第11話

僕らは府庁ビルをあとにして、再びムワンギが運転する車に乗った。そして空中道路を疾走し、五分ほどで川崎沖につくられた人工島に到着した。

 桜井さんが試算する僕の死亡予定時間までは残り三十分を切っていた。


 理化学研究所は、横横特別政府庁舎の風情とはうって変わって、まるで二十世紀の小学校の校舎を思わせるような、素朴でのっぺりとした五階建ての白いコンクリート製の建物だった。僕と桜井さんは、車寄せで車を降りて、そのままその建物の中に玄関から入ったが、そこには、すでに湯川先生が立っていた。

 湯川先生はこの時代では天才的な大学者らしいが、見た目はとてもきさくなおっさんで、背広も白衣もまとわず、オレンジ色の三本線の入ったアディダスのジャージをぶっきらぼうに着ていた。


「アルルちゃん、よく戻ってきたね。いやあ、無事でよかった、よかった」

 とそう言いながら相好を崩す様子はだだのじいちゃんである。


「この人が藤堂さん」と桜井さんは予想以上にカジュアルな感じで僕を紹介した。


「わかってるよ、お腹痛い?だろうね。うん、うん」

 とちらっと苦痛にゆがむ僕の顔を見ても湯川先生は終始笑顔のまま廊下をすたすた歩きはじめた。僕はというと、自力で歩くことはおろか言葉を発することすらやっとの状態だったというのに!


「そうかそうか、お疲れだったね、で、二十一世紀はどうだった?」

「聞いてくださいよ、もう驚きの連続です」

 と桜井さんは、にわかに興奮した様子で、湯川先生と肩を並べた。そしてふたりでふつうに歩きはじめた。もう完全に僕の存在を忘れている様子である。

「先生、人が車を運転しているんです、老人もふつうの主婦や学生もみんな自分の手と足で運転するんですよ。しかも道路いっぱいに広がって。もうあぶないのなんのって。でも、おかしいのは、高速道路とか言ってるのに、もうのろのろで、しょっちゅう渋滞で止まるんです。なのに朝はどういうわけかみんな電車をつかって会社とか学校に行くんですけど、朝晩の満員列車は身動きもとれないぐらいギューギューで」と一息で言ったあと、やれやれといった表情でひとつため息をついた。


「まあ、東京は平和な方ですけど、世界中で戦争やパンデミックはいたるところでおきてるし、災害や事故も日常茶飯事だし、生成AIとかはようやく開発されたんですけど、まだまだ未熟で、ほとんどのことは自分で情報を収集して、自分自身で判断しないといけないんです。もう、本当にすくいようのないぐらいに非効率的で。――でもその分、なにが起きるかわからないっていうスリルがあって、たしかに神経は疲れるけど、ほんと、楽しかったですよ」

 と言ってこんどは一人でケラケラ笑った。


「そうかそうか。二十一世紀はそんな感じか、まだ。――やっぱり一寸先は闇っていえるような状態が、人生のだいご味なのかもしれないよね。それにしても、スリル、いい言葉だねえ。たしかに二十三世紀がうしなった最大のものかもしれないなあ」とまるで初登校の孫の話に耳を傾ける祖父のような表情で湯川先生はご機嫌だったが、ふたりに追いつこうとお腹からぽたぽた真っ赤な血を床に垂らしつづけている僕のことなど、やっぱりまるで眼中にない様子だった。


 そしてふたりは廊下のつきあたりにある所長室の扉を開けると、僕を顧みることなくそのまま部屋に入った。


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