらその時々の人々の人気を得ることだろう?なにが正しくてなにが間違っているのか、たぶん政治家本人でさえわかってない。そんないい加減であやふやな仕事に僕がつけると思うかい?」


 桜井さんはなにもいわずに首を横にふった。


「ただね、科学の発展がほんとうに人類にとっていいのかっていうと、もしかしたら違うかもしれない。今までは科学を発展させることが人類の発展につながってきたけど、科学の領域でもAIが主導権を握るようになれば、そうはいかなくなる。そのときこそ人類史上はじめて進化が止まり、退化が始まるさ。今もだいぶそうなってるけどね」

「じゃあ、人類はまた、もとの類人猿みたいになるんでしょうか?」

「いやいや、もっと別の姿に退化するね。僕の予想だとかぎりなく人類は球体にちかづくよ。手も足も脳も要らなくなるのだから」

 そういって湯川先生はほっぺたを大きくふくらませながら肩をすくめて自分の体全体を小さく丸めた。


「丸ですか?」

「うん、まあ一千万年以上未来の話だけどね」


 それまで二人の話を立ったまま聞かされていた僕は、とうとう我慢の限界に達して、ウーと呻き声を上げ、その場にうずくまった。


 そこでようやくふたりは僕の存在に気づいてくれたようだった。

「いっけねえ、あと三分しかないね。早くしないと死んじゃうよ、この人」


 僕はその言葉を聞いて一瞬完全に意識を失った。


「あっほんと、うっかりしてた」

 といってふたりで大声でわらった。


「ほれほれ、藤堂さん、そこでぼんやりしてないでこっちの椅子にすわってくださいな」

 とまるで犬ころでも呼ぶかのように先生は僕によびかけた。


 僕はさいごのさいごの力をつかって立ち上がり、大きな椅子にすわった。額からはじっとりとした汗が噴き出ていた。視界はすでにもやがかかっていてよく見えなかった。心臓の音がこころなしか弱く、遅くなっているように感じられた。不思議なもので、もうすぐ自分は死ぬのだと思ったら急に気持ちが楽になってきた。


「じゃあ行くよ。まぶしいから目はつぶっててね」

 といって僕はゴーグルを手わたされた。桜井さんと先生もいつのまにか真っ黒いゴーグルをつけていた。

 僕がゴーグルをつけると、突然目の前を閃光がはしり僕の体はぐるぐる回転しはじめた。体全体がミキサーかシュレッダーでこまかく粉砕されるような感覚なのに、不思議と痛みなかった。むしろさっきまで僕の神経を苦しめ続けてきた腹部の痛みも嘘のようになくなり、いい気持ちだ

った。が意識も薄れていく。


「あっそれから忘れてたけど、あとあと君から説明するのも面倒だろうと思って、二十一世紀以降の歴史も彼のメモリーイングリデアントに注入しておいたよ」

「ありがとうございます」

 という桜井さんの屈託のない明るい声を聞いたのを最後に、僕はほんとうに完全に意識を失った。



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デジタルジーン 床崎比些志 @ikazack

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