第2話
「ど、どういうこと?」
僕は彼女が冗談を言っているのだとおもった。しかし彼女の顔は真剣そのものだった。その時、僕は、彼女が誰なのかわからなくなった。目覚めたときは自分の恋人だとおもったが、よくよく考えれば僕は彼女の名前を知らない。それどころか、あかの他人――今日初めて見る顔だ。
「君は、だれ?}
そこで彼女は僕を見て、静かに笑った。
「――桜井です」
僕ははっとした。そうだ桜井さんだ。同じ会社の同じ部署に勤務する新入社員の桜井さんだと気づいた。しかし、僕が知っている桜井さんは、目の前にいるワイルドでセクシーな女性とは、まったく雰囲気が違う。会社にいるときはどちらかというとぜんぜん目立たないし、服装も地味でいつも眼鏡をかけていた。同じ部署の後輩ということで多少は面倒を見ていたが、もちろん僕らは恋愛関係にはないし、そもそも僕は彼女を異性としてみたことがなかった。それが、いつのまにか、恋人になっている。ステディではないとしても、少なくともホテルでふたりだけの熱い夜を過ごすような仲になったらしい。
「ぼ、ぼくたち、そういう仲だっけ?」
その時、廊下の先の非常階段をあわただしく駆け上がってくる靴音が響いた。そして非常階段口の扉が開く寸前で、エレベーターが到着した。非常階段からは数人の機動隊員が姿を現わし、銃を構えたまま、「止まれ!」と叫んだ。しかし彼女はすばやく僕をエレベーターの中に押しやると、機動隊に向けて手にした拳銃を数発発射した。それはいわゆるピストルではなくレーザー銃のようなものであり、乾いた発射音だけがエレベータホールに響いた。
彼女もすぐにエレベーターの乗り込み、屋上のボタンを押した。いっせいに機動隊が駆け寄ってきたが、エレベーターは機動隊員の猛追をかわし、無事上層階へ動き始めた。
僕は突然の立て続けの出来事に心臓が止まりそうなほど動揺していた。そしてなんだかさっぱりわからないけど、どうやら自分たちの身に未曾有の危機が差し迫っていることは理解できた。しかし僕はなぜかそれよりも彼女とのことが気になってしょうがなかった。端的にいえば昨日の夜の甘美な交わりのことだ。――それはすべて夢のようにおもえたが、でも確かに二つの体がひとつになったときの感触は、頭の中だけでなく、五感すべてに残っているようにも感じられた。僕はまじまじと彼女の顔を見た。僕の視線に気づいた彼女は、そんな僕の思いになどまるで関心がないような様子でまっすぐ僕を見て言った。
「藤堂さん、大丈夫、私が守りますから」
僕は、拳銃を手にしたまま頼もしく微笑む彼女の顔を見つめながら、昨日の昼間の事件のことを思い出しはじめていた。
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