第9話

「でもちょっとその前に寄るところがあります」

 と言って桜井さんはちょっと意味深なつくり笑いをうかべた。

「どこ、病院?湯川先生って人は病院にいるってこと?」

 

「まず横横行政府庁に行きます」

「えっ、そんなの後でいいんじゃない?まず病院へ行かないと……」

 しかし、僕の必死の哀願にも桜井さんは左手の手首につけられたアナログの腕時計を見ながら、

「大丈夫、あと、三時間四十五分です」

 と淡々と答えた。

「えっ、どういうこと?理化学研究所の受付開始までに三時間四十五分もあるってこと?」

「いえ、三時間四十五分後に藤堂さんは死ぬってことです」

「はあっ!?なら、なおさら急がないと、こんなのんびりしてたら、ほんとうに取り返しがつかなくなるよ!」

大声を出したら急に血の気が引き、めまいを覚えた。体温も急激に低下しているように思われた。お腹もズキズキすする。それとともに背中に悪寒が走りはじめた。


「大丈夫ですって。それに理化学研究所に行くには、横横行政府の許可が必要です。

理化学研究所は川崎沖の人工島にある日本国からも横横行政府からも独立した研究機関なので、行政府からの特別通行許可証をもらわないと行くことはできないのです。ちょっと痛いでしょうけど、我慢してください。かならず三時間四十五、いや、もう四十三分だ、まあ、それまでにはちゃんと理化学研究所にお届けます。藤堂さんのことは私が守りますから安心してください、計算通りに行けば」

 と言って桜井さんはちょっとこころもとない笑顔を浮かべた。


 しかしその後は、鼻歌を歌いながら窓の外を眺めていた。僕はこのまま自分の命を彼女に預けていいのか内心不安でしょうがなかった。


 やがて車は緩やかに減速し、そして上空で停止した。そしてゆっくりと真下に下降し、スムーズに地上に着陸した。

「つきましたよ、横浜横須賀特別行政府庁前です」

 とムワンギが静かに言った。

 いつのまに車の後部座席のドアが開いていた。

「急ぎましょう」

 という桜井さんの声にうながされて僕は車外に出た。目の前にはエンパイヤ―ステートビルそっくりの超高層ビルがそびえ立っている。

「アルル、河井さんは、九十九階の執務室でお待ちしているそうです」

 ムワンギが運転席の窓越しから桜井さんにそう言った。

「わかった。ありがとう、ムワンギ」

 僕らふたりは、圧倒的な存在感を示しているその超高層ビルの中にすいこまれるように、その入り口に早足でむかった。

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