第7話
「つまりこのリストバンドをはずした瞬間にまたいきなり機動隊が現れるってこと?」
「はい、逮捕されます」
と僕の質問に桜井さんは表情を変えることなく答えた。
「逮捕っていうか完全に殺しにかかっていたように思うけど」
「公安の権力は絶大です。横横行政府内だからといって例外ではありません。今の日本の法律では、公安に逆らった場合、不法入国者を殺害しても問題ないのです。この国では不法入国者を収容する設備はありません。そもそも拘置所が多少あるだけで、刑務所すらありません。二十三世紀の価値観では、犯罪者が改心することに期待するのは時間と費用の無駄だと考えているからです。不法入国が発覚すれば、公安のオフィサーは逮捕後強制送還するか、その場で射殺するかのいずれかを自主裁量で選択できます。重罪の場合は、うむを言わさず即射殺です」
「なんかよくわからないことだらけだけど、二十三世紀の未来では人間の命の重さはとても軽いってことか――」
「そうですね。一人ひとりの命の価値は二十一世紀とくらべると相対的に低くなったのかもしれません。でも二十一世紀には日常的に起きていた交通事故や飢饉や侵略戦争は、ここではほとんどおきません。なぜなら中央人工知能システム、CAIS(カイス)が社会全体を最適化しているからです。CAISにとってもっとも重要なのは最適で持続可能な社会です。それは時には国とおきかえてもいいし、地球環境といってもかまいません。だから社会や地球の維持にとって有害と判断されれば、どんな人間であろうと、容赦なく取り除くことを選択します」
「取り除くって、AIが人を殺すってこと?」
「CAISは人工頭脳なので、直接手を下したりはしません。人間がCAISの指示に従って社会や地球環境にとって害をなす人間の遺伝子データを消去します」
「データを消去するっていうのは、よくわからないけど、殺人ではないってこと?」
「遺伝子データがなければ人間として生きていくことはできないので、結果的には同じことです。ただ一旦消去されても遺伝子情報管理局のデータベースにバックアップデータが残っているので、復元することもできるんです」
僕には、桜井さんが、現実に生きている人間の話と仮想空間の中のアバターの話とを混同しているように感じられた。
「え、それって死んだ人間がよみがえるってこと?」
「はい」
と冗談半分で聞いた質問に桜井さんがきっぱりと言ったので、僕はあっけにとられた。瞬間的にこの二十三世紀の世界はもはや自分の想像がおよぶようなしろものではないとさとった。
「でも、全員が可能というわけではありません。復元には、いろいろと条件があります。犯罪等の履歴がないことや身元引受人がいることなどです」
桜井さんの補足説明は、僕の頭の中を素通りしていた。僕には人間が復元するという言葉の意味がどうしても理解できず、思考停止状態に陥っていたのだ。僕の表情の変化をめざとく察知した桜井さんは、すこし気まずそうに声のトーンを下げた。
「――ちょっと脱線しちゃいましたね。あとで詳しいことは話します」
「……」
「――とにかく公安が絶対権力を持っているとはいっても無実の人の遺伝子情報を理由もなく消去したりはしません、ちゃんと法律を守って生きているかぎり」
「――ってことなら、はい、安心です」
と、ようやく僕が言葉を発したので、桜井さんは安堵の笑みをうかべた。
「ほとんどの人はCAISが指定する仕事とパートナーを得て、なに不自由ない、幸せな一生を送ることができます」
しかしその言葉に僕は素直に違和感を覚えた。
「AIが決めた結婚相手とか就職に文句をいう人はいないの?」
「――いませんよ。CAIS(カイス)は絶対です。国の政治や外交、そして地方行政サービスや民間経済だけでなく、ひとりひとりの人生そのものがCAISの判断にゆだねられています。CAISの選択や判断を疑う人間はだれもいません」
と言いながら桜井さんの顔が心なしか曇っているように見えた。
僕はそれからほんのしばらく車窓をながれる未来の景色をながめた。そして、もうこうなったらなるようにしかならないと腹をくくった。
「まあ、ともかく、僕らは、このリストバンドのおかげで命拾いしたわけだね」
と少しおどけながら言うと桜井さんが、黙ってうなずいた。
「――えーと、ムワンギさん――どうも」
と僕はバックミラー越しにちょこんと頭を下げた。運転席のムワンギはチラッと後ろを振り向くと、真っ白い歯をむきだしにして笑いながら、
「こちらこそ、到着が遅れてしまいすみませんでした。入国管理局のお役所仕事のせいで予想外に時間を取られました。でもよかった。――死んでなくて」と言った。
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